一節 社会 ニ

文字数 11,788文字

一週間後
 彼らが歩いた道からさらに少し奥に進んだ場所から景色は変わる。そこからは道は狭くなり違法建築や増築を繰り返した背の高い建物が立ち並ぶようになる。なので真昼以外は陽光がその地域全体を光被させることはない。大半の時間は霧がかかったような明るさだ。例に漏れずその周囲の建物は全体的に小汚く黒ずんでいる。しかし、数多くの露店が並んでおり埃が被ったような店々の看板や断続する明かりで照らされた店内などがあるため景色は多少違うように思える。人通りも多くそれなりに活気がある。ほんのりした暗さはあるが彼らが歩いていた通りよりもまだ開放的で人を寄せつける場所だ。
「鉛筆とノートをもらえる。おじいちゃん」
「また切らしたのか」
杖を突き店の中央で座っている老人がいる。片眉をあげ重そうな瞼も上げて瞳にお金を取り出す少女をうつす。少女は重そうな肩掛け鞄を背中に押してポケットに財布を入れる。
「はい、お金」
老人の片手に手を添えお金が入った手を老人の手の中に入れる。少年が老人の後ろにある商品を取り彼女に手渡す。
「ノートと鉛筆」
「ありがとう」
微笑んで礼を述べるとそれらを手に取り肩掛け鞄に入れる。そして、少女はその店を出て行った。少女は帽子を深く被り自身より大きな大人たちと顔を合わせないように歩いていく。息を潜め極力認識されないようにひっそりとそして足早に歩いていく。店といっても様々だ。生肉を吊るした店もあれば機械の部品を置いた店もある。どの店舗も取り扱っている品々が商標通りであることはあるかもしれないしないかもしれない。生肉は人の肉かもしれないし機械の部品は全て粗悪品なのかもしれない。法的に売買が禁止されているものもちらほらとある。だが、ここはまだ遥かにましな露店街だ。もっと最悪なところに行けば麻薬や人身売買や少年少女の売春宿がある。露店を抜け建造物が立ち並ぶ暗く狭い道を歩いていく。人の数が徐々にまばらになっていくと少女は安堵の息を漏らす。歩調が少し緩む。道の両側にある団地は窓と窓の間に大きな間隔はない。そのせいかはわからないが住人が顔を出すのを滅多に見かけることがない。見上げるほどの高さがある団地の外装は雨や風にさらされたせいで重圧的な黒色に塗装されている。本当に人が住んでいるか疑わしい静かな古びた建物はとても不気味だ。しかし、大勢の大人の視線が上から降ってこないだけここは少女にとって先ほどの場所より遥かにましだ。大人の特に男性に見られると身の危険を感じ恐怖を感じてしまう。時折、誰かが路上のゴミを踏む音が聞こえる。それだけしかない暗い道を越えるとしばらくぶりに太陽が道を照らす通りに出る。ここからはコンクリートの建造物がかなり少なくなる。近場にあるゴミだめ、ゴミの大地と言えばいいのか。主に貧民外区外から来たゴミが山のように積み重なっている場所がる。ゴミの処理に金をかけることを嫌う会社などが出したゴミが毎朝そこに運ばれてくる。ここに住む住人や貧民外区の多くの子供たちは毎朝そこのゴミだめに行き糊口を凌ぐほどの金額を稼いでいる。夕刻にかかる前の今の時間はちょうどそういった人たちがポケットに入れた硬貨を触りながら歩いている。彼女は右に曲がりコンクリートの壁が道に沿い続いている歩道を歩く。その反対側の道にはゴミから作ったトタンや青いビニールシートを屋根にした家の形を成したものが所狭しと並んでいる。明日に何が起きるかわからない彼らの人生はいつ終わりを迎えるかわからない。病気になろうものならそれを治療するための金はないので苦しみの中で死に絶えるしかない。また、二日ほど稼げない日が続けば貯蓄のない彼らは飢餓で体調を崩すことを免れないだろう。それらを思ってかわからないが日稼を持つ彼らは浮かない顔で歩いている。夏でなければ今の時刻はちょうど夕刻になるのでさらに哀愁がある光景になっていただろう。彼女は地面に伏しながらゆっくり歩く影たちと何度かすれ違っていく。コンクリートの壁側の道を歩く彼女は同じ年齢くらいの子供の影に気づくと偶にそのものたちを一瞥して歩いていく。その最中に二人で歩く子供の影を見かけるとつい顔を上げて彼らを見てしまった。知り合いではない。だが、あの道を二人で歩くというのは彼女にとっては見知った光景である。その光景が通り過ぎると彼女は深く帽子を被り足速に歩いていった。
