十月九日、土曜日。
文字数 3,809文字
怒濤の一日を終えた、翌日。
昨夜は全然寝つけなくて、タヅばあが昔子守歌代わりに聴かせてくれた歌を、脳裏で何度も再生していた。
やっほー やっほー
こだまが離れてゆく
やっほー やっほー
ありがとう
やっほー やっほー
こだまが返ってくる
やっほー やっほー
また明日
十五周目くらいでやっと眠れても、今朝目が覚めたとき、疲れはほとんど取れていなくて――わたしは学校が休みであるのをいいことに、昼までベッドの上でごろごろしていた。これまでに得た情報を、頭のなかで整理するためにも必要な時間だった。
(――それにしても、昨日のアレはなんだったんだろ)
思い出して、口許に自然と苦笑が浮かんだ。
昨日寅おじさんが帰ったあと、夕方のローカル・ニュースをみんなで見たのだ。でも、その内容のあまりの酷さに、三人とも見事に固まってしまった。
(呪いとか集団催眠とか、本気で言ってるのかな、あの人たちは!)
オカミス研に所属しているわたしが言うのもなんだけど、聞いて呆れる。輝臣先輩ほど自分をちゃんと持った人が、そんなものに惑わされるわけがないのに。
ただ、その酷いニュースを見たおかげで、さらにわかったこともあった。
ひとつは、亡くなった五人の死亡推定時刻は必ずしも一致しないこと。みんな七日の夜から八日の朝にかけて亡くなったことは同じだけど、細かい時間を割り出すと時間にズレがあるらしい。
そして、もうひとつは――
(まさか、こんなに身近で起きてた事件だとは思わなかったよ!)
実は、輝臣先輩以外に亡くなった四人も、この山下市周辺に住んでいたらしいのだ。どうりで、この事件を取りあげている番組がローカル・ニュースばかりのはずだ。もっとも、今日あたりには全国ニュースでもやっているかもしれない。
(寅おじさんがそれを教えてくれなかったのは、多分もう知ってることだと思ったからなんだろうなぁ)
そして母も。あんなにわたしのことを心配していたのは、すべて身近で起きている事件なのだと知っていたから、なのだろう。
――そう、す べ て 。十年前の事件も、被害者(?)はみんな山下市周辺の住民だったらしい。
(じゃあ、その前は?)
その、前は?
考えれば考えるほど、怖くなってくる。
誰の手も入らずに、こんなことが起こるはずもない。でも、なんの痕跡もないから誰も疑えない。
まるで見えない手が、この小さな都市を支配しているかのようだった。そしてその手が、どうしてか輝臣先輩を選んでしまった。
(亡くなった人たちには、なにか共通点があったの?)
輝臣先輩の笑顔を脳裏に思い浮かべながら、考える。
それは当然、警察のほうでも散々調べられたことだろう。でも、輝臣先輩と実際に接していたわたしたちだからこそ気づけることが、なにかあるかもしれない。それに、一介の高校生が調べられそうな範囲は、その程度しかなかった。
わたしはもっそりと起きあがり、ベッド脇の机の上に置いてあるスマホを手に取る。
赤いスマホ。同じくらい赤くなって、輝臣先輩の電話番号やメールアドレスを訊いたとき、「かわいいね」って言ってくれた。
そんなことを思い出しながらアドレス帳から探したのは、琴田探偵事務所の番号だ。もしセイちゃんが外出していても、セイちゃんのスマホに転送される仕組みになっているから、電話はいつも事務所のほうにかけていた。スマホの番号を知らないという理由もあるけど。
(耳の早いセイちゃんなら、事件のことはとっくに知ってるはず)
わたしが昨日事務所に行かなかったから、心配してくれているかもしれない。
そこまで考えたわたしは、昨日はそんなふうに人を気遣う余裕もなかったことに気づく。逆に言えば、今日はいくらかマシのようだ。
(自分でも、意外なくらい)
落ちついている。取り乱せない。
それは多分、わたしがまだなにも知らないからだ。
体内に澱んでいる黒い感情を、どこかに吐き出したいのに、その先がない。
『あんたのせいだ!』
そう叫んでも、応えてくれる人はまだいないから――輝臣先輩の死を、きっと本当の意味では受け入れられていないのだと思う。
(それでも今は、進むしかないの)
通話をタップして、スマホを耳にあてる。
数回のコールで、セイちゃんが出た。
『はい、琴田探偵事務所です』
