第25話
文字数 2,565文字
恐れていたことが起こった。
ブラゴール皇子の息子を探索されてから、すでに十四日。
いっこうに、ハシェドは逃げだす気配がない。それどころか、ワレスの話を聞いて、かえって落ちついたようだ。何かふっきれたような顔をしている。
「いいのか? ただ探しているんじゃないぞ。捕らえられれば、皇都へ送られ、そこからブラゴールの大使へ。大使からブラゴールへ送られて、処刑だ。皇帝にさからった謀反人なのだからな」
誰もいないすきを見て、ワレスがささやいても、ハシェドは笑うばかり。
その笑みに透明な
頼むから逃げてくれ。
ジェイムズの命をあやうくしてまで、おまえを生かそうという、おれの決心をムダにするなよ。
そして、星の月、ヴィサラ旬の五日。
「そういえば、隊長。コルトという男を探していたのではないですか?」
「ああ。あれか」
ハシェドのことが気にかかり、ほったらかしになっていた。とうのハシェドに言われ、気はすすまなかったが、コルトに会うことにした。
昼食を終えて、部屋に帰ってきたジョルジュに頼みごとをする。
「おれが正規兵のなかを歩くと目立つらしい。文書室へコルトを呼びだしてくれないか。部屋を貸しているのだから、それくらいはするよな?」
「……あんたって、なれりゃ悪いヤツじゃないが、なんかむしょうに、ムカッ腹の立つときあるよな。その命令口調」
「いやなら、さっさと正規隊の宿舎に帰れ」
「あ、ほらね。今度はおどしだよ。おれがアレをキライなこと知ってるくせに」
「いくじなし」
「なんだと! もう怒ったぞ」
まあまあまあと、いつものように、ハシェドがあいだに入る。
「ジョルジュ。隊長は反応がおもしろいから、あんたをからかってるだけだよ」
「えっ? そうなのか?」
「そうなんだって。ね、隊長?」
図星だったので、ワレスは肩をすくめる。
「まあな……」
ワレスの誤解されやすい性格を、ハシェドはよく理解して、うまく調停してくれる。ハシェドがいなければ、ワレスは今でも他人との衝突が絶えないのかもしれない。
ジョルジュは絵の具をかかえると、
「わかったよ。コルトだな。呼んどいてやる」
言いすてて去っていった。
ハシェドは苦笑する。
「心配だなぁ。ほんとに隊長は一人にしておけない」
「まさか、それで逃げないんだ、なんて言わないよな?」
「何がですか?」
はぐらかされてしまった。
文書室でコルトを待っているとき、窓ぎわに立ったハシェドが、鉄のよろい戸をひらいて気持ちよさそうに言った。
「春の風ですね」
天気もよく、司書は書物の虫干しに忙しい。今日はロンドもよってこない。どれが、それかわからないが、ときおり、こっちを恨めしそうにながめているのがそうだろう。
「いい風だな」
ワレスがならんで立つと、ハシェドは前庭を見おろしながら、思い出話をするようにつぶやいた。
「春は嫌いです。いやなことばかりあったので」
「ふうん?」
「今ごろ、ユイラではどの町も花盛りですね」
「ああ」
なんとなく、物思いに沈むようすのハシェド。
ワレスは話しかけることができない。
(おまえとこうしていることが、いつか、おれにも、おまえにも、いい思い出になるのだろうか? あのとき感じた春の風は心地よかったと、笑って話せるようになるのだろうか?)
近くて遠い。
ハシェドのよこがお。
すると、ハシェドが前庭の奥を指さした。
「今、開門しましたよ。何かあったのかな?」
砦の城門は二つある。
魔の森にむかう表門と、国内に通じる小門だ。ひらいたのは小門のようだ。
「輸送隊のはずはないから、早馬か」
ブラゴール皇子の件だろうか。
ワレスの胸はさわぐ。
前庭に豆粒のような一隊が入ってきた。赤地に黒いすそ模様。森林警備隊の制服だ。
「めずらしいな。森林警備隊か」
「なんの用でしょうね」
話しているところに、するすると背後から手が伸びてくる。
「ああ……やっぱりもう耐えられません……」
「また、きさまか。ロンド!」
「ああ……満たされるぅ。おいしい精気ですわぁ……」
「仕事をしろ。仕事を!」
「ああーん。ちゃんとご用があって来たのですぅ。でも、その前に、もう少し、こうしていてもいいですかぁ?」
「ダメだッ!」
「いじわるぅ……」
しくしく泣きまねするロンドを、なんとかふりはらう。すると、ロンドはハシェドにむきなおった。
「先日、おっしゃっていたこと、調べました」
「なんだっけ?」というハシェドに、ロンドは大げさにのけぞる。
「し……調べたのに……調べたのに。なんだっけ……うっうっ」
「ええと……」
「神聖語のことですぅ。ほんとに忘れてました?」
「あ、いや、おぼえてたよ。そうそう。でも、あれなら、もういいんだ」
「もう……いい」
ロンドがよろめく。
「もういい……もう……」
「ごめん。ごめん。やっぱり聞かせてくれ」
あんまりオーバーによろめいているので、ハシェドがとりなす。しかし、ロンドはふらふらしながら、どさくさまぎれにワレスの腰にしがみついてきた。
「バカ」
ワレスがポカリとやると、
「バレました?」
ほほ、と笑う。
いちいち、めんどくさい。
「それじゃ言いますけど、ブラゴールって国は文化的にアルラの影響を受けているんです。アルラは古い時代に、ユイラと王族どうしの婚姻があった国で、交流が盛んだったんですよね。宗教や言語もユイラと似たところがあります。同じ土台から発展した文化ですね。
なので、それに影響されたブラゴールも、結果的にユイラの文化の流れをくんでいるんです。神聖語もその関係でブラゴールに流れたんでしょう」
「ふうん。ありがとう。わかったよ」
ハシェドはうなずいているが、なんとなく、すでに知っていたのではないかと思える態度だった。
ワレスが問いただそうとしたときだ。
ジョルジュがコルトをつれてきた。きまじめな顔をして、コルトは直立不動である。
「お呼びですか? ワレス小隊長殿」
「なんだ。おまえだったのか」
その顔を見て、ワレスは気づいた。
先夜は暗かったし、あわただしかったので、わからなかった。が、よく見れば、コルトは以前、ジョルジュにたのまれてワレスに亡霊のウワサ話を聞かせてくれた若い兵士だ。ぽっちゃりめの体形にまちがいはない。
「再三、お話しできて光栄であります!」