十月八日、金曜日。④
文字数 6,515文字
放課後になると、嗣斗と一緒にオカミス研の部室へと向かった。
(授業はサボったくせに部活には出るなんて、ちょっと申しわけない気分だけど)
午後はしっかりと眠れたおかげか、身体も心もだいぶ落ち着き、いつもどおり動くことができるようになっていた。これ以上休んでいたら、逆に心が腐ってしまいそうだ。
角をひとつ曲がって、部室のある廊下に入ると、ドアの前に立っている泉先輩の姿が見えた。
(あ……)
そこで思い出すのは、たった一週間前の出来事。いや、実際には『出来事』だなんて大袈裟に表現する必要もないくらい、些細な日常のひとコマだった。
(あの日は、輝臣先輩と一年の廊下のところで会って、一緒に来たんだった)
そして同じように、部室の前に泉先輩が立っていた。
「あ、部室の鍵!」
隣で口に出したのは、嗣斗。おそらく同じように一週間前のことを思い出して、気づいたのだろう。
「職員室に取りに行って――」
「鍵ならあるぞ!」
嗣斗がまわれ右をしようとすると、泉先輩の声が飛んでくる。その手には確かに、部室の鍵が握られていた。
わたしと嗣斗は一度顔を見あわせたあと、傍まで走っていく。
「鍵持ってるなら、どうしてなかに入ってないんですか?」
思わず尋ねたら、泉先輩は珍しく淋しげな笑みを浮かべた。
「三人で、一緒に入りたいと思ったんだ」
その言葉が、なぜだか胸に染みてくる。
(ああ、そうだ)
泉先輩にも、耐えきれないものがあって当然なのだ。わたしたちよりも一年多く輝臣先輩と一緒にいて、おそらくたくさんの話をしたのだろうから。
(哀しいのは、わたしだけじゃない)
そんなあたりまえのことさえ、見失いそうになっていた。
わたしはもっと、前を見なければ。
周りを、見なければ。
「待っててくれて、ありがとうございます」
いつも売り言葉に買い言葉みたいな会話しかしたことがなかった泉先輩に、初めて真っ直ぐな言葉をかけることができた。
泉先輩は少し照れくさそうに俯くと、無言で鍵穴に鍵を差しこむ。
部室のなかは、いつもと変わらなかった。
違うのは、それを眺める人の数。
「――俺が窓開けるから、舞も椅子出し手伝ってくれ」
「う、うん」
このなかで一応いちばん身長の高い嗣斗が、部屋の奥へと向かった。
わたしは泉先輩と協力して、パイプ椅子をセットする。いくつ並べようかと話しあうこともなく、長机の両側に四 脚 の椅子が並んだ。
「……あれ?」
不意に疑問符を発したのは、嗣斗だ。
(四脚並べたからかな?)
そう思って嗣斗のほうを見やったら、背中を向けた嗣斗はまだ、つま先立ちをして桟に手をかけていた。窓はすでに半分ほど開いている。
「どうしたの? 嗣斗」
「外、なんか騒がしくないか?」
言われて耳を澄ませてみると、確かにガヤガヤとうるさい声が聞こえていた。廊下を歩いているときは、廊下自体も騒がしいから気づかなかったけど、ここは静かな部屋だからよくわかるのだ。
「ちょっと見に行ってくる」
と、先に動き出したのは泉先輩。いちばんドアに近い位置にいたこともあり、とめる間もなく出て行ってしまった。
「あっ、ずるい泉先輩!」
咄嗟に追いかけようとして一歩踏み出したわたしに、嗣斗の声がかかる。
「待て舞、先にスマホでテレビ観てみようぜ」
「え?」
その意外な問いかけに、わたしは素直に足をとめた。
「なんで?」
「外の騒ぎ、マジでマスコミのやつらが来てるのかもしれない」
「あ……!」
そこまで言われてからやっと、わたしはその可能性に気づいた。
ブレザーの胸ポケットから、赤いスマホを取り出す。
アプリを立ちあげた数秒後、真っ黒だった画面に突然映し出されたのは――
「え……輝 臣 先 輩 !?」
間違いなく、輝臣先輩の顔写真だった。それはニュース番組のようで、他 に も 何 人 か の 写 真 が 並 ん で い る 。
(な、なに? どういうこと!?)
輝臣先輩は本当に、なにか大変な事件に巻きこまれていたのだろうか?
