第55話
文字数 2,851文字
アブセスは緊張していた。思っていた以上に大役だったからだろう。
「私だけで捕まえることができるでしょうか? 相手には大勢の味方がいるのですよね?」
「もちろん、おまえ一人に捕まえさせるわけじゃない。ちゃんと、そこは考えている。ブラゴール人にとって、ユイラは住みやすい国ではないからな。それはこの砦でも同じだ。それならいっそ、正統な皇族に殉ずるというのは、若い男なら誰でも見たくなる夢じゃないかな。
まあ、じっさいに危なくなれば逃げだす腹づもりだろうし、おそらく、砦にいるブラゴール人の少なくとも半数はついていくだろう」
クルウがうなずいて補足する。
「わが隊のアブンハザールほか三名も除隊を申しでております」
「ああ。しかし、数は問題じゃない。クオリルさえ捕まえられれば、あとは
おれは今から別件をよそおい、カンタサーラ城へ出むく。森の途中で合流しよう。砦を辞める部下を、もとの上官がたずねるのは自然だろう?」
「は、はい」
「くれぐれも、ヤツらにこっちの作戦を気どられるな。おれがおまえを探して、クオリルと出会うのはぐうぜんだ。酒盛りでもして足止めしておこう。そこへ砦から追っ手がかかるようにしておけば、証人の身も安全、コーマ伯爵の面目も立ち、ハシェドの命も救われる。やってくれるな?」
「はい!」
返事はよかったが、不安そうだった。
ほんとうなら、こういう腹芸の必要な役目は、クルウのほうが適している。しかし、クルウは以前にブラゴール人の調査をしているので、クオリルに顔を知られている可能性がある。クルウにたのむわけにはいかない。
ワレスが心もとなく思っていると、ベッドの手すりから顔をのぞかせて、ユージイが言った。
「それなら、おれも行こうか? おれはどうせ砦を辞めることになってたし、誰も不思議に思わない。一人より二人のほうがいいだろう?」
「……おまえがいることを、すっかり忘れていた」
「おれ、こう見えても小芝居はうまいほうですよ。それに、おれは正規兵だから、ブラゴール人には顔を知られていない。さっそく使ってください」
「ふうん。じゃあ、たのむかな」
そういう相談で、アブセスとユージイが除隊者のなかにまぎれこんでいた。
二人はワレスの隊から辞めていくブラゴール人三人と連番で同じ隊になっている。隊には予定どおり、クオリルもいる。
本来は除隊申請の順に番号をふられるので、こんなに都合よくはいかないが、こっちには城主がついているのだから、そこらへんは意のままだ。
クオリルは彼の父の代からの従者と思われる、やや老けた感じのブラゴール人二人と、少し離れたところにいた。
「アブセス。今までよくやってくれたな。今日はおまえの門出だ。隊長のおれも祝ってやらなければ。ドータス、そのへんの商人から、これで酒を買ってこい。砦帰りでも多少の売れ残りはあるだろう」
ワレスが金貨をとりだして渡すと、ドータスはニヤニヤして走っていく。ドータスとホルズには計画を話していないから、ただで酒が飲めると喜んでいるのだ。
すでに、アブセスは泣き顔だった。嘘でなく辞めさせられると思ったのかもしれない。
「……隊長は本丸をさわがせている魔物の件で、カンタサーラ城へ行かれたのですよね。成果はあったのですか?」
泣きべそをごまかすように言ったので、これは好都合だ。砦にいるはずのワレスが、なぜ、こんなところに現れたのか、クオリルたちは疑問に思っていただろうから。
「うん。行かないよりはマシというところかな。しかし、それで思いついたことがある。どうも、ヤツには獲物を選ぶ基準がある。それについて伯爵閣下に報告に帰るのだ」
「解決の目処はつきそうですか?」
「心配してくれるのか? 優しいな。砦を辞去するおまえには、もう関係のないことなのに、おれの身を案じてくれるとは」
「そんな……」
アブセスが泣きだしたので、ワレスはギョッとした。
「やっぱり、イヤです! まだ帰りません。隊長のおそばにいさせてください!」
ワレスの演技が自然すぎて、お芝居と現実の区別がつかなくなってしまったようだ。わんわん泣きながら、ワレスにしがみついてくる。
「あなたは私の憧れです。あなたみたいな人の下にいられて、私は幸せ者です!」
「バカなヤツだな。泣くことがあるか。おまえには国で待っている父母がいる。帰れるうちに帰るものだ」
あきれながらも、ワレスは嬉しかった。
ワレスの気持ちをこんなにやわらかくしたのは、ハシェドだ。だが、今では砦の暮らしそのものが、とても愛しかった。
可愛い部下。慕ってくれる少年たち。
友人で想い人でもあるハシェド。
おかしな言いかただが、砦はワレスにとって故郷だ。部下たちが、ワレスの家族だ。
(ほかに行き場のないおれに、居場所をあたえてくれた。できれば、ずっとこのまま、砦にいたい)
ワレスがアブセスの背中をたたいていると、酒びんを何本もかかえたドータスがもどってくる。
「あれ、なんだ。坊やは泣いちまったのか」
「そうなんだ。晴れの門出だというのに、これでは湿っぽい。さあ、飲もう。ほら、アブセス。みんなで乾杯だ。ホルズ、ドータス、おまえたちもな」
ワレスの元部下は、アブセスだけではない。ワレスはブラゴール人のアブンハザールたちにも酒をすすめた。
「おまえたちもな。なれぬ異国でよく働いてくれた。ブラゴールに帰っても元気でやれよ」
そう言って、アブンハザールたちに盃をまわすのは、隊長なのだから、あたりまえだ。
ついでに彼らと同国人のクオリルにすすめるのも変ではなかったろう。これが平素であれば、ユイラ人がブラゴール人を酒に誘うなんて、考えられないことだが。
「あんたもブラゴール人だな。これも何かの縁だ。いっしょに飲んでくれ。祝い酒だ」
ブラゴール語で話しかけるワレスに、最初のうちクオリルは慎重だった。
「いや、けっこうです。ブラゴール語がお上手ですね」
「ああ。学校で第二外国語に選択したのだが、こんなところで役立つとは思ってなかった。グラノア語も話せるが、さすがに砦にもグラノア人はいないな」
言いながら、勝手に夕食用の木のコップに酒をそそぎ入れ、クオリルの手に持たせてしまう。
こうして酔いつぶしておけば、砦からの追っ手が到着したとき、かんたんに引き渡せる。
目に見える範囲で追っ手がつけていけば怪しまれる。離れて追わせるよう、伯爵と話してあるから、そろそろ来るころかもしれない。
クオリルは強弁に断るのは不審に思われると判断したようだ。手にしたコップを、ゆっくりと口につけた。
が、そこへ——
「ワレス小隊長。いつまで隊を離れているつもりだ。いかに別れを惜しむとはいえ、大事な任務の遂行中だぞ。個人的行動はひかえてはどうだ」
よりによって、サムウェイがやってきた。