 彼女の反対側の道が建築途中で放棄された建物に変わる。複雑に入り組んだ鉄骨と解体されずに残った足場がある。そういった鉄骨だけの建築がしばらく続くのだが彼女の目的地はもう間近にある。彼女は立ち止まり四階建てのペンシルビルを見上げる。この通りに人はあまり寄り付かない。錆びた鉄骨の群がいつ崩壊し身に降りかかるかわからないからだ。ペンシルビルの中に入り人一人がやっとな狭い階段を上っていく。二階の狭い踊り場に着くとドアの向こうから聞き慣れない男女の声が聞こえた。何を言っているかわからないが楽しそうな声だ。三階の踊り場に着いた彼女はドアをノックする。肩にかけていた大きな鞄の紐を外し手に持つ。このペンシルビルの踊り場は外と繋がる一切の空間がない。だからどこに顔を向けてもさして何も変わらないので待っている間は暇になる。さらにここの住人は悪いことに決まって返事をしない。
「入りますよ」
少女の声が狭い空間で何度も反響する。念のためにもう一度ノックをする。そして、ノックした手のまま扉に体を寄せて待つ。少し待ったが返事はない。冷えたドアノブに手をかけると同時に扉が開き彼女は扉の軌道の中にある頭を急いで引っ込め扉を避けた。
「誰」
十代後半くらいの青年が出て来た。少女は想像できなかった事態に目を見開き瞳をきょろきょろさせてしまう。
 あ、そうだ。そうだった。誰かといるのがあまりにも意外すぎて忘れてたけど今は二人でいるって先生から聞いてたこと忘れてた。
「––––––––––あの、あなたがダイライさん……」彼女は遠慮がちに瞳を向ける。「でいいですか」
「そうだけど」
ダイライの顔が少女に向く。冷たい態度ではないがあまり変わらない顔や一音一音が平坦なため、面倒そうにも興味がなさそうにも見える。だが、瞳は彼女を捉えてよく観察している。その瞳は値踏みするものでもなく性的な感情を持つ瞳でもない。だから、そこまで嫌な気はしないがこうも純粋な瞳を向けられるとやりにくいと感じざをおえない。
「えっと–––––。ワクイさんはいませんか」
どういった態度がいいかわからず少女は苦し紛れに笑みを浮かべる。
「ワクイ……。中に入れば」
ダイライはドアノブを掴んでいる手を離し前のめりになっている体勢を平常に戻す。彼女は勝手にしまっていくドアに手をかける。そして、自分一人分くらいの間を作り中に入って行った。入って左手の一番奥の壁側は全て窓になっている。その近くには執務机と椅子がある。窓になっている面はそこしかないので部屋の中は日中でもさほど明るくならない。カーテンをしているためそれはなおさらだ。真反対の壁側の近くには大人が横になれるくらいのソファが二つ向かい合っている。彼女の正面の壁には一面に本棚がある。半分ほど埋まりきっておらず横に倒して置かれている本も珍しくはない。彼女は夕刻のように仄暗い部屋の右側を見てソファに座るワクイの後ろ姿を見る。肘掛けに肘をつき退屈そうに本を読んでいる。ダイライはカーテンから漏れでる光に当たる椅子に座り遠目からワクイに近づいていく少女を見ている。
「どうして来てくれなかったの」
少女はワクイが座るソファの正面にあるソファに座る。二人の間には足の低いテーブルがある。彼女は手に持つ大きな鞄を机に置き深く被った帽子を外して髪を短く纏めていたヘアーゴムをとり長い髪を腰に垂らす。体の輪郭を隠すために着ていた薄手の長袖を脱ぎ畳む。その作業が終わるとペットボトルを開け水を飲みながら首元を手で仰いだ。一気に半分も飲む。ペットボトルを口から離すと体にかかる冷えた風を感じた。彼女が真反対にある窓側の天井を見る。クーラーがついている。視線を下に落とすとダイライと目が合った。
「ありがとうございます」
「きにしなくていい」
「あ、そうだ。ご飯を持って来ましたから一緒に食べませんか」
「–––––––」ダイライは先ほどから体勢が変わらないワクイを一瞥する。「気が向いたらそっちに混ざる」
「はい。残しとくますね」
「ありがとう」
 黒髪––––にしては白く明る過ぎる。燻銀の髪と言う方がしっくりくる。
ダイライはワクイに顔を向ける少女の動く髪を見ている。
 いい色。
懐かしい景色を見ているような気になり彼の心に久方ぶりに穏和な風が吹く。夜空を見上げていた祈りの顔を不意に思い出す。何となく微睡むような気持ちになり彼の瞼が自然と下がる。過去に浸りながらも彼は何故か空虚な気持ちがある。過去に思った感情と今の感情が繋ぎ合わせられずどうしても過去の想いのままに満点の星空を綺麗に思えずにいる。どこか嫌な気さえもする。理由がわかればいいのだがわからないから仕方ない。
