第14話

文字数 8,667文字


 ※

 村外れまで来た三人は村を覆う黒煙を目にし、車を停めた。
「どうなってんだ、ありゃあ」
 マルクがダッシュボードから双眼鏡を取り出し、村の様子を探る。
「何か見える」
 イーシンは後部座席から顔を出し聞く。
「だめだ、なんにも見えん」
 村の上空を巨大な黒煙が立ち込め、そこだけ夜が訪れたように暗い。いつから燃えているのか、銃声もしなければ爆発音もしない。悲鳴も聞こえなかった。
「村が燃えている」と警察に通報して待つこと十分。緊急車両が来る気配はない。
「サイードの村を襲うなんて政府軍の仕業かしら」
「わからん」
 マルクは双眼鏡を下ろしダッシュボードに戻す。
「ここに居てもしょうがねぇ。引き返すか」
「行ってくる」
「ああっ」、「ええっ」
 マルクと二人でハモってしまった。
 ウェインはスカーフで鼻と口を覆い、リュックを背負い銃を手にする。
「偵察してくる。二十分待って戻らない場合、敵に見つかりそうな場合は私に構わず引き上げてくれ」
 言うなり、車から飛び出す。
「おっ、おいっ、待てよっ」
 ウェイン大好き単細胞のマルクは銃を引っつかみ、運転席を降りる。
「ちょ、ちょっと。正気なの。敵が誰かも、何人いるかも分からないのよ」
 言い終える間もなく二人はどんどん遠ざかる。
 ――……冗談でしょう。
 イーシンは村へ走る二人の後ろ姿を見つめ、やがて、大きなため息を一つつき、銃を手に車を降りた。

 ウェインは周囲を警戒しながら村へ入る。
 村の入り口を示す大きな石は黒く焦げ、村のあちらこちらで火の手があがっていた。
 潰れた家屋、壁が崩れた建物、通りは瓦礫に埋もれ惨憺たるありさまだ。柱に繋がれたまま焼け死んだヤギや囲いに閉じ込められ丸焼けになった鶏を目にした。
 焼けただれた死体に灰が降り積もる。
 村の被害状況に比べ、死体が少ない。
 瓦礫が通りを塞ぎ進めなかったようだ、四台のトラックが停まっていた。運転席や助手席には誰もいない。
 ウェインは腰を屈め車に駆け寄り、エンジン部分に手をかざす。
 ――……まだ温かい。近くにいる。
 煙で視界不良だ。ウェインは薄く目を閉じ、全神経を耳に集中させる。
 風が唸り、噴煙が立ち昇る。ぱちぱちと燃える音が近場や遠くで聞こえる。人の声はしない。
 石が転がる音を耳が捉える。閉鎖された空間で段差を転がるような、くぐもり低く響く音。
 八メートル先にある潰れた家屋が気になった。
 ウェインはリュックを下ろし、銃を肩に担ぐ。
 一階部分は潰れ、二階部分も原形を留めない。壁が折れ重なり、天井が割れてずり落ちている。耳を澄まし、五メートルはある瓦礫の山を一歩、一歩登る。
 瓦礫と瓦礫の隙間をさっと何かがよぎる。
 ウェインは足音を消し瓦礫の隙間に近づき、銃口を向け、静かに呼びかける。
「いるのは分かっている。返事をしろ」
 返事はない。ウェインは声を大きくした。
「危害は加えない。いるなら返事をしろ」
 大きく息を吸い込む気配がした。鼻水をすするような、嗚咽をこらえるような。
 ウェインは銃口を下ろした。膝をつき、隙間を覗く。
 悲鳴がはっきりと聞こえた。高く澄んだ子どもの声だ。
 隙間から熱気が外へ流れる。四十度以上ある気温と火事で内部は更に高温なはずだ。早く出さないと脱水症状を起こす。
 ウェインは静かに語りかける。
「大丈夫だ。私は敵ではない。君を助けたい。返事をしてくれないか」
 返事はなかった。怪我をしているのか。もしくは子どもは囮で敵が奥に潜んでいるのかとも考えたが、銃を脇に置いた。
