十月十五日、金曜日。②
文字数 9,280文字
「もともとの僕は、人間ではありません。言魂のなかに棲む『こだま』です」
告白は、そんな突拍子もない言葉から始まった。
(ソファを勧められてなかったら、後ろにひっくり返ってるとこよ!)
それでもなんとか言葉を受け入れ飲みこめたのは、事件の経緯から考えても、人の力だけではなせないことだとわかっていたからだ。
わたしは自分の持てる知識を総動員して、なんとか冷静に応える。
「……こだまって、アレだよね。山に行って『やっほー』って言うと『やっほー』って返ってくるやつ」
すると、珍しく所長デスクではなくわたしたちの正面に座っているセイちゃんは、フッと口許を緩めた。
「なにもそれだけではないのですけどね。――そう、きみたちにとってわかりやすい表現をするならば、僕は『妖怪』の一種になると思いますよ。強 い 想 い の こ も っ た 言 葉 は 、人 に 強 く 伝 わ る 。叶 え ら れ る 。僕は、そういう現象が起こる原因となっている存在なのです」
饒舌なセイちゃんは、まるで最初から台本に書いてあったかのように、淀みなく続ける。
「もっとも、人はそれをあたりまえのことだと認識し、そこに理由を探さなかった。だから僕は、正しい名前を見つけられることもなく、『木霊』という借りものの字をあてられました。おかげで『木の精霊』と勘違いされるようになりましたが、僕の力は素直にそれを受け入れ、その結果山 の 木 々 の な か に 閉 じ こ め ら れ て い た のです」
「……………………えーと」
詳しく話を聞かせてもらっても、わたしの理解はまるで追いつかない。
(まさか本当に妖怪だったなんて……!?)
信じたくはないけど、理解するしかない。
でも、その先は?
閉じこめられていたというのなら、どうして今、セイちゃんはここにいるのだろう。
――その答えのヒントを口にしたのは、セイちゃんではなく嗣斗だった。
「そうか……! つまり、旧神成山 によく雷が落ちてたのは、あんたがそこに閉じこめられてたからなのか? で、神成山 に改称したあとに雷がやんだのは、名前が変わったおかげで影響力が薄れたから? 名前が影響するって、そういうことだろ!?」
「えっ、待ってよ……閉じこめられてた山って人生山なの!?」
わたしたちが手繰り寄せていた細い糸は、意外な場所から絡みあう。
セイちゃんは軽く頷くと、
「そうです。当時神成山 は、宗教的な意味あいを強く持っていました。麓に住む人たちはみな、山を神のように崇めていたのです。その強い想いは僕も無視できず、音に引かれて雷を喚 ぶ し か な か っ た 。しかし、人々が読みかたを変えたことによって、やがて喚ばずに済むようになりました」
「あれ? でも、お母さんが高校生の頃調べた研究ファイルには、それでも十年ごとに雷が起こって、人身御供をしてたって……」
「そう、ここで重要なのは、僕の力は基本的に十 年 し か 持 た な い ということです」
「え……?」
(十年)
これまで何度も耳にした響きに、ドクリと強く心臓が鳴った。
「どう呼び名を改めたところで、あの山の真名は神成山 。それは変わりません。よって、僕のなかで神成山 という新たな名は、十 年 ご と に 一 度 終 わ る のです」
「それでまた雷が起こるのか」
「ええ。ですから本当は、十年ごとに神事でもして、今現在の山の名がなにであるのかを教えてくれるだけでよかったのですが、人々が選んだのは人身御供でした」
「それでも、効果はあったんだよね……?」
おそるおそる尋ねると、セイちゃんの眉がハの字になる。
「そのほうが、みな必死になりますからね。山に対する想いとともに、新しき名は強く伝わってきましたよ。――そんなことが何回か繰り返され、やがて人身御供としてやってきたのが、タヅさんでした」
「あ……」
ここでまた、繋がる。
「タヅばあ、人身御供にされて生きて戻ってきた唯一の人だって、お母さんが言ってた」
「そうです。タヅさんが偶然歌った『こだまの歌』によって、永いあいだ山に閉じこめられていた僕は解き放たれた」
「こだまの歌? それってもしかして――」
やっほー やっほー
こだまが離れてゆく
やっほー やっほー
ありがとう
やっほー やっほー
こ だ ま が 返 っ て く る
やっほー やっほー
また明日
口ずさんで、わたしにもわかった。
「こだまが、返ってくる……!」
「そう、そのフレーズが必要だったのです。おかげで自由になれたお礼に、僕は彼女を守ることにしました。彼女が生きたまま戻ったことを責められても救えるよう、人の姿を借り一緒に麓へとおりたのです。――『それ』には、持 ち 主 を 守 る こ と を 誓 っ た 言 魂 がこめられています。今の僕は、その誓いを実行するためだけに生きている存在です」
セイちゃんが告げながら目を落としたのは、わたしたちのあいだにあるテーブルの上――例のお守りだ。
(持 ち 主 を守ることを誓った……?)
