第62話(挿絵)
文字数 1,962文字
火の月も近くなり、春はその盛り。
砦の中庭のとぼしい木々も花が満開である。
ハシェドが帰ってきて、日々の暮らしは以前どおりにもどった。
自室の窓から外をながめていたワレスに、ハシェドが人目を忍ぶような顔で言う。
部屋には二人きり。
「隊長。一つ、お願いがあるのですが、よろしいですか?」
「一つとは言わず、いくつでも」
「そんなに隊長をこき使いません。これなんですけど」
封筒を渡してくるので、ワレスは笑う。
「おれに恋文か?」
ハシェドの頰が真っ赤になる。
「やめてください! そんな恥ずかしいマネできません。やだなぁ、もう。そうやって、すぐ、おれをからかうんだから」
「おまえの反応が楽しいからだよ」
ぴたぴたとハシェドの頬をたたく。
このところ、ふだん、なにげなくハシェドにふれることが苦痛でなくなってきた。一度、失いかけたせいもあるが、精神的に彼を求める度合が強くなっているのかもしれない。
「この手紙がどうしたんだ?」
「母の手紙に同封されてきたのですが、ユイラ語で書かれているので、読めないんです」
「おれが読んでいいのか?」
「隊長しか、たのめる人はいないです」
すでに封は切られている。
ワレスは押し花を透かした便せんをひろげた。いかにもと思っていたが、やはり、差出人は女だ。
「女からだな。リメラ、とある」
「リメラからですか?」
ハシェドは嬉しいような悲しいような、戸惑うような、複雑な顔をした。
いつも自分は女友達からの手紙で妬かせているくせに、ワレスはそんなハシェドを見て嫉妬をおぼえる。
「誰なんだ?」と、思わず追求する。
「いとこですよ。いえ、じっさいは異腹の姉にあたる……伯父の娘です」
「ああ……」
まあ、それならいいだろう。
ワレスはせきばらいして読み始める。
「ハシェド。とつぜん、こんな手紙を出して、ごめんなさい。先日、初めて、あなたが国境の砦へ行ったと聞きました。いても立ってもいられず筆をとります。もっと早くに、こうするべきだったけど、なかなか決心がつかなくて……」
わたし、あなたに謝りたかった。
わたしたち、小さなころは毎日いっしょに遊んだわね。姉弟みたいに仲がよかった。
あなたに急に嫌いと言ったのは、わたし、知ってしまったからです。
あなたももう知っているでしょう?
わたしの父と、あなたのお母さんが若いころ愛しあっていたのだということ。
わたしは言いあう両親の口から知りました。あの女を追いだしてという母と、母を罵る父。
何もかもゆるせなかったわ。二人の口ゲンカはいつものことだったけど、そのときは子どもの目から見ても、この二人はもうダメなんだと思った。
両親がうまくいかないのは、あなたのお母さんのせいだと思って、あなたのこともゆるせなくなった。やつあたりだった。でも、ほかにどうしていいかわからなかった。
父も好き。母も好き。あなたのことも、叔母さんのことも好きだった。
わたしの好きな人たちが、どうして、みんは仲よくするわけにいかないのか、憎みあわなければならないのか。
あの女の息子と遊ばないでと、子どものわたしに泣いてすがった母が哀れでならなかった。それで、ひどいことを言って、あなたを傷つけた。
ごめんなさいね。あなたを嫌いだと言ったとき、ものすごく胸が痛んだ。憎まなければならないはずなのに、悪いことをした気持ちでいっぱいだった。
あなたを好きでした。幼いころの、それが恋なのか、友情なのか、なんなのかわからないけど。
わたしね、結婚したのよ。
男の子がいるんだけど、なぜか、あなたに似ているの。
あなたに会いたいわ。カラメル色のほっぺに、またキスをさせて。
あなたの人生最初の友達、リメラより
追伸、この前、生まれて初めて父の頬にキスしたら、父が泣きだしたのでビックリ。二十年ぶりに再会するお芝居の親子みたいに、抱きあって泣いてしまいました。
読みおわって、見ると、ハシェドは泣いていた。
心のなかのすべてのしこりを洗いながすように。
「……じつを言うと、母もずっと、伯父のことを愛していたのかもしれない。母はあのときの子どもを生んだんです。おれには弟二人、妹二人いるけど、父母が同じなのは、一番下の妹だけです。でも……これで、よかったんですね。返事を書きます。おれ、自分で書きますから、隊長、ユイラ語を教えてください」
ハシェドはようやく長い混迷の闇をぬけだしたのかもしれない。
(答えを見つけたのか?)
ハシェドの笑顔が、とてもまぶしかった。
「明日は遠乗りだ。したくを忘れるな」
「遠乗りですか?」
「ああ。千年樹の大木があったところまで出かける」
窓の外には光があふれている。
二人で行こう。どこまでも。
ワイルドベリーの昼食。泉の水で喉をうるおし。
あの明るい森を。
大地のゆりかご 完