「おい舞! 無闇に手ぇ動かすな、映像が安定しないだろうがっ」
「そ、そんなこと言ったって……!」
動揺して、つい身体を動かしてしまったら、うまく受信できる位置から外れてしまったのか、映像も音声も飛び飛びになっていた。
「どれくらいの高さで持ってたっけ!?」
「普通に身体の前だったろ」
ふたりで試行錯誤して、きれいに映るポイントを探したけど、室内ではやっぱり難しいのかもしれない。
そうこうしているうちに泉先輩が戻ってきて、案の定マスコミが殺到していたと教えてくれた。
さらに――
「あれっ?」
手にしていたスマホが突然震え出したから、一瞬取り落としそうになった。
慌てて持ちなおし、画面の上のほうを見ると、メールのアイコンが点灯している。
「メールだ、いったんアプリ切るね」
ほとんど映ってはいなかったけど、一応断ってからメールを開いてみた。母からだった。
大丈夫? 今から迎えに行くから 校門のところに出てなさい
(え……?)
それは明らかに、わ た し を 心 配 し て い る 内 容 だ。でも、今のわたしには母に心配される理由なんてないはずで――
(――ん? 待てよ?)
「どうした? 固まって。スパムメールでも来たのか?」
のんきにそう問いかけてきた嗣斗の、胸倉を掴んでやる。
「ちょっとあんた! もしかして、輝臣先輩のことまでうちのお母さんに喋った!?」
「はぁっ? さすがの俺も、そこまで無神経じゃないぜ。なんだ? おばさんからのメールなのか?」
答えた嗣斗の瞳は真剣そのものだったから、わたしは信用して手を放すと、代わりにスマホの画面を突きつけた。
嗣斗はそれを一瞥すると、考えこむように腕組みをする。
「――それ、やっぱりこの学校が報道されてるからなんじゃないのか?」
「えー? それでなんで『わたしの心配』をするの? しかも迎えに来るなんて……お母さんがわざわざ迎えに来たことなんて一度もないの、あんたも知ってるでしょっ?」
だからこそわたしは、嗣斗が母にわたしの好きな相手として輝臣先輩のことを話したのではないかと思ったのだ。母がそれを知っている状態で輝臣先輩が亡くなったことを知ったら、わたしのことを心配するのも頷ける。
(でも、そうじゃないとすると……)
と、わたしが次の案を考えはじめたとき、今度は嗣斗のスマホが鳴った。
ズボンの尻ポケットからそれを取り出した嗣斗は、画面を見るなり動きをとめる。
「こっちも、おばさんからだ」
「な、内容はっ?」
「ちょっと待て――俺も一緒に車乗れってさ」
「へ?」
(なんで嗣斗まで……?)
首を傾げたわたしの視線の先で、嗣斗はなにやら返事を打ちこんでいる。そしてこちらを見ないまま、口を開いた。
「おばさんに、校舎の裏に来るよう送っとくからな。今校門のとこ来たら目立っちまう」
「あ、そっか。じゃあわたしたちも、先生に頼んで裏門から出してもらわないとね」
(嗣斗ってこういうとこ抜け目ないんだよね)
おかげで過去にも何度かピンチから脱したことがあるから、なかなかに侮れない。
メールを送りおえた嗣斗は、スマホをしまうとすぐに自分の鞄を手に取る。
「おばさんの会社、学校のすぐ近くだったろ。待たせるとうるさいから早く行こうぜ」
さっさとドアへと向かう背中に、
「えー? 今来たばっかりなのに!」
口ではそう言いつつも、母がわざわざメールを送ってきたり、迎えに来たりする理由はやっぱり気になるから、帰ることに異論はなかった。
わたしは視線を動かすと、マスコミの姿に余程興奮したのかまだ頬を赤くしている泉先輩に断りを入れる。
「じゃあわたしたち、すみませんが今日はこれで帰らせてもらいますね」
すると泉先輩は、頷きながらも、
「あ、ああ、それはいいんだが――」
どこか歯切れの悪い言葉を返してきた。
(あれ? わたし、なにか変なこと言ったかな)
眼鏡の奥の表情を見ても、なにかに戸惑っている様子だったから、気にかかる。
その理由にいち早く気づいたのは、すでに戸口まで達していた嗣斗だ。
「心配しなくても、来週からも来てやるさ。少なくとも俺は、な」
(あ!)