 蓋のように被さった瓦礫に両手指を深くかけ、腰を落とし、両脚を踏ん張る。背中が軋み、大腿と臀筋が悲鳴をあげる。踏ん張る足元の瓦礫がパラパラと崩れ、ガラゴロと地上へ落ちていく。
 ウェインは全身の力を振り絞り、瓦礫を押し上げる。
 コンクリとコンクリが擦れ、砂が流れ落ち、隙間が広がる。閉じようとする隙間に上半身をねじ込み、肩と背中で押し返す。
 沈もうとする瓦礫を片手で押さえ、空いた右手を深く差し込み、声を振り絞る。
「手をつかめ。引っ張り上げる」
 指先に柔らかいものが触れ、反射的につかんだ。逃げ回るほどのスペースはないようだ、簡単に捕まえられた。
 内部が高温のせいだろう、触れた肌は熱く、つかんだ服はぐっしょりと濡れていた。
 手の甲を引っかかれ、腕を殴られる。
 長くは支えられない。ウェインは五指で服を握りしめ、腕の力だけで引っ張り出した。
 頭から足の先まで真っ白な子どもが出てきた。
 瓦礫を支えていた手を離す。音を立てて隙間がぴったりと閉じた。
 八歳か九歳くらいの男児だ。全身砂を被り、出血はない、見たところ大した怪我はしていないようだった。
 瓦礫と瓦礫の隙間に閉じ込められ奇跡的に助かったのだろう。
 子どもはウェインの手をはがそうと必死にもがく。
 二人が立っている場所は地上三メートル、瓦礫の上だ。落ちたら大怪我どころではない。
 ウェインは少年の体に腕を回し、脇に抱え瓦礫を下りる。
 子どもは手足をばたつかせ暴れる。ウェインは子どもを落とさないようしっかりと抱きかかえた。
 子どもが目をかっと開き、ウェインの腕に噛みついた。
「……ッ……」
 ウェインはバランスを崩し、なんとか踏みとどまる。足元の石が三メートル下へ転がり落ちていった。
 子どもは歯ぎしりするようにギリギリと強く噛む。
 袖が赤く染まり、血がぽたぽたと伝い落ちる。子どもの歯はがっちりと食い込み、緩める気配はない。
 足場が悪い場所で暴れられては二人とも転落する。
 ウェインは子どもに腕を噛ませたまま瓦礫を下りる。一歩下りるごとに歯が肉に食い込み、眩暈に襲われる。呼吸は荒く、目の奥がチカチカする。
 ウェインは意識的に息を吐き、一歩、また一歩と慎重に下りる。
 熱線で焼き切られるような痛みより、向けられた敵意に動揺していた。

 村の入り口に近い、比較的安全な場所に子どもを連れて行く。
 イーシンとマルクが物陰に隠れ待っていた。
 腕を緩めても、子どもは噛みついたまま離れない。
 ウェインは痛みを堪え子供の両頬を指で挟んだ。ビクッと子どもは震え、しかし歯を離さない。強く噛みすぎて口が開かないようだった。
 ウェインは指で歯をこじ開けた。がばあっと子どもの口が腕から離れ、血がぱあーっと飛ぶ。服が裂けていた。
「おいっ、クソガキ。なんだてめえは」
「しっ」ウェインはマルクを制す。
 子どもは青ざめ震えている。
「大丈夫だ。もう君は助かった」
 ウェインは子どもの肩に手を置き、静かに語りかける。リュックから包帯を取り出し腕に巻き、もう治ったとばかりにすっくと立つ。
「ちょっと、大丈夫なの。ひとまず撤収しましょう。子どもがいることだし」
「いや、まだ生き残っている者がいるかもしれない」
「人助けに来たんじゃないわよ、私達」
「そうだそうだ。大体そのガキ、助けてもらって腕に噛みつくとはけしからん。置いて行け」
「大した怪我では……」
 悲鳴がした。
 空を切り裂くような、獣の咆哮のような。高く遠く響き渡る悲痛な叫び。黒煙と灰に阻まれ声の主は見えない。
 悲鳴がぱたりと止む。