このお守りの、今の持ち主はわたし。
「その効力って、まだ続いてるの? セイちゃんがわたしの相談に乗ってくれてたのは、もしかして……」
「ええ、そのお守りがあったからですよ。効力は当然まだ続いています。十年ごとにタヅさんから借りて、言魂をこめなおしていましたからね。今回も、そろそろ舞ちゃんから借りねばならないと思っていたところです」
きっぱりと告げられて、胸の辺りがズキリと痛む。なにを期待していたわけではないけど、セイちゃん自身がわたしにとっての大きな支えになっていただけに、つらいのだ。
「――ちょっと待てよ。じゃああんたの身体は? 力が十年しか持たないなら、十年ごとに人 間 に な り な お し て る ってことなのかっ?」
前屈みになって、膝の上で両手を組んでいた嗣斗は、睨むようにセイちゃんを見あげる。
ただ落ちこんでいるだけのわたしと違って、真相を解明しようという意気ごみが強く見え、とても頼もしいと思えた。珍しいことだ。
(なにか気になることがあるのかな?)
その横顔に見入っていたわたしは、
「相変わらず鋭いですね、嗣斗くん」
喋り出したセイちゃんの声で、顔を戻す。
「そう、もともと人間の目に見えない存在である僕が、人間の姿を取りつづけるのは、なかなかに大変です。最初の一回は、長期間閉じこめられていたことで余っていた力が充分にあったので可能でしたが、次の十年からは新 た に 力 を 取 り こ む 方 法 を考えねばなりませんでした」
(ああ――)
再び近づいた。
そして、繋がる。
感覚的にそうわかったのは、もう糸の先にあるものが見えているからなのかもしれない。
「そこで考えついたのが、他人の命をもらってしまおうという方法です」
さらりと告げたセイちゃんの目に、感情の色はなにもない。
「もちろん、僕とてそこまで鬼畜ではありませんから、死 に た い と 考 え て い る 人 を探しました。昔は大変でしたよ、今と違ってインターネットがありませんでしたからね。効率よく情報を集めるために探偵となり、仕事の傍らターゲットを探していました」
「……じゃあこの事務所は、最初からセイちゃんがつくったものだったの?」
てっきり前の所長が興したものだと思っていたわたしは、驚きを隠せない。
セイちゃんはそんなわたしを知っているからだろう、小さく笑って答えた。
「そうですよ。タヅさんが僕にくれた『ことだ・まこと』という名から取って、琴田探偵事務所にしました。しかし、ずっと外見の変わらない人間が居つづけるのはおかしいでしょう? ですから、事務所を一度タヅさんの知人に譲った形にして、そのあいだは変装して所員として働いていました。そして、ある程度時間が経ってから変装を解き、初 代 所 長 の 息 子 として戻ってきたわけです。名がまったく同じでは変ですから、読みを変えてね」
(そっか……)
わたしがずっと勘違いしていたのは、本当の名字を知らなかったからなのだ。
初めて会ったとき、セイちゃんはわたしに、
『僕はきみのお父さんの弟で、誠 です』
なんて自己紹介をしたから。
それを聞いたわたしは勝手に、セイちゃんの名前が『三池誠 』であると思ってしまった。まさかセイちゃんの名字が違って、赤の他人だなんて、微塵も考えずに。
騙されていた。
笑顔が、優しかったから。
――でも今は、騙されてはいけない。
「セイちゃん、ひとつ嘘言ってる。十年前の今日亡くなったお父さんは、自殺なんて考えてなかったはずだよっ!」
ずっと解決できなかった事件の答えに、やっと近づいた父が死を望む理由などないのだ。
強い口調と視線で告げると、セイちゃんは両手を挙げて降参のポーズをつくる。
「ああ、すみません。あれは不可抗力でした。僕とて、タヅさんの関係者を死なせたくはなかった。しかし、彼が囮捜査をしていたため、実際に巻きこんでしまうまでこちらも気づかなかったのです」
「お、囮捜査……?」
軽い言葉で告げられたのは、物語のなかでしか聞いたことのない単語だった。
「つまり、テツおじさんは自殺をしたい振りをしてあんたと接触してたってことか? 多分、インターネット上で」
「正解!」
どこか楽しそうに告げるセイちゃんに、だんだん腹が立ってくる。
「もっと正確に言うならば、『自殺希望者の会』に参加してきたのですよ。おまけに、住所もこの山下市周辺だったので、問題なく選んでしまいました」
「山下市周辺の人を選んでいたのは、いざというときに偶 然 電 話 を か け て き て も ら え る 確 率 が 高 い から?」
「また正解!」
まったく悪びれたところがないから、握りしめていた手が震えた。
「そのせいで輝臣先輩が死んだんだね……あんなにやつれるまで悩んで、最後の最後であなたを頼ったのに! どうして……? お父さんのことが不可抗力だったって言うなら、今回はどうなの!? セイちゃん、とめられたはずでしょっ? 先輩にそ の 言 葉 を言わせなきゃよかったんだから……!!」
