第59話
文字数 2,138文字
伯爵はため息をついた。
「それなら、よかろう。クオリル皇子は残念だったが、ほかの兵士たちは、みな生きていたしな。それに、クオリル皇子にとっても、むしろ幸せだったかもしれない。これよりあとの彼の人生は、つらいだけのものだ」
ブラゴールへ送還され、処刑される。殺されるためだけに今を生かされているのだ。
クオリルについていこうとしていたブラゴール人たちは、そのままブラゴールへ帰る者もいたが、ほとんどは砦にひきかえしてきた。クオリルにだまされたという気持ちが強かったのだろう。
ワレスの部下のアブンハザールたちも平身低頭で謝罪した。
砦に日常がもどってくる。
ただ、ハシェドのことだけが気がかりだ。
ハシェドが皇子ではないことは証明された。しかし、皇子をかばって真偽を
「伯爵閣下に一つだけ、お願いが」
「褒美か? よかろう。なんでも許すぞ。昇格ならば待て。今、あきがない。だが、近衛隊ならば、文句なく総隊長にしてやるぞ。うん?」
「そのお話なら辞退いたしましたはず」
「給金は今の倍。いや、三倍にしてやろう。それでも、ダメか?」
「はい」
伯爵はうなったあと、物は試しというように、そっとつけたす。
「五倍なら、どうだ?」
だが、今のワレスは巨万の富にも心を動かされない。
「私の望みはご承知のとおり。たった一つ。ハシェドの身柄であります。皇子をかばい、偽証いたしましたこと、なにとぞ不問に付してくださいませ」
まじまじと伯爵はワレスの顔をながめ、やがて長々と嘆息する。
「そなたのおかげで、私は皇帝陛下のご希望にそえる。ヘリオン伯爵にも顔が立つ。砦の人員はこの事件のために失われずにすみ、万々歳だ。陛下からは、おそらく、そなたに鷹十字勲章の一つも賜るだろう」
鷹十字は双獅子、翼の蛇、金の薔薇、銀の百合などとともに、騎士にとってもっとも名誉とされる勲章だ。よほどの功績をあげなければ得られるものではない。たいていは砦で殉職した将官などに贈られる。生きて本人が目にすることは、ひじょうに栄誉なことだった。
「それは……光栄至極にございますが……」
「そうだろうとも。私だって、もらっていない。いや、うらやんでいるわけではないぞ。そなたは、それだけの誉れを立てた。なおかつ望むのは友の命かと、あきれているのだ。そなたに思われる友人は果報だな」
「では、おゆるしいただけますか?」
伯爵はため息まじりに、うなずく。
「陛下がお探しなのは、アッハド皇子とその息子であって、なんとかいう巫女の息子ではない。そなたの働きに免じて、この件はなかったことにする」
「無上の喜びであります!」
「礼はよい。そなたが嬉しげなほど、私はさみしくなる。いつでも気が変われば申し出るがよいぞ。待っているからな」
素直な心情をおくめんもなく言えるのは、やはり育ちのよさのせいか。
ワレスは気恥ずかしくなった。
ふと思いついたことがある。
「伯爵閣下のご厚意に甘えて、もう一つ、よろしいでしょうか?」
「うむ。なんだ?」
「碑を建て、木霊の供養をするにつきまして、私も同行させていただきたいのです。まことに危険がなくなるまで見届けたき所存」
伯爵は笑いだした。
「なんだ。そんなことか。それは褒美というより、私からそなたにたのむことだな。むろん、そなたに監視してもらえば、私も安心だ。そなたは大した男だな。仲間思いで責任感強く、有能で、富にも地位にも流されない」
それは買いかぶりというものだ。
ワレスは自分の欲しいものを知っている。それはもう得られたというだけのこと。
満足な結果になって、ワレスは大広間を退出した。
うしろから、サムウェイが追ってくる。
「私にも話しておくべきだったのだ。作戦を知っていれば、ジャマはしなかった」
仏頂面だが、いつもの噛みつくようなようすはなかった。
ワレスは以前ほど、この男が嫌いではなくなっていた。
夜が明けて、砦からの援軍とともに、サムウェイの隊もやってきた。そのなかにはコルトもいた。死んだと思っていた友人のヘイスが生きていたことに感涙するコルトを、サムウェイは叱責しなかった。
除隊者のなかにユージイがいるのを見て怒ったのも、ワレスがユージイをおざなりにしていると思ったからだろう。
表現は違うが、この男も部下を思っていないわけではない。
でなければ、コルトが彼をいい人だと言うわけがない。
ワレスとは別の意味で不器用なだけだ。
「すぎたことだ。うまくいったのだから、もういい」
「失敗は失敗だ。あやまる。だが、私はおまえのやりかたを認めたわけではないぞ。若い兵士はおまえのような男に憧れる。努力もなく、次々に手柄をあげ、見栄えよく、なんでも抜群にこなしてしまう。おまえのような天才にな。誰もが天才になれるわけではないのに。我々のような多くの凡人は、日々、努力しなければならない。それはもうイヤになるほど、コツコツとな」
その言いぶんもわからなくはない。
ワレスは自分を天才だとは思わない。努力だってしている。しかし、その努力は人より少なくてすんでいるのではないかと思う。要領はいいほうだ。
「天才にも苦労はある」
ワレスはサムウェイの肩をたたいて別れた。