「セイちゃん! わたしだよ。番号でわかってるくせに、そんな事務的に出ないでよ」
挨拶代わりに文句を言ったら、セイちゃんは受話器の向こうで小さく笑う。
『すみません。でも、きみのスマホで他の人が電話をかけることもありえますから』
「なに言ってるの。セイちゃんに電話するようなも の 好 き は、わたしくらいだよっ」
『……僕は一応、市内で唯一の探偵なのですが……』
セイちゃんの妙にしょんぼりとした声に、今度はわたしのほうが笑ってしまった。
「あーはいはい。セイちゃんが『便利屋』とか『なんでも屋』感覚で近所のおばちゃんたちから人気を集めてるのは知ってるけどね。セイちゃんに探 偵 の 仕 事 を頼むのなんて、わたしくらいでしょ?」
そこでセイちゃんは、大きく息を吸った。
『もしや、昨日の事件を調べる気ですか?』
脅すように低い声が、少し怖い。
でもわたしは、怯むわけにはいかないのだ。
「そうだよ! セイちゃんだって今『事件』って言いかたしたじゃない。輝臣先輩が亡くなったのは、きっと偶然なんかじゃないよ。偶然で、何人もの人が原因不明で一斉に亡くなるなんて、起こるとは思えないものっ」
『――その調子では、十年前の事件の話も聞いたようですね』
「十年前どころか、四十年も前から十年ごとに起こってるんでしょ!?」
『えっ?』
どうやらセイちゃんは、わたしがそこまで知っていると思っていなかったようだ。
『……誰ですか? 口が軽いのは』
「なによ、わたしが頑張って調べたとは思わないわけ?」
不満げに告げると、セイちゃんは多分苦笑したのだろう。
『昨日から今日にかけたきみの心理状態を考えれば、さすがに無理でしょうからね』
「あ――」
わたしの顔が、少しスマホの色に近づく。
(セイちゃん……)
やっぱり心配してくれていたみたいだ。
その気持ちが、わたしの心を少し軽くしてくれた。
「――わたしは大丈夫だよ、セイちゃん。それより、先輩を死なせた『なにか』を突きとめたいの。事件が十年ごとに起こってるって話は、寅太郎おじさんが教えてくれたんだ。セイちゃんも知ってるでしょ? 昔お父さんの部下だった人」
『ああ、あの人ですか……』
セイちゃんは納得の声をあげてから、しばらく口を噤んだ。
「セイちゃん?」
その長い沈黙に耐えかねて名を呼ぶと、
『僕は反対です、舞ちゃん。これはきっと、きみが思っているよりも危険なことだ。無闇に首を突っこむべきではない』
「そんなぁ~。セイちゃんなら色々教えてくれると思ったのに……!」
『そんなことを考えるよりも、今はちゃんと哀しみなさい。この機会を逃せば、タヅさんに似て意外と頑固なきみは、もう泣けなくなるでしょう』
(あれ……?)
あやすように穏やかな声音で告げられたセイちゃんの言葉が、少し引っかかる。
「……セイちゃんって、タヅばあのことも知ってるんだっけ?」
セイちゃんは『父 の 弟』だけど、タヅばあは『母 の 母』なのだ。まして、家族から完全に勘当されていたというセイちゃんが、タヅばあのことを性格までよく知っているというのは、ちょっとおかしい気がした。
しかしセイちゃんにとっては、不思議なことはなにもないらしく、さらりと答える。
『僕が直接知っているわけではありませんけどね。この探偵事務所のもとの所長である琴田さんから、あれこれと武勇伝を聞いていますよ。歌がとてもお上手だったとか、年を取ってからもばりばりパソコンを使いこなしていたとか。市内でもかなり有名なスーパーおばあちゃんだったんですって?』
「あはは、それはちょっと言い過ぎかも。昔な に か す ご い こ と を や ら か し た っていうのは、わたしも聞いたことあるんだけど」
『そんなところは、真似しなくていいですからね』
笑いながら言われたのが、なんだか悔しい。
「ちょっと調べるくらいじゃ、なにもやらかさないよっ?」
遠まわしに協力を求めてみても、
『それでも僕は、手伝えません。きみのお母さんの気持ちを考えたら、とても、ね』
「お母さん? なんでここにお母さんが出てくるの?」
『――それもわからないようなきみだから、手伝うわけにはいかないのです。今回は、諦めなさい』
セイちゃんはそこで一方的に通話を切った。
「ちょっとセイちゃん!?」
(恋愛相談のときは、一度たりとも「諦めろ」なんて言ったことなかったのに!)