強く叫んだ勢いで、視界が歪んだ。水が溢れて、なにも見えなくなる。
でも代わりに耳が鋭くなって――セイちゃんが小さく笑った声が聞こえた。
「ああ、やはりきみたち、ある程度方法を推理してから来たのですね。どうりで……そうでなければ、僕が最後の電話相手だと言うだけで疑うのはおかしいと思いました」
「笑いごとでも楽しいことでもないんだよ! 真面目に答えてよ……っ」
「舞、落ちつけって。相手の罠に嵌るな」
思わず立ちあがったわたしを、嗣斗の力強い腕が引き戻す。
「だって……!」
「おまえがちゃんと見てなかっただけで、この探偵はもとからこういうやつだ。だから俺はあんまり好きじゃなかった」
「おや手厳しいですねぇ、嗣斗くん」
嗣斗はわたしの目にハンカチを押しつけると、ポンと一度わたしの肩を叩いた。それからスゥと、大きく息を吸って、
「俺たちがあんたのやり口を推理できたのは、おじさんの部屋にあったメモのおかげだ」
「メモ? あれ、そんなもの、僕は見せてもらっていませんが……」
「舞がたまたま見せそびれたんだとさ。今となっては、それが正解だったんだろうけど」
借りたハンカチで溢れた想いを吸い取ると、ちょうと嗣斗が取り出した紙が見えた。
それを受け取ったセイちゃんは、すぐ眉間に皺を寄せる。
「――これも、タヅさんの字ですね」
「えっ!?」
寅おじさんの発言から、父が書いたものではないかもしれないということはわかっていた。けれど、さすがのわたしも、タヅばあが書いたなんてまったく予想もしていなかった。
(つまり、タヅばあも自分なりに推理をしてたってこと?)
それなら、父の部屋から消えていた切り抜きにも説明がつく。タヅばあが推理の材料として持っていった可能性があるからだ。
嗣斗も同じことを考えたのか、こちらに目を向けたあと、顔を戻して先を続けた。
「俺たちはこのメモと、インターネット上で噂になってる『死を招く言葉』の都市伝説から、ある言葉が一周すると経由した人たちが死ぬんじゃないかと推理したんだ」
その視線は、セイちゃんの顔色を窺うように、じっと前を向いている。
それを受けとめるセイちゃんの瞳には、さっきまでと違い、僅かに動揺の色が見えた。
「――大体、合っていますよ。先ほども言いましたが、本来の僕は、強い想いのこもった言葉を、相手に強く伝える存在。すでに限界まで力を使っている僕から始まり、自殺を望む強い気持ちを持った者たちの口頭を経由することによって、力はどんどん強まってゆく。そしてその言葉が僕に戻ってきたとき、僕はすべての力――『命』を受け取り、奪われた者たちは眠るように死んでゆくのです」
「媒体に電話を選んだのは?」
「どこにいても、相手が誰でも、ひとりだけに伝わる。足がつきにくい。実に最適な道具です。僕が自殺希望者に指示したことは、『電話がかかってきたら同じ内容を指定した番号にかけること』と、『そのとき必ず公衆電話を使うこと』のふたつだけなのですよ」
そこまで答えたあと、セイちゃんはふっと口許を緩めて、
「もしまだ電話が発明されていない時代に、こんなふうに人間化していたら、僕はきっと生きることに苦労していたことでしょうね」
「セイちゃん……!」
気がつくとわたしは、テーブルの上に片足をあげていた。それだけじゃない。わたしの手は、セイちゃんの頬を思いきり叩いたあとだった。
大きく見開かれた瞳と、赤く染まった頬。
でも、痛いのはわたしの掌も同じだ。
わたしの心も。
「馬鹿にしないで! 生きることに苦労してない人なんて、きっとどこにもいない……だからこそ、生きるのが楽しいと思えるんだよ! つらいこともいっぱいあるけど、頑張れるんだよっ!」
「舞ちゃん……」
「セイちゃんが生きたいと思ったのは、どうして? タヅばあを守りたかったから? でも、たくさんの人の命を奪ってまで守られて、タヅばあが喜ぶなんてとても思えないよ!」
今度はテーブルの上を叩いて告げたら、まだそこに置かれていたお守りが少し跳ねた。
セイちゃんの視線も、それを追って下へ。
「ええ……ええ、そうですね。僕はタヅさんに、人の命を奪って生きながらえていることを、打ち明けていませんでした。しかし彼女は、感づいていたのでしょうね。お守りのなかの伝言に、このメモ。そしてその――『死を招く言葉』という都市伝説の存在が、それを示しています」
「あ! そうか、それもあのばあさんが流した話なら、辻褄が合う! 俺よりパソコンに詳しかったくらいだ、楽勝だろ。きっと舞には自分と同じ思いをさせたくないと思って、死ぬ間際に辿り着いた答えのヒントを残していったんだ……!」
興奮したように、嗣斗が納得の声をあげた。
(自分と同じ、思いを?)
