異聞
文字数 2,419文字
今この街に”幻の娼館”が来ている、という噂が。
その娼館は一所に留まらず世界各地を巡っている。
なんの前触れもなく深夜開館し、翌朝には跡形もなく消える。そして同じ場所には二度と現れない。
正に”幻”そのものだ。
運良く娼館を見つけ、一夜限りの夢を楽しんだ者は皆こう話す。
『あそこの女達はどんなに醜く、爛れた欲望でも必ず満たしてくれる。』
この噂が広まっていた数週間の間、夜間に出歩く男が増えた事は言うまでもない。
そんな時期、 深夜の商業区のとある酒場で顔を真っ赤にしたオヤジが一人で喚いていた。
「なんだこのクソマズイ酒はッ!?
腐ってんだろ!!」
「そいつは今日仕入れたばかりだ。
言いがかりはよして……」
「オ〜〜イッ!!
みんな気を付けろ!この店は腐った酒を出すぞ!!」
騒がしい客が多いこの時間帯でも流石に看過できない。そう判断した店主が出て行ってくれと注意すると、オヤジは店主の胸ぐらを掴んで唾を撒き散らす。
「なんだその態度はッ!?
俺はあのケートス家の長男、メンカルだぞ!
こんなボロ酒場しか持てないお前とは格が違うんだよッ!!」
イキリ立った直後、メンカルは屈強な男に首根っこを掴まれ、酒場の裏口からに外に突き飛ばされていた。
深夜営業している酒場なら酔っ払い対処の用心棒を一人二人控えていることは、この国では当たり前の事だ。
「クソッ!!
どいつもこいつも俺を舐めやがってッ!!」
デカい声で独り言を言いながらおぼつかない足取りで裏路地を行くメンカル。家督が弟に渡った5年前から、彼は度々こんな迷惑行為を繰り返していた。
多額の資産。膨大な土地。それらはいずれ自分の物になる。そう信じて疑わなかった。
だがそうならなかった。殆どの財産は弟が相続し、自分には全体のたった5%という情け程度のものしか譲られなかった。
その日から、彼に胡麻をすっていた周りの者達も態度をガラリと変え、彼を見下しながら去って行った。
兄弟なんだから少なくとも半分は自分の物だ。そう訴えを起こしたこともあるが、法律上何の問題もないとアッサリ棄却された。
裏切られた。
家族に。友人に。社会に。
クソ……、クソッ……、クソッッ!!!
道端の小石やゴミに八つ当たりしながらフラフラ歩いていると、薄暗い路地に突然ピンク色の灯りが灯った。光が差す方を見ると、扉の前に立つ一人の女性がメンカルを見つめていた。
胸元が大胆に開いた服の若い女性はメンカルを見つめながら微笑み掛ける。
「オジサン、だいぶ溜まってるみたいだねぇ?
ここで全部出してかない?」
ここにこんな店があっただろうか?というかこの艶かしい雰囲気は……
この街ではそういう類の店は営業禁止の筈だ。
「……まさか!?今噂になってる幻の娼館!?」
「知ってるんだぁ?
じゃあ断らないわよね?さぁ、どうぞ。」
「ハッ!誰が入るか!
知ってるぞ。なんでもここの女はNG無しらしいじゃねぇか?
そんなビッチ、触っただけでどんな性病移されるか分かったもんじゃねぇ!」
相変わらずの悪態。だが女性は眉ひとつ動かす事なく、妖しい笑みを浮かべたままメンカルに歩み寄り彼の手を握る。
「そう、アタシは決してNOとは言わない。
どんなプレイでも、シチュエーションでも応えて上げる。
でも、本当にそんな事でいいの?」
「な、なんだと?」
女から甘い香りが漂い始める。それを嗅いだメンカルは目を虚にし、考える力をみるみる失って行く。女は耳元に口を近付けるそっと囁く
「まずは中に入って……
私がぜ〜んぶ聞いて上げる……」
「は、入るだけなら……」
最早メンカルには女の手を振り解く力すら出せなかった。
手を引かれるまま、ゆっくりとドアを潜る。
「ようこそ、『夜宴』の館へ……」
館の中は女性から漂っていたものと同じ香りが充満していた。空気にネットリ絡み付く様な粘り気を感じる。
個室に入れられたメンカルはベッドの上に寝かされる。
「ここなら誰にも聞かれない。
さぁ、話して……」
女がメンカルの顔にフゥ〜と息を吐き掛ける。その息を吸った瞬間、彼の自律神経は完全に壊れた。
目、鼻、口の全てから体液を垂れ流し、寝言の様にたどたどしく言葉を発する。
「農園区は今のままじゃ潰れる……、改革が必要なんだ……!
だから娯楽施設を建てる案は間違ってねぇ……
なのに……、アイツらは俺を……ッ!!」
「オジサン、ホントはすっごく優秀なんだ?」
「そうだ……!俺は無能なんかじゃねぇ……!
本当は誰よりも賢い!喧嘩だって強いんだ!!」
「へ〜、どれくらい?」
「誰よりもだ!
わからせてやりたい……!!俺が一番だと……ッ!!」
「フフ、それが本当の望みって訳ね。
その望み、叶えて上げる。」
女が手でメンカルの目を覆うと、彼は事切れる様に深い眠りに落ちた。
そして夢を見た。
人々を恐怖へ陥れる悪い魔女と、それを華麗に退治する一人の男。
人々は男に感謝し、まるで神の様に崇め奉った。
夢の終わりに、あの女の声が聞こえる。
「あなたはこうなりたいのよね?
だったらなればいいじゃない。
オジサンに一冊の本を上げる。
それに今見た夢を書くの。きっと望んだ通りになるわ……」
〜〜〜〜〜
朝、メンカルが目を覚ますと、そこは自宅のベッドの上だった。
「夢、か……?
いつ帰って来たんだ?全然記憶が無い。
流石に飲み過ぎたか……」
起き上がろうと布団を払い除けた時、ベッドからボトッと何かが落ちた。
それは何も書かれていない1冊の本だった。
『それに今見た夢を書くの。きっと望んだ通りになるわ……』
その言葉が脳裏に甦る。
もしかしたら、娼館に入ったところまでは夢じゃない?だとしたら……
バカバカしいと思いつつ、メンカルは欲望に突き動かされるまま本に書き殴った。
夢で見た、一人の男が英雄となる魔女退治の物語を。