十月十五日、金曜日。①
文字数 3,572文字
セイちゃんが実は赤の他人だったという、信じられない事実を知った二日後。
今日は十回目となる、父の命日だ。
この日に備えて、わたしは昨日一日の猶予をもらった。自分の心を、固めるために。
(輝臣先輩のタブレットにはやっぱり、『死を招く言葉』について極最近まで調べていた形跡が残ってたんだって)
そして、セイちゃんがわ た し 以 外 の 人 に は 『琴田誠 』と名乗っているのだということも、突きとめた。なんてことはない、『琴田』は前所長の名字などではなく、ちゃんとセイちゃん本人の名字だったのだ。
振り返ってみれば確かに、探偵事務所に電話をしていた人はみんな、セイちゃんのことを『琴田さん』と呼んでいた。わたしはてっきり、お年寄りが多いから勘違いをしているのだろうと思っていたけど、勘違いをしていたのは他ならぬわたしのほうだったのだ。
嗣斗の言うところの『証拠』――このふたつを知った一昨日の夜から、ずっとずっと、わたしは必死に考えつづけてきた。
(セイちゃんが犯人でも、違っても)
事件になんらかの関係があるということは、もはや疑いようがない。輝臣先輩との最後の電話、わたしにそれを隠していたこと、父の弟だと嘘をついていたこと、最初手伝うのを嫌がり、『きみが思っているよりも危険なことだ』と釘を刺してきた。そんなすべての行動が、疑わしく浮かびあがってきたからだ。
普通に考えたら、『死を招く言葉』を利用して人を殺すなんて、あまりにも非現実的すぎる。寅おじさんが呆れるのももっともな話で、でもそんなことは、あの場にいたみんなわかっていた。それでも、『セイちゃんが怪しい』という覆らない事実は確かにそこにあって――それはあ る 意 味 に お い て 、泉 先 輩 が 語 っ て い た 『つ く ら れ た 妖 怪 』と 同 じ 理 屈 なのかもしれない。
(実際に起こった現象を、否定しないこと)
それが起こるためには、どんな存在がどんな方法を用いればいいのかを、考えること。
同じように、起こってしまった同時死事件を受け入れて、わたしたちは考えた。その結果辿り着いたのが、『死を招く言葉』であり、セイちゃんだったのだ。
(本当はやっぱり疑いたくなんてないけど、今目を逸らすわけにはいかない!)
何度も確認してきた事実――わたしが背負っているのは、もはや自分の気持ちだけではないということ。母や寅おじさん、そして泉先輩と、輝臣先輩の両親が感じたやりきれない悔しさも、こ こ にあるから――。
両手をそっと胸にあて、わたしはチャイムが鳴るのを待つ。
時刻は午後四時。帰りのショート・ホームルームの終わりと同時に、待っていたそれが響きはじめた。
担任の兼平先生が教室から出て行き、クラスメイトたちはそれぞれに立ちあがる。
そんななか、いつもより鋭い眼光をたたえて近づいてきたのは、嗣斗だった。
「舞、行けるか?」
そう、今日のわたしたちにとってこのチャイムは、部活の始まりを告げる合図ではない。むしろ、切れそうに細い不確かな糸を、ゆっくりと手繰り寄せるための第一歩。
「――うん、大丈夫」
机の脇に提げた鞄を手に取りながら、わたしも立ちあがる。そして向かったのは、部室ではなく下駄箱だ。
「三池! 片町!」
そこには、手を振る泉先輩が待っていてくれた。
「本当に、ふたりだけで大丈夫なのか? 一応あの刑事さんにも連絡したほうが……」
心配してくれる表情と言葉が、どこかくすぐったい。それだけでも充分力になることを、泉先輩は知らないのだろう。
「わたしたちなら大丈夫です。寅おじさんに教えたら、絶対とめられちゃうだろうし」
