三節 想いと願いと祈りに満ちた世界で 八

文字数 5,334文字

 「ムッキーー‼︎僕が言っていることと何が違うって言うのさ‼︎」
無邪気な機体が六本足の両前足を倉庫の天井に逆立たせ体を震わせている。パソコン画面に苛立ちをぶつける無邪気の機体から離れたところでは彼に背を向け機擬体と言われる高度な義肢パーツと向き合っているアノンがいる。人が横たわれるほどの大きさがある台の近くにあるパソコンがある机に肘をつき座っている。その机に仰向けに乗せた彼女の片腕にはパソコンと繋がったコードが内蔵した帯が巻かれている。彼女がその腕の先にある指先を動かすと機械でできた義足も動く。眼鏡をかけている彼女は目視でその反応を確認しながらパソコンに表示される仔細な情報を見ている。因みに彼女のかけている眼鏡はブルーライトカットのためだけで度は入ってない。ネキにもらったもので最初こそはつける習慣がなかったがネキのお節介のおかげでつける習慣ができた。
「どうしたんだい。大きな声を出して」
分析する機体が外からガレージに入ってくる。太陽があと少しで真上に上がる時刻だ。陽光は横に長いガレージの口にふんだんに張り込むことができない。なのでシャッターの真下を境界線とする中と外の狭間だけ陽光の光がやたらと強い。そのせいでガレージの中が仄暗くなるので陽がある今でも天井の電灯はついている。
「ロシアが侵攻作戦でやった虐殺は西欧諸国やその国民がこぞって非難したのにベトナム戦争でやったアメリカの虐殺は西欧諸国のどの国も大きく非難しなかったし制裁がなかったことがおかしいって言ったんだ。そしたら、そんな昔のこととそれは違うって書かれたんだよ。たかが六十七年の誤差しかないのにそんなことを言い始めたんだ」
無邪気な機体は足を地団駄させ感情のままに話した。分析する機体はそんな彼の前にあるパソコンのスレッド画面を見る。そして彼に近づきながら宥めるように話し始める。
「まぁまぁ、そんなこと言っても仕方ないよ。自分の国にとって都合のいい解釈をされるのが歴史なんだから。現にロシアが侵攻をした時に日本は外交的努力を即刻怠って西欧の特にアメリカの従順な飼い犬としてずっと右を見てロシアに制裁をしていた国だからね。戦争を避ける努力をしなかった西欧史観の歴史なんてそんなものだよ」
「君はどうして割り切れるんだい」
「やだなー。割り切ってはいないよ。だけど、彼らには彼らの正義があるんだ。僕たちのような正義や悪で語られない観点は複雑性が強く好まれるものではない。だから僕たちができることは意見のぶつけ合いではなくて彼らに新しい知識と見方を提供することしかできないんだ」
無邪気な機体は分析する機体に体を向ける。
「だけどそれだとできるかわかんないし、長く時間をかけている間にまた同じような過程をえて大きな戦争をするかもしれないよ」
「君が戦争をすごく嫌っている気持ちはわかる。僕も朔さんに会ってから改めてそれを強く思ったよ。だけど、焦りは禁物だよ。理解し合わなければ争いは回避できないんだ。多くの人が思っている戦争を嫌う気持ちはきっと本物だと思う。だから、それが根本にある限りどれだけの時間がかかっても理解し合えるはずだと僕は信じている」
「えー、君って意外とロマンチストなんだね」
「本当に必要なことが難しすぎるから概してそう言われるだけだよ」
「余計なことは考えない方がいいぞ」
アノンの手からは絶えずタイピング音が鳴っている。それは独り言だったのか、伝えるために言ったのか判然としない声だった。
「どうしてですか」
無邪気な機体が首を傾げるように体を全体的に傾げる。分析する機体は体をアノンに向ける。後ろ姿しか見えないアノンはタイピングをしながら手の関節を曲げる機擬体を観察している。
「大きな理想ほど現実と大きく反発する。あいつを見ただろ」大きなタイピング音が一度鳴ると指が止まった。「それを捨てても捨てなくても、それらの選択を放棄しても地獄だ」
「だけどそれだけと今が続くだけです」
「それを咎める奴はいない」
「………………………」分析する機体の六本足の関節は深く折れ胴体が沈む。「そうですね」
分析する機体はアノンの言い分に勝る言葉をたった数秒で何度も模索した。だが感情が混ざることない冷静な思考は客観的事実をただただ敷衍していく。
 シャッターの真下に立つ彼の足元は外からの強い陽光に照らされている。その分、ガレージの内側に伸びる影はとても濃い。機械はその足からなぜ影が伸びているか知っている。だからその影を足から離そうと動かすことはしない。故に自分は機械なのだと俯瞰的に思う。









