第38話
文字数 2,570文字
クルウがすました顔で言う。
「あのとき、もっと私をたよってくださればよかったのに、あなたは私をさけて……」
「それを言うな。恥ずかしいことを思いだすだろう?」
クルウは微笑しているから、わざと二人のナイショ話を持ちだしたのだ。
クルウに迫られたときのことを思いだして、ワレスは顔が紅潮してくるのを感じた。
ワレスたちのようすをベッドの上から、ニヤニヤ笑いながら、ジョルジュが見ている。ちゃっかり鉛筆を手に紙までひろげている。
「ジョルジュ! 何を描いている。やめないか」
「赤くなると女の子みたいで可愛いんだね。小隊長の恥ずかしいことってなんだろうな」
ハシェドに似た男をベッドに誘ったなんて、とても言えない。
「なんでもない。今すぐやめないと、たたきのめすぞ」
「それがな。あんたの後見人が、あんたの元気な姿を描いて送れば、ものすごい額の謝礼をくれるって言うんだよ。だから、もうちょっと、こっちにいようかなと」
「クソッ。しつこく砦にいる、ほんとの理由はそれだったのか。霊の仕業じゃないとわかったんだから、さっさと正規隊に帰れ」
「つれないなぁ」
ジョルジュには以前、ワレスの後見人のジョスリーヌを紹介してあるから、ムリをして危険な砦にいる必要はなくなったはず。変だなとは思っていたのだ。
言いあっているうちに、クルウがクスクス笑いながら部屋を出ていく。ワレスは追いかけていって呼びとめた。
「待て。クルウ。調べに行く前に、おれにつきあえ。中隊長のところへ行くんだが、一人ではまた何をされるか」
「用心棒ですね。わかりました」
クルウをつれて、ワレスは階段をあがっていった。
「中隊長。ワレス小隊長です。入ってもよろしいですか?」
「……入れ」
ギデオンはワレスになぐられた顔にアザを作っていた。思ったとおり、ワレスのケガよりヒドイ。入ってきたワレスを見て、不機嫌に言う。
「何がおかしい」
「私は何もおかしくなどありませんが?」
「今、おれを見て笑っただろう?」
「気のせいでしょう」
少なくとも顔には出していないはずだ。腹のなかでは大笑いしているが。
ギデオンはぶすりとして、
「昨日の今日で、たいした度胸だな。なんの用だ?」と、たずねる。
「昨日の続きをしにきたわけではありません。どうか、ご機嫌をなおしてください。私も昨日は言葉がすぎました。中隊長がご立腹なさるのも当然です。なにとぞ、ご容赦のほどを」
「えらく下手に出るな」
「下官に罪人がいたとなれば、私はもとより中隊長にとっても不名誉なこと。そこで、お教えいただきたいことが」
「言ってみろ」
むすっとはしていたが、聞く気にはなったらしい。
「ハシェドが怪しいと中隊長に密告した者についてです。どのような男でしたか?」
「知らん」
「中隊長……」
おとなげない——
ワレスが非難がましい目をしていたのだろう。
ギデオンは笑った。
「手紙が来た。扉の下にはさんであった。ブラゴールの文字が書かれていた。おれはそれを大隊長のところへ持っていき、大隊長は伯爵へ。そして伯爵からおれに、あの男を捕らえよと命令がくだった——そうだな? メイヒル」と、自身の右腕に同意を求める。
この二人は昨夜、愛しあったに違いない。メイヒルは熱っぽい寝不足の顔で、まだ身支度しているところだ。
「はい。そのとおりです。中隊長」
どうやら、嘘ではないらしい。
ギデオンは密告者の顔を見てはいない。
「参考になりました。ありがとうございます」と言ったあと、ワレスはギデオンのどす黒く鬱血した目のあたりを見て、笑いを抑えた。
これまでさんざん苦労させられたぶんのお返しには、ぜんぜん足りていないが、少しは気分が晴れた。
「それと、もう一つ。手かげんしてくださり、かさねがさね感謝いたします」
「きさまは遠慮なくゲンコツでなぐったな。おぼえていろよ」
言いながら、ギデオンは皮肉に笑う。
「今日ならイヤがらない顔をしている。残念だ」
心の内を見すかされて、ワレスはここでも赤面する思いだ。
(くそッ。めざといヤツめ)
部屋を出て、五階へおりる。
「クルウ。ブラゴールでは文字を書ける人間は少ないと言っていたな?」
「はい。商人ですら、正しい文字を書ける者は、ほとんどいません。かわりに庶民は絵文字を使うのです。絵文字と数字がわかれば、たいていのことは表せますから」
「なるほど」
なのに、ギデオンはブラゴール語の密書が来たと言った。
(ブラゴール語だからブラゴール人ということもないだろうが、ユイラ人のなかにブラゴール語を書ける者は少ない。二万の兵士のなかでも、ほんのひとにぎり。魔術師をのぞけば、十指に入るほどか。ずいぶん限定的だな。はたして、わざわざ個人が特定されやすいブラゴール語で書いて、自分が疑われることをするだろうか? むしろ、密告者はユイラ語が書けない……)
ワレスは考えこんだ。
すると、ふいに抱きすくめられて、クルウの唇がおりてきた。
クルウのキスは、ひじょうに巧みでエレガントだ。つい夢見心地になって、情熱的なくちづけをゆるしてしまった。
「バカ。やめろ」
我に返ったのは、かなりたってからだ。
「なんのつもりだ?」
「私も、あなたのお考えどおりだと思いますよ」
ワレスは心のなかで毒づいた。
(どいつもこいつも、おれの思考を読みやがって)
やはり、クルウは油断のならない男だ。味方にしておけば頼もしいが、敵にまわすと手強い。
「おまえは、おれの言ったことだけしていればいい」
クルウは形式だけ頭をさげた。でも、セリフはこうだ。
「くれぐれも中隊長相手にヤケになられませんように」
「アイツ相手に、なぜ、そうなる。どうかしてるぞ。おまえ」
クルウは笑って去っていった。
(おれがヤケを起こすだって? ハシェドの代わりになるヤツなんて誰もいないのに)
ハシェドのことを思うと胸が痛む。
ほんとは見ていた。中庭で、ハシェドが手紙をにぎりつぶしていたとき。
ハシェドの悲痛な表情におどろき、ワレスは目をそらした。
心を落ちつけてふりかえったときには、ハシェドはブラゴール人と人ごみにまぎれこむところだった。
(きっと、あのとき、ふきこまれたんだ)
ハシェドがその人をかばいたくなるような何かを。
おれは、おまえの望まないことをしようとしているんだろうか?
そう思うと、