第28話

文字数 2,039文字



「お召しにより参上いたしました。ワレス小隊長であります」

 広い室内には夕刻前の光があふれ、どこからか花の香りがしている。
 伯爵は椅子にかけていた。
 一人ではない。書記で友人のガロー男爵と、もう一人、ワレスの知らない男をつれている。

「待っていた。ワレス小隊長。もう少しそばへ来ないか? 今日は大事な話があるのだ」

 ワレスより年下の伯爵は、自分の初恋の貴婦人だった、ジョスリーヌの愛人であるワレスに、ほかの兵士にはない親しみを感じているようだ。同じ人を愛した仲とでも思っているのだろう。うちとけたようすで話しかけてくる。

(ハシェドの件かと思ったが?)

 つねにかたわらに置いていた腹心の部下だ。
 それについて、なんらかの処罰があるものと思っていたのだが、どうも、ようすが異なる。

「ラヴィーニ。ワレス小隊長にも飲み物を出してやるがいい」と、小姓に命じておいて、ワレスに手招きする。

「小隊長。ここへ来てすわらないか?」
「よろしゅうございましょうか?」
「そなたの力を借りたいのだ」
「では、僭越(せんえつ)ながら末席をけがさせていただきます」

 よく見ると、ワレスの知らない男は、赤い森林警備隊の制服を着ている。さきほど入城した一隊の隊長だろう。
 チラリとそれを見ながら、ワレスは彼らと離れた下座にすわった。

 伯爵はワレスの顔を見て、やや戸惑った。

「ケンカでもしたのか? 小隊長。顔にあざが……口の端も切れているようだが」

 そう言われれば、口辺が痛い。
 大急ぎで着替えてきたので、顔まで見ていなかった。あれだけ派手になぐりあったのだから、アザの一つ二つないわけがない。

(といっても、アイツ、あれで手かげんしていたんだな。骨が折れるほどの大ケガじゃないし、平手で殴っていたからな)

 にぎりこぶしで殴りかえしたワレスのほうが、よっぽどひどいケガをさせたかもしれない。下官を襲った報復に殴られたなんて、体裁が悪いので、ギデオンも内密にするだろうが。

「お見苦しい姿で申しわけありません。しかし、これはケンカではありません。私の重用していた者のことで、注意不行き届きと上官から叱責を受けました。とうぜんの罰であります」

 森林警備隊の男の手前か、伯爵は言葉をにごす。

「あのことか。あれについては、我々も本日、初めて耳にしたのだ。予想できる範疇(はんちゅう)ではなかった。そなたの責任ではない」

 ワレスが黙っていると、伯爵はおだやかな声で続けた。

「ワレス小隊長。今日は口やかましい連中はいないのでな。正直に話して聞かせてはくれぬか。そなた、人に見えないものが見えるというのは、まことか?」

 ワレスは意外だった。
 たしかに、ワレスはその特殊な力で、これまでに何度か大きな事件を解決した。しかし、なぜ今あらためて、そんな話をむしかえしてきたのだろう?

(見えないものを見る瞳……か)

 初めはぐうぜんではないかと、ワレス自身、思っていた。
 だが、こう何度も同様のことが重なれば、ぐうぜんではないと思える。
 ことに先月、占い師の呪いの事件にかかわったことで、その思いは強くなっていた。

 あのとき、ワレスは人とは違う力で魔物と同調した。
 自分自身が魔物ではないかとすら危惧する。
 光を反射するように金属的に輝く、異質なこの青い双眸。
 このごろはハシェドのことで悩んでいたから、そんなことまで考えていられなかったものの……。

「まことと言えば、まこと。嘘と言えば嘘でございます。つねにそのようなものが見えるわけではありません。ときおり、そんなこともあるというていどです。私も砦に来て初めて、この力に気づいたので、正直、困惑しております」

「見えることは見えるのだな? ああ……コリガンのことは遺憾(いかん)であったが、そなたが切らねば、砦の被害はますます甚大になっていた。そなたはよくやってくれた」
「ありがたきお言葉にございます」
「そなたのことは心強く思っているとも。なあ、エイディ?」

 伯爵はそばに立つガロー男爵に賛同を求めた。
 男爵のファーストネームがエイドリアンだったはずだから、エイディは愛称だろう。二人は愛称で呼びあうほど親しいのだ。
 伯爵より少し年上の男爵は、兄のような存在なのかもしれない。片眼鏡をかけて分別くさい顔つきをしているのは、そのせいだろうか。

「魔術師たちが言っておりました。その男の目はなにやら、古代のユイラ人にはまま見られたが、昨今ではひじょうにまれになっている、特殊なものだとか。先祖返りというのですか。なんでも、ミラーアイズというのだそうです」と、男爵は言う。

 ミラーアイズ——鏡の目。
 その言葉を、ワレスはこのとき初めて聞いた。

 男爵はまだ伯爵にむかって話し続けている。

「おそらく神代、魔術の黄金期には、ユイラに跳梁(ちょうりょう)する魔物の数も、今より多かったのでしょう。人間の体がそれに対抗する方法として発達させた、自己防衛本能の一つではないでしょうか。現今は国内で魔物を見ることはなくなりましたので、必要のなくなった力は失われたのですよ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ワレス


このシリーズの主役。

愛する人が必ず死んでしまうという運命を背負った薄幸の美青年。金髪碧眼。

霊など普通の人には見えないものが見える。

魔物の巣食う森に面した砦で傭兵の小隊長をしている。

ハシェド


ワレスの部下。分隊長。

褐色の肌に巻き毛の黒髪。はしばみ色の瞳。

おせっかいでお人よしに見えるが、敵国同士の出身の親のあいだに生まれたことで苦労してきた。

エミール


もとワレスの部下。今は食堂の給仕係。

赤毛で左右の瞳の色の違うオッドアイ。

ワレスを好きだが、ワレスが好きなのは別の人なので本人的に面白くない。

クルウ


一見おだやかで優秀。だが、じつは騎士の出身で、なかなか本心を明かさない。

黒髪黒い瞳。端正な顔立ち。

ギデオン


ワレスの上官。金髪碧眼が好みで生粋のゲイ。

国境付近の街の出身。

なんとかワレスをものにしようと何かとからんでくるが、ほんとに愛していた人は死んだというウワサがある。

メイヒル


ギデオンの右腕で第一小隊の小隊長。

金髪碧眼。

ギデオンの言いなり。

ワレスのことをライバル視していたが……。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み