 石でできた地下牢の中で筆記音が響いていた。行燈のような仄暗い焚き火を頼りに一つ目は何かを書いていた。言葉を綴るのはあまり上手くないらしい。筆記音はよく途切れ言葉を消していく机が擦れる音が聞こえる。例のごとく痛みで起きた俺は火影が映る天井を眺めている。
「いつもこの音で起こしているな。ごめんな」
「……………。」
気が滅入る優しい声だった。





 起きた朔はベッドの縁に座り目を擦っている。カーテンの足元から伸びる陽光が部屋の中をそこはかとなく明るくしている。時刻を確認できるものは部屋にはないが目を開けた時に感じた外の明るさは久々の充足した睡眠を感じさせる。明確な理由のない寝起きの怠さややや働かない頭は酒のせいなのかよく寝たせいなのか理由はわからない。上体をベッドに沈め体を伸ばす。喉から気の抜けた声を漏らして伸び終えた時には深い息を吐き出した。陽光に照らされた天井をなんとなく見つめていると腹が減った気がした。生物として感じる生きる上での当然の原理だが彼はそれを久しく感じる。上体を上げベッドの縁に座り直す。
 なんとなくだがフリーダが酒を飲む理由がわかった気がする。
彼は立ち上がり歯を磨きにいく。二日酔いのない、いい寝起きだ。


 歯を磨き終えた彼は部屋から出て吹き抜けの廊下を歩く。一階からの陽光を一番浴びるその場所は二階の中で一番明るい。二部屋を過ぎて朔の足元は冷めた影の廊下から陽射しに温められた廊下に出る。左側には大部屋に繋がるドアがあり右側には蹴込み板がない一階に繋がる階段がある。
「あなたいい食べっぷりね」
ネキの声が一階から聞こえた。階段を下り始める。
「美味しいです。こんなに美味しいハンバーガー食べたことないです。ひき肉の旨味が出てるって言えばいいんですか。ケチャップがかかってないけど肉の汁と野菜が絶妙に噛み合ってすごいです。あと、バンズもです。これもすごく美味しいです」
興奮する高い声も聞こえる。朔は顔を綻ばせて食べるその声の主の顔がすぐに浮かんだ。
「こんにちわ。よく眠れたようね」ネキは朔の顔をよく見る。「顔色がかなりよくなっているわ」
 もう昼なのか。
一階の床に足をつける。カウンターの内側にいるネキを見る。その前にはカウンターの椅子に座る人間がいる。
「こんにちわ。おかげ様でよく眠れました」
「あなたもご飯を食べる」
朔の瞳が顔をそっぽに向けた見慣れた姿態を見る。
「………とりあず、アノンのところに行きます」
「そう?」ネキは露骨に顔を背けたひのかに一瞬だけ視線を移す。「アノンとあなたの分も作っとくわ。だから後で必ず食べなさいね」
朔は頭を慇懃に下げる。
「昨日も今日もありがとうございます」
「いいわよ別に」
「何か手伝えることがあればおっしゃってください」
ネキは呆れたような笑みを浮かべる。
 そういう性分なのね。
「えぇ。あったら言うわ」
「はい」
朔はガレージに繋がるドアに歩き始める。ネキは不機嫌そうなひのかを見る。
「話しかけなくていいの」
「今はいいです」
ドアが開く音が鳴る。ひのかはネキに向き直るが瞳が目尻に寄っている。ネキの口角が吊り上がる。
「ねぇねぇ、異性として好きなの」
「ないです」
「え?ほんと?」
ドアが閉まるとひのかの瞳は即答に困惑しているネキを映した。
「私と朔さんってそんなに風に見えるんですか?最近も藤子さんに同じようなことを言われました」
「あなた恋はしたことあるの」
「恋ですかー」気のない返事をしたひのかは皿の上にある四分割されたハンバーガーの一欠片を手に取る。そしてハンバーガーを食べる。ひのかの顔は途端に笑顔になる。あまりの幸福感に肩を左右に揺らしている。「後でレシピを訊いていいですか」
「え………えぇ。いいわよ」
 この子の将来が心配だわ。近くに一生独身で終わりそうな女がいるからことさら現実的に心配に思えるわ。







