第58話
文字数 1,962文字
終わりは少し、物悲しいような……。
翌朝。
ワレスたちが砦に帰ったのは、長い一夜が明け、ようやく追いついてきた援軍に、後処理を任せてからのこと。砦についたときには昼すぎになっていた。
ジアン中隊長とはそこで別れ、報告のために伯爵の御前へ通された。今日は正式な謁見なので、伯爵は大広間の玉座にすわっている。ワレスの言葉を聞いて、伯爵は手放しで喜んだ。
「よくやった、ワレス小隊長! しとめてくれたか。魔物も皇子も二つ同時に。どのように解決したのだ? 話すがよい」
伯爵に問われて、ワレスは語りだす。
あのとき——
「危ないッ!」
ワレスが叫んだときには、すでに遅かった。
地中を這ってくる、あの白い腕が、クオリルに何重にもまきついていた。
クオリルは抵抗しなかった。抱擁するように腕をのばして、ひとこと、つぶやいた。
「お母さん……」
のちになってわかった。
クオリルの母はやはりユイラ人だった。追っ手からクオリルをかばって死んだということが。
——ぼうや。なぜ泣くの? お母さんはここよ。
——お母さん。みんなが、ぼくをバカにする。ぼくの肌は黒いって。お母さんはブラゴール人の子どもを生んだ恥知らずだって。
——泣かないのよ。ぼうや。お母さんはずっと、おまえといっしょ。
——お母さん。もう……どこにも行っちゃイヤだよ?
——どこにも行きませんよ。可愛い可愛い可愛い子。泣くのはおよし。お母さんが抱っこしてあげる。ほっぺにキスしてあげますからね。
それは、たぶん、クオリルが呼んだ幻影。
母を求めるクオリルの心と、子を求める大地の精霊の……。
「木霊……ではないかと存じます。あの木はその名のとおり、千年は生きてきたであろう大木。年古りた木には木霊が宿るとか。人をひきこんでいた白いものは、木の根が変化したものでした」
「それにしても、よく、その木だとわかったな。森には古木など、数えきれないほどあるのに」
「初めに気づくべきだったのです。あの木のまわりには、風で花粉が飛ばされる範囲内に、雄株がありませんでした。あの木は
「自然の理にそむくわけだ」
「魔術師に調べさせていた魔物の一部が植物だとわかったとき、その異常に気づきました。いったい、あの木はどうやって実をつけたのか。ほんの一瞬早ければ、クオリル皇子をあのようにはしなかったのですが……」
広間には、サムウェイもいた。ワレスの説明を聞いて、肩身のせまいようすをしている。
ワレスの最初の計画が成功していれば、クオリルも無事だっただろう。
クオリルは——二度と目ざめることがなかった。
クオリルの姿が地中にひきこまれると同時に、ワレスは千年樹の巨木に切りつけた。
不思議なことが起こった。
ワレスの裂いた木の幹から、人の顔がのぞいた。
樹皮をめくってみると、幹のなかには数十人の男がとじこめられていた。みんな、幸せそうな顔で眠っていた。まるで母の胎内にいるかのように、両手をにぎって、丸くなって。
一人ずつ順番に、うろから出すと、目をさまして、なかには泣きだす者もいた。
「夢を見たんです。母の夢を」
全員に聞いてみなければ定かではないが、おそらく、そこにいた者たちは、幼いころに母を亡くしたか、生き別れた男たちなのだ。ワレスやユージイがそうだったように。
「彼女は数百年という長いあいだ、誰にも知られず、ひっそりと花を咲かせていた。十年に一度しか咲かない花を、実らせることなく、むなしく散らしていた。どうしても子が欲しかった。そんな思いが彼女を木霊にしたのだと思います」
兵士たちを助けだすために、千年樹は切りたおされ、切り株だけになってしまった。
最後に木霊は満足したのだろう。
誰よりも強く、母を求めるクオリルに出会って、昇華したのだろうか?
クオリルの心もいっしょに持っていってしまった。
すぐに外に出したが、体は無傷であるにもかかわらず、クオリルの意識はもどらなかった。
「供養の碑は建てるにしても、根ごとほりおこさなくてよかったのだろうか? そなたの話では根の部分が人を襲い、捕らえていたのだろう?」と、伯爵は首をかしげるが、それについて、ワレスは案じていなかった。
「クオリルが千年樹の種をにぎりしめていました。種の段階では断言できませんが、私の勘では雄株の種ではないでしょうか。切り株のとなりに植えてやってはいかがでしょう。あの木は挿し木で増やせるそうです。雌株の枝を植えておけば、花が咲くころには、雄株も育っておりましょう。となれば、人間相手に悪さすることはなくなるでしょうから」
あの種がクオリルの魂ではないかという気が、ワレスにはしてならない。