第11話

文字数 2,647文字

 *


 そのころ、ワレスはカナリーの部屋にいた。
 まだ体が熱い。
 激情の去ったばかりの心地よい、けだるさのなか。

 ワレスが立ちあがろうとすると、カナリーがすがりついてきた。

「待って。もう少し、ここにいて。あなたを感じていたいの」

 まあ、それもいいだろう。
 いささか乱暴にあつかったので、少しは優しくしてやらなければ、かわいそうだ。

 ワレスはカナリーのやわらかな肌の上に、自分のつけた歯形を指でなぞった。

「商売物に傷をつけて、悪かった」
「いいの。ぼくが、あなたに殺されたかったんだもの」

 カナリーはまだ興奮しているのか、泣きながら言った。

「このまま、あなたを誰にも渡したくない」
「おまえも可愛かった」
「嘘」
「ほんとだ」
「それじゃ、また来てくれる?」

 涙にうるんだ瞳に見つめられて、ワレスは苦笑した。

「商売上手だな」
「やめてよ! そんなんじゃない!」

 カナリーはワアワア泣いて枕に顔をふせる。
 ワレスはジゴロをしていたころ、いつも貴婦人たちにおぼえていた劣等感を思いだした。

「……すまない」

 誰だって、好きでこんなことをしているわけではない。カナリーにだって深い事情があるだろう。

「カナリー。砦の兵士にとって、おまえたちがどれだけ大切な存在か、わかるよな? おまえの笑顔を見るだけで救われている者も、きっといるはずだ」

 綿毛のようなカナリーの髪をなでると、少し泣き声がおさまってきた。

「恋人は?」とたずねると、ちょっと鼻をぐずつかせて、カナリーは答える。

「そんなの、いない。最初はいたけど、三人めが死んだとき、恋人は作らないことにしたんだ」
「死なれると悲しいからか」

 それでも、人は人を好きになってしまうものだ。

「その三人は幸せだったろう。おまえのことを思いながら死ねた」

 恋人を残して死にたくはなかっただろうが、それでも、なんの思い出もないよりはいい。
 おれだって、ハシェドのことを思って死ねば、それほど不幸せではない。最期に思いだすのは、ハシェドの笑顔であってほしい。

「ねえ」

 カナリーが言った。

「あなたが恋人になってくれる?」
「おれが?」
「あなたなら、すぐに死なないでしょ?」
「おれには想い人が——」
「砦にいるあいだだけでいいから」
「待ってくれ。エミールに叱られる」

 カナリーは意外なことを言いだした。

「あなた、エミールに弱みをにぎられてるんでしょ?」

 黙りこんだワレスを見て微笑する。

「あのことをバラしてやるって言ってるの、聞こえちゃった。おどされてるんだね」
「たいしたことじゃない」

「ほんとに?」
「昼間、立ち聞きしてたのなら、これも聞いたんだろう? おれがベッドにひきずりこんだことを、友人の許嫁に告げると言われたんだ。おれをふった男がどんな修羅場を演じようと、いっこうにかまわないんだが……まあ、おれにも良心があったんだな。破談にさせるのは、さすがに、ちょっと。どうせ、おれも砦にいるあいだの相手が欲しかったしな」

 ハシェドのことを知られるわけにはいかないから、嘘をついてごまかす。カナリーは信じたようだ。

「それで、エミールに頭があがらないんだね。いいよ。僕、それならもう、エミールとはりあって、あなたを困らせたりしない。そのかわり、ときどき、こんなふうに僕に会って。お金はいらないよ」
「おどされていることをバラされないために? それも一種の脅迫だな」

 ワレスはカナリーにくちづけて、衣服を身につけた。
 カナリーが不安げに見あげている。

「僕のこと、嫌いになった?」
「いや。おまえも、エミールも羨ましい。自分の気持ちに正直だ」

「ねえ、今夜は泊まっていかない?」
「これでも小隊長だからな。万一のとき、指示ができないのは困る」

「僕、一人で寝るのは怖いよ」
「なら、おれの部屋に来い」
「いいの?」
「ああ」

 カナリーは嬉しそうに仕度を始める。
 そのとき、ワレスは悲鳴のようなものを聞いた。

「どうしたの?」というカナリーに、しッと動作で示し、扉をあける。

 ロウソクの明かり一つの室内を出ると、外は暗い廊下。
 昼間はひとけの絶えない食堂付近も、深夜には無人だ。壁にかけられたタイマツだけが、ぽつり、ぽつりと闇に浮かんでいる。長い廊下は、あの世に続く黄泉路にも見えた。