「–––––––来ていたのか」
「うん。今日はワクイがいるから数年ぶりにようやくここの空を見られるの」
「病院からでもさして変わらないだろ」
「変わるの。ここの方が高いし周辺に空に届くほどのあかりも少ないからいいの」
ワクイはため息をつく。
「そんなものを見ても面白くないだろ」
「ワクイも天文学に関する本を見れば面白くなるよ。知識が智慧に変わる瞬間が面白いよ。それに世界が回っているって感じがする」
「興味ないな」
ダイライの興味はよく話すワクイに向く。片目を開け彼の後ろ姿に目をやる。どんな顔で話しているか想像することすらできない。戦いに負けてから数年間も昏睡していたダイライからすればあっというまであったが独りで過ごした彼にとってはとても濃密な数年間であったに違いない。八の雷神の中で一番に人を嫌い、ひどく軽蔑していた彼がここまで変わる心の軌跡を想像できない。
「ご飯は蓄電池のお礼って先生が言ってたからちゃんと食べてね」
「お前の晩飯にしとけばいい」
「私だけじゃ無理だからダイライさんと三人で食べよう。私、料理上手くなったんだよ」
「––––––––––」
ワクイはすごく嬉しそうに微笑む少女を見る。彼は瞼を深く閉ざす。もうその笑顔が二度とその眼に映らないことを願いながら。
「………ごめんなさい」
少女は顔を曇らし突然謝る。彼女は彼のその顔を見るとあぁ、そうだったととても後悔して彼との向き合い方を思い出す。
「––––––––––少し眠たくなった」
西陽が鉄骨だけの建物に遮られ唯一の窓から差し込む光がか細くなり部屋の中がより暗くなる。冷房から出される風の音が聞こえてくる。寥々とした風に揺らされる少女の髪は音を鳴らさずに揺れるだけの風鈴のように悄然としている。ダイライは唐突にいつもの静けさが訪れたので開けていた片目を閉じる。また彼らと過ごしたかつての日々に浸れるかと思ったがやはりこちらもいつも通りそのような幸福感はなかった。扉をガサツに開ける音が室内に満たされる。そして同時に暗闇をなくす照明の明かりが点き室内が明るくなった。
「こんちわっす。ココいつも暗いっすね」
短髪の女性が室内を見渡す。身を小さくさせる少女に気づくと女性はドアノブを掴んでない手で後ろにいる男性が部屋に入ろうとするのを遮った。
「何かあったの姉さん」
「マジパねぇからダメだ。これはダメだ。弟よ」
愕然とした表情で大きく開けた唇を震わせている。
「え?え?何が?」
「大将、やっぱりショタコンだったしロリコンだったわ」
「えー。えーー!パネ、パネェー」後ろにいる男性は青ざめ手を唇に当てわけもわからずに顔を横に振る。「ぱねぇ。パネぇ」
男性は開いた口の中に思わず指先を入れている。
「大丈夫だ。我が弟よ。彼のガンディは目には目をでは世界は盲目になってしまうといいました」女性は腰にかけた工具袋からスパナを取り出し頭上に掲げ遠い目をしている。「ちんこを切り取ったところで誰も盲目になりません。なくなるのは性欲のみです」
「パネ」男性は呟やいた。「マジパねぇ。ねぇさんやっぱり聖人だわ」
男は興奮気味に感嘆とした声を出す。
「えっとあの」少女は立ち上がり彼らを見る。「そう言うのじゃありませんから」
少し語気を強くして彼女が言った。はっきりとした物言いに男と女は目を丸くして見合う。
「あれ?私勘違いしてた」
男性が部屋に入るのを阻んでいた女性の手が下がる。男性は中に入り女性と肩を並べるとダイライの背中を見てから彼の正面で立っている少女を見る。少女の瞳と合うと突然、少女の左腕が震え始める。少女は無意識にそれを隠すように右手をすぐに左手で覆い震えを無理矢理静止させる。
「ねぇさん。俺どうやら下の階に行った方が良さそうっすわ」男は体を引っ込め踊り場に体を戻す。男性は手と顔を横に振る。「逆にパイセン、もう性欲ないと思います。あれ、もう彼女の中で男性カウントされてないっすわ」唐突に男性は思い詰めた顔になる。「姐さん。すみませんっす」
「え?」
「ニコラ・ホルスト。行きます‼︎」
男性は急いで階段を下っていく。彼は走り出す。少女にとっては今の彼がいいと知りながら走り出してしまった。
 俺はパイセンを可能性を捨てた獣にさせないっす!
