十月八日、金曜日。②
文字数 2,592文字
そして訪れた、翌日。
その日、わたしの心は朝からずっしりと重たかった。それよりも重くなることなんて、ないだろうと思っていた。
――わたしが、間違いだった。
(どうして、輝臣先輩が……!?)
頭がうまく働かない。
「それで、緊急に全校集会を開くことになった。これから放送がかかるから、みんな、落ちついて移動するように」
続けた兼平先生の言葉も、右から左に通り抜けるだけ。
(なにを言ってるの?)
みんなで集まって、なにをするというの?
わたしは信じたくない。
行ったら、それが全員共通の認識になってしまう。
いくらでも脳裏に浮かんでくるあの笑顔が、もうこの世にないなんて――誰かがわたしを陥れようとしているのだろうか。嘘の出来事を、本当に起こったかのように、見せつけているのだろうか。
(輝臣、先輩……!)
両手で顔を覆って、視界を遮断して、わたしもこの世界から消えた気になる。そうしたところで輝臣先輩の声は聞こえないし、身体の震えもとまらないけど、それ以上考えるのが怖かった。
やがて、スピーカーからなにやら音が聞こえ、周りのみんながガタガタと動き出す。
わたしだけがその場で、自分の掌を濡らしつづけていた。
(どこにも行きたくない)
誰とも、確認なんかしたくない。
そんなわたしの頑なな心を、無遠慮にこじ開けるのはやっぱり――
「ほら、行くぞ舞!」
「……嗣斗?」
わたしの顔から両手を引っぺがして、そのまま椅子から立たせようとしてくる。
「ま、待ってよ……わたし行きたくないっ」
反射的に腕を引こうとしたけど、掴まれた右手首は微塵も動かなかった。少し痛いくらいだ。
でもおかげで、わたしも落ちついてくる。はたと気づいて周囲を見やると、クラスメイトたちはもういなかった。どうやら先に行ってしまったようだ。
そのことに、自分でもよくわからないまま安心して、力を抜いたところを嗣斗に引かれる。おかげであっさりと、椅子から立ちあがれてしまった。
「嗣斗……」
そこでやっと、正面から顔を合わせる。
嗣斗は、今までにないほど真剣な表情をしていた。キリリとつりあがった眉に、決して逸らさない瞳。その奥に見えるのは、流れることのない水だろうか。あるいは、鏡のように映るわたしか。
思わずじっと見入っていると、さすがに照れたのか、嗣斗の頬に朱が走る。
「な、なに睨んでんだよっ。安心しろ、体育館に連れて行く気はないから!」
それからわたしに背を向けて、歩き出した。掴んだ手首は放さないまま。
「兼平には許可取ったから、おまえは保健室行って寝とけ。どうせ今日はなんも頭入らないだろ?」
「――うん、ありがと」
嗣斗は言わない。
輝臣先輩の名前を、口にしない。
きっと、わたしがそれを聞きたくないのだと、気づいているから。
その事実が、逆にわたしを追い詰める。
(嗣斗は、言わない)
言わないよ。
『輝臣は死んでないって!』
いつもみたいに、茶化した言葉を言ってくれないから。
その事実が、逆にわたしを追い立てる。
(嘘はないんだ)
どこにも。
最初からわかりきっていたことを、やっと受け入れることができた。やっと、自分を取り戻した。
わたしは廊下の途中で、引かれるままに歩いていた足をとめる。
「ん? どうした?」
嗣斗は不思議そうな声をあげながら振り返り、わたしの顔を見ると大きく目を見開いた。
「舞……?」
「保健室にはひとりで行くから、あんたは体育館に行って」
「へ?」
「行って、なにが起こったのかをちゃんと聞いてきて!」
そう、冷静になればなるほど、今の状況のお か し さ が見えてくる。
(どうしてこのタイミングで、全校集会をするの?)
