二節 私の痛み

文字数 7,360文字

 世界をかけた戦いで私は負けた。私が立案した作戦で多くの犠牲を生み友と呼べる仲間までも殺した。敗戦が確定した時に私が逃げ惑う様はとても愚かで滑稽であった。死にたいと思う夜を何度も越えた。犠牲になった者たちの亡霊が私に何度も非難を浴びせた。私は死にたい。みなが納得する死に場所で惨たらしく死にたい。
朝日が街を照らす。男は街の建物で一番高い電波塔のトップデッキの欄干の外に座っている。足元の遥か下には煉獄のような猛々しい赤が街の一面に広がっている。
 私はいつになったら死ねる。私はいつになったこの生から解放される。
「相変わらず人相が悪いな」
彼に近づくバルドの服は風に煽られている。
「–––––––––––––––お前はあの戦いを忘れたことがあるか」
「なんだ。またその質問か」バルドは苦笑する。「朔も同じことを訊いてきたぞ」
「勝った奴が何を思うというのか」
彼は拳をつくりながらも感情を覚えさせない冷徹な物言いをした。
「あいつも戦っていた。ただ結果が違っただけだ」
「その結果ごときが私を苦しめているのにか」
「失った。勝っても負けてもあるのはそれだけだ」
彼から鉄が凹む音が聞こえた。それは響くこともなくただ一度だけ重く鳴った。
「こちら側に来ればわかるだろうな。報えない想いが滞留し続ける重みが」
「–––––––––––––––––––––––––––––––。」
彼が振り向き彼らは互いに見やる。自信や野望が混在していたかつての瞳にその面影はない。それに神としての高貴な様相がかつてはあった。しかし今では後ろめたさがある不安定な立ち姿でとても人間臭い。
「敗戦後私は怨霊になった。私は人間を学び続けた。私は復讐する日を待ち望んだ」
闇を見続けた瞳がバルドの瞳を穿つ。汚濁を啜り生きた敗北者は散っていた全ての仲間たちの死に意味を持たせるために爪を研ぎ続けていた。争いは新たな遺恨だけを残す。神であった彼はそれを知っていた。





 駅前の噴水広場に朔と彼女はいる。土曜日の昼がくる手前の時間は人通りが多い。交差点の信号が赤になれば少しした人だかりができる。青になると彼女、彼らは人との間を空けながら歩いていく。半分は顔をうつ伏せ携帯を触っている。もう半分の人たちは行く先を見ながら隣にいる友人と話している。朔たちと同じように噴水を囲う石材のベンチに座る人たちもだいたいは歩行者と同じだが携帯を触らず知人と話す人たちはよく互いの顔を見合って話し合っている。イヤホンをしている人は足を組み腰を深く曲げうつ伏せている。また違う人は噴水をただ茫然と眺めている。人通りの割には静かなここは水の音と人の話し声が混じり合っている。近くにあるショッピングモールの硝子には緩く動くすじ雲と空が映っている。ここ数日間の強かった日差しは今日だけは何故か春に合った穏やかな陽射しだ。噴水から背を向けて人や車がすれ違う道路を朔は見ている。手を後ろに回し体を少し後ろに倒して退屈そうにだ。少し空いた隣では噴水に体を向けた洋服を着た彼女がいつも通り顔をうつ伏せて瞳を閉じている。朔はあくびをする。薄着の服から体に当たる日向が眠気を誘う。元々予定がなかった今日が突然動くように指示されたのだからどうもやる気が出ない。さらにいつ起きるかまた起きない可能性があることを待ち続けているため手持ち無沙汰になっているのがよくない。
 あの物の怪が動く可能性が高いため人通りの多い地域かつ祓除師の数が少ない場所を行くようにバルドから連絡がきた。が、そもそも前提として相手が動けばバルドの捜査網に引っ掛かるはずだ。それができない何かが発生したか。もしくはバルドの身に何かが起こる可能性があるか。
朔はため息をつき後ろに置いた手を前に戻して腰も前に倒す。初めに情報提供をして第三者勢力の可能性を示唆させたのはバルドになる。自身の考察でもそれが浮上したためそう思うのは自然だがずっと違和感が拭えていない。何かが隠れているような気がしてならない。それがバルドの発言から隠れたものなのか。自身の考察不足のせいなのか検討がつかない。