直感でわかった。自分はこの日のために備えてきたのだと。長い戦いになるかもしれない。それを本能で感じながらも彼の心に曇りはない。男に生まれたことを祝福されるべきだと彼は強く信じている。ニコラ・ホルストはいいやつだ。しかし、思い込みが激しい一面もある。

 「どうしたんだあいつ」
女性はニコラが降って行った階段を見下ろす。
「意外。彼が人の態度に敏感なんて」
「客商売なら当然っすよ」顔を少女に向け微笑み手を振る。少しうつ伏いていた少女の瞳が上がりぎこちない会釈をする。そして、ダイライに顔を向け部屋の中に入り扉を閉めた。「そこらへん機敏に応対しないと顧客もつかないっすから」
「いつものやつを頼みに来たの」
「やっぱりデンチュウは話が早くて助かるわ」
チュの発音を強調して言った。少女は名前が気になりどういう意味なんだろうと思う。
「一緒に来る」
ダイライが言った。
「え」
少女はダイライを反射的に見る。
「私の名前はホルストっす。君の名前は」
少女はホルストを見る。脂で汚れた深緑のダボっとした作業服に腰にはトンカチやドライバーなどの工具が入っている作業用ベルトがある。何より目に止まったのはチャックを腰まで下げ胸や肩や腰などの女性らしい体躯を隠してないことだった。
 知り合いだからなのかな。
「大丈夫っすよ。少女。胸が大きくない方がいろんな作業やってる時に邪魔にならないっすから私はこれで満足してるっす」
「何の話」
ダイライが言った。
「少女が心配そうに私の体を見てるからとりあえず大丈夫って言ったっす」
「どうして胸囲の話に」
「これはレディの話なんっすよ。思春期には色々思うところがあるっす」
「そうなんだ」
ダイライは力のない語気で返事をした。二人の会話が止まり静かになる。ダイライとホルストは少女を見る。ダイライの表情はよく読めないがホルストの顔は朗らかなものだ。少女は自分の左手が右手に締めつけられることに気づく。
「その…………。」
少女の瞳が目の前に座るワクイを映す。
「一緒に来ませんか」少女の瞳が上がりホルストの自然な姿体と親しみやすい表情を映す。少女の右手が自ずと下がっていく。「面白いっすよ」
「ワクイは寝ている。気にしなくていい」
「あ、弟なら一階にいるから会うこともないっすよ」
肘掛けに肘をつけ頭を支えている瞳を閉じたワクイを一瞥する。
「よろしくお願いします。私はステーラと言います」
「改めて」ホルストが右手をステーラに出す。「ホルストっす。タメ語でいいっすよ。ステーラ」
「はい」ステーラは小走りでホルストの元に行き手を掴もうとする。「よろしく。私もタメ語でお願い。ホルスト」
皮の厚い少しベタついたホルストの手が中指の側面と親指の皮だけが硬いステーラの手と重なる。似て非なる指の感触に互いに気づき二人に親近感が芽生える。彼女らはそれを確かめあうかのように改めて握り合った。




 ホルストが二階にある踊り場の扉に四回ノックする。すると内側から騒がしい音が聞こえた。それは扉の近くにいるホルストにしか聞こえてない。
「あの病院の手伝いしてるなんて凄いね」
「全然そんなことないよ。先生に教えてもらうばかりで何も役立っていないから。ホルストはここで何してるの」
ホルストがドアノブを掴み回す。中はもう騒がしくないが念のために後少し待つ。
「私は機械の製作や故障を直したりして生計を立ててる。と言ってもそんな依頼はあまりこず半ば万屋に近くなってるけど」
