冬至まつり800
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俺は今、独りで山深い温泉宿にいる。
妻とはつい先月別れたばかりだが、沢の音を聴きながらこの露天風呂に浸かれるなら、些末な問題だ。
「お加減は?」
飲み物を持って、女将がやってきた。
俺と年は近く、四十前。”女将さん”と呼ぶにはまだ早い。
「ん? 俺、たしか日本酒を」
女将はワインクーラーとグラスを二つ、それと、柚子の載ったクリスマスケーキの載った盆を、俺の傍らに置いた。
「これは?」
「お礼ですよ、お一人になられたのに、また来て下さるなんて」
「おかしい、ですか?」
「ご夫婦で利用して下さっていた方は、別れるともう来なくなるんですよ」
ああ、そういう――
「何言ってるんです、学生の頃は毎年バイトに来てたじゃないですか」
「そうね。でも卒業されてからしばらく来ないと思ったら、奥さんを連れて戻って来るなんて……」
女将は目を伏せた。
「え?」
俺は戸惑った。
「やっぱり、都会の人と、こんな山奥の温泉宿の娘なんてご縁はなかったんですよ。そう思って、吹っ切ったつもりだった」
「……それって」
彼女は儚げに笑った。
俺は、胸をぎゅっと掴まれる感覚に戸惑った。
「まさか……」
微笑む彼女。
「俺、ですか?」
彼女は微かに白い歯を覗かせた。
「ごめんなさい……知らなくて」
「いいんですよ。それに、もう」
彼女はグラスにワインを注いで差し出した。
「早めのクリスマスパーティ、してもいいですよね?」
「はい」
おどろくほど小さな声で、俺は応えた。
「何度も……その、つらい思いをさせて」
「いいの。時々、来てくれたらそれで」
俺はただ頷くしか出来なかった。
彼女がまだ女将じゃなくて、自分もただの学生で。
何もなかったのは、俺だけで。
「勝手なこと言ってごめんなさい。だけど、ここにいる間だけでも、そばにいてもいいですか」
断れるわけないじゃないですか。
「女将さん……いや、妙子さん、と呼んだ方がいいですか」
少し間を置いて、
「――はい」
湯気と甘酸っぱい香りの中で、乾杯。
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