第21話
文字数 1,774文字
※
イーシンとマルクはウェインが搬送された病院へ向かった。
ベッドで体を起こしているウェインを目にし、イーシンは安堵のあまり膝の力が抜けた。
「血まみれで路上に倒れていた」と聞かされた。
満身創痍で戻ろうとしたらしく、這いずった跡が数百メートル以上に渡り続いていたと。
扉が開いた音を聞いたはずなのにウェインは深く俯いたまま動かない。
肩に包帯が分厚く巻かれ、シーツをかけられ見えないが両脚も弾が貫通しているらしい。麻酔が効いているにしても起きていては体にさわる。
「重傷を負っているのよ。横になったら……」
ウェインを寝かせようと手を伸ばし、イーシンは腕をつかまれた。怪我をしているとは思えないほど強い力で引き寄せられる。
深く俯くウェインの表情は見えない。波打つ髪の隙間から覗く頬は青ざめていた。
「……な、かった。……うて、なかった……。サイードを……っ」
腕をつかむ指が震えている。声はかすれ、泣いているようだった。
シミュレーションが終わった時と同じだ。あの時もこうして打ちひしがれていた。ウェインの精神は今、限界に達していた。
イーシンは努めて平静に言った。
「あなたは容疑者として疑われていたのよ。軍人でもない、報酬をもらったわけでもない。なんの義務もないのよ。防弾チョッキも着させてもらえなかったそうじゃない。相手はあのサイードでしょう。殺されていても不思議はないわ。助かっただけよしとしなきゃ」
「殺す機会はあった。なのに、撃てなかった。サイードはまた災いをもたらす。絶対に止めなければいけなかった」
血を吐くような叫びだった。腕を握る手が白く、死人のように冷たい。
「……あなた、サイードのことが好きだったんでしょう。だから止めようとした。違う」
腕をつかむ力がわずかに緩む。ウェインはかすかに首を横に振った。
「……憧れ、ていた……。……誰の命令でもなく、己の意志を貫くあの人が羨ましかった。あの人のように強ければ、迷いも、苦しみもなくなるのにと……」
シーツに透明の滴が落ちる。波打つ髪が揺れた。
「……それだけじゃないでしょう…」
憧れだけで紛争地に留まり、自らの手を汚してまで止めようとするだろうか。「帰る」と言ったウェインの目は暗く沈んでいた。
親友を死に追いやった償いだとしても説明がつかない。
ウェインは腕をつかんだまま、動かない。
遠い記憶を辿っているのか、感情を呼び起こしているのか。
不意に手がずり落ちる。ウェインは弱々しく頭をふった。
「……あの人は、ジュディの兄だから……」
親友の兄だから想いを口にできないのか。
死に追いやった親友の兄だから立ち直らせようとしたのか。
愛でも、恋でなくても、ずっと深いものをサイードに抱いていたのは確かだ。
「……サイードは強くなりすぎたのよ。過去をふりきり、感情を捨てられるくらいに。私はあなたみたいに弱さと強さをあわせもった人の方が好きよ」
イーシンは怪我をしていない方の肩にそっと手を置いた。
病室を出た途端、マルクに体当たりされた。
マルクは恨めしそうにじとーっと見る。
「……な、なによ」
「ずりいな、てめえは。弱っているウェインに『あなたが好きよ』って。なにアピールしてんだ」
イーシンは呆れかえって反論した。
「人としてあなたが好き、って意味よ。それくらい察しなさいよ。頭がおかしいんじゃないの」
「おかしいのはてめえだ。なんでお前が慰めるんだ。肩に手まで置いてよぉ。ここは俺だろ。俺に代われ。俺にもウェインにアピールさせろ」
イーシンは顔中の筋肉が引きつるのを感じた。
「あんたって人は……」
怒りに肩をぷるぷる震わせる。眉間に寄る皺を手でぴしゃりと叩き、ぐりぐりと撫でつける。
――……いけない。皺は美しさの敵よ。
¬眉間を手で押さえたまま、引きつる顔で笑った。
「……あなたの気持ちも考えず悪かったわ。お詫びに帰りは私が運転する。車の鍵を貸して」
精いっぱいの愛想笑いを浮かべ手を出す。
「おっ、おおっ。……えらく素直だな。気持ちわりいぞ」
と言いながらもマルクはいそいそと鍵を出す。
受け取ったイーシンはにっこり笑って、おもいっきりマルクのすねを蹴飛ばした。
「うぎゃあー」
「せっかくだから頭の中を診てもらいなさい」
脚を抱え悶えるマルクを捨て置き、イーシンは一人病院を後にした。
