終章 その呪いが何かに変わるまで

文字数 6,114文字

 電流のようなか細い雷光が刀を纏い剣筋を速くさせる。鞘から抜かれていない刀がそれを受け止める。ダイライは刀をすぐに引き真上から刀を振り下ろす。電流を纏わない一撃に合わせ朔が鞘を上に構えると雷光を纏う右足が正面から朔を蹴り飛ばした。ダイライはすぐに飛ばされた朔に刀を投げる。刀は弾丸のように風の抵抗をものともせず直進してくる。朔は鞘でそれを真上に弾き飛ばす。そして、青い雪原に足を着ける。同時に電流が瞳を掠める。朔が咄嗟に頭を引くと電流を纏う拳が眉間をかすった。朔はすぐに左手でダイライのその拳の手首を内側から掴み外に捻り自身に引き寄せる。そして鞘を前に立て相手の鳩尾に合わせる。しかし当たる直前でダイライが飛び上がり落下している刀を掴む。そして朔の真上から空気を切り伏せる重撃を振り下ろす。圧せられた空気を肌身で感じた朔はすぐに後ろに下がり攻撃を避ける。周囲に青い花びらが散る。その中でダイライの切先が朔の心臓に繋がる一本の糸のように正確に心臓に追撃してくる。朔はそれをすぐに弾くがまた次の剣戟が襲いかかる。
 力だけじゃない。単純に力の使い方が上手くなっている。電流を纏う攻撃とそれ以外の攻撃で緩急を加えて攻撃のタイミングを読み難くしている。
「鏖刀が最も重点を置いて教えたのは居合のはずだ。抜くんだ。朔の全てを砕いて俺は今の世界の全てと決別する。この世界は間違っていたと証明する」
「そんなことに意味はない」
「ならこの世界は正しいと言うの」
花びらが焦げる。雷光を纏う一閃を朔が受け止め鞘とぶつかり鍔迫り合いになる。
「………………………。」
「朔は自分がかつて見た理想にまやかしに縋っているだけだ!」ダイライの刀に力が溢れ出す。彼の心血と繋がった刀は重く朔は体ごと押し倒されそうになる。「現実を見ろ!お前の全てを奪ったこの世界はお前に何を残した。またこうして争うことだけをお前に残して世界はあり続けているんだ」
押し負けた朔は後ろに足を一歩後退させる。その一瞬の隙にダイライの刀は深く踏み込み朔の左肩を刺す。
「いっ–––––––!」
刀はすぐに抜かれ血に濡れた刃を心部に踏み込ませる。
「抜かなければこの一撃に間に合わない。祈りの時のように選べばいいんだ。もうこの世界に理想はないんだ」
ダイライの開かれた深淵の瞳が寂光する弱い朔の瞳を刺し穿ち見る。朔は柄を持つ右手首を捻り鞘を左手に持たせる。朔の刀の真上には心部に届きかけている刀がある。ダイライが言う通り居合い抜きの速度でなければ弾くことはできない。刀と鞘を固く結ぶ白い帯は二人の激闘が散らす風に煽られ激しく靡いている。
 俺は––––––––俺は………………………。
あらゆる負の感情が混じりに混じった鵺のような暗いダイライの瞳に朔はこの世界にある否定できない影を自身の傷に重ねて体感する。同じ理想を見て同じ友を失ったからこそダイライの痛みが自身の神経を伝うように感じられる。だから彼はもはや彼が話し合う段階ではない決意の領域に深く踏み入っていることを十分に知っている。
 祈りの時と同じだ。世界か友か、また俺は選ぶのか。
柄を持つ手に力が入る。その手はその刀は全てを殺してきた。この世界に立ちはだかる全てを……友すらも。
朔は懊悩に打ちひしがれて血を吸う大地に顔を落とす。
「抜くんだ。この世界は同じことしか繰り返せないんだ」
ダイライの感情的な声が響く。刀を縛る紅い帯が緩む。鞘を持つ親指が鍔を押し上げ鯉口を切る。幾度となく聞いた鞘から刀が抜け始めるその音が弱幕と響く。人を殺すために造られた刀からは生命を吸い取る死神の鎌のような白い輝きが放たれる。あとは右手を動かし刀を抜くだけだ。ダイライを見る朔の鼓動が早くなっていく。
「俺は……俺は………………」
「俺たちは戦うしかないんだ!」
祈りを刺した感覚が蘇る。血肉を裂いたあの重い感覚が油のような生きた生暖かい血が鉄のにおいが蘇る。
 –––––僕が愛した世界を守って––––朔。
柄を持つ手が震える胸底に呼応して激しく揺れる。
 呪いだ。その言葉はやっぱり呪いだった。どうしてこんなに残酷な言葉を俺に––––––
青い花弁が刀が放つ白い光を隠す。朔が視線を下げると自身の刀に勿忘草が映っていた。
 ––––––顔を上げよ。
コクライの信念がある決然たる声が朔の顔を上げさす。眼前には狂気じみたダイライの瞳がある。
 ––––––どうして戦うのか。自分が守りたい世界とは一体何であるか考えるのだ。
この世界に夢想を抱いたあの瞳が自身を見ている。
「–––––––––––––––––––––––––––––––––––。」
あの頃も今も朔は変わっていない。何もまだ決められていない。しかし、世界が彼が決めるまで待つことはありえない。–––––––彼は手を動かす。
「……………。」
「……………………。」
霏霏とした雪がダイライの刀の棟に落ちる。落ちた雪は熱に溶かされ水とり棟から刃に流れ勿忘草に落ちる。
「……………。」
「違うだろ。朔には何もないだろ」ダイライの胸底が声帯が寒そうに震えている。「信念も理想もないだろ。この世界が美しいと思ってないはずだろ……………………」
朔の動いた左手は心部に向かうダイライの刀に真横から柄を当て進行方向を心臓から横にずらしただけだった。故にダイライの刀は朔の胴体を貫ぬいた。傷口から漏れ出ている血の蒸気はダイライの鼻先に触れながら曇天にあがっている。血が混じる朔の白い吐息が瞬きを忘れた冴えたダイライの瞳に温度を思い出させる。
「………………………。」
血を口元から垂らし今にでも倒れそうな体で朔は顔を上げてダイライの瞳を見ている。まやかしの光が信念からほど遠いか弱い眼光がダイライを見ている。
「どうして………紛い物の光のくせに。何も持ってないくせに」ダイライは刀を引き抜き雷鳴を纏う拳を朔の傷口に押し込める。「どうして‼︎」
悲痛な叫びが轟き朔の傷を深く抉り血を噴き出させる。飛ばされた朔は痛みのあまり意識が吹き飛び受け身すら取れずに樹氷に強打する。勿忘草を閉じ込めた樹氷は激震してひび割れあっけなく砕ける。絶痛の中で血を吐き出し瞳を開けると曇天の下で勿忘草を含んだ砕けた樹氷が全身に落ちていく光景が映った。
「もういい」友の血を全身に浴びたダイライが呟く。「戦うつもりがないならもういい」
ダイライは刃につく朔の血を振り落とす。そして死にかけのかつての友に続く血の道を歩いていく。
 砕けた勿忘草が散らばる中で朔のぼやけた視界は曇天を捉えている。かつて信じたあの美しい光はこの地上を照らしてくれない。篝火のあの暖かさは降り積もる雪が全てを忘れさせる。やがて溶ける雪は水となり低きに流れる。黎明は程遠く斜陽は触れられるほどに近い。