 廊下の端に、ふいに男がころがり出てくる。腰をぬかしているのか、逃げだそうとしているが、うまくいかないようだ。

「ねえ、いったい……」
 顔を出すカナリーに、
「部屋から出るな」

 言いすてて、ワレスは走りだした。
 まがりかどに男は倒れていた。ワレスを見て、ふるえる手で、まがりかどのさきを指す。その指の示すさきを見て、ワレスは愕然(がくぜん)とした。

(リリア——)

 長いプラチナブロンド。
 さみしげな瞳の美しい女。

 リリアが壁に吸われていくところだった。

(バカな。なぜ、今になって、おまえが……)

 ぼうぜんとしているうちに、リリアの姿は壁に消えた。

 変な消えかただ。
 まるで、壁に小さな穴があり、そのなかへ吸いこまれていくように、姿がゆがみ、小さくなって消えた。
 亡霊の消えかたにしては、いやに生々しい。
 なんとなく、ワレスはそれに違和感をおぼえた。

 腰をぬかしたまま、兵士がつぶやく。
「な、なかまが……仲間が一人……」

 ガチガチ歯を鳴らして、ふるえている。
 ワレスはその両肩をつかんだ。

「しっかりしろ。何があったか、ハッキリ言ってみろ」
「は……はい」

 兵士は少し落ちつきをとりもどした。

「はい。さきほど巡回中に、女が廊下に立っていました。城の女官かと思いました。危険なので、すぐに自室へ帰るようすすめて……すると、とつぜん、女の腕が……」

 その場面を思いだすように、くちごもる兵士を、ワレスは励ます。

「腕がどうした?」
「は、はい。腕が蛇のように伸びてきて、ヘイスを……」

「壁に引きこんだのだな?」
「はい」

「わかった。おまえの所属と名前は?」
「第四大隊、サムウェイ小隊のコルトであります」

「サムウェイ小隊のコルトだな。さきほど述べたことを、おまえの隊長に報告するがいい。今夜はこのあたりの警戒を強めるのだな」
「はい!」

 ワレスと同じ第四大隊でも、サムウェイという小隊長とは面識がない。傭兵ではなく、正規隊なのだろう。

 そこへ、まがりかどのむこうから、別の兵士が数名かけつけてきた。

「悲鳴が聞こえたが、何事だ?」
「コルトじゃないか。どうした?」

 もう心配はなさそうだ。
 ワレスはリリアが消えた壁をながめた。

 ちょうど目の高さで、ぼんやりと丸く壁が光っていた。
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登場人物紹介

ワレス


このシリーズの主役。

愛する人が必ず死んでしまうという運命を背負った薄幸の美青年。金髪碧眼。

霊など普通の人には見えないものが見える。

魔物の巣食う森に面した砦で傭兵の小隊長をしている。

ハシェド


ワレスの部下。分隊長。

褐色の肌に巻き毛の黒髪。はしばみ色の瞳。

おせっかいでお人よしに見えるが、敵国同士の出身の親のあいだに生まれたことで苦労してきた。

エミール


もとワレスの部下。今は食堂の給仕係。

赤毛で左右の瞳の色の違うオッドアイ。

ワレスを好きだが、ワレスが好きなのは別の人なので本人的に面白くない。

クルウ


一見おだやかで優秀。だが、じつは騎士の出身で、なかなか本心を明かさない。

黒髪黒い瞳。端正な顔立ち。

ギデオン


ワレスの上官。金髪碧眼が好みで生粋のゲイ。

国境付近の街の出身。

なんとかワレスをものにしようと何かとからんでくるが、ほんとに愛していた人は死んだというウワサがある。

メイヒル


ギデオンの右腕で第一小隊の小隊長。

金髪碧眼。

ギデオンの言いなり。

ワレスのことをライバル視していたが……。

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