セイちゃんはなにかを掴んでいる。
そのことが、逆にはっきりとした。
そのことが――ますますわたしに火をつけた。
昨夜は全然寝つけなくて、タヅばあが昔子守歌代わりに聴かせてくれた歌を、脳裏で何度も再生していた。
やっほー やっほー
こだまが離れてゆく
やっほー やっほー
ありがとう
やっほー やっほー
こだまが返ってくる
やっほー やっほー
また明日
十五周目くらいでやっと眠れても、今朝目が覚めたとき、疲れはほとんど取れていなくて――わたしは学校が休みであるのをいいことに、昼までベッドの上でごろごろしていた。これまでに得た情報を、頭のなかで整理するためにも必要な時間だった。
(――それにしても、昨日のアレはなんだったんだろ)
思い出して、口許に自然と苦笑が浮かんだ。
昨日寅おじさんが帰ったあと、夕方のローカル・ニュースをみんなで見たのだ。でも、その内容のあまりの酷さに、三人とも見事に固まってしまった。
(呪いとか集団催眠とか、本気で言ってるのかな、あの人たちは!)
オカミス研に所属しているわたしが言うのもなんだけど、聞いて呆れる。輝臣先輩ほど自分をちゃんと持った人が、そんなものに惑わされるわけがないのに。
ただ、その酷いニュースを見たおかげで、さらにわかったこともあった。
ひとつは、亡くなった五人の死亡推定時刻は必ずしも一致しないこと。みんな七日の夜から八日の朝にかけて亡くなったことは同じだけど、細かい時間を割り出すと時間にズレがあるらしい。
そして、もうひとつは――
(まさか、こんなに身近で起きてた事件だとは思わなかったよ!)
実は、輝臣先輩以外に亡くなった四人も、この山下市周辺に住んでいたらしいのだ。どうりで、この事件を取りあげている番組がローカル・ニュースばかりのはずだ。もっとも、今日あたりには全国ニュースでもやっているかもしれない。
(寅おじさんがそれを教えてくれなかったのは、多分もう知ってることだと思ったからなんだろうなぁ)
そして母も。あんなにわたしのことを心配していたのは、すべて身近で起きている事件なのだと知っていたから、なのだろう。
――そう、
(じゃあ、その前は?)
その、前は?
考えれば考えるほど、怖くなってくる。
誰の手も入らずに、こんなことが起こるはずもない。でも、なんの痕跡もないから誰も疑えない。
まるで見えない手が、この小さな都市を支配しているかのようだった。そしてその手が、どうしてか輝臣先輩を選んでしまった。
(亡くなった人たちには、なにか共通点があったの?)
輝臣先輩の笑顔を脳裏に思い浮かべながら、考える。
それは当然、警察のほうでも散々調べられたことだろう。でも、輝臣先輩と実際に接していたわたしたちだからこそ気づけることが、なにかあるかもしれない。それに、一介の高校生が調べられそうな範囲は、その程度しかなかった。
わたしはもっそりと起きあがり、ベッド脇の机の上に置いてあるスマホを手に取る。
赤いスマホ。同じくらい赤くなって、輝臣先輩の電話番号やメールアドレスを訊いたとき、「かわいいね」って言ってくれた。
そんなことを思い出しながらアドレス帳から探したのは、琴田探偵事務所の番号だ。もしセイちゃんが外出していても、セイちゃんのスマホに転送される仕組みになっているから、電話はいつも事務所のほうにかけていた。スマホの番号を知らないという理由もあるけど。
(耳の早いセイちゃんなら、事件のことはとっくに知ってるはず)
わたしが昨日事務所に行かなかったから、心配してくれているかもしれない。
そこまで考えたわたしは、昨日はそんなふうに人を気遣う余裕もなかったことに気づく。逆に言えば、今日はいくらかマシのようだ。
(自分でも、意外なくらい)
落ちついている。取り乱せない。
それは多分、わたしがまだなにも知らないからだ。
体内に澱んでいる黒い感情を、どこかに吐き出したいのに、その先がない。
『あんたのせいだ!』
そう叫んでも、応えてくれる人はまだいないから――輝臣先輩の死を、きっと本当の意味では受け入れられていないのだと思う。
(それでも今は、進むしかないの)