ドアを開け顔を左右に振りながらゆっくり入っていく。隅から隅まで部屋を見渡すと大きくドアを開け誰もいない部屋に二人を通す。部屋に一歩踏み入れた途端に独特なにおいが鼻をくすぐる。ステーラが思わず立ち止まってしまう。ほのかにするペンキのにおいに鉄と工業用潤滑油の重みのあるにおい。さらにゴムや埃のようなにおいまでもある。臭くはないのだがシンナーのような鋭いにおいがあるので体に害があるような気がして条件反射で止まってしまった。だがドアを開けたままスイッチを押しに行っているホルストは何も気にしてない。後ろにいるダイライも大して気にしている様子はない。だから、彼女は大丈夫だろうと思い中に入った。プラスチックのレバーが鉄の縁に当たる音が聞こえると蛍光灯が陰りのある青白い光を出し断続的に白い光を出す。暫時も経たずに蛍光灯の内部にある電気が薄いガラス筒に何度かぶつかるような残響しない軽音が聞こえると部屋が明るくなった。部屋の間取りは先程の部屋と同じだ。おそらく一階以外は全て同じ作りだろう。窓に近いところは下に部屋の四分一ほど占めるブルーシートが引かれている。その上には丸椅子や丸い刃が装着された重そうな機械などが置かれた机がある。
「そっちの殺風景な部屋の半面は主に作業用で」ホルストは二人が部屋に入ったのを確認するとドアを閉めそれを背もたれにした。中央に置かれた部屋の半面を占める細長いテーブルを流し見して全ての壁が鉄の棚に隠された反対側を見る。「で、こっちの半面は部品とかを分けて保存してる。中央の机には試作品や完成品が置かれてるの」
三つある棚のうち二つの棚は引き出しが細かく分けられている。
「こんなにも部品が必要だなんて」
「まぁ、使う部品の大半は一緒だから私も何入ってるかは全部把握してないけどね」
興味津々に背伸びをして棚や細長い机に並ぶ機械を観察していたステーラの顔がホルストに向く。
「念のためにってこと」
「いや、弟の趣味。あいつ部品見るとぱネェぱねぇって言ってよく興奮するんだ。その時の姿は姉である私でも許容できないぜ」
ホルストは断固として首を横に振っている。本当はグラビアを見ている時の弟の方がマシに思えるくらいと付け足したかったが喉元でどうにか止めた。
「でも、そのくらい好きってことだね」
ステーラが細く微笑み少女らしい無垢な笑顔を向ける。
 あれはそういう領域じゃないぜ。あの鼻息の荒さは初めておっぱいを触る男子高校生だぜ。
と思ったが深く頷き「あぁ、やつにとっての天職だ」としか言えなかった。
「蓄電池は下にある」
「はいっす。ついでに頼んでたものもありますから確認してください」
「わかった」
ステーラの横にいるダイライが動くとホルストは背中をドアから離しドアを開ける。
「ホルスト、あれってランタン?」
ダイライが外に出た後にドアを閉めたホルストは背伸びをして頭を揺らしながら机の上に置かれた多くの機械をかき分け遠くに置かれたランタンを見る。
「見るなら触る方が遥かにためになるよ」
「いいの」
「いいのいいの」ホルストは長机に腰をつけ前のめりになり機械で埋め尽くされた机上で手の着き場を見つけると手をつき身を乗り出す。思わず息が漏れ出てしまう。端にあるランタンを取る。「私もステーラくらいだった時はゴミ山にあった機械を片っぱしから触って解体したから」