 霏霏とした雪が降る中であの時も彼女は走っていた。黎明を遮る曇天が道を暗くし先に起こる悲劇を予感させた。川海の足跡を越えるたびにその予感は刃物を心臓に突き刺すような死を実感させた。カルデラ湖に佇むどれだけ近づいても変わらない山の形をした祠に向かい走っている。曇天の暗さをありのままに映した湖は海底のように暗く氷のように底冷えするほどに冷たい。彼女が囚われたあの祠に白輝は何百年も繰り返し通った。その度に抑え難い憤怒を胸底に縛りつけた。その度に自身の愚かさを喉を焦がすほどに呪った。藻のように林冠が覆う孤島に足をつけ中央にある火口に入る。反り上がった岩壁の割れ目に入ると水が溜まった火口の内側に着く。波止場のように水の中央に伸びる石の道がある。その先端には透き通った結晶の中に閉じ込められた川海がいる。真上にある唯一の小さな穴から滝のように注がれる光にあたり乱反射する結晶の中で神々しく彼女が佇んでいる。つつじは堪え難いこの光景を見る度にこの世界に深く絶望した。
「ようやくだ。ようやくお前をこの世界から解放できる」
絶望と憎悪から始まった世界を歩く旅がようやく終わりを告げる。死ぬことも老いることも許されない永遠の牢獄から川海を解き放つことができる。結晶の前に着いたつつじは結晶の上から彼女の手に手を重ねる。ずっと見てきたのに触れられなかった川海の手にようやく彼女は触れられる。彼女の腕から手に黒雷がはしる。黒雷は結晶の中に流れ増幅していく。
「私たちの予想は合っていた。地平線の向こうには沈んだはずの太陽が見えた。極星は北に近い大地にいる限りどこでも見えた」
激しい雷鳴の轟音の中でつつじは優しくつぶやく。不意に見てしまった粗雑に切られた短い髪の先につつじはその肉体がただのものだと思い出す。結晶にヒビが入り打ちつけられるように水面の全域で水飛沫が上がる。血を雪原に流している川海の姿が蘇る。
「–––––––川海。」つつじは瞳を閉じ頭を川海につける。「だから……もういいだろ」
全身にある黒雷が流失していく。しかし黒雷の勢いはさらに強くなり雷鳴は岩壁を揺らすほどに大きくなる。つつじが使った生涯の中で最も強い雷だが彼女に気負うものは何もなくまたその雷には恐怖を煽るものは何一つなかった。つつじの体に軋むようにヒビがはいる。痛みや死を恐れる感情はない。悲哀の黒雷が結晶を砕く。その音はどこまでも天高く伸び曇天の先にある光まで舞い上がる。
「またいつか。あそこで星を見よう」
視界が白くなる。体の痛みはなくなり意識が蒙昧になる。しかし体は縁側で感じた風が運ぶ湖の湿気をはっきりと感じている。隣にいた川海の温度も彼女の呼吸もまるで今も隣にいるように感じる。幻想の中でゆっくりと瞼を上げる。今の幻想が壊れないように丁寧に優しく触れるように私の世界を瞳に映す。星を見上げる希望に満ちた瞳がそばにある。
「久しぶり」
川海の顔がつつじに向く。星の光芒を浴びる濡羽色の長髪がたなびく。つつじは瞳を覆う涙を瞬きをして落とす。彼女の顔を見たいが瞳はすぐに涙に覆われる。心から溢れる感情は喉を窮屈にする。
「あぁ、ただいま」
彼女たちは再びこの場所に戻った。全ての始まりでつつじの長いひとり旅は終わりを迎えた。











