第15話

文字数 6,610文字


 ※

 イーシン、マルク、ウェインはアル・ソハラホテルに到着する。
 ホテルのロビーは赤い絨毯が敷かれ、吹き抜けの天井に五層のシャンデリアが吊るされ、ガラス張りの壁から噴水がある庭園が見渡せる。ロビーの向こう側、一段高くなったカフェテリアで紺のスーツを着た男性客がカップを片手に歓談する。
「えらく豪勢なホテルだな。サイードの野郎も貧乏くせえ村よりこういう金のありそうなところを狙えばいいのによ」
 ごもっとも、とイーシンは相槌を打ちそうになった。
 指定された一室に入るなり、アーロンに責められた。
「遅いぞ。もっと早く来い」
「ごめんなさい。ちょっと手間取っちゃって」
 ソファに座っていた二人が立ち上がり、こちらを向く。
 鼻の下から顎まで髭を生やした男が不機嫌そうに握手を求める。
「アッサラーム・アライクム(こんにちは)。イラク政府軍所属アフマド・ニゲルだ」
 横柄な男のアラビア語を後ろに控える男が通訳する。
「はじめまして。アメリカ空軍に所属する、アイゼン・カーニヒです」
 プラチナブロンドの髪と薄い水色の目が印象的な男が微笑する。浮かべた笑みが作りものめいていた。
 自己紹介をすませ、ソファに座る。
 髭面のニゲルとカーニヒはアーロンと隣り合って座り、向かいはイーシンを真ん中にウェインとマルクの三人で座る。ニゲルの後ろに通訳が控える。
 ニゲルの質問が始まる。
「訓練場から誘拐されてどうやって逃げて来た」、「どうして二人だけ助かったと思う」、「すぐに連絡を取らなかったのはなぜだ」、「武装集団の指導者サイードとどんな話をした」、「村の襲撃現場になぜいた。襲撃されるのを知っていたのか」などなど、会議ではなく事情聴取のようだった。
 沈黙を守っていたイーシンは足を組み、アーロンを見て言った。
「サイードの計画について話し合うのかと思っていたけれど違ったみたいね」
 アーロンはニゲルの肩をせわしく叩く。
「村の襲撃事件については説明しましたよね。あれはサイードではなく、サイードに裏切られた部下が腹いせにやったことです。それよりサイードがやろうとしている計画を阻止することが重要です」
「聖地襲撃計画、ですか」
 声を発したのはカーニヒだ。
「聖地は、なかでもエルサレムは信仰を持つ者にとって特別な地です。テロリストといえど手が出せない、不可侵の地です。その聖地を襲撃する計画が本当にあるのか、こちらが納得できる証拠なり、証言なりを示して下さい」
 上から目線な言い方にイーシンはカチンときた。
「IS掃討作戦で手一杯だと村の襲撃事件まで手が回らないみたいね。そのうえこんな高級ホテルの一室でエルサレムの心配までしなくちゃいけないなんて人材不足は相当なものね」
「きさまっ」ニゲルが腰を上げる。
「イーシンッ」
 アーロンがニゲルを押し止める。
「いつもは柔和なのにどうしたんだ。疲れているのか」
 イーシンは返事をしなかった。
 聖地襲撃計画の調査に来るぐらいだ、幹部の中でも上位に位置するのだろう。自己紹介では階級を名乗らず軍所属ですませた。取り調べのような事情聴取、「証拠、もしくは証言を示せ」と不信感を隠す素ぶりもない。
 聖地が爆撃されようとされまいとどうでもいい。それより、村が襲撃され壊滅状態になるまで何もせず、ことが終わってからノコノコと現れ、謝罪するどころかテロリストの一味のように尋問するその姿勢に腹が立った。
 マルクは隣で鼻をほじっている。
 カーニヒはガラス玉のような目をこちらに据える。
「村の襲撃事件は治安部隊とイラク軍が対応しています。我々の任務はエルサレム襲撃計画の真偽を確かめ対処することです」
 カーニヒは続ける。
「これは重要な問題です。もし、エルサレム襲撃計画が事実であれば速やかに手を打たなければなりません。イスラエル軍に動いてもらう必要があります。エルサレムが襲撃されるという明確な証拠がなければ軍の出動を要請できないのです」
「大義名分は後で考えたら、どうかしら。アメリカさんは理由を後付けするの得意でしょう。イラク戦争もそうだったじゃない」
 気に障ったようだ、顔色がさっと変わる。
 カーニヒは硬い声で説明する。
「エルサレムはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地です。イスラエルとパレスチナが長年周辺諸国を巻き込み、領土と聖地を巡って争ってきた地でもあります。とても敏感な場所なのです。計画が現実に起こるという確信がないまま下手に動けば新たな火種になりかねません。それこそ世界を巻き込んだ戦争に発展する可能性があります。サイードから直接何かを聞いたのであれば教えて下さい」
 イーシンはカーニヒを改めて見た。眉一つ、睫毛一つ動かさない。陶器でできた人形のようだ。
 どうやら意思疎通を図ることはやめ、与えられた任務に専念するつもりらしい。挑発してもますます意固地になるだけだ。
 イーシンは首を横にふった。
「……私は何も聞いていないし確信も持てない。私とウェイン、マルク、アーロンの四人の情報を寄せ集め、出した結論が聖地襲撃計画であり、エルサレムだった。それだけ」
「そんなことはない。俺は百二十パーセントの確率で起こると思っている」
 アーロンが食ってかかる。
 アーロンにとってエルサレム襲撃計画はよほど魅力的にうつるらしい。
 イーシン自身、そうかもしれないと思う反面、アーロンに引きずられている気もした。
 カーニヒはアーロンを見、イーシンを見る。
「分かりました。貴重な情報を有り難うございます。できればもうしばらくここに留まっていただきたいと思います」
 改まるカーニヒにイーシンは尋ねた。
「まだ信じられないから私たちを監視させろってこと」
 カーニヒは否定も肯定もしなかった。
「軍の上層部に連絡をします。結論が出るまでここに居て下さい。ホテル最上階の部屋をご用意してあります。経費は全てこちらで負担します。お待ちいただく間、寛いでいただければ幸いです」
「おおっ、いいな。そうしようぜ」
 マルクは二つ返事で受け、ウェインは黙する。
 イーシンは釘を刺した。
「サイードは姿を消したのでしょう。寛げるほどの時間はありませんわよ」
 カーニヒは無機質に答えた。
「努力します」