 「ヘッブシュ!」
立っているアノンが床に向けてくしゃみをした。彼女の前には胴体や前脚などにコードが差し込まれた無邪気な機体がいる。彼女の隣にいる分析する機体はアノンの身長ほどある機械に表示される仲間の神経構造や内部の解析情報などを興味深く見ている。
「大丈夫ですか」
無邪気な機体が言った。アノンの体が震える。
「なぜか急に未来のことがよぎって悪寒が」
「それって人間のどういった機能ですか」
分析する機体がアノンに体を向けて言った。
「知るわけねえだろ」
「えぇー、なら、今どんな気持ちか教えてくださいよ」
「刀の分析は終わったのか」
ガレージに入った朔がタブレットを持って立っているアノンに言った。
「あ、朔さんだ」元気な声で言った無邪気な機体は前足を朔に振る。足についたコードがブラブラと激しく揺れる。「昨日はよく眠れたようだね」
「あぁ、お陰様でな」
二機の機体は視界を担っているカメラを拡大して隈が薄れた朔の顔を見ている。
「手を振るな。コードが外れるだろ」
「あ………」無邪気な機体は前足を下げる。同時に頭部も犬のようにしょんぼり下がる。「すみません」
朔はガレージの入り口から見える林を見ながらアノンに近づく。ガレージの中は彼らの声以外にこれと言って何もない。なので、外にいる鳥の声や動物が枯葉を踏む音が聞こえたりする。人工物が積められたガレージの中で自然の音が違和感なく聞こえてくるのはいささか不思議な気分だ。
「刀の分析は終わったか」
「あー、あれか」頭を深く下げてタブレットをいじっている。「お前、あれの元が何か知っているか」
アノンの近くに着いた朔が立ち止まる。顔は太陽が降り注ぐ芝生と先にある林を映している。本来なら紅葉が臨めるはずだが強い日差しのせいで林冠が白に染まっている。
「いや知らない。かなり昔に造られたこと以外に」
「じゃぁ、どうやって手に入れたんだ」
「千五百年以上の長い歴史を持つ家からたまたま報酬でもらった。当時は錆びていて抜けなかったんだ」
「今の刀の状態から想像がつかないが」
素風が林冠を揺らす。陽光を受け流すように林冠がしなやかに動き波光のように紅葉が輝いている。
「その後にたまたま刀に魂が宿ったんだ」
「何だそれ」
呆れたアノンは気力のない半目で朔を見る。
「分析できなかったか」
「できなかったじゃない。実験機器が何も検知しなかった結果が出ただけだ」
「アノンは本当に強いな」
「違うな。研究者は辛抱強いんだよ」
朔が見たアノンは得意げに鼻をあげてそう言っていた。誇らしげなその表情に羨望を抱かずにはいられない。彼女の心意気はそれほどまでに朔と遠い。
「……………世話になった礼をしたい。なにかできることがあるか」
朔はそれを十分に理解していながらも自分と彼女の決定的な違いを理解していない。
「ちょうど頼むつもりだったことがある。ネキのご飯を食べながら話すわ」
「それって僕たちも手伝っていいですか」
無邪気な機体が右側の前足を元気に挙げる。
「元からそのつもりだ」
「ウヒョヒョ」両前足を上げて体全体をワカメのように左右に揺らす。「よろしくね。朔さん」
朔はそんな機体の姿が本当に独特だと改めて感じずにはいられない。
「世話になる」朔はアノンの隣にいる分析する機体も見る。「あなたにも世話になる」
「気にしなくていいよ。正直、僕と彼にとってもガレージの中にいるってかなり退屈だからそれで手伝っている節もあるしね」
「あ、お前の刀も持っていくようにな」
「どうしてだ」
「念のためだ」アノンはタブレットを片手で持ち団扇のように仰ぎ面倒そうに続けて言う「ほら、熊とかに襲われたら大変だろ」
「あぁ、まぁ……。」朔は堅牢な装甲を持つ機体たちを一瞥する。そして釈然としない声を出す。「確かにそうだが」
「ともかく、飯だ。腹が減った」
アノンはタブレットを分析する機体に差し出す。分析する機体の前足と中足の付け根の中間部分から管が伸びる。それの先は人の指のように五本に枝分かれしておりそれぞれ二つの関節もある。それがタブレットを器用に掴むとアノンは手放した。
「やっぱり彼らがいるなら問題ないと思うが」
「ウルセェやつだな」アノンは隣の部屋の扉に向かい歩き始める。「ほら、あれだ。経費がかさむんだよ。機械のメンテ一つで金がかかるんだよ」
取り繕う気もない適当な言葉であることは明白だ。だから朔はもう言及することを諦めた。アノンが扉を開ける。扉から見えるバーカウンターにはネキと……………ひのかがいる。
「––––––––どうしてあいつがいる」
「いや、しらねぇよ」
いるのが当たり前すぎてなにも疑問に思わなかった自分にそこそこな衝撃を覚えたのであった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み