「子どもを頼む」
「おおっ、おいっ」
 ウェインはマルクに子どもを押しつけ、悲鳴がした方へ走った。

 瓦礫を飛び越え血だまりを踏む。
 黒煙で視界が遮られるなか、腰を屈め、膝を折り、全速で走る。
 広がる炎、たなびく煙、倒壊した家屋、濃厚な異臭、流れる血……、死と火薬の臭い、――赤と黒の世界。
 皮膚を切る緊迫感とは裏腹に血はたぎり、頭は冴えていた。
 足裏に伝わる砂の柔らかさ、瓦礫を疾走する脚、迫りくる猛火をくぐり抜ける体躯は躍動していた。感覚は研ぎ澄まされ、刻々と変わる状況で下す判断に迷いはない。
 爽快だった。あらゆるしがらみから、縛りから、重力から解き放たれ、自由だった。生きている実感を全身で味わっていた。
 悲鳴は途絶えている。
 酷くなる異臭に、大量の灰を撒き散らす巨大な噴煙に確信した、悲鳴の主はあそこにいると。
 黒煙が間近に迫る。
「呪われた女めっ」
 男の怒鳴り声がした。
 立ち込める煙の向こうに二つの影が映る。ひざまずく女に男が銃を突きつけていた。
「死ねっ」
 男が怒声を浴びせると同時ウェインは男の影を撃った。
 男はのけぞり、ゆっくりと倒れた。
 女は糸が切れた操り人形のようにくずおれる。
 ウェインは駆け寄り、驚愕した。女の額から目の下にかけて大きな火傷の痕があった。
「……シ、エナ……、シエナかっ」
 素顔は暗闇で一瞬しか見ていない。しかし、サイードの妻シエナに違いなかった。
 シエナの服は朱に染まり、銃を手にしていた。
 垂れ込める煙に目を凝らす。撃った男とは別に、八人の男の遺体が散らばっていた。
 側頭部が欠けた者、首が抉れた者、目が潰れた者……、どれも至近距離で撃ち抜かれていた。
 ――……シエナが撃ったのか……。
 濃厚な異臭が鼻を衝く。
 オレンジ色の炎が燃えあがり、黒煙が噴きあがる。地面にぽっかりと開いた穴から無数の人体が覗く。
 村民に穴を掘らせ、ここで殺害し、火を放ったのだろう。もしくは生きたまま突き落とし火を付けたか。
 折れ曲がり、絡み合い、既に炭化していた。
 バンッ。
 積まれた死体が爆ぜる。遺体の山が崩れ、金粉が散り、大量の灰が空へ舞う。
 村を覆う黒煙と灰は人を焼いたものだ。
 この事態に至った経緯を考えるより、シエナを助けることが先だ。
 感情は固い理性の殻に覆われぴくりとも動かない。
 あらゆる感情を遮断し、目的のために最善を尽くす。
 兵士として軍人として叩き込まれていた。
 負傷個所は胸と肩と脇腹、心臓はまだ動いている。
 ウェインはリュックを下ろし医療キットを取り出す。
「シエナ、しっかりしろっ。必ず助ける。死ぬなっ」
 シエナの瞼がかすかに動いた、気がした。

 ※

「そういうことだから今病院にいる。十六時にアル・ソハラホテルで会いましょう」
 イーシンは携帯の電源を切り、病院の中庭に戻った。
 比較的規模が大きく、村から一番近い病院に女と子どもを運び込んだ。
 幸い、子どもに怪我はなく処置は必要なかった。女の方は、四つある手術室のうちの一つで手術を受けている。
 医師からこれといった説明はなく、助かれば奇跡という空気が流れていた。
 イーシンは中庭にいるマルクとウェインに告げた。
「十六時に南部ナシリアにあるアル・ソハラホテルでアーロンと落ち合うことになったわ。イラク政府軍関係者とアメリカ軍幹部が来るって。サイードの聖地襲撃計画の話を含め、大体のことはアーロンが伝えているみたい。もっと詳しく聞きたいそうよ」
「面白くなってきたな」
 マルクは鼻息が荒い。
「……分かった……」
