転換期

文字数 4,394文字

男は教室のような場所で『人生計画』を書いているが、その内容は至ってシンプル・簡素なものである。それは『寝る、食う、遊ぶ』を生涯かけて繰り返す、とでも考えているのか、ただそれだけのようである。

しかし男にはそれなりの理由・訳があった。それは、男のランクが上がり現在は控えめに言っても上位に位置するはず、絶対に、と自負していたからだ。

但し、飽くまで自分自身でそう思っているだけなのは何時ものことである。そんな、どこから湧いてきたのか分からない自信によって『人生計画』は至極簡単な内容となり、その他多くの事柄については『なんとかなるだろう』と言葉の通り高を括る男であった。

人生は己で切り開くもの、といえば格好は良いが、所詮は出たとこ勝負、行き当たりばったりである。それとも運命に身を任せるという境地に達したのだろうか。いや、やはりそれは上位ランカー特有の『驕り』というやつだろう。

「先生、出来ました」

教室の隅の方にいる先生を大きな声で呼びつける男である。内容が簡単なので、直ぐに書き終わった男ではあるが、内容が内容である。『寝る、食う、遊ぶ』だけの『人生計画』など、先生が見たら大笑いするか、ふざけるなと怒るかのどちらかだろう。それでもそれが通用すると思い込む上位ランカーの男である。

「では拝見しましょう」

先生が男から『人生計画』を受け取ると直ぐに「良いです」と短く返事が来たことに驚く男である。やはり内心はビクビクとしていたのだろう。だがそれにお墨付きを貰ったとなれば話は違ってくる。上位どころかトップランカーに踊りでた気分の男は、ボケっと突っ立っている先生から分厚い聖書のようなものを分捕った。

男が何故そんなことをしたかというと、それは天の声を聞いたからに他ならない。それで(手ぶらでシャバに行けるかよ。手土産代りに貰っていくぞ)と思いながら、

「行ってきまーす」と教室を駆け出した男である。

走りながら強奪した本のようなものを抱きしめ、更に後方を確認しつつ、天の声を思い出そうとグルグルと考え、ドキドキする胸騒ぎを抑える男である。それらを同時にこなそうとする余り、その勢いで盛大に転んでしまう。そうなると追手である先生の怒りに満ちた顔を思い浮かべ、それは嫌だと半ば泣きそうになりながらも逃走する男である。

しかし当の先生は逃げ惑う男を静かに目で追っていただけである。その気になれば男から全てを奪うことも出来たはずだが、敢えてそうしなかったのはおそらく、真のトップランカーであったに違いないだろう。そして心の中で「良い旅を」と言ったはずである。

因みに男が聞いたという天の声は、本人の願望もしくは欲望がそれらしき声となって聞こえた、ようなものであろう。そうでなけれな、そうそう都合よく男に聞こえたはずがないと推測する。



時はほぼ現代。ある図書館に小汚い中年の男性が入ってきた。そこは公共の場とあって出入りは自由なのだが、その男性が入り口を通った時、その付近の注目を一瞬だけ集めたようだ。

それは浮浪者ではないかと疑いたくなりそうな身なり、そして異様に目つきの悪さが人目を惹いたのだろう。当然、周囲は一瞬だけ気になるが、それ以上の関わりは遠慮したいという心理が自動発動してしまう、そう、一言で言えば世間の厄介者の登場である。

そして残念なことに、その小汚い中年の男性こそ二十歳になったばかりの、例の男の姿である。その男が図書館に現れたのは、冷たい世間と風に当てられ、それを凌ぐため避難してきたというのが真相である。

この男がこのような……幸福とは言えない状況にあるのは全て例の『人生計画』によるところだ。それは男が生を受けてからというもの『寝る、食う、遊ぶ』を実践してきた当然の結果と言えるだろう。

その『人生計画』に基づき学業はおろか、人としての基本を身に付けず多くの敵を作ったようで、男の身勝手さは手に負えるものではなかった。よって男を恨む者はいても感謝する者は皆無である。そればかりか、ロクに働きもせず『寝る、食う、遊ぶ』だけを繰り返ししてきたのである。よって、その中年のような風情といい、その歳まで生きながらえている方が不思議なくらいである。

そうして年末の慌ただしさとは無縁な男は、暖を求めるだけの目的で図書館にやって来たという訳である。そこで最初は長椅子に座っていた男は次第に眠くなりウトウトとしだしたが、目が醒めると図書館の中を徘徊し始めた。

それは暇つぶしであったのだが、これまた直ぐに飽きてしまった男は、本棚の間で座り込んでしまった。勿論そこで本を手にすることはなく、世間が男を避けて通っていたのは言うまでもないだろう。

そしてまたウトウトとしてきた男である。大きな本棚に寄り掛かり頭を下げていると、本棚の反対側で誰かが本棚にぶつかった。それで一瞬だけグラッと傾いたようだが、しかしかなり重量のある本棚である。人がぶつかった程度で揺れるものだろうか。

そんな疑問はさておき、とにかく揺れた本棚の上段から一冊の本が男の頭めがけてガツーンと落ちてきた。それは多分、何かの天誅というものだろう。それで一気に目が覚めた男は目の前に落ちてきた本を掴むと、「えいっ!」と投げ飛ばそうとしたようだ。しかし頭をさすりながら、その元凶となった本をペーラペラと捲ってみた男である。

「なんじゃー、こらー」

男は一瞬だけ本の中身を見ただけで、まだ読んではいない。それでも心の叫びなのだろうか、そうせざるをえない衝動が男を突き動かしたようだ。男はすぐさま立ち上がり、長椅子の所に戻ったが既に満員御礼である。しかし世間から忌み嫌われている男から避難するかのように空席となり、ドカリと座り込んだ。