それはつまり、自分を守るために多くの無関係な人々が死んでいるということ。その事実を知って、痛む心。
(――ううん、違う)
違うよ、タヅばあ。
わたしの思いは、そんなものじゃない。
わたしは。
わたしの。
いちばん好きな人を。
(自分のせいで亡くしてしまった……!)
セイちゃんがまた生きようとしているのは、わたしがこのお守りを持っているから。
わたしのために、生きようとしたから。
――そんなこと、わたしは望んでいないのに!
「どうして……タヅばあは、わかっててこのお守りを捨てなかったのかな……」
倒れるようにソファへと身体を戻しながら、わたしは呟いた。タヅばあが早い段階でお守りを処分していたなら、セイちゃんに触れさせなかったなら、輝臣先輩はもちろん、父だって死なずに済んだかもしれない――そう考えると、やるせなさがこみあげてくるのだ。
しかし、嗣斗の考えは違うらしい。
「馬鹿舞っ、託 さ れ た おまえがそれを言っちゃ駄目だろ」
鋭い口調とは裏腹に、コツンと軽くこめかみの辺りを突いてくる、嗣斗の指先。
「こんなやつでも、ばあさんにとっては恩人なんだ。山から戻ってきて五十年近く、ずっと自分を守ってくれた相手を裏切れるほど、おまえのばあさんは薄情者だったのか?」
「そ、そんなことない!」
「だろ? だからばあさんは、どうにもできなかった。どうにもできないから、ど う に か し て く れ そ う な お ま え に 託 し た 。それはおまえに期待してたってことだ」
「わたしに、期待……?」
そこでわたしが思い出したのは、
『キミがいなければそれも叶わないんだ』
輝臣先輩を好きになるきっかけとなった、大切な言葉だった。
一部を繰り返したわたしに、神妙な顔をした嗣斗は頷く。
「おまえなら、ここまで常軌を逸した答えでも信じてくれるって。――もっと言えば、父 親 を 殺 さ れ て 黙 っ て い る よ う な お ま え じ ゃ な い って、そう思ったんじゃないか?」
「――っ」
言われて改めて、実感した。
(そうだ、輝臣先輩だけじゃない)
セイちゃんは、わたしの大切な人をふたりも殺したのだ。とても赦すことはできない。
そういう強い想いを持つわたしだけが、セイちゃんを裁けるというのなら。
わたしにそれを、望む人がいるのなら。
(セイちゃんと一緒に過ごした日々は、本当に楽しかったけど)
その楽しさが、一体なにと引き替えに得られたものだったのか。
自分に問いかければ、気持ちは揺るがない。
胸に手をあてて、必死に呼吸をする。
わたしの耳に滑りこむのは、ずっと優しい振りをしてきた声音。
「僕を消しますか?」
まるで日常会話のような気安さで、セイちゃんは口にした。自らの手を汚さずに人を殺していたセイちゃんに、罪悪感なんてほとんどないのだろう。
(あるとすれば、タヅばあやわたしに対するものだけ?)
その証拠に、セイちゃんは淋しそうに目を細めて続ける。
「タヅさんの願いどおり、きみの心を守るには、もうそれしかないようです。このまま僕を放っておいても五年経てば消えますが、きみはそこまで待てないでしょう?」
「五年……? 十年じゃないのか」
横から嗣斗が疑問を投げかけると、今度はクスリと笑った。
「五 人 分 しか食べられませんでしたからね。――そう、それに、今ならまだ間に合うのですよ。魂を消化するのは一年にひとつ。今ならまだ、輝臣くんの魂も僕のなかにある」
「え……っ!?」
死んだ時点で、もう生き返ることはないとわかってはいた。けれど、魂はまだ残っているのだと、そう聞いただけで心はざわめく。
(まだ、生きてる!)
そんな気がした。
わたしをあっさりと突き落とす、セイちゃんは残酷だ。
「輝臣くんは僕と最後に話したとき、『なにがあっても舞ちゃんを守る』と僕に約束してくれました。ですから、僕が消えても輝臣くんの魂が舞ちゃんを守ってくれるでしょう」
「やめてセイちゃん! こんなときにまた、都合のいいこと言わないでっ!」
守るとか守らないとか、そんな言葉はもうたくさんだ。
わたしは叫んでいた。
「わたしはもう大丈夫! 誰に守ってもらわなくても……自分でなんとかできるから! なんとかするからっ」
嗣斗の隣から、テーブルの横を通ってセイちゃんの隣へと移動する。
「輝臣先輩をただ自由にしてくれればいいの! それ以外はなにもしないで……っ」
すがりつくように、腕を掴んで揺すったわたしに、セイちゃんはゆっくりと顔を近づけてくる。――いや、耳 を。
「では、あなたの強い想いを僕にください」
穏やかに告げるセイちゃんは、強い想いのこもった言葉を実現できる妖怪。
(わたしが心から、強く想えば)
わたしの言葉は、実現する。
わたしの言葉が、セイちゃんを殺す。
(どんなに心が痛んでも、わたしは――)
父が探し求め、タヅばあが辿り着いた答えを、ひとつも無駄にはしたくない!