イーシンとマルクはウェインが搬送された病院へ向かった。
ベッドで体を起こしているウェインを目にし、イーシンは安堵のあまり膝の力が抜けた。
「血まみれで路上に倒れていた」と聞かされた。
満身創痍で戻ろうとしたらしく、這いずった跡が数百メートル以上に渡り続いていたと。
扉が開いた音を聞いたはずなのにウェインは深く俯いたまま動かない。
肩に包帯が分厚く巻かれ、シーツをかけられ見えないが両脚も弾が貫通しているらしい。麻酔が効いているにしても起きていては体にさわる。
「重傷を負っているのよ。横になったら……」
ウェインを寝かせようと手を伸ばし、イーシンは腕をつかまれた。怪我をしているとは思えないほど強い力で引き寄せられる。
深く俯くウェインの表情は見えない。波打つ髪の隙間から覗く頬は青ざめていた。
「……な、かった。……うて、なかった……。サイードを……っ」
腕をつかむ指が震えている。声はかすれ、泣いているようだった。
シミュレーションが終わった時と同じだ。あの時もこうして打ちひしがれていた。ウェインの精神は今、限界に達していた。
イーシンは努めて平静に言った。
「あなたは容疑者として疑われていたのよ。軍人でもない、報酬をもらったわけでもない。なんの義務もないのよ。防弾チョッキも着させてもらえなかったそうじゃない。相手はあのサイードでしょう。殺されていても不思議はないわ。助かっただけよしとしなきゃ」
「殺す機会はあった。なのに、撃てなかった。サイードはまた災いをもたらす。絶対に止めなければいけなかった」
血を吐くような叫びだった。腕を握る手が白く、死人のように冷たい。
「……あなた、サイードのことが好きだったんでしょう。だから止めようとした。違う」
腕をつかむ力がわずかに緩む。ウェインはかすかに首を横に振った。
「……憧れ、ていた……。……誰の命令でもなく、己の意志を貫くあの人が羨ましかった。あの人のように強ければ、迷いも、苦しみもなくなるのにと……」
シーツに透明の滴が落ちる。波打つ髪が揺れた。
「……それだけじゃないでしょう…」
憧れだけで紛争地に留まり、自らの手を汚してまで止めようとするだろうか。「帰る」と言ったウェインの目は暗く沈んでいた。
親友を死に追いやった償いだとしても説明がつかない。
ウェインは腕をつかんだまま、動かない。
遠い記憶を辿っているのか、感情を呼び起こしているのか。
不意に手がずり落ちる。ウェインは弱々しく頭をふった。
「……あの人は、ジュディの兄だから……」
親友の兄だから想いを口にできないのか。
死に追いやった親友の兄だから立ち直らせようとしたのか。
愛でも、恋でなくても、ずっと深いものをサイードに抱いていたのは確かだ。
「……サイードは強くなりすぎたのよ。過去をふりきり、感情を捨てられるくらいに。私はあなたみたいに弱さと強さをあわせもった人の方が好きよ」
イーシンは怪我をしていない方の肩にそっと手を置いた。
病室を出た途端、マルクに体当たりされた。
マルクは恨めしそうにじとーっと見る。
「……な、なによ」
「ずりいな、てめえは。弱っているウェインに『あなたが好きよ』って。なにアピールしてんだ」
イーシンは呆れかえって反論した。
「人としてあなたが好き、って意味よ。それくらい察しなさいよ。頭がおかしいんじゃないの」
「おかしいのはてめえだ。なんでお前が慰めるんだ。肩に手まで置いてよぉ。ここは俺だろ。俺に代われ。俺にもウェインにアピールさせろ」
イーシンは顔中の筋肉が引きつるのを感じた。
「あんたって人は……」
怒りに肩をぷるぷる震わせる。眉間に寄る皺を手でぴしゃりと叩き、ぐりぐりと撫でつける。
――……いけない。皺は美しさの敵よ。
¬眉間を手で押さえたまま、引きつる顔で笑った。
「……あなたの気持ちも考えず悪かったわ。お詫びに帰りは私が運転する。車の鍵を貸して」
精いっぱいの愛想笑いを浮かべ手を出す。
「おっ、おおっ。……えらく素直だな。気持ちわりいぞ」
と言いながらもマルクはいそいそと鍵を出す。
受け取ったイーシンはにっこり笑って、おもいっきりマルクのすねを蹴飛ばした。
「うぎゃあー」
「せっかくだから頭の中を診てもらいなさい」
脚を抱え悶えるマルクを捨て置き、イーシンは一人病院を後にした。