十月七日、木曜日。②

文字数 3,713文字

 輝臣先輩の家は二階建ての一軒家で、わたしの家から見ると学校を挟んで反対方向にある。そう、セイちゃんの探偵事務所の近くだから、輝臣先輩もセイちゃんのことはそれとなく知っているようだった。
(セイちゃんにも応援頼んじゃおうかな)
 一瞬そんなことを考えたけど、いつも散々恋愛相談をしている手前、いざ輝臣先輩を直接見せるとなると恥ずかしさがある。
(ううん、やっぱりやめよう)
 それよりも、なにを言い出すかわからない嗣斗を、うまく制御するほうが問題だ。
 妙に立派な鉄製の門の前に立ってから、チラリと隣の嗣斗のほうを見やる。
「ん? なんだよ」
「いい? 余計なこと言わないでよ!?
「おまえにとっては『余計なこと』でも、俺にとっては『大事なこと』なんだぜ?」
「屁理屈言わないの!」
「おまえも、喋ってないでさっさと押せよ」
 嗣斗はそう言いながらわたしの前を通りすぎると、門を支えている塀についたインターホンのボタンを、あっさりと押してしまった。
「ちょ……っ」
(まだ心の準備が!)
 なんて言っていられない。
 インターホンの奥でチャイムが響くと、ほどなくして「はい?」と年配の女性の声が聞こえてきた。おそらく輝臣先輩の母親だろう。
 わたしは急いで嗣斗の身体を押しのけると、インターホンにかじりつく。
「あ、あの、初めまして! わたし、輝臣先輩の高校の後輩で、オカミス研でお世話になってる、一年の三池といいますっ」
「そこまで自己紹介するのかよ……」
「しっ、あんたは黙ってて! ――つ、つきましては、輝臣先輩にお会いしたいんですが、ご在宅でしょうか?」
 案の定嗣斗に邪魔されつつも、精一杯丁寧な口調で告げると、インターホンの向こうで女性が小さく笑ったのがわかった。
「まぁまぁ、輝臣のことを心配して、わざわざ来てくださったの? でも、ごめんなさいね? あの子、誰にも会いたくないと言って、学校にも行っていないありさまで……」
 後半は、心から困惑しているような響きがあった。親としても、輝臣先輩の行動はやっぱり不思議なのだろう。
「そ、そこをなんとか! せめて、わたしたちが来たということを、輝臣先輩に伝えてもらえませんか?」
「わたし()()? ――ああ、もうひとりいらっしゃるのね。そちらのかたのお名前は?」
 どこにカメラがあるのかはわからないけど、姿はちゃんと捉えられているらしい。
 わたしは嗣斗をひと睨みしてから、その場を譲った。
 嗣斗は肩をすくめながらも、ちゃんといつもとは違う口調で話し出す。
「初めまして。俺も一年で、片町といいます。同じオカミス研の者です」
(なんだ、やればできるじゃない)
 いきなり先輩の悪口を言いはじめたらどうしようかと思ったけど、さすがの嗣斗もそれくらいの礼儀は持ちあわせているらしい。
「わかりました。少し待っていてね」
 上品な声が途切れたと同時に、ぷつりと音がした。ちゃんと呼びに行ったようだ。
(輝臣先輩……出てきてくれるかな)
 わたしたちの名前を言ったからといって、輝臣先輩が出てくるとはもちろん限らない。わたしたちはあくまでも部活の接点しかなく、おまけに嗣斗は輝臣先輩と仲がいいというわけでもないのだ。
 それでもこうして連れてきたのは、わたしが心細かったからということ以上に――
(一緒に来たら、より心配してる気持ちが伝わると思ったんだ)
 学校を休んでいる人のもとに、わざわざ悪態をつきに行く人なんていない。家を訪れるという行為自体が、心配そのものなのだ。
 じっとインターホンを眺めていたら、カチャリとドアが開いた音がした。素早く視線を動かすと、そこには驚くほどにやつれた様子の輝臣先輩の姿があった。顔色がいつも以上に白く――むしろ青白く、気分が悪そうに見える。この短期間で少し痩せたようにも見えた。いつもの眼鏡もしていないようだ。
「輝臣先輩!」
 家の前に庭があるため、ドアと門のあいだには距離があった。そこで思わず走り寄ろうとしたけど、鉄の門に邪魔されて近づけない。わたしは咄嗟にそれを握りしめて叫んだ。
「どこか具合でも悪いんですか!?
 力が入りすぎて、喋るたびにガタガタと門の音が鳴る。
 それでも叫ばないといけないのは、輝臣先輩がこちらにやってくる気配がないからだ。
(どうしちゃったの……?)
 寝間着らしい青いチェック柄の上下に、サンダル姿。ドアの前に立った輝臣先輩は、一歩も踏み出しはしなかった。
 輝臣先輩が眼鏡をしていないせいか、視線は合っているはずなのに、見つめあっている感じはまるでしない。
「先、輩……?」
 これ以上どう声をかけたらいいのかわからなくて、それだけ呟いたわたし。
 するとやっと、輝臣先輩が口を開いてくれた。
「――もう、来ないでくれ」
 『無視』よりも明確な、『拒絶』の言葉を。
「どうしてですかっ!?
()()()()()、ちゃんと学校にも行くし、もちろん部活にも顔を出すよ。でも今は――今はまだ、駄目なんだ」
「あ……」
 そこでわたしが少しでも安心できたのは、ずっと学校を休む気はないのだとわかったからだ。