息をとめ、そっと、唇を近づけた。
「セイちゃん――」
仕舞いこんだたくさんの言葉たちが、わたしの目尻からぽろぽろと落ちてゆく。
見慣れたセイちゃんの横顔を、わたしの視界から消してゆく。
わたしが大きく吸いこんだのは、空気だろうか。それとも誰かの想いだろうか。
「――消えて」
強く囁くと、目の前にあった温もりは一瞬にして消え失せる。そしてその場所から、五つの光の玉が飛散していった。
「あれが、魂……?」
それを目で追い、擦れた声で呟いた嗣斗。
しかしもう、その問いに答えられる人は誰もいない。
(あとはわたしたちが、信じるだけなんだ)
今日耳にしたすべてのことを。
失われたみんなの魂は、自由に還ったのだと――。
告白は、そんな突拍子もない言葉から始まった。
(ソファを勧められてなかったら、後ろにひっくり返ってるとこよ!)
それでもなんとか言葉を受け入れ飲みこめたのは、事件の経緯から考えても、人の力だけではなせないことだとわかっていたからだ。
わたしは自分の持てる知識を総動員して、なんとか冷静に応える。
「……こだまって、アレだよね。山に行って『やっほー』って言うと『やっほー』って返ってくるやつ」
すると、珍しく所長デスクではなくわたしたちの正面に座っているセイちゃんは、フッと口許を緩めた。
「なにもそれだけではないのですけどね。――そう、きみたちにとってわかりやすい表現をするならば、僕は『妖怪』の一種になると思いますよ。
饒舌なセイちゃんは、まるで最初から台本に書いてあったかのように、淀みなく続ける。
「もっとも、人はそれをあたりまえのことだと認識し、そこに理由を探さなかった。だから僕は、正しい名前を見つけられることもなく、『木霊』という借りものの字をあてられました。おかげで『木の精霊』と勘違いされるようになりましたが、僕の力は素直にそれを受け入れ、その結果
「……………………えーと」
詳しく話を聞かせてもらっても、わたしの理解はまるで追いつかない。
(まさか本当に妖怪だったなんて……!?)
信じたくはないけど、理解するしかない。
でも、その先は?
閉じこめられていたというのなら、どうして今、セイちゃんはここにいるのだろう。
――その答えのヒントを口にしたのは、セイちゃんではなく嗣斗だった。
「そうか……! つまり、旧
「えっ、待ってよ……閉じこめられてた山って人生山なの!?」
わたしたちが手繰り寄せていた細い糸は、意外な場所から絡みあう。
セイちゃんは軽く頷くと、
「そうです。当時
「あれ? でも、お母さんが高校生の頃調べた研究ファイルには、それでも十年ごとに雷が起こって、人身御供をしてたって……」
「そう、ここで重要なのは、僕の力は基本的に
「え……?」
(十年)
これまで何度も耳にした響きに、ドクリと強く心臓が鳴った。
「どう呼び名を改めたところで、あの山の真名は
「それでまた雷が起こるのか」
「ええ。ですから本当は、十年ごとに神事でもして、今現在の山の名がなにであるのかを教えてくれるだけでよかったのですが、人々が選んだのは人身御供でした」
「それでも、効果はあったんだよね……?」
おそるおそる尋ねると、セイちゃんの眉がハの字になる。
「そのほうが、みな必死になりますからね。山に対する想いとともに、新しき名は強く伝わってきましたよ。――そんなことが何回か繰り返され、やがて人身御供としてやってきたのが、タヅさんでした」
「あ……」
ここでまた、繋がる。
「タヅばあ、人身御供にされて生きて戻ってきた唯一の人だって、お母さんが言ってた」
「そうです。タヅさんが偶然歌った『こだまの歌』によって、永いあいだ山に閉じこめられていた僕は解き放たれた」
「こだまの歌? それってもしかして――」
やっほー やっほー
こだまが離れてゆく
やっほー やっほー
ありがとう
やっほー やっほー
やっほー やっほー
また明日
口ずさんで、わたしにもわかった。
「こだまが、返ってくる……!」
「そう、そのフレーズが必要だったのです。おかげで自由になれたお礼に、僕は彼女を守ることにしました。彼女が生きたまま戻ったことを責められても救えるよう、人の姿を借り一緒に麓へとおりたのです。――『それ』には、
セイちゃんが告げながら目を落としたのは、わたしたちのあいだにあるテーブルの上――例のお守りだ。
(
このお守りの、今の持ち主はわたし。
「その効力って、まだ続いてるの? セイちゃんがわたしの相談に乗ってくれてたのは、もしかして……」
「ええ、そのお守りがあったからですよ。効力は当然まだ続いています。十年ごとにタヅさんから借りて、言魂をこめなおしていましたからね。今回も、そろそろ舞ちゃんから借りねばならないと思っていたところです」
きっぱりと告げられて、胸の辺りがズキリと痛む。なにを期待していたわけではないけど、セイちゃん自身がわたしにとっての大きな支えになっていただけに、つらいのだ。
「――ちょっと待てよ。じゃああんたの身体は? 力が十年しか持たないなら、十年ごとに
前屈みになって、膝の上で両手を組んでいた嗣斗は、睨むようにセイちゃんを見あげる。
ただ落ちこんでいるだけのわたしと違って、真相を解明しようという意気ごみが強く見え、とても頼もしいと思えた。珍しいことだ。
(なにか気になることがあるのかな?)