そうだ、おそらく泉先輩はそのことを心配しているのだ。わたしが輝臣先輩目当てで部室に来ていて、嗣斗はその付き添いなだけだということは、当然わかっていただろうから。
でも、輝臣先輩がいなくなってしまった今、わたしと嗣斗が部室に来なくなったら、泉先輩はひとりになってしまう。たとえ幽霊部員がたくさんいたとしても、それでは部として成り立たないし、なにより淋しいはずだ。
(いくら「ひとりが好き」って強がっても)
輝臣先輩と過ごした一年と、わたしと嗣斗が加わった半年は、泉先輩を慣れさせるのに充分な時間だったことだろう。
「ひとりで格好つけないでよ、嗣斗。わたしだって来るよっ。ま た 来 週 ね、妖怪先輩!」
言い切って、その場から逃げる。嗣斗の横を抜け、先に廊下へと飛び出した。
すかさず嗣斗もあとを追ってくる。
「妖怪はおめぇだろ、オカッパー!」
半分嬉しそうなこだまが、さらに後ろから追いかけてきた。
わたしと嗣斗は、走りながら大口を開けて笑ったけど、兼平先生に頼んで裏門から出してもらったらすでに母が来ていて、それはあっさりと苦笑に変わる。
「こっちよ。早く乗りなさい、ふたりとも」
サーモンピンクの軽自動車から顔を出し、ぶんぶんと手を振る母は、心なしか必死になっているように見えた。
(やっぱり、なんか変?)
少しずつ、なにかがおかしい。
それが一体なにによるものなのか、はっきりとはわからないけど。
助手席に座ったわたしの後ろに、嗣斗も乗りこんでくる。
「すみません、お邪魔します」
嗣斗はわたしの母に弱みでも握られているのか、母の前ではいつも行儀がよかった。
また母のほうも、嗣斗に対してはわたしに対してよりも優しいくらいだ。
「悪いけど、嗣くんも一緒にうちまで来てもらうわね」
車を発進させながら、母はバックミラー越しに話しかけた。
「ああ、はい。それは構いません」
「どうして嗣斗も一緒なの? てかお母さん、なんで急に迎えに来たわけ?」
わたしは家まで待ちきれなくて、母の横顔に問いかける。会社を早退してきたのだろう母は、髪を後ろで一本にまとめていて、会社の事務服を着ていることもあり、いつもより凛々しく見えた。
そんな印象そのまま、強い口調で話し出す。
「心配だったからに決まってるでしょ! あんた、身体はなんともないの?」
「身体っ? あ、あるわけないじゃない。わたし、お母さんがなにをそんなに心配してるのか、全っ然わかんないんだけど」
そう答えつつもわたしは、ヘッドレストの隙間から嗣斗を睨んだ。やっぱり嗣斗がメールで教えたんじゃないかと、再び疑ったのだ。
しかし嗣斗は、「俺はなにも言ってない!」と言うように激しく手と首を振る。
(あとでお母さんのスマホ見せてもらおうかな)
わたしがそこまで考えたときだった。
「――また、人が死んだでしょ。原因不明で計 五 人 」
低く呟いた母は、真っ直ぐに前を見ている。
「え……五人も!?」
(ああ、そういえば――)
ワンセグでニュースを見たとき、映像に出ていた写真は確かに輝臣先輩のものだけではなかった。あれが他の四人だったのだろう。
「しかも、そのうちのひとりはあんたと同じ学校の子だったわ。それで心配するなと言うほうが無理でしょう?私 に は も う 、あ ん た し か い な い ん だ か ら 」
「お母さん……」
忘れたつもりでも、まだ身体のなかに燻っていた哀しみが、少しずつ溶けていく。
(すごいな。家族の言葉って、こんなにも深いところまで届くんだ)
わたしにとっても当然家族は母だけで、その母は仕事が忙しく、普段はそれほど会話をする機会がなかった。別に仲が悪いということもなかったけど、お互い距離をおこうとしていた部分があると思う。
(お父さんがいないから)
いなくても、そこにあるように見せたいから?
