第27話 誰かの意向

文字数 1,167文字

 水島(みずしま)先輩の問いかけに、僕は立ち止まった。そうか、確かに。面白そう、と思って選んでいるのも事実だけれど、本当にそれだけだろうか。これを選べば面白いと言ってもらえるのではないか。みんなが注目してくれるのではないか。先輩や先生たち、あるいは周りの大人が褒めてくれるのではないか。そういう要素が無い、と断言できるサイエンス部員はきっといない。もちろん僕だってそうだ。
「何か気が付いたかい、棚上(たなかみ)くん?」
 伊佐原(いさはら)先輩のまっすぐな瞳が僕を見つめている。体つきは大人のように精悍なのに、こんなに純粋な眼をしているのか。思わず僕は見惚れてしまった。視線を外さない伊佐原先輩に、僕は頬に熱が集まるのを感じてしまった。
「どうした? 棚上くん。言いたいことがあれば遠慮はいらんぞ」
 水島先輩の声に遮られ、僕は正気に戻った。
「確かに、先輩方のおっしゃっていることが何となく分かってきました。つまり研究の動機も好奇心からだけではない、と」
「そうだろう。実は文学だってそうさ。書きたいことがある。でもそれは読者の心に響くのか? 響かないならどうする? そうだ、響くであろうことを書く。そうして読まれるようになって、ようやく」水島先輩が言葉を詰まらせた。何か思いがあるのだろう。
「水島先輩は天才だが、この僕などはその苦労の連続だ。文学賞に選ばれるようなものを作る。読者が買ってくれそうなものを書く。そこに編集者や出版社が絡む。彼らのアドバイスは概ね的確だ。結果的に売れる。学生の僕らにだって、売れるなら付く。それがビジネス」伊佐原先輩も言いながら何かを思い出しているようだ。
「えっと……」何か言おうとしてみたが、言葉がつながらない僕を抑えて、水島先輩が続けた。
「つまり君らの世界でも、その研究が純粋なものだなんて思わないでほしい、ということさ。ああいう政治家の意見も、研究成果の曲解が多いのかもしれないが、そうとも言えない。彼らの意見に沿うような成果を出す研究にカネと人が集められてしまうこともある」
 その言葉を聞いて、僕は体の力が抜けていくことを自覚した。そういう面は確かにあるだろう。いや、カネが動くというのは、そういうことなのかもしれない。明紋義塾(めいもんぎじゅく)のサイエンス部には潤沢な部費があり、中学生高校生がそのお金で自由な研究をやっているつもりだった。だが、その資金を出す人の意向を完全に無視できるとは思えない。
「棚上くん、ちょっと疲れているようだね。今日はこれで終わりにしよう。明日もちょっと顔出してくれるかな?」
 伊佐原先輩にそう言われ、力なく頷いた僕は、資料室を出た。図書館では依然として学生たちが熱心に書を繰り、ペンを走らせている。僕は振り向かずに階段を降り、建物の外に出た。春の夕焼けが綺麗だ。すぐに部室に行こうとは思えず、図書館前のベンチに腰を下ろした。
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