ランタンの取手を持ちステーラに渡す。
「ありがとう」ランタンの底を両手で覆い受け取る。ランタンのガラスの筒の中には細長い電球が入っている。ステーラは顔を近づけ密封された筒の中を観察している。「ゴミ山で生活してたの」
「そうだよ」ホルストは机上の機械を動かしている。「機械を弄ってたらそれが金に繋がって今がって感じ。ステーラは」
「私もゴミ山で暮らしてた。そこで字を覚えて運よく先生に拾われたの」
「字を?どうやって」
「大量の教材といくつかのCDとラジカセが落ちてたの」顔を近づけたままステーラがスイッチを押す。鼻がガラスに触れる寸前まで近かったため唐突に点いた明かりに瞳の奥が痛くなり瞼が皺だらけになるほどに強く瞳を閉ざし顔を真横に向けて両手を掲げ上げランタンを体からできる限り遠ざけた。「–––––––––拾われる前に先生にたまたまあってラジカセの使い方を教えてもらってそこから勉強したの」
「それいい仕事しそうでしょ」
「うん。とても。太陽を見た気分」
皺だらけの顔で言うステーラにホルストは笑う。鉄の工具が多く入っている腰のベルトを外し机上に置くと石が鉄に落ちるような重そうな音が鳴った。
「にしても、どうしてランタンが気になったの」
「夜に星を見る時に手元を蝋燭より明るくさせるものがあったら便利かなって」
「星って星」
ホルストは瞬きを何度もしながら自身を見上げるステーラを見る。眉間にはまだ皺が残っている。
「以前はただ見てるだけだったけどワクイがいなくなった後に星の見方を教えてくれた人がいたの」ぼやけてたステーラの視界が戻り短髪のホルストの顔が映る。「そこから興味を持って始めたの」
「今日はここの屋上に行くの」
ステーラは頭を深く下げ活発な動きで肯定する。
「うん、そのために新しいノートと鉛筆も買ったから」
ホルストはキメ顔をして「ならいいものが見れるぜ」と意気揚々と言った。
「実は私たちも屋上に用事があるから上に行くときに誘うぜ。ランタンも持っていくぜ」
「えぇ」ステーラは甲高い声を上げてしまう。「いいんですか!」
前のめりになり大きな瞳を輝かせる少女にホルストは親指を突き出し肯定した。


 一階はホルストたちの店になっている。L字型のカウンターテーブルがありその外側の空間には商品が置かれた棚がある。全ての商品に値札はない。買われることがあまりないため訊かれた時に値段を言うようになった。内装は全体として機械を扱う店を思わすようなメタリックな銀色をしたカウンターテーブルや棚があるためいかにもな雰囲気がある。今日は店を早々にしまっているためシャッターが下されている。ニコラはシャッターに最も近いカウンターテーブルの端に座り店の一番奥で作業をしているダイライを首を伸ばして落ち着きなく見ている。テーブルの端に置いた手の下には四冊の雑誌がある。
「電気を貯め終わった」ダイライがカウンターテーブルに近づいていく。雑誌の上に置いてある手に力が入る。「頼んだものが完成したってホルストに聞いた」
ニコラがいるL字の細長い面ではなく短い面にダイライは腕を乗せ立ち止まった。
「あれっすね。少し待ってください」
ニコラが立ち上がると同時にダイライの視線が雑誌に向く。ニコラの体が一瞬にして火照る。彼はダイライの視線には全く気付いてなかった。だが、本能で察した。
 デンチュウは見てる‼︎なんて恐ろしい電気ネズミだぜ!こいつは逸材かも知れねぇぜ!