兼平先生は、輝臣先輩が亡くなったのは『今朝』だと言っていた。つまり、詳しいことはまだなにもわかっていないような状況なのではないだろうか。
(病死か、事故死か、他殺か、自殺か――)
どれも考えたくはないけど、死因の特定をするにしたって、こんな短時間では無理なはずだ。輝臣先輩の影響で、少しずつだけど推理小説を読むようになっていたから、それくらいはわたしにもわかる。
「きっと普通に死んだんじゃないんだよ。そうじゃなかったら、こんな早くに全校集会なんて――」
「わかった、じゃあ俺は体育館行くから。おまえはちゃんと保健室行けよ?」
わたしの言葉を遮るように、言い聞かせるように告げて、嗣斗は手を放してくれた。
「うん。心配しなくても、後追い自殺なんかしないから、安心して」
「バっ……笑えない冗談言うなって、いつも言ってるだろ! ほら、さっさと行けっ」
嗣斗はわたしの背中をぐいと押し出すと、自分は逆の方向へと向かって走っていった。
(ちょっと怒ってたかな……)
でもこれくらい言わないと、嗣斗の足も動かなかったかもしれないと、勝手に思う。わたしのことを心配してくれているのは、よくわかるのだ。どんなに憎まれ口を叩いたところで、瞳の色までは消せないから。それは今だけでなく、日常のなかでも同じこと。
(いっつも心配とか迷惑ばっかりかけてるんだから、たまにはちゃんとしないと!)
言動でうまく伝えられない分、こういうときくらいは、少しでもそれらの量を減らす努力をしたかった。
保健室に着くと、養護の水森 先生がいて、なにも訊かずにベッドを貸してくれた。兼平先生が先に説明をしておいてくれたのかもしれない。
わたしはスカートの裾がめくれあがらないように注意しながら、ベッドに入る。
(輝臣先輩のことが気になって、ずっと寝不足気味だったから、すぐ眠れるかな……)
今はなにも考えずに、眠ってしまいたい。
――そう願うわたしとは裏腹に、なかなか意識を手放せなかった。
目をつむると、輝臣先輩の優しい笑顔ばかりが、浮かんでは消えてゆく。
(どうして)
その四文字ばかりが、ぐるぐるとまわる。
(どうして、死んでしまったの……?)
わたしの告白も聞かないまま。
(どうして)
もっと早くに、言えなかったの……?
悔やむ気持ちも、しだいに大きくなってゆく。
あふれてとまらない涙と想いが、いつまでもわたしの眠りを邪魔しつづけた。
その日、わたしの心は朝からずっしりと重たかった。それよりも重くなることなんて、ないだろうと思っていた。
――わたしが、間違いだった。
(どうして、輝臣先輩が……!?)
頭がうまく働かない。
「それで、緊急に全校集会を開くことになった。これから放送がかかるから、みんな、落ちついて移動するように」
続けた兼平先生の言葉も、右から左に通り抜けるだけ。
(なにを言ってるの?)
みんなで集まって、なにをするというの?
わたしは信じたくない。
行ったら、それが全員共通の認識になってしまう。
いくらでも脳裏に浮かんでくるあの笑顔が、もうこの世にないなんて――誰かがわたしを陥れようとしているのだろうか。嘘の出来事を、本当に起こったかのように、見せつけているのだろうか。
(輝臣、先輩……!)