「そーそー。それに、妖怪先輩には万が一のときの後始末を頼まないと、な」
「縁起でもないこと言うなよっ!」
そこで泉先輩が本気で怒鳴ったものだから、他の生徒たちの目が一斉にわたしたちのほうを向いた。
泉先輩は照れたように、ゴホゴホとわざとらしい咳をする。それから大きく、息を吸った。
「と、とにかく、ちゃんと戻ってこいっ。いいな! これは先輩命令だぞ!!」
言うだけ言って、逃げてゆく。余程恥ずかしかったのだろうか。
わたしと嗣斗は顔を見あわせてひとつ笑ったあと、靴を履き替え校舎の外に出た。
そのあとは、ふたりとも無言のまま歩きつづける。そうして辿り着いたのは、すべての謎が集束する場所――琴田探偵事務所のあるビルだ。
わたしは一度立ちどまり、鞄のなかの財布から例のお守りを取り出す。それを右手に握りしめて、二階の窓を見やった。
いつものように、わたしを先頭に暗い階段をあがっていく。
いつものように、あがりきる前にドアが開いた。
いつものように、その隙間からセイちゃんが顔を出す。
「――おや」
いつもと違うのは、その瞬間に大きく見開かれた目。
いつもと違うのは、早 す ぎ る 時間帯。
そして多分、わたしの表情だ。
「どうしました? 舞ちゃん。泣きそうな顔をして」
「気のせいだよ。――なかに入っていい?」
「ええ、どうぞ」
セイちゃんのあとについて事務所のなかに入っても、今日ばかりはソファに近づかない。穏やかに話をするつもりなど、なかったから。
「――ねぇ、セイちゃん」
飲みものを出そうと思ったのだろう、簡易キッチンのほうへと向かった背中に呼びかける。
「あ な た 、本当は誰なの……?」
すぐに続けたら、振り返ろうと動いた身体は途中でとまった。
「――その問いは、どういう意味ですか?」
珍しく、セイちゃんの言葉に鋭さが見える。
「言葉どおりの意味だ。舞んとこのおじさん、弟 は と っ く に 死 ん で る って複数の人が証言してる」
わたしの横から嗣斗が返すと、セイちゃんはやっとこちらに顔を向けた。
(え……っ?)
そこにあった表情は、笑顔だった。
「ついに、ばれてしまいましたか」
「どうして嘘をついたのっ? セイちゃんの本当の名字って、琴田っていうの……?」
セイちゃんに駆け寄ったわたしは、両の二の腕を捕まえる。
「どうして――どうして輝臣先輩から電話があったこと、教えてくれなかったの!?」
逃がさないように強く掴んだら、もともと手に持っていたお守りが床に落ちた。
目を細めたセイちゃんは、わたしをじっと見つめたあと、なにも答えずにそのお守りを拾いあげる。
「セイちゃん!? 答えてよ……!」
(なにも語らない理由は)
なにも語れない理由は――
どんなに覚悟をしてきても、涙はこらえきれなくて、声に滲んだ。
セイちゃんは一瞬わたしと目を合わせたけれど、すぐに「あれ?」と下を見やる。手許の、お守りを。
「硬い――なかに、なにか入っている?」
「へ?」
それはわたしにとって、意外な言葉だった。
布製のお守りのなかには型紙が入っており、簡単には折り曲がらないようになっている。それは不思議なことでもなんでもなくて、神社などで売られているものは大抵そうだ。
しかし、首を傾げたセイちゃんは、罰当たりにも紐を外し、お守りの口を開こうとする。
「ちょっ……セイちゃん!?」
大事なお守りを取り返そうと手を伸ばしても、大人の力には敵わない。
セイちゃんはわたしのことなど気にもとめず、お守りのなかから折りたたまれた白い紙を取り出すと、指先で素早く開いていった。
そして――動きをとめる。
(なに? なにが書いてあるのっ?)