 ウェインは物憂げに答える。腕に巻いた包帯が血で滲んでいる。
 イーシンはウェインの隣に腰かける。
「腕、診てもらったら」
「いや、たいしたことはない」
 ウェインは言葉少なだ。
「……サイードの妻が意識不明の重体で緊急手術を受けていることも話したわよ」
 ウェインはこくりと頷く。
 マルクは頭をバリバリと掻く。
 ウェインはさっきから心ここにあらずといった感じでマルクも対応に困っているようだ。
 車の後部座席を倒し寝かせた女は額から目元にかけて火傷の痕があった。
 以前、イーシンは家主の親族から「サイードの妻にはニカブで顔を隠していても分かるほど醜い傷痕があった」と聞いていた。
 イーシンはウェインに確かめた。
「この女性は、サイードの妻じゃないの」
「なぬっ」
 マルクは運転席で声をあげ、ウェインは数瞬黙った後、
「ああ」と答えた。
「なんで助けたの。生き残っても武装集団の指導者の妻でしょう。ろくな目に遭わないわよ。死なせてあげた方が彼女にとって幸せなんじゃないの」
 ウェインは答えなかった。
 ――……指摘しなければ黙っているつもりだったのかしら。
 やましい気持ちはないにしても仲間内で隠し事はタブーだ。明るみに出た時、嘘やごまかしは仲間に不信感を抱かせる。
 情報の共有が信頼関係を築くうえでどれほど大切か、元軍人のウェインなら知っているだろうに。
 壊滅状態の村に一人で飛び込んで行ったのも納得いかない。戦場での単独行動は命取りだ。普段のウェインなら絶対にしなかった。
 ウェインは中庭の片隅にうずくまる子どもが気にかかるようだ。少し離れた場所からずっと見守っている。
「村はどんな様子だろう」
「アーロンの話によれば『村の中だけでなく、村から離れた場所でも腐敗した遺体が見つかっている』らしくて、『手当たり次第に虐殺を行っていた可能性が高い』みたい。『村は壊滅状態に近く、生存者が何人いるか分からない』そうよ。今、治安部隊と政府軍が村に入って鎮火と生存者の捜索にあたっているらしいけれど状況を把握できるまではしばらくかかりそう。……あの状態だとカリムとミーアさんの埋葬場所は分からずじまいかもね。……気の毒ね……」
 ウェインは頷いた。首がことりと落ちたような頷き方だ。
「けっ。治安部隊も軍もたいしたことねえな。俺たちが駆けつけた後に来るなんてよ。行動が遅すぎるぜ。国民を守るのが役目じゃねえのかよ」
 腹立たしげに吐き捨てるマルクをイーシンはしげしげと見る。
「あんたでもまともなこと言うのね」
「ぶっ飛ばすぞっ」
 離れた場所で子どもがびくつく。
 イーシンも救助活動が遅すぎると感じていた。
 村の近くまで来た時、既に村の上空には煙が上がっていた。イーシンの他にも異変を察知し通報した者はいただろう。しかし、緊急車両や治安部隊が現れたのはウェインが子どもと女を救出し、車に乗せ病院に向かう途中だった。
 状況からして一日でできる仕事ではない。少なくとも昨日から破壊活動を行っていたと考えられる。
 サイードが指示したのか。ならば、支配下に置いた村を襲い、己の妻を殺す目的は。
 それとも部下による反乱か。危険を冒し指導者に逆らう理由は。サイードと他の連中はなぜ止めないのか。
 組織内で何かが起きているのもしれない。
 大きな疑問がもう一つ。
 警察は知っていたはずなのになぜ放置したか。
 訓練場を襲撃された時も、村が襲撃された件に関しても、あまりにも軍や警察の動きが遅くずさんだった、――悪意さえ感じるほどに。
 ――……もしかしたら、村の住民は武装集団の一味と思われているのかもしれない。今回の襲撃は武装組織の内部分裂だと。