 「–––––––––––どう。もう落ち着いた」
川海とつつじは手を繋ぎ寄り添いあって座っている。川海はずっと星を見上げて辛そうに目を細めている。ようやく呼吸が整ったつつじは赤い瞼を開け繋いだ川海の手を見る。泣きつかれたつつじは重そうに口を動かす。
「あぁ………。」
「ずっとここで見ていたの。つつじの旅を……。」川海はつつじを見る。自身に寄りかかるつつじの体は今まで立っていたのが不思議に思えるほどに重い。「ごめんなさい。私の身勝手な思いがつつじを自由から遠ざけた」
「この身に似合わない自由を渇望していた私の責任だ」
「そんなことない。私がもっといいやり方を見つけなかったせい」
「この世界は犠牲を常に必要としている。それを理解できなかった私の責任だ」
川海の手がつつじの疲れ果てた手を癒すように優しく包む。瞳を開けることをやめて空を見ることを忘れたつつじの姿は川海の瞳に深く深く突き刺さる。
「…………………私ね。ここである人の存在を知ってからずっと見ていたの。私たちが望んだように彼はいろんな場所で星を見て過ごしたの」
「それはいい人生だろうな」
「どうだろう」川海の顔が静かに横に揺れる。星の光を映す濡羽色の髪は波紋が広がるように毛先にかけて静かに波打つ。波が毛先のさらに下に落ちていくと黒髪から光が失せた。「私にはわからない。彼は多くのことを知って多くのものを失った。進めば進むほどその道のりの遠さを知って何度も俯いて立ち止まった。星を遠くから眺めていた時の方が遥かに彼は幸せだったと思う。そう思うとなおさら私は彼から目が離せなくなった」
「…………………。」
「…………………。」
「…………………。」
長い旅に傷つけられたつつじの遠くには風光明媚な世界がある。その景色は夜光が世界を照らすから見える。その景色は無数の星があるから美しく見える。どれが欠けてもきっとこの世界は美しくならない。
「さいごに見て欲しいものがあるの。それで決めて欲しいの」
「何を」
「この世界をもう一度歩くかを」
「もうそんなことは––––––」
「できるの」
川海はひび割れたつつじの手に自身の想いを流し込むように強く握る。つつじは手のひらから痛みと温もりを感じた。それは腕から心部に流れやがて瞳を開けさせた。視線の先には深更の中で星を映す湖がある。星から涙のような雫が落ちる。水面にある星にそれが落ちると泡沫のような泡が湖上に浮かび上がり篝火の前で星を見る誰かが見えた。
「これは……………。」
その記憶は極星に触れることで始まる痛ましい記憶でもあり星の下で多くのものたちの希望を繋いだ温かな記憶でもある。

