虚無の時間

文字数 4,248文字

高さ5メートル程の柱のようなものが二本、その間は10メートル程で、ロープのようなものが張ってある。その中間あたりに男のランタン、というか男そのものが30センチ程の紐で吊るされているだけで、他の物は何も無い。それが建っている地面は赤茶色をしており、ところどころに雑草が生えているほか、大きな岩の先端部分だけが露出しているのだろう、そんな白っぽい岩の塊が至る所に点在しているだけである。

しかし、男がこの状況を知るには、まだまだ時間が、いや、年単位の時間が必要だった。その間、男はただ狂ったように叫び、休んではまた叫ぶ、を繰り返し、本当に狂ってしまうと思われた時、まるでそれを避けるかのように気を失う。そして少しだけ回復した辺りでまた叫ぶ。それは完全に狂ってしまうことを何かによって阻まれているのかもしれない、そんなギリギリの境界で男は漸く悟ったようだ。何をしても叫んでも無駄である、その無駄は永遠に続くと思えた時、男は静かになった。

殺風景の場所で姿をランタンに変えられた男に出来ることといえば、唯一目に入る時計塔が示す時間の経過を見ることだった。正確には『見る』というより『見せられている』といった方が良いだろう。いくら冷静を取り戻しても進み続ける『時』が男の何かを確実に削っていく感触に甚振(いたぶ)られる男である。



三年の月日が経った頃、男は静かにしていた。それは、そうしようとしていた訳ではなく、自然とそうなってしまったに過ぎないだろう。そんな男が視線、というか視界を右に、そしてゆっくりと左、また右にして左にした時、「……」と声を上げたつもりの男である。それは男の左側にランタンが吊るされているのを見たからなのだが、それはいきなり現れ、男の視界に入ってきたのだ。その突然の出来事に声が出なかった、のではなく、単に声の出し方を忘れいたからのようだ。

隣のランタンを見た男は、それが自分とそっくりなランタンであるなどとは夢にも思っていなかっただろう。それまで一度でも我が身を見る機会が無かった男にとって、それは飽くまで隣のランタンに過ぎない。そんなものがいきなり隣に現れたということは、きっと夜を照らすために誰かが用意してくれたのだろうと思ったようだ。但しここに夜の暗闇はやって来ない。それでもそう思いたくなるくらい、男にとっては『変化』とういうものが、ひどく嬉しかったようだ。

お隣を『物』としてしか見ていない男だったが、恥ずかしげもなく隣のランタンに、「おい!」と、人を相手にするように声を掛けた。もちろん返答を期待した訳ではなく、自分自身に問いたのかもしれない。しかしそれは、

「ああ」という返事で男は驚き、それ以上に嬉しかったようだ。どんなカラクリかは知らないが、数年ぶりに聴く『人の声』と反応が、狂いそうになるくらい嬉しい『出来事』になった。そこで、

「よお! お前は誰だ、名前はあるのか、どうしてここにいる、どうやってここに来た? なんで話せるんだ……、よお、なんか言えよ」と矢継早に問い掛けたが、それっきり黙りになってしまった。それでも男は何かを喋るまで待ちに待ったが、静かな時間が過ぎるばかりである。それで男はもう、あれは聞き間違い、気のせいだったと自分を笑うしかなかった。

そうして失望し、独り笑いをしていると、

「わああああああああああぁぁぁあああぁぁぁあああぁぁぁあああぁぁぁ」と叫び出した隣のランタンである。これに最初は喜んだ男であったが、それがずっと続くとなると話は変わってくる。塞ぐ手も耳もない男にとってそれはただ煩いだけで、冷めきっていた男の感情を一気に沸騰させるには大して時間は掛からなかった。

それでも、もし隣のランタンが自分と同じ境遇なら、叫ぶのも、叫びたい気持ちも理解できただろう。しかし、自分も同様にランタンの姿をしていると知る由の無い男にとっては、近くに壊れたおもちゃが叫んでいるのと同じことだった。だからこれは自分に対する何かの拷問なのだろうと考えたようだ。

男にとってそれが耐えられるかどうかには関係なく、隣のランタンは三日三晩叫び続け、一日休んではまた三日三晩叫ぶ、を繰り返した。そしてそれを三回繰り返した後、今度はゆらゆらと揺れ始めた。もちろん隣にいる男もその勢いで一緒になって揺れることになり、「いい加減、勘弁してくれ」と怒鳴るも、一向に止める気の無いお隣さんである。それでも、どんなに隣が揺れようとも隣とカチ合うことはなく、ただただ迷惑千万な隣であった。

そうして、どのくらいの時が経った頃だろうか、その揺れがピタリと止まった。その訳は隣を吊るしていた紐が切れ、地面に落ちたからだ。そして二度と騒ぐことも動くこともなく時だけが過ぎていったが、その時、男は落ちたランタンのガラスに映る自身の姿を初めて目にすることとなった。それはさぞかし男にとって衝撃的な出来事、と思われたが、意外にも冷静にそれを見つめた男である。それはきっと、どこかの時点で分かっていたことなのかもしれない。それはさておき、地面に落ちたランタンは、その直後に炎が消え、その後30年程で土の中へと埋もれていった。それはランタンが落ちた瞬間に、生命というか存在そのものが消えたのだろうと男は推測したが、勿論それを確かめることは出来るはずはなかった。