その横顔に見入っていたわたしは、
「相変わらず鋭いですね、嗣斗くん」
喋り出したセイちゃんの声で、顔を戻す。
「そう、もともと人間の目に見えない存在である僕が、人間の姿を取りつづけるのは、なかなかに大変です。最初の一回は、長期間閉じこめられていたことで余っていた力が充分にあったので可能でしたが、次の十年からは
(ああ――)
再び近づいた。
そして、繋がる。
感覚的にそうわかったのは、もう糸の先にあるものが見えているからなのかもしれない。
「そこで考えついたのが、他人の命をもらってしまおうという方法です」
さらりと告げたセイちゃんの目に、感情の色はなにもない。
「もちろん、僕とてそこまで鬼畜ではありませんから、
「……じゃあこの事務所は、最初からセイちゃんがつくったものだったの?」
てっきり前の所長が興したものだと思っていたわたしは、驚きを隠せない。
セイちゃんはそんなわたしを知っているからだろう、小さく笑って答えた。
「そうですよ。タヅさんが僕にくれた『ことだ・まこと』という名から取って、琴田探偵事務所にしました。しかし、ずっと外見の変わらない人間が居つづけるのはおかしいでしょう? ですから、事務所を一度タヅさんの知人に譲った形にして、そのあいだは変装して所員として働いていました。そして、ある程度時間が経ってから変装を解き、
(そっか……)
わたしがずっと勘違いしていたのは、本当の名字を知らなかったからなのだ。
初めて会ったとき、セイちゃんはわたしに、
『僕はきみのお父さんの弟で、
なんて自己紹介をしたから。
それを聞いたわたしは勝手に、セイちゃんの名前が『三池
騙されていた。
笑顔が、優しかったから。
――でも今は、騙されてはいけない。
「セイちゃん、ひとつ嘘言ってる。十年前の今日亡くなったお父さんは、自殺なんて考えてなかったはずだよっ!」
ずっと解決できなかった事件の答えに、やっと近づいた父が死を望む理由などないのだ。
強い口調と視線で告げると、セイちゃんは両手を挙げて降参のポーズをつくる。
「ああ、すみません。あれは不可抗力でした。僕とて、タヅさんの関係者を死なせたくはなかった。しかし、彼が囮捜査をしていたため、実際に巻きこんでしまうまでこちらも気づかなかったのです」
「お、囮捜査……?」
軽い言葉で告げられたのは、物語のなかでしか聞いたことのない単語だった。
「つまり、テツおじさんは自殺をしたい振りをしてあんたと接触してたってことか? 多分、インターネット上で」
「正解!」
どこか楽しそうに告げるセイちゃんに、だんだん腹が立ってくる。
「もっと正確に言うならば、『自殺希望者の会』に参加してきたのですよ。おまけに、住所もこの山下市周辺だったので、問題なく選んでしまいました」
「山下市周辺の人を選んでいたのは、いざというときに
「また正解!」
まったく悪びれたところがないから、握りしめていた手が震えた。
「そのせいで輝臣先輩が死んだんだね……あんなにやつれるまで悩んで、最後の最後であなたを頼ったのに! どうして……? お父さんのことが不可抗力だったって言うなら、今回はどうなの!? セイちゃん、とめられたはずでしょっ? 先輩に
強く叫んだ勢いで、視界が歪んだ。水が溢れて、なにも見えなくなる。
でも代わりに耳が鋭くなって――セイちゃんが小さく笑った声が聞こえた。
「ああ、やはりきみたち、ある程度方法を推理してから来たのですね。どうりで……そうでなければ、僕が最後の電話相手だと言うだけで疑うのはおかしいと思いました」
「笑いごとでも楽しいことでもないんだよ! 真面目に答えてよ……っ」
「舞、落ちつけって。相手の罠に嵌るな」
思わず立ちあがったわたしを、嗣斗の力強い腕が引き戻す。
「だって……!」
「おまえがちゃんと見てなかっただけで、この探偵はもとからこういうやつだ。だから俺はあんまり好きじゃなかった」
「おや手厳しいですねぇ、嗣斗くん」
嗣斗はわたしの目にハンカチを押しつけると、ポンと一度わたしの肩を叩いた。それからスゥと、大きく息を吸って、
「俺たちがあんたのやり口を推理できたのは、おじさんの部屋にあったメモのおかげだ」
「メモ? あれ、そんなもの、僕は見せてもらっていませんが……」
「舞がたまたま見せそびれたんだとさ。今となっては、それが正解だったんだろうけど」
借りたハンカチで溢れた想いを吸い取ると、ちょうと嗣斗が取り出した紙が見えた。
それを受け取ったセイちゃんは、すぐ眉間に皺を寄せる。
「――これも、タヅさんの字ですね」
「えっ!?」
寅おじさんの発言から、父が書いたものではないかもしれないということはわかっていた。けれど、さすがのわたしも、タヅばあが書いたなんてまったく予想もしていなかった。
(つまり、タヅばあも自分なりに推理をしてたってこと?)
