第30話 一年前に 

文字数 1,166文字

 次の日、僕は明紋義塾(めいもんぎじゅく)大学大学院のウイルス学研究室を訪れた。ここで電子顕微鏡に(かじ)りついていたのはほんの数か月前。ウイルスの存在を確認し、日々分かることが増えていったあの頃は、それが世間にも役立つのだという確信があった。そしてだからこそ、毎日が面白かった。
「あっ、棚上(たなかみ)くん、久しぶりだね。今日はユー、何しに来たのかな?」大学院生の大芝(おおしば)先生に声をかけられた。大芝先生もサイエンス部の卒業生で面倒見がよく、部員たちの指導をよく買って出てくれる。が、英単語を交えた話し方が面白く、時々ふざけているのかとさえ思うのだが、本人はいたって真面目だ。
「もしもプランがノーな時は、そうだ、これをウオッチしてくれないか?」
 そう言って大芝先生はパソコンの画面を切り替え、ある動画を表示した。
「これはミーチューブのムービーだけど、ほら」
 大芝先生が三角のボタンをクリックすると、その動画が始まった。スペイン語かイタリア語のようだが、英語の字幕がついている。僕でもなんとか理解できそうな英語だ。喋っているのは中年の男女。夫婦のようだ。そして話しているのは、自分の娘のこと。何でも、急に大人びてしまい、手がかからなくなった。何も言わなくとも宿題をするようになり、起こさなくとも朝目を覚まし、学校に出かけていく。どうやら十歳にも満たない子のようだ。
「上の子は高校生くらいでようやくこんな感じになったのに、下の子はこんなにも違うのだろうか?」この両親は嬉しいというよりも、戸惑いが大きいようだった。ここまで観て、大芝先輩が口を開いた。
「これはワンイヤーアゴ―なムービーだ。まあきっと、このガールは新型オトナウイルスがギブンなんだよね。でもさ、それをグラッドじゃないのが明らかだよね?」
「あの頃は、これがウイルスの影響かどうかはっきり分かっていませんから、その症状を見たら驚き、戸惑って当然ですよね?」
「そうなんだけど、バット、コンティニューしようぜ」
 動画の中のお父さんが喋り出した。
「このまま大人っぽい状態が維持されるなら、僕は心配だ。上の子は僕ら夫婦と十分なぶつかり合いをして大人の世界へと入っていったと思っている。でもこの子は、それがないまま大人になる可能性があるってことだろ?」
 僕はその英語を目にして、我に返った。これは正に、昨日僕の両親が話していたことだ。つまり反抗期を経て大人になるという、その過程をすっ飛ばしてしまうことの是非。
「この頃はウイスルだとノットアンダースダンドだったけど、オールオーバーザワールドで感染者はいた訳だ」大芝先生は尚も続ける。
「これをストップしないと、みんなノーマルな大人になれないことになるかもしれない」
 ミクロな世界でマニアックに生きる大芝先生も、社会的な影響を考えるような動画をみているのかと思うと嬉しくなってきた。
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