――そうなのかもしれない。
わたしたちにとっての父は、失われることでよりその存在感を増した。その結果、本当に向きあわなければならない相手が、陰に隠れてしまっていたのだろう。
心まで、声が届かないほど――。
「――大丈夫よ、お母さんっ。わたしは急にいなくなったりなんてしないから!」
だからこそわたしも、心まで届けたくて。
強く告げたら、母は小さく笑った。
「馬鹿ね、人間死ぬときは一瞬よ? あんたのその自信はどこから来るのよ」
「あら、ちゃんと根拠はあるよ? 実はね、タヅばあが亡くなる前に、す ご く よ く 効 く っていうお守り、もらってたんだー」
言いながらわたしは、鞄のなかの財布をごそごそとあさる。
そのあいだに母が、大きくした目でチラリとこちらを見た。
「そのお守りってもしかして、朱色の汚い布のやつ?」
「あれ、知ってるの?」
わたしが探りあてて取り出したお守りは、確かに母が言ったように朱色でボロボロだ。
「私も、母さんに渡されたことあるもの。当時からもう汚かったから、結局いらないって返したけど」
呆れた口調で告げた母の瞳は、しかし懐かしそうに細められている。
そう、『タヅばあ』というのは、母の母。わたしにとっては祖母にあたる人だ。わたしが生まれたときからずっと一緒に暮らしていて、仕事で忙しい母の代わりによく子守歌を歌ってくれた、優しいおばあちゃんだった。残念ながら、三年前に心臓の病気で亡くなってしまったけど、その後すぐにセイちゃんと知りあったおかげで、わたしはあんまり落ちこまずに済んだのだ。
「えー、もったいない! 汚いからこそ、年季入ってて効き目ありそうなのに」
お守りを両手で包みながら告げたら、後ろで話を聞いていた嗣斗が口を挟んでくる。
「ものを大事にするのは結構だけど、おまえさ、床に落としたパンまで拾って食べようとすんなよ」
「えっ、あんたそんなことしたの!?」
「未遂よ未遂! もうっ、嗣斗ってばまた余計なこと言って……!」
「食べようとしたことは認めるわけね。まったく、あんたって子は」
母はハンドルから左手を放すと、そのままわたしの頭をコツンと突いた。こんなスキンシップも本当に久しぶりな気がして、どこかくすぐったい。わたしもやり返したいところだったけど、事故ると困るからやめておいた。
会話が途切れた隙に、嗣斗が再び切りこんでくる。
「ところでおばさん、さっきの話だけど」
「ん? さっき?」
「『ま た 人が死んだ』って、言いましたよね。もしかして、こんなふうに原因不明の死人が複数出るの、初めてじゃないんですか?」
「え……っ!?」
嗣斗のその問いは、わたしにはまったく思いつかなかったものだった。
素早く母の横顔を見やると、険しいものに変わっている。
「――そうよ。十 年 前 に も 似 た よ う な 事 件 が あ っ た の。今回マスコミが騒いでるのは、そのせいだと思うわ」
(授業はサボったくせに部活には出るなんて、ちょっと申しわけない気分だけど)
午後はしっかりと眠れたおかげか、身体も心もだいぶ落ち着き、いつもどおり動くことができるようになっていた。これ以上休んでいたら、逆に心が腐ってしまいそうだ。
角をひとつ曲がって、部室のある廊下に入ると、ドアの前に立っている泉先輩の姿が見えた。
(あ……)
そこで思い出すのは、たった一週間前の出来事。いや、実際には『出来事』だなんて大袈裟に表現する必要もないくらい、些細な日常のひとコマだった。
(あの日は、輝臣先輩と一年の廊下のところで会って、一緒に来たんだった)
そして同じように、部室の前に泉先輩が立っていた。
「あ、部室の鍵!」
隣で口に出したのは、嗣斗。おそらく同じように一週間前のことを思い出して、気づいたのだろう。
「職員室に取りに行って――」
「鍵ならあるぞ!」
嗣斗がまわれ右をしようとすると、泉先輩の声が飛んでくる。その手には確かに、部室の鍵が握られていた。
わたしと嗣斗は一度顔を見あわせたあと、傍まで走っていく。
「鍵持ってるなら、どうしてなかに入ってないんですか?」
思わず尋ねたら、泉先輩は珍しく淋しげな笑みを浮かべた。
「三人で、一緒に入りたいと思ったんだ」
その言葉が、なぜだか胸に染みてくる。
(ああ、そうだ)
泉先輩にも、耐えきれないものがあって当然なのだ。わたしたちよりも一年多く輝臣先輩と一緒にいて、おそらくたくさんの話をしたのだろうから。
(哀しいのは、わたしだけじゃない)
そんなあたりまえのことさえ、見失いそうになっていた。
わたしはもっと、前を見なければ。
周りを、見なければ。
「待っててくれて、ありがとうございます」
いつも売り言葉に買い言葉みたいな会話しかしたことがなかった泉先輩に、初めて真っ直ぐな言葉をかけることができた。
泉先輩は少し照れくさそうに俯くと、無言で鍵穴に鍵を差しこむ。
部室のなかは、いつもと変わらなかった。
違うのは、それを眺める人の数。
「――俺が窓開けるから、舞も椅子出し手伝ってくれ」
「う、うん」
このなかで一応いちばん身長の高い嗣斗が、部屋の奥へと向かった。
わたしは泉先輩と協力して、パイプ椅子をセットする。いくつ並べようかと話しあうこともなく、長机の両側に
「……あれ?」
不意に疑問符を発したのは、嗣斗だ。
(四脚並べたからかな?)
