十月十六日、日曜日。①
文字数 760文字
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午前〇時。
自らが知る限りすべての歌を、彼女は口にした。狂ったように歌いつづけた。
すると、その歌声に応えるかのように、雷雨はやんで静寂が訪れる。
おかげで、すっかりかれてしまった彼女のか細い声音でも、まだ歌としての存在を証明できた。
やがて、暗闇に包まれていた彼女の世界を、雲の幕から抜け出した月が優しく照らし出す。
彼女はその姿を見ようとしたが、空に向かって大きく手を広げている枝と緑に阻まれて、それは叶わなかった。
代わりのように、足もとから聞こえてきたのは、あるはずのない音だ。
ぴちゃぴちゃと泥を踏みしめるその足音を耳にして、彼女は弾かれたように地上を見おろす。
近づいてきたのは、彼女が着ているものとよく似た白い着物に身を包んだ男だった。ただ、彼の長い髪の毛は異常なほど茶色く、彼女のきれいな黒髪とはまるで違っていた。
彼は彼女のすぐ傍まで寄ってくると、潤んだ瞳で彼女を見あげる。
「――ありがとう。きみのおかげで、僕は自由になれました。きみの、歌のおかげで」
月明かりに反射した瞳も、つくりもののように茶色かった。
異国の人なのだろうかと、不思議に思いながらも彼女は返す。
「歌の? そもそもあなたは、この山のどこにいたの? どこかに閉じこめられていたの?」
もう二度と、誰かと会話をすることなどないだろう。
そう覚悟していた彼女にとっては、見知らぬ人との会話でも嬉しかった。胸が高鳴った。
そんな彼女の喜びが伝わったかのように、小さく頷いた彼は笑う。
「そう、この山そ の も の に」
まったく笑いごとではない――彼女の理解さえ簡単に超えてしまうような言葉を、彼はあっさりと口にした。
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午前〇時。
自らが知る限りすべての歌を、彼女は口にした。狂ったように歌いつづけた。
すると、その歌声に応えるかのように、雷雨はやんで静寂が訪れる。
おかげで、すっかりかれてしまった彼女のか細い声音でも、まだ歌としての存在を証明できた。
やがて、暗闇に包まれていた彼女の世界を、雲の幕から抜け出した月が優しく照らし出す。
彼女はその姿を見ようとしたが、空に向かって大きく手を広げている枝と緑に阻まれて、それは叶わなかった。
代わりのように、足もとから聞こえてきたのは、あるはずのない音だ。
ぴちゃぴちゃと泥を踏みしめるその足音を耳にして、彼女は弾かれたように地上を見おろす。
近づいてきたのは、彼女が着ているものとよく似た白い着物に身を包んだ男だった。ただ、彼の長い髪の毛は異常なほど茶色く、彼女のきれいな黒髪とはまるで違っていた。
彼は彼女のすぐ傍まで寄ってくると、潤んだ瞳で彼女を見あげる。
「――ありがとう。きみのおかげで、僕は自由になれました。きみの、歌のおかげで」
月明かりに反射した瞳も、つくりもののように茶色かった。
異国の人なのだろうかと、不思議に思いながらも彼女は返す。
「歌の? そもそもあなたは、この山のどこにいたの? どこかに閉じこめられていたの?」
もう二度と、誰かと会話をすることなどないだろう。
そう覚悟していた彼女にとっては、見知らぬ人との会話でも嬉しかった。胸が高鳴った。
そんな彼女の喜びが伝わったかのように、小さく頷いた彼は笑う。
「そう、この山
まったく笑いごとではない――彼女の理解さえ簡単に超えてしまうような言葉を、彼はあっさりと口にした。
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