両手で顔を覆って、視界を遮断して、わたしもこの世界から消えた気になる。そうしたところで輝臣先輩の声は聞こえないし、身体の震えもとまらないけど、それ以上考えるのが怖かった。
やがて、スピーカーからなにやら音が聞こえ、周りのみんながガタガタと動き出す。
わたしだけがその場で、自分の掌を濡らしつづけていた。
(どこにも行きたくない)
誰とも、確認なんかしたくない。
そんなわたしの頑なな心を、無遠慮にこじ開けるのはやっぱり――
「ほら、行くぞ舞!」
「……嗣斗?」
わたしの顔から両手を引っぺがして、そのまま椅子から立たせようとしてくる。
「ま、待ってよ……わたし行きたくないっ」
反射的に腕を引こうとしたけど、掴まれた右手首は微塵も動かなかった。少し痛いくらいだ。
でもおかげで、わたしも落ちついてくる。はたと気づいて周囲を見やると、クラスメイトたちはもういなかった。どうやら先に行ってしまったようだ。
そのことに、自分でもよくわからないまま安心して、力を抜いたところを嗣斗に引かれる。おかげであっさりと、椅子から立ちあがれてしまった。
「嗣斗……」
そこでやっと、正面から顔を合わせる。
嗣斗は、今までにないほど真剣な表情をしていた。キリリとつりあがった眉に、決して逸らさない瞳。その奥に見えるのは、流れることのない水だろうか。あるいは、鏡のように映るわたしか。
思わずじっと見入っていると、さすがに照れたのか、嗣斗の頬に朱が走る。
「な、なに睨んでんだよっ。安心しろ、体育館に連れて行く気はないから!」
それからわたしに背を向けて、歩き出した。掴んだ手首は放さないまま。
「兼平には許可取ったから、おまえは保健室行って寝とけ。どうせ今日はなんも頭入らないだろ?」
「――うん、ありがと」
嗣斗は言わない。
輝臣先輩の名前を、口にしない。
きっと、わたしがそれを聞きたくないのだと、気づいているから。
その事実が、逆にわたしを追い詰める。
(嗣斗は、言わない)
言わないよ。
『輝臣は死んでないって!』
いつもみたいに、茶化した言葉を言ってくれないから。
その事実が、逆にわたしを追い立てる。
(嘘はないんだ)
どこにも。
最初からわかりきっていたことを、やっと受け入れることができた。やっと、自分を取り戻した。
わたしは廊下の途中で、引かれるままに歩いていた足をとめる。
「ん? どうした?」
嗣斗は不思議そうな声をあげながら振り返り、わたしの顔を見ると大きく目を見開いた。
「舞……?」
「保健室にはひとりで行くから、あんたは体育館に行って」
「へ?」
「行って、なにが起こったのかをちゃんと聞いてきて!」
そう、冷静になればなるほど、今の状況の
(どうしてこのタイミングで、全校集会をするの?)
兼平先生は、輝臣先輩が亡くなったのは『今朝』だと言っていた。つまり、詳しいことはまだなにもわかっていないような状況なのではないだろうか。
(病死か、事故死か、他殺か、自殺か――)
どれも考えたくはないけど、死因の特定をするにしたって、こんな短時間では無理なはずだ。輝臣先輩の影響で、少しずつだけど推理小説を読むようになっていたから、それくらいはわたしにもわかる。
「きっと普通に死んだんじゃないんだよ。そうじゃなかったら、こんな早くに全校集会なんて――」
「わかった、じゃあ俺は体育館行くから。おまえはちゃんと保健室行けよ?」
わたしの言葉を遮るように、言い聞かせるように告げて、嗣斗は手を放してくれた。
「うん。心配しなくても、後追い自殺なんかしないから、安心して」
「バっ……笑えない冗談言うなって、いつも言ってるだろ! ほら、さっさと行けっ」
嗣斗はわたしの背中をぐいと押し出すと、自分は逆の方向へと向かって走っていった。
(ちょっと怒ってたかな……)
でもこれくらい言わないと、嗣斗の足も動かなかったかもしれないと、勝手に思う。わたしのことを心配してくれているのは、よくわかるのだ。どんなに憎まれ口を叩いたところで、瞳の色までは消せないから。それは今だけでなく、日常のなかでも同じこと。
(いっつも心配とか迷惑ばっかりかけてるんだから、たまにはちゃんとしないと!)
言動でうまく伝えられない分、こういうときくらいは、少しでもそれらの量を減らす努力をしたかった。
保健室に着くと、養護の
わたしはスカートの裾がめくれあがらないように注意しながら、ベッドに入る。
(輝臣先輩のことが気になって、ずっと寝不足気味だったから、すぐ眠れるかな……)
今はなにも考えずに、眠ってしまいたい。
――そう願うわたしとは裏腹に、なかなか意識を手放せなかった。
目をつむると、輝臣先輩の優しい笑顔ばかりが、浮かんでは消えてゆく。
(どうして)
その四文字ばかりが、ぐるぐるとまわる。
(どうして、死んでしまったの……?)
わたしの告白も聞かないまま。
(どうして)
もっと早くに、言えなかったの……?
悔やむ気持ちも、しだいに大きくなってゆく。
あふれてとまらない涙と想いが、いつまでもわたしの眠りを邪魔しつづけた。