そこで先ほどの本を読み耽る男である。その光景は男を知る者が見れば腰を抜かす程の出来事であったに違いない。本どころか漫画さえも読まない男が、ある本に夢中になりながら読んでいるのである。これはきっと由々しき事態に違いない。

「ふー」

男のため息が臭い。やはり普段読書をしない男は直ぐにお腹一杯の表情を晒け出し、それで眠くなったのかまた目を閉じた。

しかし、しかし、しかし、男の脳細胞は生まれて初めて全機能をフル稼働し、脳汁が耳から溢れてくる寸前まで『思考』という体験をしている、らしい。その結果、本の内容が男の、幾多の人生が記されているものであると断定。これは俺の人生、俺の真実、俺の全てが赤裸々に綴られた偉大なる軌跡、であると見抜いたようだ。そこは流石に上位ランカーを自負しただけのことはあるだろう。

だが、パッチン・プッチンと本を閉じた男は、奈落の底に落ちる勢いで自身の過去について興味を無くしてしまった。

「いまさら過去が分かったからって、それが何になるだよ」

その通り、今の男にとってそれが良くても悪くても何ら影響しない現世である。因みに現世には、例によって『寝る、食う、遊ぶ』とだけあり、その後は空白のページとなっていた。

「ふんっ」

なにかを期待した反動か、急につまらなくなった男は、序でに喉が渇いたようだ。しかし持ち合わせが無いことを思い出すと、余計に何か飲みたいぞーという衝動に駆られた男である。

「俺の人生は俺が決めるんだ」

そう、思ったことが口に出る男は、あることを思いつき立ち上がった。そして貸し出しの受付の席にドンと座ると、持っていた本を開き、備え付けのペンで空白のページに『何か飲ませろ、それも美味いやつだ』と書きなぐった。当然、目の前に居る受付のおばさんは仰天していたが、この男にルールを教示するなど出来ない相談である。それでも最低限、

「本に落書きされては、その、困ります」と小声だが自身の使命を果たした。それは命と引き換えになるかもしれないという危険を冒しての勇気である。あっぱれ、おばさん、である。

「なんあん? これは俺の本だ、うっせー」

男の言い訳に、『ひえー』のおばさんである。これで勝敗はついたようなものだが、残念ながら男の言ったことは正しい。その本はこの世に現存しないはずの本であるからだ。

男は紐付きのペンを引き千切ると、そのまま図書館を後にした。そして近くの自販機の前に立ち、暫くそれを睨んでいたが、

「ほら、やっぱりだ。奇跡なんて起きやしないんだよー」と悪態を吐く。

だが俺よ、いや、男よ、よく見るがよい。自販機が、

「いらっしゃいまっせー、お好きなものをどぞー」と誘っているではないか。確かによく見えればボタン全てがオール・グリーンになっている。後はお好きなボタンを『押っす』するだけだ。

「まじー、じーかよ、うそっぴーだろう、ぴーぴー」

男は左右を確認し、誰も狙っていない隙にボタンを引っ叩いた。すると缶飲料が「毎度〜」と飛び出し、男はそれをグビグビと飲み干したのである。

男の頭脳は明瞭になった。そのおかげで、本に書いたことが現実になる奇跡を目の当たりにしたのである。これを放っておく手はないと誰しもが思うことだろう。もしこれで宝くじでも当たると書けば、それは現実になるに違いない。

男は慎重になった。これはもしかしたら何かの偶然かもしれないと疑い始めたのだ。そこでさらなる確証を得ようと、あれこれと考えたが良い方法が思い浮かない。そう焦って考えると余計にまた喉が乾く男である。それも一度味わった贅沢は次から次へと限りがない。

もう一度飲みたくなった男は自販機を睨んだが、先程と違い沈黙したままである。唯一、隣の自販機で売り切れの文字が赤く光っているだけだ。そこで男は閃いたようで、その売り切れを飲ませろと本に書き記した。

そうして暫くその自販機を睨み付けたが何も起こらず、当然ボタンを押しても無反応である。しかしこれで諦めショゲル男ではない。むやみやたらとボタンを連打し、それに飽きると、今度は自販機を蹴飛ばそうとしたその時だ。

「ああ、ちょっと待ってくださいよ。今、補充しますから」と男に声を掛けた者が自販機の扉を開け、商品を補充し始めたのだ。それをイライラしながら見ている男の視線を感じたその者は、箱から品切れの商品を取り出すと、「冷えていないが、これでよければ」と言いながら男に差し出した。男はそれを恐縮しながら受け取り、少し離れてグビグビ、ではなくチビチビと飲み始めるのだった。

「これで分かったぜ、全部」

書けば何でも願いが叶う魔法の本を手に入れた男は、早速、宝くじが――と書こうとしたが、興奮の余り力が入りすぎたのだろう、ペンはポキンと折れてしまった。そこで代わりのペンを手に入れようと図書館に向かった男である。

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登場人物紹介

スライム

異世界でスライム生を謳歌している俺。

ゴーレム

異世界で少女を守りながら戦う俺。

ゴーレムの創造主
自称、魔法使い。ゴーレムからは魔法少女 または 魔法おばさん または ……

エリー

エルフの私です。
エルフの里で育ち、エルフの母に姉と弟、それに友達も皆、エルフです。
耳は長くはないけれど、ちょっとだけ身軽ではないけれど、
すくすくと育った私です。
だから私はエルフなのです。

ステンノー

ゴルゴーン三姉妹の長女

エウリュアレ

ゴルゴーン三姉妹の次女

メデューサ

ゴルゴーン三姉妹の三女

シルキー

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