「うおおおー、すげえっ」
 最上階の一室に入るなり、マルクは雄叫びを上げた。
「贅沢な監獄ね」
 リビングルームは毛足が長い茶色の絨毯が敷かれ、ホームシアターが壁に設置されている。革張りのソファ、ガラス製のテーブル、五つある部屋には全てベッドと大型テレビが設えてある。シャワールームとは別に大理石のバスルームもある。
 マルクは一つずつ部屋を探検し、リビングに戻って冷蔵庫を開ける。
「おおおっ。ビールがある。さすが、高級ホテルは気が利くぜ」
 嬉しそうにガラスコップにビールをなみなみと注ぐ。
「呑気に酒を飲んでいる場合。ニゲルの態度酷かったでしょ。私たちは疑われているの。判決待ちの罪人ってことよ」
「いいじゃねえか。こんなに居心地がいいんだ。一か月でも二か月でも居てやろうぜ」
 マルクは喉を鳴らし一気飲みする。
 馬鹿もここまでくると幸せだ。
「ビール、飲まねえか」
 ビンを振るマルクに、イーシンは着替えを用意する。
「結構よ。あんたの顔見ていたら腹が立つ。お風呂に入ってくるわ」
「俺は悪くねえだろ。俺に怒るな」
 マルクを無視し、イーシンはバスルームのドアをバタンと閉めた。