 ––––指先にあるのは極星だ。これは心に星と書いて心星とも言う。まるでこの星を中心にして星々がまわっていることから由来する。まずこれを見つけろ。

 –––––やめろ。お前たち。相手は捕虜なんだぞ。しかも子供だ。殴るはなしだといつも言っているだろ!
 –––––俺たちの仲間を殺したんだ。ガキなんて関係ない。嬲り殺しにすべきだ

 ––––––見よ。自分の意志で歩き始めたものよ。いかなる思想にも侵されぬこの世界を

 ––––––どうして誰も教えてくれないんだ。正義とか悪とか簡単に教えるくせにそれ以外の答えはどうして教えてくれないんだよ


 –––––朔、お前の目には世界がどう映る。お前の目には私がどう映る。おかしいのはどっちだ

「これらは星の記憶。彼が…………彼らからこの世界で受け取った全てのもの」
つつじの息が止まる。自分が思う以上にいや、あの時に自分の行いを止めた人間がこの世界でこれだけの人生を体験したと想像できなかった。この世界の歪さを憎み、この世界の美しさを疎み、それでも何故か逃げることなくずっとこの世界で悩んでいる。そんなものだと割り切って流れてしまえば考えなくていいことをずっと朔は考えている。
「…………。」共に波止場で星を見た朔の顔の意味を思い知る。「––––––––この世界はもうじき下津国と繋がり今の理が破綻していく。新たな世界でならあいつは…………。」
星の滴が落ちる。霏霏とした雪に花びらを折られる勿忘草の群生地が見える。灰色の空を閉じ込める砕かれた勿忘草の結晶の近くで脇腹から血を流す朔が映る。血は雪を溶かし低きに流れる赤い水を広げている。
「私は信じている」川海はつつじの指の間に指を入れる。そして震える手で強く握る。「この世界で星を見たからこの世界でつつじに会えたから」水面がさざめき星の雫が淡くなっていく。すると篝火のような暖かい鱗粉が広まっていく。濡羽色の髪がこの世界に数多にある光子に照らされる。「……………彼らがこれからこの世界で歩む道を信じたい」
「この光は……」つつじは無数にある光子を指先で触る。「いったい………」
「この世界だからこそ生まれた可能性の光」
川海は立ち上がる。そして腕を伸ばし何かを掴むように手を曲げる。途端に燦爛とした眩しい光が視界を埋め尽くした。
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