その隙にぐいと腕を引いてやったら、今度は簡単に動いた。わたしも紙を覗きこむ。
舞の心を守って
小さな紙には、それだけが書かれていた。
「こ、これは……?」
「タヅさんの字ですよ。そうか、やはりタヅさんは気づいていて――だ か ら 僕 に 病 気 を 治 さ れ た く な か っ た のですね」
「なにを言ってるの……ちゃんとわかるように話してっ!」
すぐ傍で叫んだら、セイちゃんはやっとこれまでとは違う顔で、深く、頷いてくれた。
「――わかりました。タヅさんもそれを望んでいるようですから、すべて話しましょう」
今日は十回目となる、父の命日だ。
この日に備えて、わたしは昨日一日の猶予をもらった。自分の心を、固めるために。
(輝臣先輩のタブレットにはやっぱり、『死を招く言葉』について極最近まで調べていた形跡が残ってたんだって)
そして、セイちゃんが
振り返ってみれば確かに、探偵事務所に電話をしていた人はみんな、セイちゃんのことを『琴田さん』と呼んでいた。わたしはてっきり、お年寄りが多いから勘違いをしているのだろうと思っていたけど、勘違いをしていたのは他ならぬわたしのほうだったのだ。
嗣斗の言うところの『証拠』――このふたつを知った一昨日の夜から、ずっとずっと、わたしは必死に考えつづけてきた。
(セイちゃんが犯人でも、違っても)
事件になんらかの関係があるということは、もはや疑いようがない。輝臣先輩との最後の電話、わたしにそれを隠していたこと、父の弟だと嘘をついていたこと、最初手伝うのを嫌がり、『きみが思っているよりも危険なことだ』と釘を刺してきた。そんなすべての行動が、疑わしく浮かびあがってきたからだ。
普通に考えたら、『死を招く言葉』を利用して人を殺すなんて、あまりにも非現実的すぎる。寅おじさんが呆れるのももっともな話で、でもそんなことは、あの場にいたみんなわかっていた。それでも、『セイちゃんが怪しい』という覆らない事実は確かにそこにあって――それは
(実際に起こった現象を、否定しないこと)
それが起こるためには、どんな存在がどんな方法を用いればいいのかを、考えること。
同じように、起こってしまった同時死事件を受け入れて、わたしたちは考えた。その結果辿り着いたのが、『死を招く言葉』であり、セイちゃんだったのだ。
(本当はやっぱり疑いたくなんてないけど、今目を逸らすわけにはいかない!)
何度も確認してきた事実――わたしが背負っているのは、もはや自分の気持ちだけではないということ。母や寅おじさん、そして泉先輩と、輝臣先輩の両親が感じたやりきれない悔しさも、
両手をそっと胸にあて、わたしはチャイムが鳴るのを待つ。
時刻は午後四時。帰りのショート・ホームルームの終わりと同時に、待っていたそれが響きはじめた。
担任の兼平先生が教室から出て行き、クラスメイトたちはそれぞれに立ちあがる。
そんななか、いつもより鋭い眼光をたたえて近づいてきたのは、嗣斗だった。
「舞、行けるか?」
そう、今日のわたしたちにとってこのチャイムは、部活の始まりを告げる合図ではない。むしろ、切れそうに細い不確かな糸を、ゆっくりと手繰り寄せるための第一歩。
「――うん、大丈夫」
机の脇に提げた鞄を手に取りながら、わたしも立ちあがる。そして向かったのは、部室ではなく下駄箱だ。
「三池! 片町!」
そこには、手を振る泉先輩が待っていてくれた。
「本当に、ふたりだけで大丈夫なのか? 一応あの刑事さんにも連絡したほうが……」
心配してくれる表情と言葉が、どこかくすぐったい。それだけでも充分力になることを、泉先輩は知らないのだろう。
「わたしたちなら大丈夫です。寅おじさんに教えたら、絶対とめられちゃうだろうし」
「そーそー。それに、妖怪先輩には万が一のときの後始末を頼まないと、な」
「縁起でもないこと言うなよっ!」