通話をタップして、スマホを耳にあてる。
数回のコールで、セイちゃんが出た。
『はい、琴田探偵事務所です』
「セイちゃん! わたしだよ。番号でわかってるくせに、そんな事務的に出ないでよ」
挨拶代わりに文句を言ったら、セイちゃんは受話器の向こうで小さく笑う。
『すみません。でも、きみのスマホで他の人が電話をかけることもありえますから』
「なに言ってるの。セイちゃんに電話するような
『……僕は一応、市内で唯一の探偵なのですが……』
セイちゃんの妙にしょんぼりとした声に、今度はわたしのほうが笑ってしまった。
「あーはいはい。セイちゃんが『便利屋』とか『なんでも屋』感覚で近所のおばちゃんたちから人気を集めてるのは知ってるけどね。セイちゃんに
そこでセイちゃんは、大きく息を吸った。
『もしや、昨日の事件を調べる気ですか?』
脅すように低い声が、少し怖い。
でもわたしは、怯むわけにはいかないのだ。
「そうだよ! セイちゃんだって今『事件』って言いかたしたじゃない。輝臣先輩が亡くなったのは、きっと偶然なんかじゃないよ。偶然で、何人もの人が原因不明で一斉に亡くなるなんて、起こるとは思えないものっ」
『――その調子では、十年前の事件の話も聞いたようですね』
「十年前どころか、四十年も前から十年ごとに起こってるんでしょ!?」
『えっ?』
どうやらセイちゃんは、わたしがそこまで知っていると思っていなかったようだ。
『……誰ですか? 口が軽いのは』
「なによ、わたしが頑張って調べたとは思わないわけ?」
不満げに告げると、セイちゃんは多分苦笑したのだろう。
『昨日から今日にかけたきみの心理状態を考えれば、さすがに無理でしょうからね』
「あ――」
わたしの顔が、少しスマホの色に近づく。
(セイちゃん……)
やっぱり心配してくれていたみたいだ。
その気持ちが、わたしの心を少し軽くしてくれた。
「――わたしは大丈夫だよ、セイちゃん。それより、先輩を死なせた『なにか』を突きとめたいの。事件が十年ごとに起こってるって話は、寅太郎おじさんが教えてくれたんだ。セイちゃんも知ってるでしょ? 昔お父さんの部下だった人」
『ああ、あの人ですか……』
セイちゃんは納得の声をあげてから、しばらく口を噤んだ。
「セイちゃん?」
その長い沈黙に耐えかねて名を呼ぶと、
『僕は反対です、舞ちゃん。これはきっと、きみが思っているよりも危険なことだ。無闇に首を突っこむべきではない』
「そんなぁ~。セイちゃんなら色々教えてくれると思ったのに……!」
『そんなことを考えるよりも、今はちゃんと哀しみなさい。この機会を逃せば、タヅさんに似て意外と頑固なきみは、もう泣けなくなるでしょう』
(あれ……?)
あやすように穏やかな声音で告げられたセイちゃんの言葉が、少し引っかかる。
「……セイちゃんって、タヅばあのことも知ってるんだっけ?」
セイちゃんは『
しかしセイちゃんにとっては、不思議なことはなにもないらしく、さらりと答える。
『僕が直接知っているわけではありませんけどね。この探偵事務所のもとの所長である琴田さんから、あれこれと武勇伝を聞いていますよ。歌がとてもお上手だったとか、年を取ってからもばりばりパソコンを使いこなしていたとか。市内でもかなり有名なスーパーおばあちゃんだったんですって?』
「あはは、それはちょっと言い過ぎかも。昔
『そんなところは、真似しなくていいですからね』
笑いながら言われたのが、なんだか悔しい。
「ちょっと調べるくらいじゃ、なにもやらかさないよっ?」
遠まわしに協力を求めてみても、
『それでも僕は、手伝えません。きみのお母さんの気持ちを考えたら、とても、ね』
「お母さん? なんでここにお母さんが出てくるの?」
『――それもわからないようなきみだから、手伝うわけにはいかないのです。今回は、諦めなさい』
セイちゃんはそこで一方的に通話を切った。
「ちょっとセイちゃん!?」
(恋愛相談のときは、一度たりとも「諦めろ」なんて言ったことなかったのに!)
セイちゃんはなにかを掴んでいる。
そのことが、逆にはっきりとした。
そのことが――ますますわたしに火をつけた。