ただ、この事で男は何もせずに朽ち果てて行くランタンを見ていただけではない。男も何とかして自身を動かす術を見つけ、ブンブンと自身を振り回してみたが、一向に吊るしている紐が切れるようなことはなかったようだ。もしそれが可能であったならば、きっと男はこの『何も無い』時空から解放されたことだろう。しかしそれが叶わなかったのは、まだ何か、若しくは全てが許されていないからだろう。その疑問、隣がいとも簡単にこの世界を抜け出せ、自分がそう出来ない疑問をずっと考え続けた男ではあったが、その答えが見つけられないのも罰の一つだと考えるようになった。



あれから数百年の時が過ぎた。流石にここまで時間が経つと、男はもう『人』であった記憶も薄れ、ランタンそのものになりかけていた。それでも見えるものは見え、時折吹く風の音と、時計塔が刻む針の音は聞こえていた。そして、およそ思考するということが無くなりかけていたが、それでも全く無くなった訳ではなかった。それは、廃人のようになる前に必ずと言っていい程、電気療法のように何がしらの覚醒があり、その度に何度も恐怖と絶望を味あわせられていたからである。まさしく『生き地獄』といったところだろう。

更に数百年の時が過ぎた頃、やっと男の隣にランタンが現れた。そして隣のランタンはすぐに男のランタンに声を掛けたが男は返事をしなかった。それは無視していたのでなく、単に気がつかなかったからのようだ。深く心を閉ざしていた、いや、閉ざそうとしていた男は、ほとんど刺激に対して無感覚に徹していた。だから、

「おい、おい!」と声を掛けられてもそれが声だとは認識することはなかった。それが夢なのか、それとも現実に起こっていることなのかさえ判別するのが難しいようである。

声を掛けた方はランタンに話し掛けたことをバカらしく思ったようだ。勿論それは正常な反応と言えることだが、どうやら隣のランタンは自分も男と同じランタンの姿をしていることにいち早く気が付き、同じ境遇であろうと思って声を掛けたのだが、それが間違いだったことを残念に思ったようだ。それで、

「なんだよ、ただのランタンかよ」と捨て台詞を吐いたところで、男が反応しようとしたらしい。そのらしい(・・・)というのは男も漸く隣のランタンに気が付き声を出そうとしたが、何せ数百年の間、一言も言葉を発しなかった男である。声の出し方を忘れてしまったといえば、それも無理からぬことだろう。それでも、

「う……、う、う」と呻き声のような音を捻り出した男である。

「なんだ、生きてたのか、まあいいか。これで退屈しなくて済みそうだな」と隣のランタンは言ったが、『生きている』という表現が正しいかどうかは疑問の余地があるだろう。だが、そんな疑問もここでは『些細』なことであることに直に理解するはずだ。

男はそのままの勢いで泣き声を上げたが、もし涙を流すことが出来れば、きっと雨のように降らしたことだろう。そんな男の声に隣のランタンはただ気色悪いと思ったようだ。

隣のランタンに関していえば、出現早々に『男』という比較対象があったことと、最初から孤独を味合わなかったせいで、割と人としての意識を保つことが出来たのだろう。これがもし男にも『先人』が居れば、かなり状況は変わっていたはずだ。



こうして仲間を得た男たちは、それこそ四六時中、話し続けた。それしか出来ないのもあるだろうが、男たちにとっては、それが唯一の慰めであったからだ。話しの内容は取り留めのないものばかりだったが、ネタが尽きると、それぞれの誕生から人生の最後までを語り合うようになった。しかしそれも数日しか持たず、暫く間を置いて、それぞれが隠していた秘密のような事まで披露するようになったが、それも数日で尽きてしまった。そうして全てを語り尽した後、隣の男にもここでの本当の恐怖と苦痛が襲いかかる。そう、何もしない、何も出来ない、ただ時が過ぎて行くだけの空虚が男たちを支配していったのである。

こうなってくると、隣に仲間が居るということにも意味は無くなり、己の限界が訪れるたび、どちらかが狂ったように叫ぶだけであった。そしてそれを、煩いとか癪に障るといった感情も枯れ果てて行くようである。しかし、ここの理はそれを許しはせず、一気に正気に戻されることがあり、何度でも『時』だけが過ぎて行くのである。それを知らしめるための時計塔、といったところだろうか。

語り尽くしたことで何も語ることが無くなったが、何も考えることが無い、とは少し違うようだ。それはもちろん未来の事ではなく、過去に起きた出来事、思い出を繰り返し思い浮かべることは出来た。それは、男にとってどんなに時が過ぎようとも、思い出をかき消すような新たな出来事が、ここでは起きないからだろう。どんなに古い記憶でも、それを何度も思い出すことで記憶の新陳代謝が起こらず、またその記憶に縋ってもいた男である。

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登場人物紹介

スライム

異世界でスライム生を謳歌している俺。

ゴーレム

異世界で少女を守りながら戦う俺。

ゴーレムの創造主
自称、魔法使い。ゴーレムからは魔法少女 または 魔法おばさん または ……

エリー

エルフの私です。
エルフの里で育ち、エルフの母に姉と弟、それに友達も皆、エルフです。
耳は長くはないけれど、ちょっとだけ身軽ではないけれど、
すくすくと育った私です。
だから私はエルフなのです。

ステンノー

ゴルゴーン三姉妹の長女

エウリュアレ

ゴルゴーン三姉妹の次女

メデューサ

ゴルゴーン三姉妹の三女

シルキー

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