第16話

文字数 3,578文字

 ※

「シエナ、おいで。外で面白い催しをする」
 サイードはベッドに横たわるシエナに手を差しのべる。
 抗う力のないシエナをサイードは無理矢理外へ引っ張り出した。
 武装した男たちに襲われてから外へ出るのは初めてだった。田畑は荒らされ、家屋は全焼し、村全体が黒ずんでいた。
 住民たちの姿はない。皆、殺された。父も母も、小さな弟も……。
「無数の死体に紛れお前だけが声を上げていた、だから助けた」とサイードに聞かされた。
 足に力が入らず、立ち上がると酷い眩暈に襲われた。
 真夏の太陽が容赦なく照りつけ弱った体を痛めつける。顔に巻かれた包帯は体液でべとつき皮膚の一部のようにはりついた。
 サイードはシエナの手を引き先へ先へと進む。足の速さについていけず何度もつまずき、その度に手を引っ張られた。激しい息切れと酷い頭痛に吐き気を覚える。意識が朦朧とする。
 倒れそうになりながら、ほとんど引きずられるようにして歩く。
 サイードが歩を緩め、手を離す。シエナは地べたに崩れ落ちた。
「さあ、顔をあげてごらん。今からこの男たちを処刑する」
 サイードの甘やかな声が傷に響く。ズキズキと痛む顔をのろのろとあげる。
 男たちが後ろ手に縛られ、横一列にひざまずかされていた。七人いる誰もが怯えと諦めを宿し、だからか、怖くなかった。
 サイードの部下である覆面の男たちが長い銃を肩に提げている。
「この者たちはお前の村を襲ったグループの残党だ。隠れていたのを見つけ出した」
 サイードは覆面の一人から銃を受け取ると、シエナの前に膝をつき、銃を差し出す。
「さあ、受け取りなさい。あの者たちはお前の父を殺し、母を殺し、幼い弟を殺した。お前は凌辱され、顔を焼かれた。憎んであまりある。これであいつらに復讐するといい」
 サイードはシエナの手を取り、銃を握らせる。銃の重さにがくんと腕が落ちた。
 痛みと暑さで意識が朦朧とし、冷や汗が流れる。シエナは目を凝らし、男たちの顔を一人一人確かめた。
「……ちがう……。……あの男たちじゃ、ない……」
 ひざまずかされた男たちのどれも、自分を、家族を襲った男たちとは違った。
 凶悪な笑み、笑い声、ねじ伏せる太い腕、両脚を押し開き我が身を裂いた体躯。泣いて懇願し、痛みに震える自分を嘲笑っていた。
 目に焼きついている。この火傷と同じに……。間違えるはずがない。
 サイードは華やかに笑った。背中に手を添え、耳元で囁く。
「よく見てごらん。あの男たちだ。お前の両親を殺し、可愛い弟を殺し、お前を辱めた。お前がされたようにあの男たちは力なき者を殺戮し、凌辱し、強奪してきた。数えきれないほどの悪事を犯しているんだ。お前があの男たちを殺せば、あの男たちに苦しめられた者の心が救われる。復讐は連鎖する。お前があの男たちを殺せば、他の誰かがお前を苦しめた奴らを殺してくれる。……さあ、やってごらん」
 サイードは労わるようにシエナの体を支え、立たせる。
「簡単だ。銃口を男たちに向けて引き金を引けばいい」
 優しげに笑い、すっと身を引く。
 シエナは震える両腕で重い銃を構え、ふらつきながら男たちの前に立った。
 男たちは命乞いをしなかった。ただ悲愴な目でじっと見ていた。
「さあ、始めなさい」
 サイードが声高らかに促す。
 膝が揺れ、銃を持つ手が震える。銃口は上下左右に揺れ、当たる自信はなかった。撃つ実感もなかった。銃を構えるので精いっぱいだった。
「撃てっ」
 びくついた弾みで引き金にかけた指が動いた。銃身が跳ね、一人に当たった。
 男は濁った声で呻く。酒樽の栓が抜けたように血がぽこぽこと流れ、男の胸を赤く染めていく。
 男は血走った目で睨みつける。憎悪と怒りと悪意に満ちた目。あの男たちと重なった。
 視界が激しく揺れ、額に激痛が走った。顔に巻いた包帯がじわりと滲み、顔が割れるように痛む。
 銃を持つ手が震える。膝が震え、唇がわななく。
「う、ううっ、うあああああああああああああーーーっ」
 シエナは体をくの字に、口を大きく開け叫んだ。包帯が唇の皮ごと剥がれ血の味が口内に広がる。
 シエナは目を見開き胸元を握りしめ、喉が裂けんばかりに絶叫した。
 高く遠く低く深く、腹に渦巻くものを吐き出す。
 灼けた風が渦巻き血と火薬の臭いを吹きつける。不快な臭いがおぞましい記憶を呼び起こし、腹の底に溜まったどす黒いしこりが熱湯となって迸る。
「あああああああああああーーーっ」
 シエナは銃を掴み、男たちに向かって連射した。
 側頭部が吹き飛び、眼球が弾け、脳髄が飛び散る。腕が千切れ、胸にボコボコと穴が開いた。
 生温かい血が目に入り、肉片が手の甲にはりつく。
 シエナは両目を見開き、無我夢中で撃った。
 殺さなければやられる。完全に殺さなければ、跡形もなく消さなければ襲いかかってくる。人の形を残さないほど壊さなければ安心できない。
 気がつけば弾は尽き、それでもなお銃口を男たちに、男たちだったモノに向け、引き金を絞っていた。
 人間だったものが原形を失い、断片となって血だまりに沈む。
 血肉がべっとりと服に張りつく。濃厚な赤とむせ返るほど異臭が辺りを包んでいた。
 シエナは呆然と銃を下ろす。
 いつの間にか顔に巻いた包帯がずれていた。強い日差しが顔にかかり、仰向く。
 真っ青な空が広がり、熱い風が吹く。
 欠けた瞼の向こうに映る世界は、変わらず光に満ちていた。
 ――…………。
 手を打ち鳴らす音が静寂を破る、――サイードだった。静まり返る覆面の男たちをよそにサイードは興奮さめやらぬ様子で褒め讃える。
「すばらしい。見事だ」
 驚きと称賛を全身であらわし、大きく両手を広げる。
 赤金に輝く髪が風にそよぎ、金色に輝く二つの目がシエナを捕らえる。
 シエナは銃を落とし、サイードの胸の中へ身を沈めた。

