第49話

文字数 2,502文字



 ユイラの春の森は美しい。
 木々はあざやかに萌え、いちめんの新緑のなか、金色の木洩れ日が幾重にもふりそそぐ。

 風に花と若葉の芳香。
 鳥のさえずりと、葉ずれの音が心地よくとけあう。
 できることなら、今すぐ若草の上を裸足でかけまわりたい。大地の上にころがりたい。
 そういう放恣な気分を誘う。

 何もかもがイヤで、美しくおだやかなユイラの国をすててきたワレスにも、この光景は鮮烈だった。目の前の緑に心を吸われる。

(おれの知らぬまに、いつのまに、こんなに美しくなったのだ。おれの母なる国。母なる大地)

 あたたかな明るい日差しに満ちた森を馬でかけると、心が甘くなるのもゆるせてしまう。いつもなら自嘲するような爽やかな気分に、ワレスは酔った。
 カンタサーラ城へむかう途上である。
 ジアン中隊長が馬上から声をかけてくる。

「爽快でしょう? ワレス小隊長」
「ええ。おかしなことだ。砦に来るときにも、この森を通ったはずなのに、おれは今、初めてこの美しい景色を見た気がする。砦の灰色の壁にかこまれて、いささか閉塞(へいそく)していたのかな」

 そうではないことを自分が一番よく知っていた。
 ワレスは砦へ来るとき絶望していた。景色なんて見ていなかったのだ。
 森が変わったのではない。
 ワレスの心持ちが変わった。
 変えたのは、ハシェド。

 今このとき、ワレスが光と風のなかにあるこの瞬間に、ハシェドは暗く湿った地下牢にいる。
 そう思うと、涙が出るほど胸が痛む。

(おまえと、この森をかけたかった)

 馬をならべ、樹木の香りをかぎながら、野の花をふみしだき、二人きりで、どこまでも。
 ワイルドベリーの昼食に、泉の水。
 夜は満天の星のもと、抱きあって眠りたい。
 母なる大地のゆりかごに揺られ……。

「恋人を思っているのですか?」

 呼びかけられて、ワレスは物思いからさめた。
 ジアン中隊長がイタズラっぽく、ワレスをながめている。
 ワレスは照れたことをごまかすために、顔をそらした。

「まあ……そんなところです」
「では、ジャマはしないことにしよう。ご随意に」

 くすくす笑って、ジアン中隊長は先頭へもどっていく。
 かわりに、ワレスのあとについていたホルズとドータスが、ぎゃあぎゃあ言ってきた。

「隊長の恋人かぁ。どんな女なんだろうな」
「絶対、すげえ美人だよ。な、隊長?」

 小隊長代理としてクルウを砦に残してきたので、ワレスのつれは、例のごとく、この二人だ。いつも思うが、彼らは戦士としてはひじょうに頼もしいが、ロマンチックのかけらもない。

「わかりきったことを聞くな」

 ぞんざいに言ってやると、二人はニマニマ笑って、どうも変な妄想をしているようだ。

「おまえたちだって、国に恋人の一人や二人はいるんだろう?」と、ワレスが逆に聞くと、
「いねえよ。おれは頭も悪いし、金もなかったし、ツラも特別よかあねえ。花宿に馴染みの女くらいはいたけどよ」
「だったら、その女のことでも考えていろ」

 しかし、ホルズたちはしつこい。

「なあなあ、隊長。ユイラの花宿の女は、やっぱ、キレイか? おれら、国から出たときは寄ってく金なんてなかったからよ」

 そういえば、ホルズやドータスと女の話をしたことはなかった。彼らも一度は聞いてみたかったのかもしれない。

 どうも彼らは前々から、ワレスに恋というほどではないものの、多少の性的魅力を感じているようなので、勘違いされてはたまらない。頑強に女に興味のないふりはできない。

 昨夜は彼らのたくましい体を見て、おかしなことを考えてしまったワレスだが、本当にそうなってしまうのは、小隊長として、よろしくない。

「そうだな。おれは六海州の宿がどんなものだか知らないが、ユイラでは田舎の街でも、けっこう、いい女がそろってるよ。皇都の宿となったら、それはもう、とびっきりだ」
「隊長より別嬪(べっぴん)か?」