それなら、父の部屋から消えていた切り抜きにも説明がつく。タヅばあが推理の材料として持っていった可能性があるからだ。
嗣斗も同じことを考えたのか、こちらに目を向けたあと、顔を戻して先を続けた。
「俺たちはこのメモと、インターネット上で噂になってる『死を招く言葉』の都市伝説から、ある言葉が一周すると経由した人たちが死ぬんじゃないかと推理したんだ」
その視線は、セイちゃんの顔色を窺うように、じっと前を向いている。
それを受けとめるセイちゃんの瞳には、さっきまでと違い、僅かに動揺の色が見えた。
「――大体、合っていますよ。先ほども言いましたが、本来の僕は、強い想いのこもった言葉を、相手に強く伝える存在。すでに限界まで力を使っている僕から始まり、自殺を望む強い気持ちを持った者たちの口頭を経由することによって、力はどんどん強まってゆく。そしてその言葉が僕に戻ってきたとき、僕はすべての力――『命』を受け取り、奪われた者たちは眠るように死んでゆくのです」
「媒体に電話を選んだのは?」
「どこにいても、相手が誰でも、ひとりだけに伝わる。足がつきにくい。実に最適な道具です。僕が自殺希望者に指示したことは、『電話がかかってきたら同じ内容を指定した番号にかけること』と、『そのとき必ず公衆電話を使うこと』のふたつだけなのですよ」
そこまで答えたあと、セイちゃんはふっと口許を緩めて、
「もしまだ電話が発明されていない時代に、こんなふうに人間化していたら、僕はきっと生きることに苦労していたことでしょうね」
「セイちゃん……!」
気がつくとわたしは、テーブルの上に片足をあげていた。それだけじゃない。わたしの手は、セイちゃんの頬を思いきり叩いたあとだった。
大きく見開かれた瞳と、赤く染まった頬。
でも、痛いのはわたしの掌も同じだ。
わたしの心も。
「馬鹿にしないで! 生きることに苦労してない人なんて、きっとどこにもいない……だからこそ、生きるのが楽しいと思えるんだよ! つらいこともいっぱいあるけど、頑張れるんだよっ!」
「舞ちゃん……」
「セイちゃんが生きたいと思ったのは、どうして? タヅばあを守りたかったから? でも、たくさんの人の命を奪ってまで守られて、タヅばあが喜ぶなんてとても思えないよ!」
今度はテーブルの上を叩いて告げたら、まだそこに置かれていたお守りが少し跳ねた。
セイちゃんの視線も、それを追って下へ。
「ええ……ええ、そうですね。僕はタヅさんに、人の命を奪って生きながらえていることを、打ち明けていませんでした。しかし彼女は、感づいていたのでしょうね。お守りのなかの伝言に、このメモ。そしてその――『死を招く言葉』という都市伝説の存在が、それを示しています」
「あ! そうか、それもあのばあさんが流した話なら、辻褄が合う! 俺よりパソコンに詳しかったくらいだ、楽勝だろ。きっと舞には自分と同じ思いをさせたくないと思って、死ぬ間際に辿り着いた答えのヒントを残していったんだ……!」
興奮したように、嗣斗が納得の声をあげた。
(自分と同じ、思いを?)
それはつまり、自分を守るために多くの無関係な人々が死んでいるということ。その事実を知って、痛む心。
(――ううん、違う)
違うよ、タヅばあ。
わたしの思いは、そんなものじゃない。
わたしは。
わたしの。
いちばん好きな人を。
(自分のせいで亡くしてしまった……!)
セイちゃんがまた生きようとしているのは、わたしがこのお守りを持っているから。
わたしのために、生きようとしたから。
――そんなこと、わたしは望んでいないのに!