 街の様々な地点で散発的に事件が起きた理由は紛れもなく第三者の指示によるものだ。理性がない物の怪が捕まらないために思案をしたり一定周期で襲うのではなくまばらに日にちを開けて襲うのは考え難い。そういう類のものたちは欲望に逆らうことができない。初めはできる可能性を考慮に入れていたが実際に物の怪と出会い、それはありえないとすぐにわかった。その物の怪を使う理由は恐らく意思の疎通が困難で理性がないから捕まったとしても取られる情報がないからだろう。さらにいなくなっても痛くないからだろう。なら第三者はなぜ物の怪を使い散発的に人を襲わせるのか。方位結界師を殺したのは偶然であったのか。また事件が発生したのに連なり数が増えた火災も何かしらの関係があるのか。一部の被害者及びその殺人現場を燃やす意味とは。ただの火災については十分に調べることはできなかった。年間の火災件数は四百件以上ある。火災の件数が異様に多くなってからの時期に絞ったとしても調べるにしては時間の猶予がない。現地の祓除師に頼んではいるが一ヶ月はかかる。この事件が終わるまで人が常に出払っているせいでどうしても時間がかかる。そしてその火災から何かがわかるかどうかすらわからない。
 事件が散発的に起きた理由は相手がダイライの封印を解くためであれば筋は通る。事件が起きてからの祓除師の配置地点から封印地のおおよその場所を割り当てるのが目的だろう。だから俺が行った全く事件が起きなかった地域が存在する。その地点にはないと早期の段階で分かったためだろう。次に方位結界師の被害だがこれはたまたま襲われたとも想定できる。まず、数人だけ殺したところで影響がない。それに加えてダイライの封印術に関係がない。あくまで下津国と現世の境界線を確定させるためと外部の物の怪の侵入を拒むためにやっている。それを壊した場合は下津国からの穢れで物の怪の力が上がりさらには中級以上の物の怪がこの街に入れるようになる。それはメリットがあるがやはりそれに至るまでの準備が長い。時間が経てば俺のように人員がいくらか補充される。それに見つかる可能性も高くなる。相手の配置だけを見ておおよその封印地を当てられる敵がそのようなことをした理由は。そもそも、前提として敵は本当に目的があるのか。相手は本当にワクイ(若雷)なのか。
 やはり火災の件が何かの糸口なのか。一部の火災現場には事件が起きてないのに執拗なほどの残穢があった。事件が起きてさらに火災が起きた一部の現場でも同様に残穢があった。それもわざとだと明らかに思えるほどに執拗に。–––––––––––––––なにも腑に落ちない。
 人の足音が近づいては過ぎていく。子供同士が話しながら駆けて行く。噴水が止まり周囲が閑静となる。熟慮する朔の足元の近くに鳩が歩いてきた。首を赤べこのように等間隔に揺らし周囲を見渡している。噴水の音がなくなり人の声が目立つようになる。水の周囲で話していた人の声は噴水に負けじと出していた声量のままなので少しだけ騒がしい。青になった信号から「ピヨピヨ」と鳴る擬音が彼らがいる広場に届く。何事もつつがなく流れている。人の足音が少しなくなると信号の擬音がなくなり車がコンクリートを走る音が目立ち始める。しばらくすればまた人の足音が目立ち人の話し声が遠ざかっていく。その流れに終わりはないし異常が起こることもあまりない。だからこそ稀にある異常が目立つ。鳩が羽を懸命に動かしすぐに空に飛んだ。抜けた毛が朔の足元に落ちる。
「おい」
あの彼女が声をかけてきたことに朔は驚きすぐに顔を向けた。
「どうした」
「–––––––––––」
彼女は顔を横に動かし朔に道路側を向くように促す。朔が言われるがまま顔を動かすと彼女は立ち上がりベンチを跨いで朔と同じ方向に体を向ける。街にたった一つの音だけが響いている。それだけがある。それだけが存在している。故に街は静観している。赤信号の交差点をそれは歩いている。時分はまだ昼だが道路を照らす太陽はまるで黄昏のような淡い赤である。血色が一切無い白い肌に浮かぶ偽紫色がはっきりと見える。それは体内で破損した血管がずっと身体中に血を流し続けた腐った肉の色よりさらに病的な黒色だと言ってもいいだろう。陽光を反射する長い黒髪は泥濘みに浸されたかのように汚い。瞳はない。ただ空洞であり虚無がある。うわごとのような喘ぎ声のような掠れた不快な声が鼓膜を蝕むように揺らす。前と違いそれの歩き方は人らしい。しかしながらその人らしい振る舞いが少しでも入ったせいで鵺的な不気味さが加わった。瞭然としながらも漠然な恐怖が多くの人間に混乱を与えている。故に多くの人間が人のなりをしたそれを異常と思いながらも立ち止まり見てしまっている。
 どうしてみんな視えている。
彼女は何も言わずに先を歩き始める。
「手伝ってくれるか」
「–––––––––––––––––」
「ありがとう」