 ワレスは苦笑する。

「基準が、おれか。そりゃ、女のほうがキレイだ。ことに宿の女は美しさを競ってるんだ。男に負けてちゃ商売あがったりだろう?」
「おお、そいつは、すげえ」
「想像もつかねえ」

「まあ、皇都の女は情が薄いから、おまえたちには田舎の宿で充分だ。田舎の女のほうが肉づきもいいし」

 それでもっと下世話な話で盛りあがったあと、ホルズは言った。
「でも、やっぱ、隊長の恋人のほうが美人なんだろ?」

 うっと、ワレスは返事につまる。

「ふいをつくヤツだな。商売女なんかといっしょにするなよ」
「だよな。で、美人か?」

 困っていると、背後から一頭の騎馬が近づいてきた。

「さっきから聞いていれば、いつまで、くだらない話をしている気だ。ワレス小隊長」

 コイツの心臓は鉄でできているのだろうか。
 この美しい春の森を見て、何も感じないとは……。

 ウンザリしながら、ワレスはサムウェイ小隊長をふりかえった。よりによって、この男が同行なのだ。

「かまわないだろう。いくら話ちゅうでも、魔物の気配があれば気づく」
「きさまたちが隊の規律を乱すような話ばかりしているからだ」

「そこまで聞こえるものか」
「風にのって、けっこう聞こえるぞ」
「ふうん。じゃあ、おまえの隊のやつらには、おれがセクシー系より清純派が好みだと、バレてしまったな」

 いよいよ、サムウェイは顔を真っ赤にして憤激した。
「いいかげんにしろ! きさま、それでも小隊長か!」

 ワレスはため息をつく。
 ワレスが外出の許可を求めに行ったとき、たまたま、この男も伯爵のもとに来ていた。それが不運の始まりだ。

「——たしかに私めの力不足はいなめません。反省しております。しかし、だからと言って、私を排して、ワレス小隊長に一任なさるとは、あんまりではございませぬか。あの男は砦に来て以来、短期に数々の功績をあげてはおります。なれど、私はあの男の横暴なやりくちには賛同いたしかねまする。兵士に対して悪い手本になりはすまいかと案ずるものであります」

 ワレスへの不満を直談判に来ていたのだ。

「まあ、そう申すな。あれで、なかなか下のものに好かれているではないか」
「ですから、それが——」
「おお、ウワサをすれば、ワレス小隊長」

 ゴチャゴチャ言いあっているところへ呼び入れられた。
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登場人物紹介

ワレス


このシリーズの主役。

愛する人が必ず死んでしまうという運命を背負った薄幸の美青年。金髪碧眼。

霊など普通の人には見えないものが見える。

魔物の巣食う森に面した砦で傭兵の小隊長をしている。

ハシェド


ワレスの部下。分隊長。

褐色の肌に巻き毛の黒髪。はしばみ色の瞳。

おせっかいでお人よしに見えるが、敵国同士の出身の親のあいだに生まれたことで苦労してきた。

エミール


もとワレスの部下。今は食堂の給仕係。

赤毛で左右の瞳の色の違うオッドアイ。

ワレスを好きだが、ワレスが好きなのは別の人なので本人的に面白くない。

クルウ


一見おだやかで優秀。だが、じつは騎士の出身で、なかなか本心を明かさない。

黒髪黒い瞳。端正な顔立ち。

ギデオン


ワレスの上官。金髪碧眼が好みで生粋のゲイ。

国境付近の街の出身。

なんとかワレスをものにしようと何かとからんでくるが、ほんとに愛していた人は死んだというウワサがある。

メイヒル


ギデオンの右腕で第一小隊の小隊長。

金髪碧眼。

ギデオンの言いなり。

ワレスのことをライバル視していたが……。

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