第27話
文字数 2,624文字
*
ハシェドは城主コーマ伯爵に引き渡された。地下牢に入れられ、輸送隊のおとずれとともに皇都へ送られる。
こうなっては、もはや事態は、ワレスの手でどうにかなるものではない。わかってはいるが、じっとしていられなかった。
ワレスはギデオンの帰りを彼の部屋の前で待ちぶせし、事情を問いつめた。
「ハシェドがブラゴール皇子の息子だという証拠がありますか?」と、詰問するワレスに、ギデオンの答えは単純明快だった。
「さきほど、本人が認めた」
「認めた?」
「そうだ。自身がまだ腹のなかにいるうちに、母は追っ手からのがれるため、アッハド皇子の知己 のユイラ人にたくされた。しかし、そこでも身の危険を感じた母は身分をいつわり、各地を転々とした。
そのとき、今の父、アリエル・ドラクナに出会った。母は事情を知らないアリエルと再婚。その後、アリエルとのあいだに四人の子をもうけるが、皇子の血をひくのは自分一人。何も知らないユイラ人の家族にはお咎めなきよう。
また、ブラゴールでは女の地位はひじょうに低い。現在、ユイラ人と再婚している母のブラゴールでの価値は、なきに等しい。このまま、ユイラ人の妻として一生をまっとうさせてほしい。というのが、あの男の言いぶんだ。すじは通っている。そうだろう?」
「しかし……」
「しかしも何も、やつの耳飾りを魔術師が調べた。まちがいなく砂銀石だ。砂銀石はブラゴールでは皇族、王族、あるいは神殿長にしか所有をゆるされないものだそうだ。平民が持てる代物じゃない。十中八、九、あれが皇子の子だろう」
「耳飾りは自分で買ったのかもしれません。砦で二年、傭兵を続けていれば、そのくらいは稼げる」
「おれは、あいつが入隊試験のときに身につけていたのをおぼえている。それにだ。あの耳飾りにはブラゴール語が刻まれている。ユイラで買った品ではないな」
「アリエルというのは、ブラゴールとの交易をしている貿易商だそうです。ブラゴールで仕入れたものを、息子に渡したのかもしれません」
くすりと、ギデオンが笑った。
「どうした? イヤにかばうな。ワレス」
おもしろがっているようだ。
「まさか、あの男に特別な感情を持っているのか? 友人だとか、仲間だとか、そういうことを言うのか? すましやのおまえが血相変えて、大嫌いなおれのもとへかけてくるくらいだからな。よっぽど、あいつが心配なんだろう。それ以上の好意か?」
返事に窮した。
「おれは……」
おれは今まで、こんな結果のために耐えてきたのか?
愛する人を死なせてしまう、おれの運命が、ハシェドにも働いたのか?
誰か悪夢だと言ってほしい。
これは夢だと言ってほしい。
「——おれは、ハシェドを愛しています!」
叫んで、ワレスは高らかに笑った。笑って笑って、苦しくなって、涙がこぼれる。
(このひとことが言えなくて、ずっと苦しんできたのに)
ギデオンはギョッとしている。ワレスのようすが、あまりにも異常に見えたのだろう。
ワレスは呼吸をととのえ、ギデオンを見すえる。
「そう言えば、あなたは満足か? あいにく、おれはあなたとは違う。好みの部下を色目で物色する趣味は持ちあわせていない。ただ、アイツを重用し、そばに置いていたから責任を感じているだけだ。こう言えばわかるだろう? このゲスやろう!」
ギデオンが近づいてきて、ワレスの頰をなぐる。その勢いで、ワレスは床になげだされた。ギデオンはさらにワレスの髪をつかみ、力任せにひきおこす。
「きさま……言いたいことは、それだけか?」
「離せ! ヘドが出る。下官が逆らえないのをいいことに、さんざん、やりたいほうだいしてくれるな」
「いい覚悟だ!」
ギデオンの靴さきが二、三度、ワレスの腹に食いこみ、ワレスは苦痛で動けなくなった。そのすきに、ギデオンはワレスの胸を足で押さえる。服がやぶられた。
「やめろ! おまえなんか大嫌いだ! 蛆虫! ケダモノ!」
もう一度、痛烈な平手打ち。
「メイヒル! 押さえろッ」
ギデオンはメイヒルに命じた。
メイヒルはそばで見ながら、ハラハラしている。
「何をしてる! 押さえろッ」
ギデオンがのしかかってきて、ワレスの足のあいだに自分の足を入れてくる。
ワレスも殴りかえしたし、何がなんだか、わからない。
もつれあっているところに、外から扉をたたく音がした。
