第18話

文字数 5,154文字


 ※

「白いな」
 エルサレムの東にあるオリーブ山からエルサレム旧市街を一望したマルクが発した最初の感想だ。
 イーシンも同じ感想を口にした。
「白いわね」
 青空の下、白い城壁に囲まれ白い建物が密集する。所々に緑が生え、くすんだ赤い屋根や灰色の丸屋根が点在する。白っぽい景観の中で唯一、金色に輝く半球体の屋根(岩のドーム)が目を引く。
「ここが聖地か。もっと金銀財宝で飾りまくったド派手な街を想像していた」
 真面目な顔でのたまうマルクにイーシンは衝撃を受けた。
「……冗談、よね。来たことがなくてもテレビや写真で見たことあるでしょう」
 マルクが小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「オンボロ訓練場に来るまで現役バリバリで戦場を駆けまわっていた俺に観光する暇があるか」
 ――……紛争地でもあるんだけれど。……こんなに常識がないのと一緒にいたの、私……。
 イーシンはめまいを覚えた。
「……後で案内してくれるそうよ。打ち合わせに行きましょう」
 イーシンは平静を装いマルクを促す。
「ウェインもいるんだろうな」
「多分ね。ウェインは大事な情報源だろうから」
「気に入らねえ」
 マルクは舌打ちした。

 一九四七年、国連総会はパレスチナをアラブ国家、ユダヤ国家、エルサレム(国際管理地域)に分割する案を採択。
 一九四八年、ユダヤ人はイギリスが宣言した「パレスチナにユダヤ人のホームランドを建設する」との約束(『バルフォア宣言』)を根拠にアラブ人の土地であったパレスチナに『イスラエル建国』を宣言する。
 パレスチナ(アラブ人)とイスラエル(ユダヤ人)の間で領土を巡り、中東諸国を巻き込んだ戦争が始まり(第一次~第四次中東戦争)、現在においても衝突は断続的に続いている。
 争いはアラブ人とユダヤ人の領土問題だけにとどまらず、パレスチナの中心都市である聖地エルサレムの主権を巡るユダヤ教とイスラム教の宗教対立へと発展する。
 聖地エルサレムには東エルサレム(旧市街)と西エルサレム(新市街)がある。
 中でも、東エルサレム(旧市街)には同じ神を崇めるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地がある。旧市街は縦横一キロほどの城壁に囲まれ、石畳の路地が迷路のように入り組んでいる歩行者専用の街である。
 旧市街は、「キリスト教徒地区」、「イスラム教徒地区」、「ユダヤ教徒地区」、「アルメニア人(アルメニア正教会キリスト教徒)地区」の四つの地区に分かれ、数多くの聖地や遺跡などが存在する。
 なかでも重要な聖地は次の三か所。
 一つは、イスラム教第三の聖地『岩のドーム』と『アル・アクサ・モスク』。イスラム教徒地区に位置する。
 『岩のドーム』は自然の高台に造られたエルサレム神殿の遺構(「神殿の丘」)に、預言者ムハンマドが昇天したとされる岩を護るために造られた。『岩のドーム』はユダヤ教の聖地でもあり、預言者の一人アブラハムが息子イサクを神に捧げようとした場所と信じられている。
 一つは、「神殿の丘」西側にある、ユダヤ教第一の聖地『嘆きの壁』。ユダヤ教徒地区に位置する。
 『嘆きの壁』は紀元後七〇年ローマ軍によって破壊されたユダヤ教エルサレム神殿の遺構の一部とされる。この戦いにより多くのユダヤ人が殺された。
 一つは、キリストが磔にされたゴルゴダの丘に建てられたとされるキリスト教の聖地『聖墳墓教会』。キリスト教徒地区に位置する。
 イスラエル人が「ユダヤ教徒地区」と『嘆きの壁』以外の地区に入ることは少なく、またパレスチナ人が「ユダヤ教徒地区」に入ることもほとんどない。

 イスラエルは第三次中東戦争(一九六七年)で東エルサレムを含むパレスチナの大部分を占領した。
 一九九三年、イスラエル政府はパレスチナ側[PLO(パレスチナ解放機構)]との和平交渉により、ヨルダン川西岸とガザ地区の自治をパレスチナ人に与えることに合意する(オスロ合意)。
 しかし、イスラエルはオスロ合意を無視し、パレスチナ側の居住地域に高さ四メートル以上の壁を造り、新たなユダヤ人入植地を建設し支配地域を広めている。
 中東で紛争が絶えない要因の一つはパレスチナ問題が根底にあると考えられている。
 (『イラクとパレスチナ アメリカの戦略』及び『まんが パレスチナ問題』参考)


