第72話 ワレスの秘密 4
文字数 2,208文字
少年はあきらかに人ではなかった。
少なくとも、あたりまえの人間ではない。
ぬけるように白い肌。
赤い両眼。
整った可愛らしい面差しだが、髪の色はワレスがこれまで一度も見たことのない、やわらかな薄桃色だ。赤毛と言える
体にまといつくような薄絹のローブの上に、上半身のすべてを覆うほどの見事な首飾りをつけている。目をみはるような大粒の宝玉がいくつもきらめいていた。
だが、その中央の座金には、そこに入るべき石がない。その台座だけの左右には、貴重な宝石の数々のなかでも、ひときわ美しい青い石が嵌められていた。満天の星空をとじこめたようにキラキラと輝く不思議な宝石だ。しかし、一対のうち一つはくだけていた。
少年は残念そうに、その石を座金からむしりとった。
「まったく同じ石が二つも手に入るなんて、めったにないことだったのに、ごらんなさい。あなたのせいで、こんなことに。これはお返ししますよ」
少年が手のなかで粉々にした石を息にのせて飛ばす。それはハシェドの胸に吸いこまれていった。ハシェドのおもての苦悩が深くなる。
「その石は、人の想いの結晶なのだな?」
ワレスがたずねると、少年は自慢げに赤や白や緑のめずらしい宝石をいじりながら笑った。
「そうです。素晴らしいでしょう? どの一つをとっても、世界中のほかのどんな宝玉よりも美しい。色、形、この輝き。希少石だって、私のコレクションの前では色あせますよ」
それはそうだ。
人が人を想う真摯な愛の輝きにまさる宝石など、どこにあるだろう。
ワレスは唇をかんだ。
「それらの石のすべてが人の想いだと言うのなら、持ちぬしたちにとっては言葉につくせないほど大切な想いだったはずだ。おまえは自分の身を飾るためだけに、その想いを奪ったのか?」
少年は哀れむようにワレスをながめた。
「私はむりやり奪っているのではありません。彼らのほうが、それを望んだのです。私のもとへ来るのは、愛することに深く傷ついた者たちばかり。彼らが忘れたいと言うので、私は私にできることをした。それだけのこと」
「恋を叶えるなんて、まったくの嘘なんだな?」
「そうでもないでしょう。私にできるのは、つらい恋を忘れさせることだけですが、むくわれないのならば死にたいと感じるほどの悲しい想いを後生大事にとっておくより、彼らは幸せになれたはずですよ。私が忘れさせなければ、自ら命を絶つ者も多かったはず。そういう意味では、私は彼らの願いを叶えている」
そう言われれば反論できない。
アーチネスのあの笑顔を見れば、たしかに少年の言うとおりだ。
「アーチの想いも、そこに——」
「ええ。二つの対の一つ。幾千もの光の粒が石のなかで絶えず輝き、澄みわたる鮮やかなブルーに複雑な陰翳をつけている。青い光の粉をたえまなくふりまいているような神秘的なきらめきを持つ石。あなたの瞳とそっくりですね」
ワレスの体のなかで瞳が一番好きだと言った、アーチネスの想いの結晶だからだろうか。
あのときのアーチはほんとに可愛かった。
ワレスは見事な宝石となった彼の想いに、最後の別れを告げた。
おれはおまえに、こんなにまで愛される資格なんてなかったのに。
さよなら。アーチ。
お幸せに。
「たしかに、アーチは今のままがいい。おれは二度と彼に会うこともないだろうしな」
二人の会話を黙って聞いていたハシェドが、そのとき口をひらいた。
「じゃあ、おれは? おれはどうしたらいいんですか? おれがまた隊長に恋をしたから、以前の想いがよみがえったというのなら、もう忘れることはできないのか……」
少年は対の一方がなくなった台座をなでた。
「あなたが望むなら、もう一度、想いの結晶をとりだしてあげてもいいですよ。私もここに入れる石が欲しい」
ハシェドはワレスのおもてを流し見る。
ワレスは首をふった。
「よせ。ハシェド。恋心も込みで、おまえなんじゃないのか? おれは今のままのおまえが好きだよ」
「隊長の好きは友人としてでしょう? それなら、おれも同じであるほうが、うまくいくと思いませんか? なまじ恋なんてしてるから、期待したり、失望したり、そのたびに変な行動をとって、あなたを困らせる」
「でも、おまえは友情だけになると、おれをすてて砦を去ってしまうじゃないか」
ハシェドは黙りこんだ。
しだいにその目に涙が盛りあがってきた。
「でも……つらいですよ。いつか、あなたが誰かを愛して、行ってしまうんじゃないかと思いながら、そばにいるのは」
「ハシェド……」
ハシェドに愛されたいと思うのは、ワレスのわがままだ。
ワレスはハシェドに思われていることを知っていて、自分だけ本心を隠している。自分はハシェドの愛にひたりながら、ハシェドには不安な思いをさせている。
「すまない……」
やはり、このまま、ハシェドを行かせるべきなのだろうか?
ワレスの運命から彼を解き放つためにも。
頭ではわかっていても、思いはゆれる。
ワレスのもとに引きとめておくことが、ハシェドのためにならないことは百も承知なのに。
ワレスの迷いを感じたように、少年がワレスに迫ってきた。
いつのまにか室内には、ワレスと少年の二人きりになっていた。その姿も、もはや少年ではない。ワレスより背の高いたくましい青年だ。
「あなたに彼を止めることができますか? むしろ、忘れたい想いをかかえているのは、あなたのほうでしょう?」