 シエナは目を覚ました。
 両の瞼を開いている自覚はあるものの真っ暗で何も見えない。
 体中が痛くて、指一本動かすこともできない。
 ――……私は、撃たれたんだ。……いいえ、撃ったのは私。殺したのも……。
 うなじに触れるシーツが冷たい。機械音が規則的に静寂を刻み、薬品の臭いが漂う。
 暗闇に慣れてきた目に天井がぼんやりと浮かぶ。
 シエナはベッドに寝かされていた。傍らに液体が入ったパックが吊るされ、チューブを通し己の腕に注がれていた。
 ――……ここは、病院……。
 シエナはチューブの中で小さな針から透明の液体が一滴、また一滴と落ちるのを眺めた。
 ――……また、死にそびれた……。
 なぜ、死ねないのだろう、誰もいなくなったのに。
 汚れているから。醜いから、子どもを産めないから、人を殺したから、地獄に行くことも許されないのだろうか。
 サイードが語る世界を見たいと思った報いか。神がいない世界を、世界が割れる瞬間を一時でも望んだ罰か。
 汚辱にまみれ、顔を失い、武装集団の妻になった自分を受け入れてくれる場所はない。故郷の村からも疎んじられた、――汚れていると。サイードが唯一の寄りどころだった。
 本当は気づいていた。
 ――……サイードは私を愛していない。私の中にある衝動に惹かれていただけ。
 内なる欲望に目を背けひた隠しにし、ただ平穏な日々を、夫に仕える従順な妻として過ごそうとした。サイードはそれが不満だった。だから連れて行かなかった。欲望のまま、衝動のまま人を殺せたなら、サイードは戦力として連れて行ってくれたはず。
 泣いてすがりついた手は、「要らない」と容赦なくほどかれた。
 唯一つの希望が潰えた瞬間だった。
 ――……私は誰からも必要とされていなかった。
 身体中が痛い。呼吸をする度に肋骨が軋み、酷い痛みに身を硬くする。酸素マスクをしていても息苦しく、小刻みに息を吸う。
 ――……どうして、死ねなかったんだろう。
 銃弾を受け、あともう少しというところで。
 力尽き膝を折った自分に男が銃を突きつけ、罵倒した。そこから意識がない。
 暗闇に沈む自分に一筋の光が差した。金色の霧に包まれ、凛とした声が響いた、――「死ぬな」と。
 ――……あれは、……ウェインさん……。
 生きて、いたのだろうか。
 サイードに望まれ、殺されかけた人。気高さと激しさを内包した人。
 あの人もサイードに置いて行かれたのだろうか。
 違う。
 あの人はサイードの対極にある人。サイードに立ち向かえる人。
 サイードにあるはずのない安らぎを見いだしすがりついた自分とは似ても似つかない。
 涙は出なかった。ただ、息苦しさが増した。
 この世に神はいない。希望も、安らぎもない。あるのは絶望だけ。
 怒りも、憎悪も、悲しみも自己憐憫も罪悪感も孤独も全て、絶望に呑み込まれる。
 ――……みんな、滅びてしまえばいい……。
 シエナは生まれて初めて、サイードを含むあらゆるものの命が絶えることを願った。

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