#3 主人の名は
文字数 4,985文字
これで、『なんだ、そんなことか』と思われるかもしれないが、陽一にとって子供は苦手、どころか大っ嫌いなのである。どうしてそうなのかは割愛するが、陽一にとって子守は苦痛そのものである、らしい。そもそも拉致監禁された挙句、子守を押し付けられては『お先真っ暗』と思ったとしても当然だろう。瞬時に逃走または脱出するイメージが頭の中を横切るも、首輪に触れただけで『全ては不可能である』という絶望の声で掻き消されてしまったようだ。
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ところで、ここで歴史の話をしておこう。陽一の置かれている時間、西暦4520年より1000年程前、子供の世話などは便利なアンドロイドが担っていた。それは現代の我々からすれば家電のような扱いで、誠に便利な代物だったらしい。それに、人手不足はどの時代でも共通なようで、アンドロイドは無くてはならない存在へとなったという。
しかし、これが機械や、何がしらの装置であれば良かったのだが、人と外見がそっくりなアンドロイドというのが問題となった。初期の頃は見た目だけだったものから、次第に人と変わりなく動き・考える姿になった。そうして、俗に言う『不気味の谷』という嫌悪感が強まり、社会は混乱し始めたようだ。それでもアンドロイドには『ロボット三原則』という、絶対に越えられない仕組みが備わっているから安心である、という説があった。しかしそれは敢無く打ち破られてしまった。そう、自我という個性の出現である。
ということで、自己を主張することを獲得したアンドロイドは、それはもう、——なので、社会から一掃された、という訳である。しかし、一度覚えた蜜の味は忘れられないのが人間のサガというもの。あれこれと考えた末、なら、本物の人間なら問題は無いだろう、と思い付いた者が居た。だが当然、人を機械のように扱うのは問題で、まして遠い未来では尚更、許される行為ではなかった。
それでも考え続けた者が居たりして、なら一層のこと、死人なら問題あるまいと閃き、それを実践、事業化し、今では全国に支店を持つ大企業にまで築き上げた者が現れた。勿論それはゾンビのように死人を使役するような話ではない。死人とは、既に死亡が確定している過去の人物であり、それをある方法によって過去から現在に連れてくるということである。そうすれば、法律上は死亡済みな上、その記録さえも完備している訳で、連れてきた人物をどうしようが、存在しない人物ゆえに、問題にしようがない、ということである。
しかし、いくら過去の人物とはいえ、生きた人間を奴隷のように扱うことは抵抗もあるだろう。そこで、過去に何がしらの因縁を持つもの同士を組み合わせることで気兼ねなく、心理的抵抗どころか、却って恨んでも可笑しくはない、という状況を捻り出したという訳である。そう、陽一が主人の祖先を殺めてしまった犯人であれば、自ずと負の感情を抱いても不思議ではないだろう。
この際、陽一が罪を犯す前と後では
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部屋に入った陽一の第一印象は『ムカッ』である。何故ならそこは『子供部屋』にしては広すぎ、おそらく、というより、比べるまでもなく陽一が住む部屋よりも広かったからだろう。そんな空間を天下御免の無法者である『お子様』が、それもたった一人で占有しているとあっては、『俺って、いったい』と嘆き悲しんだとしても不思議ではない。
しかし、そこは『おっさん』である。上を見たら切りが無い、何を幸福と感じるかは人それぞれであろう、と気持ちを切り替えたが、最後に笑ったのは何時の頃だったろうかと、それが思い出せずにいるのは、「きっと寂しい人生を送っているんだ、俺は」と挫けそうな心をグッと自分で鷲掴みする陽一、てなところだろう。
そんな些細なことより、実際以上に部屋が広く見えるというのは、子供部屋らしからぬ簡素な構成にあるだろう。全体的に清潔感のある白で統一されていて、壁や天井、床はもちろん、照明までも白である。そして部屋の片隅に、この部屋唯一の調度品である棺桶が、頑丈そうなテーブルの上に置かれているだけである。
子供部屋に棺桶とは
そんな陽一を察したのか、ススッと棺桶に近づき、手招きする主人である。それに、「なんで? なになに? それで俺を驚かせようって気なのか?」と思いながらも棺桶に近づいて行く、つもりの陽一であるが、足が一歩も動いてはいなかった。しかし、そんなことでグズグズしていると、またお仕置きされては敵わないと、強張る体を無理やり動かして参上。すると、冗談抜きに棺桶同様の小窓が有り、そこを覗き込む主人、それを遠目でチラッと、見たくはないが怖いもの見たさ現象によって見てしまう陽一であ〜る。