「俺はデンチュウの成長が楽しみっす」
手持ち無沙汰でなんとなく視線を落としていたダイライの瞳がニコラに向く。まるで大きなカブトムシを見ている興奮した少年の顔だった。
「うん?俺はずっとこのままだが」
「大丈夫っす。いつかその時期も終わるっす!」
俺もあったわそういう時期と思いながらニコラは何度も頷いている。
「……………………………………………。とりえず、見たい」
「あ、そうっすね」カウンターテーブルの角に行ったニコラはしゃがみこみ両手で刀の両端を持って立ち上がる。「姉さんがかき集めた情報でとりあえず作ったっす」
ダイライはニコラに歩み寄り刀の中央を持ち受け取る。歪みやブレのない真っ直ぐな白鞘を隅から隅まで見る。そして、容易く左手で持ち視点と同じ位置で刀を水平にさせる。
「良い腕。鉄の重さが全て平等」
「姉さんぱねぇっすから」
そのまま左手の親指で鯉口を切る。蛍光灯に照らされた棟の照り方を見るとダイライの瞼が細くなり瞳が動かなくなる。彼は刀をニコラが見やすいようにテーブルに置き鞘から半分ほど刀身を抜いた。
「パネっす姉さん。まるで鏡のようだぜ」
もみあげから顎まであるちょび髭を触り独り言を呟く。刀身にはニコラが覗き込む姿が曇りなく写されている。
「刃と棟までの流れが小川のような穏やかな流れになっていない。それに良い刀はその刀の輝きがある。これにはそれがない」
「––––––––言わ–––ねぇっすよ」ニコラは顔をうつ伏せ拳に青筋を浮かべる。喉から思わずでた言葉だった。「言われたことねぇっすよ!そんなの‼︎」ニコラの上体がダイライに近づき両手が素早く動く。そしてダイライの手を両手で掴んだ。「まじプロっぽいすっよ!ぱねぇ‼︎姉さんも刃のことに関しては悩んでたんっす」
情熱的なニコラの様相にダイライは戸惑いを覚えつつも既視感が芽生える。
「……そんなに造ることが好き」
「当然そうっすよ!特に姉さんは凝ったらそれは凄いっす」ニコラは手を離し腕を組む。そして、力なく顔を天井に向けた。「けど、欲を言えば人を傷つけるものより人を助けるものが作りたいっすね」
「どうして断らなかったの」
「それは––––––––」ニコラは十代後半のダイライを見下げる。どういう経緯でここに来たのか知る由はない。どんな目にあってここに来たのか。はたまた、ただの物好きか。「姉さんはどんな理由があっても暴力は搾取と同義だ。それはこの社会を肯定する行為だって言ってるっす。俺には難しいことはわかんないっすけど姉さんが言ってることがただなんとなくっすけど正しく思えるっす。けど、現実はそんな綺麗事じゃ収まらないってことも当然わかってるっす。世の中にはいろんな背景を背負う奴がいるっすから。だからあくまでこれは俺たちの信条なんっす。それを押し付けるわけにはいかないっす。他人には他人の生き方や理念があるっすから」
「矛盾してないか」
「そうっすね。きっとそういうものなんっす。だから、その矛盾を無くそうとする姉さんはぱねぇと思うっす」
「そんな方法あるの」
「見るっすか」
判然としないニコラの言葉はそこまで彼の気を惹きつけるものではなかった。だが、ダイライ自身でもわからない何かを思わせるものではあった。








 瞳を閉じるとダイライの双眸には祈りがいる。祈りはいつも空を見ている。ダイライはその瞳を横から見ている。その祈りの隣には彼と自分を引き合わせた朔がいる。その頃のダイライは他の雷神たちとは違い戦いに参加してなかった。彼には戦う理由がなかった。だから、戦いに参加することなくただ興味が惹かれるまま彼らと共にいた。自分にはない夢や希望が彼らにはあった。彼らの蒙昧にも思える壮大な夢に触れる瞬間はどんな詩よりも深く胸底に注ぎ込まれ魂が踊り出すように躍動した。そうした日々を積み重ねるうちに彼はいつか彼らに肩を並べ理想を持つことを夢見るようになった。良き友であった。良い日々であった。いつ思い出しても焦がれてしまうほどに愛しい記憶だ。朔はそのままあり続けると思っていた。祈りは確かに世界を愛していた。しかし今となっては何もわからない。朔がどうして理想を捨てたのか。世界を愛していた祈りがどうして世界に殺されなければならなかったのか。彼らが愛する世界が本当に美しいのか。もう、何もわからない。
「どう、昔より上手くなったでしょ」
「そうだな」
素っ気なくワクイが返した。ステーラの体が嬉しそうに揺れ髪もつられて僅かに動いている。だが、始めに見せた少女のあの笑顔はない。
「どうですか。ダイライさん」
「美味しい。特にサンドウィッチがいい」
三階に戻った二人はソファに座り机にご飯を食べている。この部屋に戻るとステーラは何事もなかったかのように振る舞いワクイとつつがなく話している。二人の関係は本来相入れるものではない。この世界にいる人間とこの世界を壊そうとしている人外だ。彼女はともかく、ワクイはそれをわかっているはずだ。ダイライはステーラとワクイの顔を観察する。彼は知りたい。彼らの歪な関係を知れば、あの姉弟たちの矛盾した信条を知れば何かが見える気がするから。この街は綺麗じゃない。星々も変わってしまった。朔と祈りはこの外区を知った上で世界が美しいと思ったのだろうか。それとも、だから、祈りは世界を壊そうとしたのか。彼は知りたい。
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