 イスラエル南部ベエルジュバにある軍事関連施設の一室にて作戦会議は行われた。
 カーニヒを含む四名のアメリカ軍制服組、イスラエル軍将官四名、そしてアーロン、イーシン、マルク、ウェインが同席した。
 カーニヒはスクリーンを用いてエルサレムの現状を説明し、計画について言及する。
「エルサレム襲撃に備え、既にイスラエル軍と武装警察が旧市街とその周辺を監視しています。今後さらに警戒を強め、アメリカ軍が「イスラム教徒地区」と「キリスト教徒地区」を、イスラエル軍はパレスチナとの衝突を避けるため「ユダヤ教徒地区」を重点的に警固します。「アルメニア人地区」に関してはイスラエル軍の管轄とし、作戦の総指揮はイスラエル軍が行います。
 リー・イーシンさんとマルク・サンチェスさんは「神殿の丘」を警備していただき、ミズ、ウェイン・ボルダーは私と共に旧市街地をパトロールしてもらいます。疑問があれば挙手して下さい」
「あのヤロー、とりすましやがって。下心が見え見えなんだよ。パトロールとか言ってウェインを路地裏に引っ張りこんでいやらしいことをするつもりだ」
 聞いているこっちが恥ずかしい。
 ウェインはアーロンと同じく、イーシンとマルクから離れアメリカ軍関係者が並ぶ席に座っている。マルクはそれが気に入らないのだ。
 イーシンは手を挙げた。
「私たちは容疑者でしょう。あなた方軍隊で守ればいかがかしら」
 カーニヒは淡々と返す。
「人の目は多いほどいい。特にあなた方はサイードの顔を知っている。作戦に加わっていただければありがたい」
「私とウェインはね」イーシンは訂正した。
 イーシンはアメリカ軍関係者の席に座っているウェインに話をふる。
「ウェイン、あなた『帰る』って言っていたわよね。なぜ作戦に加わるつもりになったの。カーニヒ大佐とずいぶん仲がいいみたいだけれど、……脅されているんじゃないでしょうね」
「なぬっ」
 イーシンはカーニヒをちらりと見る。カーニヒは顔色一つ変えない。
 ウェインは首を横に振った。
「私の意志で作戦に加わることにした。私はカーニヒ大佐に協力する」
 もちろんイーシンは信じない。マルクもだろう、怒るゴリラの形相でカーニヒを睨みつけている。
「……はっきりさせておきましょう。あなた方アメリカ軍は敵かしら、それとも味方かしら。アーロンをずいぶん信頼しているようだけれど、理由は。無人機を自動運転する『最新技術』があるそうね。……隠し事があるのなら今のうちに話しておいて。作戦を失敗したくないでしょう」
 カーニヒは凍てつく目でイーシンを見据える。イーシンはにっこり笑って視線を受け流した。
「……やはり、あなたは油断ならない人だ。アーロン・スタイナーが推薦するだけのことはある」
 カーニヒは胸のピンマイクを外し、席に着く。
「一つずつお答えしましょう。まず、あなた方三名の疑いは晴れていません。しかし、監禁するより作戦に参加させる方が得策であると司令部で結論が出ました。我々が敵となるか味方となるかはあなた方の働き次第です。
 また、我々アメリカ軍とアーロン・スタイナーは協力関係にあります。CIAは軍の機密情報が漏れたことは分かっていましたが『誰か』までは突きとめられていませんでした。アーロン・スタイナーの情報提供により軍の機密情報を盗んだ犯人がサイードであると判明しました。アーロンにはサイードの計画を阻止するため全面的に協力してもらっています」
「機密情報って無人機の『最新技術』に関する情報のことね」
「そうです」
「どうして捕まえるなり殺すなりしなかったの。サイードの居場所は知っていたんでしょう」
 カーニヒは淡々と答える。
「情報提供の条件が『サイードを殺さない』だったからです」
 イーシンはぎょっとしてアーロンを見た。
 アーロンは立ち上がり手を突き出す。
「まっ、待てっ、俺からも説明させてくれ」
「てめえはぶち殺すっ」
 マルクが椅子を倒しアーロンに襲いかかる、とっさにイーシンは足を出し、……てしまった。
 マルクはつんのめり机に頭から突っ込む。
 ――……かばうつもりはなかったんだけれど、つい……。
 イーシンは心の中でマルクに謝罪した。
 カーニヒは何ごともなかったように話を続ける。
