第54話

文字数 2,252文字



 星の月。アイサラ旬の一日。
 いつもは静謐(せいひつ)な森のなかに、人の気配が満ちている。

 カンタサーラ城で四日をすごしたワレスとその一行は、当初の目的であるカンタサーラ城での聞きとりを終えて、ボイクド砦への帰路についていた。
 出発時間が遅かったので、丸太の城についたころには夕方になっていた。

 森の活気は先客たちのものだ。
 予定より一日早く砦にむかった輸送隊が、ユーターンして帰ってきたのである。

 輸送隊の指揮官ブレヌス中隊長と、ジアン中隊長は旧知の友だった。
 ジアン中隊長はワレスとサムウェイの仲を心配して、護衛と称してついてきてくれたのだが、ここで輸送隊と鉢合わせしたことをぐうぜんと思っているようだ。

 ここまでは、ワレスの計画どおり。

「おお、ジアンじゃないか。ひさしぶりだな。元気だったか? そちらの二人は森林警備隊の隊長ではないな?」

「うむ。こちらはボイクド砦のワレス小隊長と、サムウェイ小隊長だ。森に出没する魔物のことで力になってもらっている。二人を砦まで護送しているのだが、暗くなったので、今夜はここで寝食をともにさせてくれ」
「むろん、かまわんよ」

「では、陣営の一隅を使おう」
「なかへは入らんのか?」
「こっちは、なれた森のことだ。そこまで気をつかわせるつもりはないさ」
「あとで会おう。近況でも語ろうじゃないか」

 ブレヌス中隊長と握手して別れるジアン中隊長に、ワレスは言った。

「そういえば、この輸送隊で、私の部下が砦を辞めて故郷へ帰るのです。私が分隊長のころから宿舎が同室だった部下なので、顔を見に行ってやりたいのだが」
「そういうことなら、どうぞ。夜営の支度はしておきます」
「ありがとう」

 ワレスが歩きだすと、ホルズとドータスもついてきた。

「同室の部下って、誰だよ?」
「アブセスだ」
「なるほどね! あいつ、おとなしいばっかで弱っちいからな」
「だな。今のうちに辞めとくほうが利口だぜ」

 好き勝手に言われているアブセスが、ちょっと哀れになる。

 ワレスは庭にちらばる輸送隊の列に入って、アブセスの姿を探した。

 輸送隊は随行する隊商もあわせれば、およそ五百人。護衛の森林警備隊五十人とで、総勢六百人近い。とうぜん、小さな丸太の城には入りきれないので、多くは庭で野営になる。

 その六百人のなかには、除隊者もふくまれていた。
 砦の暮らしは厳しいので、除隊していく者も多い。傭兵だけではない。任期のあけた正規兵もいるため、たいてい毎回、数十人は辞めていく。

 それらは輸送隊とともに国内へ帰る。
 森をぬけ、町へ入るまでは番号をふられ、十人ずつで隊を作って行動する。もちろん、安全を考慮してだ。

 アブセスは浮かれた除隊者たちのなかで、一人だけ、なんとなく憂鬱(ゆううつ)そうな顔をしていた。

「アブセス」

 ワレスが見つけて声をかけると、子犬のようにかけよってくる。

「小隊長!」
「おまえが砦を辞めると言っていたことを思いだしてな。別れを惜しみに来てやったぞ」
「隊長……」

 なさけない顔つきのアブセスを見て、ワレスは笑いをこらえるのに苦労した。

 数日前——

「おまえには砦を辞めてもらう」と、ワレスが言いだしたときのアブセスは傑作だった。
 まるで、おまえの親父は追い剥ぎをして、おまえをここまで育てたんだぞ、とでも言われたかのように棒立ちになり、ガックリと床に手をついて大泣きしたのだ。

「あ……あんまりです! たしかに私は以前、隊長に対して、失礼を言いました。でも、そのぶん、よけいに隊長のお役に立てるよう、一生懸命に働くつもりでした。まさか、それほどまでに、うとまれていたとは!」

 わあっと号泣するのが、おかしいような、かわいそうなような。
 あんまりイジメても哀れだったので、ワレスはふきだしたいのを我慢しながら真意を告げた。

「辞めてもらうとは言ったが、おまえがうとましいわけではない。辞めるふりをしてもらいたいのだ」
「え?」

 きょとんとした表情を見て、ワレスはこらえきれなくなった。声をあげて笑う。

「アブセス。おまえは生真面目すぎるのが長所で短所だ!」

 クククと、そばで見ていたクルウも笑いだす。
「隊長。笑っては、あんまりアブセスがかわいそうです。彼は真剣なのですから」

 アブセスはまだ状況を飲みこめていない。

「な……なんですか? なんで二人とも笑うんですか? 私が辞めるふりって……ええ?」
「だからな。これはひじょうに重要な任務なのだ。ホルズたちのような単純な男には任せられないし、クルウには、おれがいないあいだの代理をしてもらわなければならない。おまえを見込んでたのむのだ。だから、そんなに、おれがイジメたような目で見るな」

 アブセスは勘違いだったと気づいて、真っ赤になった。
 こういう素直なところが、アブセスのいいところだ。ワレスにからかわれたのだとは疑いもしないらしい。

「私が小隊長のお役に立てるのなら、よ、喜んで!」
「いい心意気だ。今度の役目は大役だぞ。昨日、ハシェドが捕まったな。なぜだか知っているか?」
「いえ、さっぱり」

 ブラゴール皇子の政変のことは極秘事項である。まだ各隊の隊長以外は聞いていないはず。アブセスが知らないのはとうぜんだ。

 ワレスはハシェドがブラゴール皇室の継承者争いにまきこまれたことを説明した。

「——というわけで、ハシェドを助けるためには、クオリルを捕まえなければならない。だが証人に危害をくわえられない用心で、砦のなかでは捕まえられない。そこでだ。ブラゴール人たちが砦を出ていくところを、いっきに叩く」
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登場人物紹介

ワレス


このシリーズの主役。

愛する人が必ず死んでしまうという運命を背負った薄幸の美青年。金髪碧眼。

霊など普通の人には見えないものが見える。

魔物の巣食う森に面した砦で傭兵の小隊長をしている。

ハシェド


ワレスの部下。分隊長。

褐色の肌に巻き毛の黒髪。はしばみ色の瞳。

おせっかいでお人よしに見えるが、敵国同士の出身の親のあいだに生まれたことで苦労してきた。

エミール


もとワレスの部下。今は食堂の給仕係。

赤毛で左右の瞳の色の違うオッドアイ。

ワレスを好きだが、ワレスが好きなのは別の人なので本人的に面白くない。

クルウ


一見おだやかで優秀。だが、じつは騎士の出身で、なかなか本心を明かさない。

黒髪黒い瞳。端正な顔立ち。

ギデオン


ワレスの上官。金髪碧眼が好みで生粋のゲイ。

国境付近の街の出身。

なんとかワレスをものにしようと何かとからんでくるが、ほんとに愛していた人は死んだというウワサがある。

メイヒル


ギデオンの右腕で第一小隊の小隊長。

金髪碧眼。

ギデオンの言いなり。

ワレスのことをライバル視していたが……。

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