冬至まつり800
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ゾーエとゾエア Fujiki
夕方、ゾーエの部屋を訪ねた。手土産はビールとタラバガニだ。
「ありがと。カニ鍋にしよっか」
と彼女は言った。正確に言えば、タラバガニはカニではなくヤドカリの仲間だ。でも僕は何も言わなかった。ゾーエは訂正されることをひどく嫌うからだ。
つけっ放しにされたテレビからは冬至の日に起きたインドネシアの津波のニュースが流れていた。今朝の新聞に載っていた数字よりも死者数が増えている。僕はすぐにチャンネルを変えた。フィギュアスケートの全日本選手権が画面に映った。無邪気な顔立ちの選手が優雅に氷上を滑る。これがいい。イヴに暗いニュースは見たくない。
ゾーエと僕は鍋にタラバガニを放り込み、それをつまみにビールを飲んだ。外は寒かったがゾーエは暖房をガンガンにかけて半袖の服を着ていた。酩酊した僕の目は、彼女の色白の腕をタラバガニの甘くて柔らかい脚のように錯覚した。
まだ外見には表れていないが、ゾーエは卵を腹に抱えた母ガニだ。本人はそんなことを気にする様子もなく次々とビールを空けていく。彼女の脚を開く予感が下半身を熱い鉄の塊に変えた。
タラバガニの雌は約一年間抱卵する。春になり、一五万から四〇万個の卵が孵化すると雌は幼生を浅い海に放つ。海中を漂流する幼生はゾエアと呼ばれる。ゾエアは波間をたゆたい、あらゆる物を餌にする。自分より小さなプランクトン。海藻の切れ端。魚や動物の死骸。流出した赤土。朽ちた木材。重油や化学薬品、放射性物質。沖合に押し流された腐乱死体は海流に運ばれ、無数の細かい肉片となってゾエアの口に入る。
「ねえ、食べ過ぎたの?」
トイレに駆け込んで嘔吐する僕を心配してゾーエが様子を見に来た。
「そうかも。でも大丈夫」
洗面台で口をすすぎながら僕はそれだけ答えた。彼女と交わしたディープキスの後に残ったタラバガニの生臭さが総毛立つ連想を呼び起こしたことは黙っておくことにした。事実を話しても聖夜が台なしになるだけだ。
Fujiki
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