「中隊長殿。ワレス小隊長がおいででしょうか。伯爵閣下が小隊長をお呼びです」
ワレスとギデオンは肩で息をして立ちあがった。
二人とも、あちこちに殴られたり、ひっかかれたあとがある。
「全力で抵抗したな」と、腹立たしげに、ギデオンは言う。
「とうぜんです」
「運のいいヤツだ」
行け、という仕草で、ギデオンが扉をさす。
ワレスはやぶられた服をマントで隠して部屋を出た。
扉の外には、クルウが立っていた。眉をひそめている。
「何事ですか? ずいぶん派手な音が聞こえましたが」
「問題ない。実害があったわけじゃないからな。誰にも言うな」
「そうおっしゃるなら、秘密にはしますが……」
「伯爵がお呼びだと?」
「ただいま使いの者が来ております」
ワレスは階下へおり、急いで服をかえた。
伯爵の使いは可愛らしい小姓だ。黒髪の少年についていった。
案内されたのは、伯爵が謁見 にもちいる大広間ではなかった。本丸五階。伯爵が使っている居室である。ワレスもそこへ行くのは初めてだ。
殺風景な石の城も、城主のいる五階ともなると、かなり様相が異なる。壁にタペストリーがかかり、床は絨毯 が敷きつめられ、金や銀の置物や花が飾られている。廊下には伯爵に仕える侍女の姿も見えた。
たったいま、男どうしで貞操をかけた攻防をくりひろげてきたところだ。多くの女にかしずかれる伯爵との身分差を思うと、気が滅入る。
(一人くらい、中隊長にまわしてやればいいんだ。もっとも、アイツは根っからの男色家だが)
きらびやかな廊下を通り、伯爵の居室へ通される。居間はさらに贅をつくした内装だ。
ワレスは一瞬、皇都へ帰ってきた錯覚をおぼえた。
皇都の華やかな城で、貴婦人を相手に、心のないくどき文句とウソっぱちの愛に身をゆだねていた、あのころ。
ぬるま湯につかっているような、安寧で優雅な日々。
けれど、胸の内はいつも空虚だった。
(そうだ。今のおれは、こんなもの、ちっとも羨ましくない。おれが欲しいのは……おれが守りたいのは……)
ワレスは
ハシェドは城主コーマ伯爵に引き渡された。地下牢に入れられ、輸送隊のおとずれとともに皇都へ送られる。
こうなっては、もはや事態は、ワレスの手でどうにかなるものではない。わかってはいるが、じっとしていられなかった。
ワレスはギデオンの帰りを彼の部屋の前で待ちぶせし、事情を問いつめた。
「ハシェドがブラゴール皇子の息子だという証拠がありますか?」と、詰問するワレスに、ギデオンの答えは単純明快だった。
「さきほど、本人が認めた」
「認めた?」
「そうだ。自身がまだ腹のなかにいるうちに、母は追っ手からのがれるため、アッハド皇子の
そのとき、今の父、アリエル・ドラクナに出会った。母は事情を知らないアリエルと再婚。その後、アリエルとのあいだに四人の子をもうけるが、皇子の血をひくのは自分一人。何も知らないユイラ人の家族にはお咎めなきよう。
また、ブラゴールでは女の地位はひじょうに低い。現在、ユイラ人と再婚している母のブラゴールでの価値は、なきに等しい。このまま、ユイラ人の妻として一生をまっとうさせてほしい。というのが、あの男の言いぶんだ。すじは通っている。そうだろう?」
「しかし……」
「しかしも何も、やつの耳飾りを魔術師が調べた。まちがいなく砂銀石だ。砂銀石はブラゴールでは皇族、王族、あるいは神殿長にしか所有をゆるされないものだそうだ。平民が持てる代物じゃない。十中八、九、あれが皇子の子だろう」
「耳飾りは自分で買ったのかもしれません。砦で二年、傭兵を続けていれば、そのくらいは稼げる」
「おれは、あいつが入隊試験のときに身につけていたのをおぼえている。それにだ。あの耳飾りにはブラゴール語が刻まれている。ユイラで買った品ではないな」
「アリエルというのは、ブラゴールとの交易をしている貿易商だそうです。ブラゴールで仕入れたものを、息子に渡したのかもしれません」
くすりと、ギデオンが笑った。
「どうした? イヤにかばうな。ワレス」
おもしろがっているようだ。
「まさか、あの男に特別な感情を持っているのか? 友人だとか、仲間だとか、そういうことを言うのか? すましやのおまえが血相変えて、大嫌いなおれのもとへかけてくるくらいだからな。よっぽど、あいつが心配なんだろう。それ以上の好意か?」
返事に窮した。
「おれは……」
おれは今まで、こんな結果のために耐えてきたのか?