「どうして……タヅばあは、わかっててこのお守りを捨てなかったのかな……」
倒れるようにソファへと身体を戻しながら、わたしは呟いた。タヅばあが早い段階でお守りを処分していたなら、セイちゃんに触れさせなかったなら、輝臣先輩はもちろん、父だって死なずに済んだかもしれない――そう考えると、やるせなさがこみあげてくるのだ。
しかし、嗣斗の考えは違うらしい。
「馬鹿舞っ、
鋭い口調とは裏腹に、コツンと軽くこめかみの辺りを突いてくる、嗣斗の指先。
「こんなやつでも、ばあさんにとっては恩人なんだ。山から戻ってきて五十年近く、ずっと自分を守ってくれた相手を裏切れるほど、おまえのばあさんは薄情者だったのか?」
「そ、そんなことない!」
「だろ? だからばあさんは、どうにもできなかった。どうにもできないから、
「わたしに、期待……?」
そこでわたしが思い出したのは、
『キミがいなければそれも叶わないんだ』
輝臣先輩を好きになるきっかけとなった、大切な言葉だった。
一部を繰り返したわたしに、神妙な顔をした嗣斗は頷く。
「おまえなら、ここまで常軌を逸した答えでも信じてくれるって。――もっと言えば、
「――っ」
言われて改めて、実感した。
(そうだ、輝臣先輩だけじゃない)
セイちゃんは、わたしの大切な人をふたりも殺したのだ。とても赦すことはできない。
そういう強い想いを持つわたしだけが、セイちゃんを裁けるというのなら。
わたしにそれを、望む人がいるのなら。
(セイちゃんと一緒に過ごした日々は、本当に楽しかったけど)
その楽しさが、一体なにと引き替えに得られたものだったのか。
自分に問いかければ、気持ちは揺るがない。
胸に手をあてて、必死に呼吸をする。
わたしの耳に滑りこむのは、ずっと優しい振りをしてきた声音。
「僕を消しますか?」
まるで日常会話のような気安さで、セイちゃんは口にした。自らの手を汚さずに人を殺していたセイちゃんに、罪悪感なんてほとんどないのだろう。
(あるとすれば、タヅばあやわたしに対するものだけ?)
その証拠に、セイちゃんは淋しそうに目を細めて続ける。
「タヅさんの願いどおり、きみの心を守るには、もうそれしかないようです。このまま僕を放っておいても五年経てば消えますが、きみはそこまで待てないでしょう?」
「五年……? 十年じゃないのか」
横から嗣斗が疑問を投げかけると、今度はクスリと笑った。
「
「え……っ!?」
死んだ時点で、もう生き返ることはないとわかってはいた。けれど、魂はまだ残っているのだと、そう聞いただけで心はざわめく。
(まだ、生きてる!)
そんな気がした。
わたしをあっさりと突き落とす、セイちゃんは残酷だ。
「輝臣くんは僕と最後に話したとき、『なにがあっても舞ちゃんを守る』と僕に約束してくれました。ですから、僕が消えても輝臣くんの魂が舞ちゃんを守ってくれるでしょう」
「やめてセイちゃん! こんなときにまた、都合のいいこと言わないでっ!」
守るとか守らないとか、そんな言葉はもうたくさんだ。
わたしは叫んでいた。
「わたしはもう大丈夫! 誰に守ってもらわなくても……自分でなんとかできるから! なんとかするからっ」
嗣斗の隣から、テーブルの横を通ってセイちゃんの隣へと移動する。
「輝臣先輩をただ自由にしてくれればいいの! それ以外はなにもしないで……っ」
すがりつくように、腕を掴んで揺すったわたしに、セイちゃんはゆっくりと顔を近づけてくる。――いや、
「では、あなたの強い想いを僕にください」
穏やかに告げるセイちゃんは、強い想いのこもった言葉を実現できる妖怪。
(わたしが心から、強く想えば)
わたしの言葉は、実現する。
わたしの言葉が、セイちゃんを殺す。
(どんなに心が痛んでも、わたしは――)
父が探し求め、タヅばあが辿り着いた答えを、ひとつも無駄にはしたくない!
息をとめ、そっと、唇を近づけた。
「セイちゃん――」
仕舞いこんだたくさんの言葉たちが、わたしの目尻からぽろぽろと落ちてゆく。
見慣れたセイちゃんの横顔を、わたしの視界から消してゆく。
わたしが大きく吸いこんだのは、空気だろうか。それとも誰かの想いだろうか。
「――消えて」
強く囁くと、目の前にあった温もりは一瞬にして消え失せる。そしてその場所から、五つの光の玉が飛散していった。
「あれが、魂……?」
それを目で追い、擦れた声で呟いた嗣斗。
しかしもう、その問いに答えられる人は誰もいない。
(あとはわたしたちが、信じるだけなんだ)
今日耳にしたすべてのことを。
失われたみんなの魂は、自由に還ったのだと――。