「サイードに機密情報が渡ってから三年以上が経過していました。サイードは情報を多数の協力者と共有し次の段階に進んでいると考えられ、我々としてもサイードを殺すよりサイードを捕らえ尋問する方が妥当と判断しました。しかし、生きたまま身柄を確保しようとすれば接近戦にならざるを得ない。犠牲者が出ればなぜ危険な地上戦をしかけたのかと報道機関に騒がれ、機密情報がテロリストの手に渡ったことが明るみになる。それは軍だけでなく政府としても避けたかったのです」
 カーニヒはペットボトルの水を一口飲んだ。
「サイードはイラク南部サマワにある町と村を支配していました。村の部族長はサイードに忠誠を誓っていた。村の近くに軍事訓練施設を造ることでサイードをけん制し、部族長とサイードの信頼関係に揺さぶりをかけ、部族長にサイード捕獲の協力をさせようと計画しました」
「でも、部族長は村民を使い、訓練場襲撃に手を貸した」
 カーニヒは小さく頷いた。
「村民だけでなく、施設関係者や軍属にも裏切り者がいました。我々が考えるよりはるかにサイードの影響力は強かったのです」
 カーニヒはペットボトルに二度、三度と口をつける。心なしか青ざめている。
 カーニヒにとって同じ軍関係者の裏切りは手痛いものだったのだろう。
「無人機の『最新技術』ってどんな内容なの」
 カーニヒは数瞬黙り、しかしはっきりと答えた。
「人工知能を搭載した無人航空機の設計図です」
 イーシンは首を傾げる。
「……人工知能を搭載した無人航空機はまだ開発途中と聞いた覚えがあるわ」
「あらゆる分野で人工知能の開発が進んでいます。わが軍としても開発を進めなければ世界に後れを取る。設計図はできていました」
 イーシンはまだ得心がいかなかった。
「設計図があるからってそう簡単に人工知能が造れるものなの。膨大なデータと時間が必要なんでしょう」
 カーニヒは微かに首を縦に動かす。
「現実として三年前、サイードは無人機を自動操縦させ武装組織の指導者を爆撃しています」
 イーシンは納得するしかなかった。
「おいおい、二人で話をするな。俺にもわかるように話せ」
 マルクが話に割り込む。イーシンは簡単に説明した。
「ドローンは知っているでしょう。プロペラが付いた小型無人機で、垂直に上昇下降ができる」
「コントローラーで操作するやつだろ」
「それをスピードが出て長距離を飛べるように航空機型に改良したのが無人航空機。通常は無人航空機に搭載したカメラが映す画像を離れた場所で人間が視認し、標的を爆撃しているの。人工知能を搭載すると無人機が独自に標的を認知し、障害物を避け、爆撃を行うことが可能になるのよ」
 頭がついていかないようだ、マルクがぽかんと口を開ける。
「要するに、人間の操作なしで標的を攻撃する無人機が使われるかもしれないってこと」
「……それってやばいのか」
「サイードは無人機を大量に購入している。その全てに人の手を介さない人工知能を搭載していたら防ぎようがない。サイードはアーロンと同じくらいITに精通しているから短時間で完璧な人工知能を造るのはわけないのかもね。設計図があれば、第三機関に製造を依頼し大量の無人機に人工知能を搭載できる」
 カーニヒは言った。
「聖地周辺に妨害電波を流しますが、リモートコントローラーや電波受信が不要な人工知能を搭載していれば効果はありません。しかし、作戦を失敗するわけにはいきません。サイードの計画にアメリカの軍事技術が使われてはならないのです。容疑者であろうと敵であろうと最大限利用させてもらいます」
 カーニヒの声に熱がこもる。
 冷静さの下に情熱を隠し持っているようだ。
 ――なりふり構ってはいられないってわけね。
「いいわ、作戦に加わりましょう。その代わり、これが終わったら結果に関係なく私たちを無罪放免にしてちょうだい」
 カーニヒは是とも否とも言わない。
 マルクはこれ見よがしに鼻をほじり、鼻くそを飛ばした。
「てめえは気に入らん。が、ウェイン一人残して帰れるかよ。やってやるぜ」
 ウェインは顔を曇らせる。
「お願いします」
 カーニヒは事務的に言った。

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