 村の部族長はサイードを支持し、税を一括して納めていた。訓練場襲撃に村民を手伝わせたふしもある。村民だけでなく地元住民も報復を恐れ政府役人や軍関係者にサイードの存在を隠していた。
 イラク政府軍と警察はサイードとの関係を疑ったのかもしれない。だから村が襲撃されても動かず、村が破壊される光景を小気味よく見ていたとしたら……。
 あくまで推測だ。
 この後イラク政府軍も交え会合を開く。うかつに口にすればウェインは平静でいられないだろうし、マルクは暴れかねない。話し合いどころではなくなる。
 イーシンは唇の内側を噛んだ。
「おい、出発するまでここに居るつもりかよ。それより飯食わないか」
 マルクが至極もっともな提案をする。イーシンもお腹がぺこぺこだ。
 イーシンはウェインに声をかける。
「食事に行きましょう」
「……あの子はどうする……」
 ウェインは庭の片隅で縮こまっている子どもを見る。
 名前を言わず、身寄りがいるのかどうかも分からない。
 病院周辺にいれば村の襲撃を知った身内が子どもを探しに来るかもしれないと留めているが、アーロンと約束がある、子どもに付き添ってはいられない。
「ほっとけ。一人で強く生きていくさ」
 マルクが声を発する度に子どもはビクつく。
 図体が大きいうえ声も大きい。そのうえ粗野で尊大とくれば怯えて当然だ。村を襲った男たちと同じに見えるのかもしれない。
「連れて行けないわよ。多分、もうここには戻ってこないと思う」
「……そうだな……」
 ウェインは子どもをぼんやりと眺め、ぽつりと呟く。
 ――……本当に、戦えるのかしら。
 日本にいた頃、ウェインはいつも訓練生に戦闘技術を叩きこもうと、戦場での心構えを教えようと懸命だった。
 訓練生に高い水準を要求する一方、ウェイン自身も己に厳しい訓練を課していた。どこまでも仕事に忠実だった。
 サイードの動向を探り、サイードの計画を阻止するためにと留まっているが……。
 今のウェインに敵を打ち負かそうという気概を感じない。それどころかサイードの妻を助け、聞かれるまで女の素性を黙っていた。
 ――……ぶれまくっているわよ。
 イーシンは心の中でウェインに語りかけた。

 結局マルクに食料の買い出しに行ってもらい、出発ギリギリまで病院敷地内にいることにした。
 ウェインはナンに鳥肉を挟んだ料理と水を手に子どもの所へ行く。
 イーシンはマルクと鳥の串焼きをかじりながらウェインと子どもの様子を見守る。
 マルクが柄にもなく声を潜める。
「……なあ、置いて行った方がよくないか……」
「もちろん置いて行くわ。病院のスタッフに『数日あの子をここに居させて身内が引き取りに来たら引き渡してほしい』と頼んである。引き取り手がいなければ、どうなるでしょうね。孤児院は足りないし」
「あほうっ。ウェインだ。あのクソガキはどうでもいい」
「あほって誰がっ。……え、……ウェイン」
 マルクが珍しく神妙な顔つきになる。
「ウェイン、変じゃないか。ぼーっとして、だんまりで……。危なっかしいというか。連れて行かん方がいいんじゃないかと……」
 頭が筋肉でできているマルクもウェインに関しては察しがいいらしい。
「……自分で言えば」
「なんて言うんだ。口喧嘩は得意だが会話は苦手なんだ」
「私にウェインを止めてほしいの」
 その通り、というふうにマルクはしきりに頷く。
 イーシンは苦笑した。
「……ウェインは一度言いだしたらきかないのよ。私が止めても無駄だと思う」
 マルクは不満げに口を曲げる。