そして、思えば口数の少ない主人がボソボソっと、この中に生後六ヶ月の子供がいて、その子がお前の本当の主人になる、とかなんとか陽一に言ったようだ。それを聞いた陽一は何とも言えない複雑な気持ちになった、らしい。それは、手のつけられない王様よりはマシかもしれないが、「もしかしたら俺がオムツを替えたりするんかい、それも嫌だな」と、それもこれも、序でにあれもこれも、出来れば避けて通りたいと、この期に及んでも反抗したい歳頃のおっさんである。だから、直面した問題から逃げたい一心なので、複雑『らしい』となっている。
しかし、そんな陽一の揺らめく心の隙間を突くように、ギギギィィィ・ゴゴゴォォォと棺桶、もとい保育器の蓋らしきものが開き始めてしまった。心の準備をする暇もなかった陽一は、「いきなり! 何をするんだよ、御主人様。俺は、俺は、俺なんだよぉぉぉ」と、それから目を逸らしているつもりながら、クギ付けになって注視してしまうのである。因みに、蓋が開いた際の音は、実際は殆ど無音であり、飽くまで陽一の空耳が頭の中で響いただけである。
その棺桶を保育器と改めた陽一ではあったが、そう
保育器の蓋が開いたことで、真の御主人様の登場である。そこでオギャーとか泣けば良かったのかもしれないが、登場したのは、どう見ても生後六ヶ月どころか小学生くらいの女の子にしか見えない。そこで陽一は六ヶ月を六歳、いや、もっと大きぞ、六年生くらいか、と聞き間違えたことにして自分を納得させるのである。しかし、これでは説明が足りないと主人を見つめるが、それが余程イヤだったのだろう、サッと目を逸らし、何かのボタンを慌てて押すと、
「古代人向けの説明を始めます」という音声が流れ始め、今度は保育器が偉そうに語り出した。そして気が付けば、主人は保育器の脇で椅子に座り、明後日の方向を向いたまま説明の終わるのを待つようである。そこで一人立ったままの陽一は、「その椅子、どこから出てきたんだよぉ。俺はこのままかよぉ」と心の中で悪態を吐いたようだ。
保育器の説明は、出だしから『古代人向け』なので、その言い様は想像に難くないだろう。そこで要約すると次のようになる。まず、保育器の人物は間違いなく生後六ヶ月であること。それを半年間で一気に九歳まで成長させ、そこで保育器の役目は終わり、そこから現実世界での生活、というか人生が始まるのだという。ここで肝心かつ重要なことは、一気に成長した子供は、これまで一度も保育器から出たことはなく、よって実際に自分で自分の体を動かしたことも、目も口も開けたことがないということだ。それで陽一のような『子守』の出番となるそうで、要はリハビリのような機能回復のための要員だそうだ。
それなら確かに相手が子供なので『子守』というのは妥当かもしれない。しかし、体ばかり大きくなっても肝心のアレはどうなのか、という疑問は、既に年齢相応な知識を一種の催眠学習の要領で教育済みとなっているらしい。その過程を確認する意味でも既に母親とチャットのような会話が出来ているようで、後は目覚めるだけ、準備は万端と胸を張る保育器である。そして後は任せたぞと、陽一に声援を送ることも忘れない、ちゃっかりした、または責任を押し付ける保育器でもあった。
そして、更に追加情報として、次の半年間で勝手に十歳相当まで成長するが、そこで一旦成長速度を止め、十年後に元に戻すそうだ。要は十代の期間を二倍にすることのようである。
では、未来の人は何故こんなことをするのか、というと、人の寿命は今も未来もそんなに変わってはいない。それなら若い頃の時期を前倒して増やすことで、人生をより意味のあるものにしようと考えたそうだ。それに幼少期を無駄と考えたのと、同一の教育を外界に影響されることなく均一に受けることが出来るため、これによって人間性の向上に役に立つのだそうだ。
ということで、陽一の理解とか納得の
そうして吹き飛ばされ、当然のように床に転がった陽一は、「なにしやがるんだよ、痛いじゃないかよぉ」と心の中で叫びながら、それでもお子様のご尊顔を拝見しようとムクッと起き上がるのである。そして、どれどれと鼻の下を伸ばしながら覗き込んでみると——「あらやだ、本当に女の子だよ。とても生後六ヶ月とは思えないが……今では言葉の意味が違うのか、それともそこまで科学が進歩したというのか」と、驚きつつも未だ疑心暗鬼の陽一である。そこで、本人に聞いてみようと、
「ねえ、君の名前はなんていうの?」と、営業スマイルで話し掛けてみた。すると、女の子の代わりに母親が『これでもか』というくらい不機嫌な顔を陽一に向け、「恐れ多くも気軽に話し掛けるとは何事ぞ、無礼者!」という勢いだったが、意外にもそれを制止したのが女の子自身であった。これに、親は何であれ無垢な子供は素直で宜しいと感心する陽一である。で、名前は何というのだろうかと待っていると、何もない空間に指でボタンを押すかのような仕草をした後、そのまま横になってしまった女の子である。すると、待ち惚けている陽一の元に機械の声で、
「陽一、私はお前の
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