愛する人を死なせてしまう、おれの運命が、ハシェドにも働いたのか?
誰か悪夢だと言ってほしい。
これは夢だと言ってほしい。
「——おれは、ハシェドを愛しています!」
叫んで、ワレスは高らかに笑った。笑って笑って、苦しくなって、涙がこぼれる。
(このひとことが言えなくて、ずっと苦しんできたのに)
ギデオンはギョッとしている。ワレスのようすが、あまりにも異常に見えたのだろう。
ワレスは呼吸をととのえ、ギデオンを見すえる。
「そう言えば、あなたは満足か? あいにく、おれはあなたとは違う。好みの部下を色目で物色する趣味は持ちあわせていない。ただ、アイツを重用し、そばに置いていたから責任を感じているだけだ。こう言えばわかるだろう? このゲスやろう!」
ギデオンが近づいてきて、ワレスの頰をなぐる。その勢いで、ワレスは床になげだされた。ギデオンはさらにワレスの髪をつかみ、力任せにひきおこす。
「きさま……言いたいことは、それだけか?」
「離せ! ヘドが出る。下官が逆らえないのをいいことに、さんざん、やりたいほうだいしてくれるな」
「いい覚悟だ!」
ギデオンの靴さきが二、三度、ワレスの腹に食いこみ、ワレスは苦痛で動けなくなった。そのすきに、ギデオンはワレスの胸を足で押さえる。服がやぶられた。
「やめろ! おまえなんか大嫌いだ! 蛆虫! ケダモノ!」
もう一度、痛烈な平手打ち。
「メイヒル! 押さえろッ」
ギデオンはメイヒルに命じた。
メイヒルはそばで見ながら、ハラハラしている。
「何をしてる! 押さえろッ」
ギデオンがのしかかってきて、ワレスの足のあいだに自分の足を入れてくる。
ワレスも殴りかえしたし、何がなんだか、わからない。
もつれあっているところに、外から扉をたたく音がした。
「中隊長殿。ワレス小隊長がおいででしょうか。伯爵閣下が小隊長をお呼びです」
ワレスとギデオンは肩で息をして立ちあがった。
二人とも、あちこちに殴られたり、ひっかかれたあとがある。
「全力で抵抗したな」と、腹立たしげに、ギデオンは言う。
「とうぜんです」
「運のいいヤツだ」
行け、という仕草で、ギデオンが扉をさす。
ワレスはやぶられた服をマントで隠して部屋を出た。
扉の外には、クルウが立っていた。眉をひそめている。
「何事ですか? ずいぶん派手な音が聞こえましたが」
「問題ない。実害があったわけじゃないからな。誰にも言うな」
「そうおっしゃるなら、秘密にはしますが……」
「伯爵がお呼びだと?」
「ただいま使いの者が来ております」
ワレスは階下へおり、急いで服をかえた。
伯爵の使いは可愛らしい小姓だ。黒髪の少年についていった。
案内されたのは、伯爵が
殺風景な石の城も、城主のいる五階ともなると、かなり様相が異なる。壁にタペストリーがかかり、床は
たったいま、男どうしで貞操をかけた攻防をくりひろげてきたところだ。多くの女にかしずかれる伯爵との身分差を思うと、気が滅入る。
(一人くらい、中隊長にまわしてやればいいんだ。もっとも、アイツは根っからの男色家だが)
きらびやかな廊下を通り、伯爵の居室へ通される。居間はさらに贅をつくした内装だ。
ワレスは一瞬、皇都へ帰ってきた錯覚をおぼえた。
皇都の華やかな城で、貴婦人を相手に、心のないくどき文句とウソっぱちの愛に身をゆだねていた、あのころ。
ぬるま湯につかっているような、安寧で優雅な日々。
けれど、胸の内はいつも空虚だった。
(そうだ。今のおれは、こんなもの、ちっとも羨ましくない。おれが欲しいのは……おれが守りたいのは……)
ワレスは
それ
を守るためにひざまずき、深く、こうべをたれた。