朔は小走りになり彼女より先に前に行く。信号機が青になり「ピヨピヨ。ピヨピヨ」と擬音が鳴り響く。朔はガードレールを踏み越え車道に着く。同時に一台の車がそれに向けて突っ込んだ。車はそれに衝突しボンネットが凹みフロントガラスに蜘蛛の巣状のヒビがはいる。人の形をした乞食のような貧相な体躯をしたそれは飛ばされることなく凹んだボンネットに大の字になり上体をひっつけている。それと車が衝突した光景に目を向けなかった者は誰一人いない。人々は恐怖している。だから結果を早く求めそれを見つめている。闇が静かに光を喰らうかのような実体が感じにくい恐怖だからこそ人々は逃げていない。朔は走りながら肩にかけた竹刀袋から刀を出して腰に差す。ボンネットに俯していたそれの顔が朔にだらりと向く。唇が水平になるほど広角を上げた表情のない顔に前髪がかかった。その顔を見た一人が突然金切り声をあげる。それは鉄とコンクリートの街にすぐに響き渡り何度も反響する。それはボンネットを裂きフロントガラスを破り運転席にいる男の首を掴んだ。はっきりとした異常が人々の瞳に映る。運転席にいる男が引きずりだされガラスが周囲に散らばり血とともにコンクリートに落ちる。それは男を無造作にボンネットに叩きつけた。髄液と血がそれの全身にかかり破砕した頭蓋骨が肉と飛び散った脳と共に乱雑に落ちていった。頭部が鉄に衝突する鈍い音は響くことなくすぐに消えた。本当は響いていたかもしれないが人が容易く壊れた視覚の映像にとらわれ過ぎて多くの人間は赤しか理解できなかった。誰かが息を取り乱し痙攣したかのように体を震わし腰から倒れた。するとその人間の顔を見た他の人間はそれが何かはよくはわからないが逃げなければいけないと本能で感じる。一人がいち早く逃げ出すと膠着状態が決壊した。我先に進む力の流れは川の氾濫のように強くそれに抗う術のないものは押しのけられ取り残される。怒号が飛び交い悲鳴が上がる。地面に倒れてしまった人たちは人に踏まれる恐怖と交差点にいるあれの恐怖に身を追いやられる。
 ショッピングモール内の人の誘導はできました。
朔の耳につけた通信機から情報が入った。朔は一瞬だけ群衆に取り残される人たちを見る。中でも目に入るのは子供だ。状況が呑み込めているはずがない。
「前をみろ‼︎」
前を見た瞬間に人の体が目の前に現れる。避けきれず朔はその体にぶつかり後方に飛ばされ両足が地面から離れる。頭部がない体が自身にぶつけられたと気づくと同時に壊れた車が自身にもう投げ飛ばされていたのにも気づく。朔はご遺体と投げ飛ばされた車を何度か交互に見る。
「くそ」
車の影が自身を覆ったと同時にご遺体の服を掴み横に投げ飛ばし歩を前に進める。そして車とコンクリートの空いた空間に姿勢を屈めて入り込み左手で鯉口を切り右手で柄を強く掴む。車が頭上を過ぎ影からでた朔はすぐに体を反転させ車に体を向ける。車の後ろには自身に背を向けた物の怪がいる。朔は深く深呼吸する。朔は地面を蹴り飛び上がると同時に鞘から刀を出し始める。刀が陽光を一瞬だけ反射させる。その後遅れて鞘から抜かれた刀の甲高い鋼の音が広まった。それの腹部に綺麗な横筋の線が入り血が垂れ始める。刀はもう過ぎていた。その居合い抜きを不意にやれた相手が避けられるはずがなかった。着地した朔は刀についた腐った血を振り落とし納刀する。車は噴水を壊し駅の改札口で転がり落ちた。朔から近い位置で地面に降りた物の怪は足が地面に着くと胴体が落ち始める。そして下半身は胴体と逆側に倒れた。半身がなくなっても物の怪は手をやたらに動かして「ご飯。ごはん」と口から腐乱臭がする血を吐き出しながら言う。
「殺さないのか」
「––––––––––––––––––」朔は胸元から札を取り出す。「わかっている」
「––––––––––––」
朔が札を投げる。彼は人と相容れない存在を見つめる。悪や正義では分けられないこの世界で刀を握り続ける意味を知る過程に彼はいる。仕方のない生命の剥奪はない。命を奪い続けているからこそ彼はそれを忘れてはならないと強く思っている。
 それに触れる寸前で突然札が燃え尽きた。途端に青い光が街を覆う。その光が最も強い方角に視線を向けると青い光の柱が地面から空に向かって立っている。その光の柱はさらに増え朔たちが目視できる範囲で二柱確認できる。空に亀裂が入り硝子の破片のようなものが頭上に落ち始める。さらに亀裂は広がり空から何かが裂かれる音が際限なく広がっていく。
「一体どうなっている」