 ただ一方で、
(『解決したら』?)
 その言葉が、とても気になる。
 それはどうやら嗣斗も同じだったようで、
「つまり、あんたは今なにかおかしな問題を抱えてて、それを()()()()解決するために、()()()()()()()ってことか?」
 いかにも嗣斗らしい、嫌みのスパイスがたっぷりと利いた問いかけをした。
(こらっ、もっと別な言葉があるでしょ!?
 でも、嗣斗が言いたいことも充分にわかるから、口には出さなかった。出せなかった。
 輝臣先輩はなにも答えずに、すいと視線を逸らす。
「先輩! それって、わたしたちじゃ役に立たないことなんですかっ?」
 門を乗り越えるくらいの勢いで訴えたら、輝臣先輩の身体が一瞬ビクリと震えた。しかし、次の瞬間にはまた視線をこちらに戻して、
「ああ、役に立たない。むしろ邪魔だ。だから来るなと言っているんだ」
 感情を押し殺したような声音で告げる。
「さあ、帰ってくれ」
「輝臣先輩……!」
 呼んだわたしの声をきれいに無視して、先輩は背中を向ける。ゆっくりとドアを開けて、一歩、また一歩と、世界が確かに続いていることを確かめるような足取りで、戻っていった。
 わたしにはそう見えた。
(どうして、哀しそうなの?)
 ずっと見てきた、輝臣先輩の背中。学校が離れていた二年間も、遠くから見ていたから。
 わたしは勝手に、その色を全部知っていると思っていた。思いこんでいた。
(でも、違ったんだ)
 輝臣先輩のあんな姿を、背中を見たのは、初めてのことだった。
 あまりのことに呆然と立ちつくしていると、再びインターホンから声がする。
「ごめんなさいね、ふたりとも。嫌な思いをさせてしまって……」
 それに応えたいと思ったのに、脚がうまく動かなかった。
 嗣斗がそれを察してくれたのか、代わりにインターホンへと口を近づける。
「いえ、大丈夫です。俺たちが無理に会わせてもらったのも悪いんですから」
 その殊勝な受け答えは、実に嗣斗らしくないものだ。嗣斗でも、やっぱりどこか動揺している部分があるのだろう。
 そう考えたら、少し落ち着けた。
(連れてきてよかったな……)
 身勝手な話だけど、心からそう思う。
 わたしひとりだったら、一生ここから動けなかったかもしれない。
 わたしは嗣斗の肩を叩き、場所を譲ってもらうと、すぅと大きく息を吸った。
「あの、わがままを聞いてくださってありがとうございます! それと、無理を言ってすみませんでした」
「いいえ、こちらこそお礼を言いたいわ。あの子が自分の部屋から出てきたのも、本当に久しぶりのことだったんですもの。――ああ、そうだ。よろしかったらふたりとも、少しあがってお話していきません? あの子が部活でどんなことをしているのか、知りたいの」
「えっ?」
 まるで予想外のことを言われて、戸惑ったわたしは隣の嗣斗に視線を振った。
 すると嗣斗がわたしの前に割りこんでくる。
「でも、家のなかで話していたら聞かれるんじゃ……」
 誰に、とは言わなかったけど、間違いなく輝臣先輩にだろう。
 相手も当然そう言われると予想していたのか、淀みのない口調で応えた。
「今のあの子は、一度部屋に入ると出てこないですから、大丈夫よ。今門を開けますね」
 言いおわると同時に、さっきまでわたしたちを阻んでいた鉄の門が、少しずつ動き出す。
(電動だったんだ)
 どうりで簡単には開かないはずだ。
「さあどうぞ」
 インターホンの声に促され、わたしたちはゆっくりと玄関のドアに近づいていった。
 ――そうして輝臣先輩の母親と話をすることはできたけど、わたしたちが話している時間のほうがはるかに長かったのだった。
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登場人物紹介

三池 舞(みいけ・まい) 主人公


大好きな先輩を一途に追いかけている女子高生。

元気が取り柄の前向きな性格だが……

種市 輝臣(たねいち・てるおみ) 舞の先輩


オカルト・ミステリー研究会に所属しているミステリマニア。

自分でも小説を書くため、スマホを使ったトリックを考えていた。

その矢先に……

片町 嗣斗(かたまち・つぐと) 舞の幼なじみ


誰がどう見ても舞のことが好きなのに気づいてもらえない不憫男子。

ライバルには結構容赦がない。

だが、舞が悲しむようなことはしたくないから……

三池 徹(みいけ・とおる) 舞の父


元刑事で、十年前に亡くなっている。

その死には、なにか秘密があるらしい……?

徳山 寅太郎(とくやま・とらたろう) 父の元部下


現役バリバリの刑事。

昔から舞をかわいがっていたため、いろいろ情報を流してくれる。

本当は駄目なんだけど……

三池 誠(みいけ・せい) 舞の叔父


琴田探偵事務所を営んでいる探偵。

なにかと相談にのってくれるため、舞は家族のように慕っている。

今回の事件について、なにか知っているようだが……

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