そう思って嗣斗のほうを見やったら、背中を向けた嗣斗はまだ、つま先立ちをして桟に手をかけていた。窓はすでに半分ほど開いている。
「どうしたの? 嗣斗」
「外、なんか騒がしくないか?」
言われて耳を澄ませてみると、確かにガヤガヤとうるさい声が聞こえていた。廊下を歩いているときは、廊下自体も騒がしいから気づかなかったけど、ここは静かな部屋だからよくわかるのだ。
「ちょっと見に行ってくる」
と、先に動き出したのは泉先輩。いちばんドアに近い位置にいたこともあり、とめる間もなく出て行ってしまった。
「あっ、ずるい泉先輩!」
咄嗟に追いかけようとして一歩踏み出したわたしに、嗣斗の声がかかる。
「待て舞、先にスマホでテレビ観てみようぜ」
「え?」
その意外な問いかけに、わたしは素直に足をとめた。
「なんで?」
「外の騒ぎ、マジでマスコミのやつらが来てるのかもしれない」
「あ……!」
そこまで言われてからやっと、わたしはその可能性に気づいた。
ブレザーの胸ポケットから、赤いスマホを取り出す。
アプリを立ちあげた数秒後、真っ黒だった画面に突然映し出されたのは――
「え……
間違いなく、輝臣先輩の顔写真だった。それはニュース番組のようで、
(な、なに? どういうこと!?)
輝臣先輩は本当に、なにか大変な事件に巻きこまれていたのだろうか?
「おい舞! 無闇に手ぇ動かすな、映像が安定しないだろうがっ」
「そ、そんなこと言ったって……!」
動揺して、つい身体を動かしてしまったら、うまく受信できる位置から外れてしまったのか、映像も音声も飛び飛びになっていた。
「どれくらいの高さで持ってたっけ!?」
「普通に身体の前だったろ」
ふたりで試行錯誤して、きれいに映るポイントを探したけど、室内ではやっぱり難しいのかもしれない。
そうこうしているうちに泉先輩が戻ってきて、案の定マスコミが殺到していたと教えてくれた。
さらに――
「あれっ?」
手にしていたスマホが突然震え出したから、一瞬取り落としそうになった。
慌てて持ちなおし、画面の上のほうを見ると、メールのアイコンが点灯している。
「メールだ、いったんアプリ切るね」
ほとんど映ってはいなかったけど、一応断ってからメールを開いてみた。母からだった。
大丈夫? 今から迎えに行くから 校門のところに出てなさい
(え……?)
それは明らかに、
(――ん? 待てよ?)
「どうした? 固まって。スパムメールでも来たのか?」
のんきにそう問いかけてきた嗣斗の、胸倉を掴んでやる。
「ちょっとあんた! もしかして、輝臣先輩のことまでうちのお母さんに喋った!?」
「はぁっ? さすがの俺も、そこまで無神経じゃないぜ。なんだ? おばさんからのメールなのか?」
答えた嗣斗の瞳は真剣そのものだったから、わたしは信用して手を放すと、代わりにスマホの画面を突きつけた。
嗣斗はそれを一瞥すると、考えこむように腕組みをする。
「――それ、やっぱりこの学校が報道されてるからなんじゃないのか?」
「えー? それでなんで『わたしの心配』をするの? しかも迎えに来るなんて……お母さんがわざわざ迎えに来たことなんて一度もないの、あんたも知ってるでしょっ?」
だからこそわたしは、嗣斗が母にわたしの好きな相手として輝臣先輩のことを話したのではないかと思ったのだ。母がそれを知っている状態で輝臣先輩が亡くなったことを知ったら、わたしのことを心配するのも頷ける。
(でも、そうじゃないとすると……)
と、わたしが次の案を考えはじめたとき、今度は嗣斗のスマホが鳴った。
ズボンの尻ポケットからそれを取り出した嗣斗は、画面を見るなり動きをとめる。
「こっちも、おばさんからだ」
「な、内容はっ?」
「ちょっと待て――俺も一緒に車乗れってさ」
「へ?」
(なんで嗣斗まで……?)