けたたましいサイレンが街を覆う。





 「結界を壊す準備までできてきたのか。どうやった」
電波塔にいるバルドの瞳が険しくなる。
「言っただろ。私は負けたんだ。だからお前たちを学んだ。だから勝てるまで待ち続けることができた」男とバルドの腕に紋様が浮かぶ。バルドが携帯を手に取る。「この電波塔には爆弾を仕込んである」
「ワクイお前」
「お前に選択肢はない。それにお前にとっても悪くないはずだ。私もここの戦いに参加できなくなるからな」
「–––––––––––––」
バルドは青い柱がいくつも立つ街の景色を見るワクイを睨む。
「早く選べ。この周辺はこの街の中で一番の人口密度だ」
「どうして俺と戦わず互いにこの戦闘を参加しないための契約印を結ばせる」
「お前の索敵能力は規模の大きな戦闘では一番厄介になる」
「その脅しを俺だけにする理由はなんだ。この街を守る祓除師全てにそれは通用する」
「侵略者である憎い雷神と交渉できる奴はそういない」
「…………自分が参加しなくとも勝算があると」
「選べ。人間を殺すかこの戦いに負けるかだ」
空にはしる亀裂が完全に破れ透明な膜が一瞬だけ視認できた。すると青い光の柱は一瞬でなくなった。街の上空に怪鳥が入っていく。ここからそう遠くない祓除師の支部からは突然煙が上がり始める。
「他の妖怪が一般人を襲ったらまた大規模な戦いに発展するぞ」
「襲わないように指示している。お前たちは一般人の死には過敏だが同業者の死には鈍感だ。だから、襲うふりをしてお前たちだけを殺す。これならお前たちのみの責任になり他の勢力が動く動機になりにくい」
「随分、人の世界について詳しくなったな」
「–––––––––––––––––––お前たちが守った碌でなしどもが支配する世界は素晴らしいからな」
互いの手首から紋様が出るとそれらは繋がり次第に消えていった。バルドは欄干の外側で座っているワクイに近づき欄干に肘を置く。この戦いに関することに置いては互いに隠す腹のうちはもうなくなった。
「結界の壊し方も人の術式を知ったが故にできたのか」
「結界にある不浄と聖気の流れを最低限の術式のみで崩れさせた」
「反転術式か。かなり高位な術を。だが、多くの方位結界師が関わる結界を壊すなら術式自体に介入しなければ––––––––––––––」青い柱が上がっていた場所を見回していく。バルドは火災件数が伸びたことや全ての事件現場にわざと思えるほどの高濃度の残穢があったことや一部の事件現場が燃やされていたことを思い出す。「隠すためか」唖然とした口からぼやきのように漏れ出た。「––––––––燃やした場所に陣を崩壊させるための陣を一部だけ造っていたのか。陣を灰の中に置き視覚的に見えなくさせさらにはバレた場合に燃やした箇所にだけ陣があると印象付けさせるためか。これなら火災した箇所全てが対象内になり捜査する時に多くの時間がかかる。例え全ての火災の捜査を終えたとしても結界を崩壊させるための核となる陣には火災現場がない。穢れが異様に濃かったのは単純に陣が持つ魔力を感知させないためか。一部の方位結界師が殺された理由はその人間が管理する方位結界の陣に直接介入するためだった。殺すことはあくまでも目的ではない。通常、穢れが濃くなった地帯での陣は壊されその場が放棄される。だが、陣の上に偽物の陣を重ねその上部だけを壊させれば本物の陣は残る。穢れの濃度が濃い場所では霊力と穢れの判別は非常につきにくい。偽物を壊したとしてもそれが偽物だと気づことは至難のわざだ」無意識に下がっていた顔を上げワクイの背中を見る。「だが、やり方が大掛かりすぎる。大雷の封印場所のおおよその検討はついているはずだ。どうしてわざわざそこまでして結界を解いた」
「最も成功率が高い計画を選んだまでだ。私の計画は結界の崩壊を成功させた時点で終わりを迎える」ワクイがバルドに振り返る。「始めにいっておこう。お前や英雄殿がここに訪れたことは私の計画の一部に組み込まれていた」
生き残った者の眼光は砥がれていた。屈辱的な敗戦が彼をそうさせたわけではない。失った同胞の命の重みが彼をここまで押しやった。そして、その過程で彼は人間社会に普遍してある多くの不平等を知った。それがさらに彼をこの世界は壊すべきだと強く思わせた。
 彼の瞳に理想はなくただ人の世界を壊すための狂気となっている。その道のいく先に答えはきっとない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み