「心配ないと思う。敵を撃ち、サイードの妻を助けたんでしょう。戦場での感覚は忘れていない。その時になったら動けると思う。今は少し余計なことを考える時間がありすぎるだけ」
 マルクは無言で串焼きにかぶりつき鶏肉を頬張る。
 イーシンも串焼きをかじる。
 ――……問題は、その後なのよね……。
 日本にいた頃、訓練生の最終試験としてシミュレーションを行った。イラクで治安維持活動を行っている部隊がテロリストに襲撃され応戦するという設定だった。アドバイザーとして参加したウェインは訓練生とともに成果をあげ、イーシンは心底喜んだ。
 しかし、その後ウェインは精神的に不安定になり、アースを辞めた。
 これはシミュレーションではなく、実戦。
 受ける精神的なダメージを考えれば止めた方がいい。引き際を誤り死んでいく兵士は大勢いる。
 ウェインは優秀な戦士だが今回はウェインの過去が複雑に絡みあっている。冷静な判断ができるか、気がかりだ。
「……仕方がないわ。その時はその時よ」
 イーシンは自分自身に言い聞かせるように呟いた。

「……食べろ。水もある」
 簡単なアラビア語とジェスチャーで食事を勧める。子どもは膝を抱え一言もしゃべらない。
 食事をとっていたイーシンとマルクが立ち上がる。そろそろ時間だ。
「……私はもう行く。多分、ここには戻ってこない。君は病院に留まり迎えが来るのを待つんだ。もし、三日経っても迎えが来ない時は……」
 言葉を切る。
 孤児を引き取る福祉施設は慢性的に不足している。引き取り手がいなければ路上で暮らすしか……。
 ウェインは紙に包んだ料理を子どもの手につかませ立ち上がる。
 パンツの裾を引っ張られた。
「ぼくも行く」
 見上げる二つの目が底光りする。
 ウェインは息を呑んだ。
「あいつらを殺す」
 子どもの声ではなかった。地の底から響くような、声。
 ウェインは慄然とした。
 復讐は虚しいだけだ、両親は復讐など望んでいない、勉強して社会に貢献できる大人になれ……。
 体のいい言葉を並べても憎しみに憑りつかれた者には届かないことを、ウェインは身をもって知っている。
 子どもは裾を握り食い下がる。
「ぼくも行く。あいつらを殺す」
「ふざけんな、クソガキ。てめえになにができる」
 はっと、ウェインは我に返った。マルクとイーシンがいた。
「それが人にものを頼む態度か。助けてもらった人間に怪我ぁ負わせて『すみませんでした、助けて下さり、ありがとうございます』って言うのが先だろ。名前も名乗らねえとはどういうわけだ。あめえんだよ。復讐してぇならてめえで勝手にやれ。ついてこられたら迷惑だ」
「ちょっと、子ども相手に言いすぎよ」
 イーシンがたしなめる。
「どこがだっ。戦場に大人も子どももねぇ。戦いてぇならもっと体をつくって、必要最低限の礼儀ってもんを身につけてこい。戦闘はチームプレーだ。自分のことしか頭にねえ奴は願い下げだ」
 イーシンは頭が痛いとでもいうように額に手をやる。
「……話の論点がずれまくっているわよ」
「ずれてねえっ。復讐しか頭にない奴はチームを巻き添えにする。自分のことしか考えてないからな」
 子どもはマルクを睨んでいる。
「クソガキに睨まれても怖くねえ。さっさと行こうぜ」
「そうね、遅刻するわ。ウェイン、行きましょう」
 ウェインは二人の後に続き、二度、三度振り返る。
 子どもはうずくまり、顔を上げない。手の中の料理が潰れていた。
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