首を傾げたわたしの視線の先で、嗣斗はなにやら返事を打ちこんでいる。そしてこちらを見ないまま、口を開いた。
「おばさんに、校舎の裏に来るよう送っとくからな。今校門のとこ来たら目立っちまう」
「あ、そっか。じゃあわたしたちも、先生に頼んで裏門から出してもらわないとね」
(嗣斗ってこういうとこ抜け目ないんだよね)
おかげで過去にも何度かピンチから脱したことがあるから、なかなかに侮れない。
メールを送りおえた嗣斗は、スマホをしまうとすぐに自分の鞄を手に取る。
「おばさんの会社、学校のすぐ近くだったろ。待たせるとうるさいから早く行こうぜ」
さっさとドアへと向かう背中に、
「えー? 今来たばっかりなのに!」
口ではそう言いつつも、母がわざわざメールを送ってきたり、迎えに来たりする理由はやっぱり気になるから、帰ることに異論はなかった。
わたしは視線を動かすと、マスコミの姿に余程興奮したのかまだ頬を赤くしている泉先輩に断りを入れる。
「じゃあわたしたち、すみませんが今日はこれで帰らせてもらいますね」
すると泉先輩は、頷きながらも、
「あ、ああ、それはいいんだが――」
どこか歯切れの悪い言葉を返してきた。
(あれ? わたし、なにか変なこと言ったかな)
眼鏡の奥の表情を見ても、なにかに戸惑っている様子だったから、気にかかる。
その理由にいち早く気づいたのは、すでに戸口まで達していた嗣斗だ。
「心配しなくても、来週からも来てやるさ。少なくとも俺は、な」
(あ!)
そうだ、おそらく泉先輩はそのことを心配しているのだ。わたしが輝臣先輩目当てで部室に来ていて、嗣斗はその付き添いなだけだということは、当然わかっていただろうから。
でも、輝臣先輩がいなくなってしまった今、わたしと嗣斗が部室に来なくなったら、泉先輩はひとりになってしまう。たとえ幽霊部員がたくさんいたとしても、それでは部として成り立たないし、なにより淋しいはずだ。
(いくら「ひとりが好き」って強がっても)
輝臣先輩と過ごした一年と、わたしと嗣斗が加わった半年は、泉先輩を慣れさせるのに充分な時間だったことだろう。
「ひとりで格好つけないでよ、嗣斗。わたしだって来るよっ。
言い切って、その場から逃げる。嗣斗の横を抜け、先に廊下へと飛び出した。
すかさず嗣斗もあとを追ってくる。
「妖怪はおめぇだろ、オカッパー!」
半分嬉しそうなこだまが、さらに後ろから追いかけてきた。
わたしと嗣斗は、走りながら大口を開けて笑ったけど、兼平先生に頼んで裏門から出してもらったらすでに母が来ていて、それはあっさりと苦笑に変わる。
「こっちよ。早く乗りなさい、ふたりとも」
サーモンピンクの軽自動車から顔を出し、ぶんぶんと手を振る母は、心なしか必死になっているように見えた。
(やっぱり、なんか変?)