そこで泉先輩が本気で怒鳴ったものだから、他の生徒たちの目が一斉にわたしたちのほうを向いた。
泉先輩は照れたように、ゴホゴホとわざとらしい咳をする。それから大きく、息を吸った。
「と、とにかく、ちゃんと戻ってこいっ。いいな! これは先輩命令だぞ!!」
言うだけ言って、逃げてゆく。余程恥ずかしかったのだろうか。
わたしと嗣斗は顔を見あわせてひとつ笑ったあと、靴を履き替え校舎の外に出た。
そのあとは、ふたりとも無言のまま歩きつづける。そうして辿り着いたのは、すべての謎が集束する場所――琴田探偵事務所のあるビルだ。
わたしは一度立ちどまり、鞄のなかの財布から例のお守りを取り出す。それを右手に握りしめて、二階の窓を見やった。
いつものように、わたしを先頭に暗い階段をあがっていく。
いつものように、あがりきる前にドアが開いた。
いつものように、その隙間からセイちゃんが顔を出す。
「――おや」
いつもと違うのは、その瞬間に大きく見開かれた目。
いつもと違うのは、
そして多分、わたしの表情だ。
「どうしました? 舞ちゃん。泣きそうな顔をして」
「気のせいだよ。――なかに入っていい?」
「ええ、どうぞ」
セイちゃんのあとについて事務所のなかに入っても、今日ばかりはソファに近づかない。穏やかに話をするつもりなど、なかったから。
「――ねぇ、セイちゃん」
飲みものを出そうと思ったのだろう、簡易キッチンのほうへと向かった背中に呼びかける。
「
すぐに続けたら、振り返ろうと動いた身体は途中でとまった。
「――その問いは、どういう意味ですか?」
珍しく、セイちゃんの言葉に鋭さが見える。
「言葉どおりの意味だ。舞んとこのおじさん、
わたしの横から嗣斗が返すと、セイちゃんはやっとこちらに顔を向けた。
(え……っ?)
そこにあった表情は、笑顔だった。
「ついに、ばれてしまいましたか」
「どうして嘘をついたのっ? セイちゃんの本当の名字って、琴田っていうの……?」
セイちゃんに駆け寄ったわたしは、両の二の腕を捕まえる。
「どうして――どうして輝臣先輩から電話があったこと、教えてくれなかったの!?」
逃がさないように強く掴んだら、もともと手に持っていたお守りが床に落ちた。
目を細めたセイちゃんは、わたしをじっと見つめたあと、なにも答えずにそのお守りを拾いあげる。
「セイちゃん!? 答えてよ……!」
(なにも語らない理由は)
なにも語れない理由は――
どんなに覚悟をしてきても、涙はこらえきれなくて、声に滲んだ。
セイちゃんは一瞬わたしと目を合わせたけれど、すぐに「あれ?」と下を見やる。手許の、お守りを。
「硬い――なかに、なにか入っている?」
「へ?」
それはわたしにとって、意外な言葉だった。
布製のお守りのなかには型紙が入っており、簡単には折り曲がらないようになっている。それは不思議なことでもなんでもなくて、神社などで売られているものは大抵そうだ。
しかし、首を傾げたセイちゃんは、罰当たりにも紐を外し、お守りの口を開こうとする。
「ちょっ……セイちゃん!?」
大事なお守りを取り返そうと手を伸ばしても、大人の力には敵わない。
セイちゃんはわたしのことなど気にもとめず、お守りのなかから折りたたまれた白い紙を取り出すと、指先で素早く開いていった。
そして――動きをとめる。
(なに? なにが書いてあるのっ?)
その隙にぐいと腕を引いてやったら、今度は簡単に動いた。わたしも紙を覗きこむ。
舞の心を守って
小さな紙には、それだけが書かれていた。
「こ、これは……?」
「タヅさんの字ですよ。そうか、やはりタヅさんは気づいていて――
「なにを言ってるの……ちゃんとわかるように話してっ!」
すぐ傍で叫んだら、セイちゃんはやっとこれまでとは違う顔で、深く、頷いてくれた。
「――わかりました。タヅさんもそれを望んでいるようですから、すべて話しましょう」