第43話
文字数 2,340文字
とうとつに照れくさくなって、ワレスはユージイをつきはなす。わざとおおげさに両手をひろげて肩をすくめた。
「今のは忘れろ。言っとくが、おれはおまえを手なづけるために打ちあけただけだ。絶対にそうだ。そうでないわけがない」
ユージイは涙を流しながら笑いだした。
「あんたも素直じゃないね。でも、なんか、おれ、あんたのこと好きになった」
「勘違いするな? おまえは、おれの好みじゃない」
「わかってるよ。そういう意味じゃない」
ユージイは少年みたいに赤くなって、ことさら丁寧に体や髪を洗う。もう落ちついたようだ。
「では、続きを話してもらおうか」
「母さんだなんてぬかしやがったから、切りつけた。そしたら、急に姿が消えて、蛇みたいなものになった。白くて長い……母親に切りかかるヤツがいるとは思ってなかったんだろうな。化け物のほうがビックリしたみたいで、しばらく、ぶるぶる、ふるえてたよ」
「おれが見たのと同じものだな」
「そいつが壁や床を自由自在にもぐったり、まったく別の方向から急にとびだしてきたり……おれが切りつけたんで怒ったみたいだった。ぼんやりしてたリストンをつかんで、壁にひっぱりこんだんだ。
もう無我夢中で逃げたよ。あとのことは、よくおぼえてない。逃げて逃げて、走り続けて……そのうち、アイツのほうがあきらめたんだろうな。気づいたら布団のなかだった」
「やはり、蛇の一種かな?」
ワレスがつぶやくと、ユージイは首をかしげる。
「蛇だとしたら、ものすごい大蛇だ。アイツは何もない空中からは現れないんだ。壁や床のなかを泳ぎながら、体の一部を出して襲ってくる。全体が壁から出てるとこは見なかったが、そうとうな長さになると思う」
「壁や床から……か。それで寝台からおりられなくなったのか」
「土ならともかく、石の壁にもぐられたら、剣では太刀打ちできないだろ?」
そう。昨日も壁に丸いあとができていた。
あの化け物が現れた場所には、たぶん必ず、そのあとが残っている。
「霊ではなく実体を持つ何かだとわかったのはいいが、石にもぐる能力はやっかいだな。壁から出てきたところを捕まえるしかないのか」
「あいつにつかまれた人間は、ふだんなら入れない壁のなかも通れた。水か粘土か、やわらかいもののなかに引きこまれてるみたいに。リストンは壁にアゴまで埋まりながら、最後まで自分に起きてることが信じられないような顔をしていた」
「つまり、あれは固いものを貫通して移動しているわけではなく、自分の周囲の物質を一時的に溶解させながら進んでいるわけだ。やつが通りすぎると、物質はもとにもどる。壁や床に残ったあとが、そこだけ新しく見えたのは、いったん溶解して凝固することで、松明脂のくすみや手垢などの汚れが消えてしまうからだ」
ユージイは顔をしかめる。
「難しいことはわからない。でも、そんな感じだった」
ワレスは話しながら、さらに答えをまとめていく。
「上半身だけ残った男は、なんらかの理由で、ひきこまれる途中、やつに離されてしまったんだな。きっと悲鳴を聞いて、大勢の兵士がかけつけたかどうかしたんだ。どうも、ヤツはわりに
ほうりだされた男は溶解していた床が石にもどったので、胴体を切断されてしまった。胴体がくぼみに、すっぽりおさまっていたのは、人為的に切ったものを上から置いたからではなく、もともと床のラインにそって切断されたからだ。男の下半身は……持っていかれたかな。あるいは、ヤツに食われた」
血が床にこぼれていなかったのは、床の表面で出血したのではなく、石の内部で流れたからだろう。そのまま石のスキマで凝固したものと考えられる。
「ヤツは人間そのものを溶かすことはできないのだろうか? 人間を溶かしてしまえば、その場で食えるじゃないか。幻覚を見せて混乱させるなんてムダな労力だ。頭や心臓を溶かしてしまえば抵抗できない。それとも、食うためじゃないのか? いや、その場にあるのは人間の手足のようなものであり、口に該当する食物を摂取する器官が、そこにないということか……」
ぶつぶつ言いながら、ワレスが考えていると、たらいのなかから、ユージイが声をかけてくる。
「……小隊長。おれ、あんたにお願いがある」
「ああ、なんだ? 体は洗いおわったんだな? もうその服は着るな? とりあえず、おれの服を貸してやる」
ワレスがタンスをあけて一番、地味な服を選んでいると、思いがけない言葉が背中にのしかかってきた。
「おれを、あんたの隊で使ってほしい」
「はあ?」
ふりかえると、ユージイは全裸のまま、ワレスに敬礼していた。
「おれをあなたの下で使ってください! ご恩に報います」
うろんな思いで、ワレスはユージイを見つめる。
「しかしな。おれはベッドからおりられない兵士なんていらないんだ」
「大丈夫であります! 正気にもどりました!」
自分でも正気でない自覚はあったわけだ。
「では、そのたらいから出て、汚れた水を窓からすててもおうか。それができたら信じてやる」
「はいッ!」
ユージイは勢いよく、たらいからとびだし、窓辺にかけていく。
汚れて黒くなった水が窓の外に滝になって消えると、室内の悪臭もかなりマシになった。しばらく換気をしておけば、すぐにもとにもどる。
ユージイの顔つきも、さっぱりしていた。
「わかった。認めよう」
「ありがとうございます! あなたに生涯の忠誠を誓います!」
「大声を出すな。おれは正規隊のかたくるしいところが好きじゃないんだ」
「では、小声で……」
きっとお役に立ってみせますと、聞こえるか聞こえないかの声で言うのがおかしかった。
ユージイはもしかしたら、ものすごくユーモアのセンスがあるのかもしれない。