少しずつ、なにかがおかしい。
それが一体なにによるものなのか、はっきりとはわからないけど。
助手席に座ったわたしの後ろに、嗣斗も乗りこんでくる。
「すみません、お邪魔します」
嗣斗はわたしの母に弱みでも握られているのか、母の前ではいつも行儀がよかった。
また母のほうも、嗣斗に対してはわたしに対してよりも優しいくらいだ。
「悪いけど、嗣くんも一緒にうちまで来てもらうわね」
車を発進させながら、母はバックミラー越しに話しかけた。
「ああ、はい。それは構いません」
「どうして嗣斗も一緒なの? てかお母さん、なんで急に迎えに来たわけ?」
わたしは家まで待ちきれなくて、母の横顔に問いかける。会社を早退してきたのだろう母は、髪を後ろで一本にまとめていて、会社の事務服を着ていることもあり、いつもより凛々しく見えた。
そんな印象そのまま、強い口調で話し出す。
「心配だったからに決まってるでしょ! あんた、身体はなんともないの?」
「身体っ? あ、あるわけないじゃない。わたし、お母さんがなにをそんなに心配してるのか、全っ然わかんないんだけど」
そう答えつつもわたしは、ヘッドレストの隙間から嗣斗を睨んだ。やっぱり嗣斗がメールで教えたんじゃないかと、再び疑ったのだ。
しかし嗣斗は、「俺はなにも言ってない!」と言うように激しく手と首を振る。
(あとでお母さんのスマホ見せてもらおうかな)
わたしがそこまで考えたときだった。
「――また、人が死んだでしょ。原因不明で
低く呟いた母は、真っ直ぐに前を見ている。
「え……五人も!?」
(ああ、そういえば――)
ワンセグでニュースを見たとき、映像に出ていた写真は確かに輝臣先輩のものだけではなかった。あれが他の四人だったのだろう。
「しかも、そのうちのひとりはあんたと同じ学校の子だったわ。それで心配するなと言うほうが無理でしょう?
「お母さん……」
忘れたつもりでも、まだ身体のなかに燻っていた哀しみが、少しずつ溶けていく。
(すごいな。家族の言葉って、こんなにも深いところまで届くんだ)
わたしにとっても当然家族は母だけで、その母は仕事が忙しく、普段はそれほど会話をする機会がなかった。別に仲が悪いということもなかったけど、お互い距離をおこうとしていた部分があると思う。
(お父さんがいないから)
いなくても、そこにあるように見せたいから?
――そうなのかもしれない。
わたしたちにとっての父は、失われることでよりその存在感を増した。その結果、本当に向きあわなければならない相手が、陰に隠れてしまっていたのだろう。
心まで、声が届かないほど――。
「――大丈夫よ、お母さんっ。わたしは急にいなくなったりなんてしないから!」
だからこそわたしも、心まで届けたくて。
強く告げたら、母は小さく笑った。
「馬鹿ね、人間死ぬときは一瞬よ? あんたのその自信はどこから来るのよ」
「あら、ちゃんと根拠はあるよ? 実はね、タヅばあが亡くなる前に、
言いながらわたしは、鞄のなかの財布をごそごそとあさる。
そのあいだに母が、大きくした目でチラリとこちらを見た。
「そのお守りってもしかして、朱色の汚い布のやつ?」
「あれ、知ってるの?」
わたしが探りあてて取り出したお守りは、確かに母が言ったように朱色でボロボロだ。
「私も、母さんに渡されたことあるもの。当時からもう汚かったから、結局いらないって返したけど」
呆れた口調で告げた母の瞳は、しかし懐かしそうに細められている。
そう、『タヅばあ』というのは、母の母。わたしにとっては祖母にあたる人だ。わたしが生まれたときからずっと一緒に暮らしていて、仕事で忙しい母の代わりによく子守歌を歌ってくれた、優しいおばあちゃんだった。残念ながら、三年前に心臓の病気で亡くなってしまったけど、その後すぐにセイちゃんと知りあったおかげで、わたしはあんまり落ちこまずに済んだのだ。
「えー、もったいない! 汚いからこそ、年季入ってて効き目ありそうなのに」
お守りを両手で包みながら告げたら、後ろで話を聞いていた嗣斗が口を挟んでくる。
「ものを大事にするのは結構だけど、おまえさ、床に落としたパンまで拾って食べようとすんなよ」
「えっ、あんたそんなことしたの!?」
「未遂よ未遂! もうっ、嗣斗ってばまた余計なこと言って……!」
「食べようとしたことは認めるわけね。まったく、あんたって子は」
母はハンドルから左手を放すと、そのままわたしの頭をコツンと突いた。こんなスキンシップも本当に久しぶりな気がして、どこかくすぐったい。わたしもやり返したいところだったけど、事故ると困るからやめておいた。
会話が途切れた隙に、嗣斗が再び切りこんでくる。
「ところでおばさん、さっきの話だけど」
「ん? さっき?」
「『
「え……っ!?」
嗣斗のその問いは、わたしにはまったく思いつかなかったものだった。
素早く母の横顔を見やると、険しいものに変わっている。
「――そうよ。