 マルクは二本目のビールを開け、何かつまむものはないかとメニュー表を開く。
「ウェイン、何か食べるか」
「結構です」
「突っ立ってないでこっち来て座ったらどうだ。映画でも観ようぜ」
「お気になさらず」
「……そっか……」
 マルクは顔の前でメニュー表を開き、目をひん剥く。メニュー表の字が上滑りし頭に入らない。
 ――……会話が、続かん。
 ウェインと二人きりになるのは初めてだ。いつもはイーシンがいる。女みたいに高い声でぎゃあぎゃあわめくイーシンの相手をしてやりながらウェインをチラ見するのが習慣になっていた。
 イーシンは風呂だ。四十分以上経っているのに出てこない。
 いつまでつかってる、さっさと出てこい、と怒鳴りこもうとしたらドアに鍵がかかっていた。
 ウェインはシャワーをすませ、襟のボタンをきっちり上まで留めて数分で出てきた。荷物を整理し、その後は窓際に立ちずっと黙っている。
 『男と女が部屋に二人きり、することは一つ』なんて甘い期待は消し飛んだ。
 秘め事は大好きだが会話は苦手だ。ペラペラしゃべる女なら話の盛り上げようもあるが、ウェインは終始無言で話しかけても短い返事があるくらい。
 リビングはだだっ広く、会話がないと静けさが際立つ。テレビをつけたいがたった今断られた。
 ――……気まずい……。
 場が持たないのでウィスキーをあおり、ちっとも頭に入ってこないメニュー表に目を通す。
「……今のうちに病院に行ってきます。車を借ります」
「ああっ」
「携帯は持っています。何かあったら電話して下さい」
 部屋を出ようとするウェインをマルクは止めた。
「あのクソガキに会いに行くつもりか。やめとけやめとけ。行ってもあの様子じゃ話はできん」
 ウェインは背中を向けたまま立ち止まる。
「あの類は自爆テロに走るか、サイードみてぇに人の命をなんとも思わんクズになるか。どっちみち、ろくな人生を歩まん。関わらん方が利口ってもんよ」
「……助けなければ、よかったと……」
 ウェインは背を向けたまま聞く。
「しかたねえさ。目の前で子どもが傷ついていたら助けたくなるだろ。けどな、命を助けたからって深入りする必要はねえ。そいつの心の中までは救えねぇからだ。下手に関わって巻き込まれたんじゃ割に合わねぇ」
「……ならば……」
 ウェインが振り返る。
「ならば、なぜあなたは私に関わる。自分には関係がないのに、命の危険さえあるのになぜついてくるのですか」
 ウェインに見つめられ、マルクはどぎまぎした。
「……いやぁ、そりゃあ、その、あれだ……」
 突如、告白のチャンスが舞い降りた。言うなら今だ。あ、でもなんでだ、すっごく恥ずかしい。
「イーシンがいるからですか」
「ぶっ」ころす
 慌てて口を押さえる。
 女性には優しく、とガキの頃から母親に厳しく躾けられた。トラウマになるくらいにだ。
 ――……あのオ〇マと俺が仲いいってか。ふざけるな。どこまで鈍いんだ。男と女、俺にとっちゃあ組み合わせはそれしかねえ。オ〇マは論外だ。友情という意味で聞いているとしても、許せんっ。
 上下の歯をすり合わせ、拳をガジガジ噛むことウン十秒……。ぶはあーっと息を吐いた。一言、
「ねえよっ」
 おもいきり否定した。
 ウェインは真面目くさった顔で言う。
「あなたは『自分のことしか頭にない奴は周りを巻き添えにする』と言いました。私も同じです。自分のことしか考えられない」
 悲痛に顔を歪め、俯く。
「……迷惑なんです。一人にしてほしいんです。あなたの安全まで考える余裕がない。サイードを倒すことしか、考えたくないんです」
 好きな女に「迷惑だ」と言われ、マルクは頭をハンマーで殴られた気がした。
「サイードにこだわっているうちは倒せないわよ」
 いつの間にかガウンを着たイーシンが立っていた。イーシンは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。
「自分の顔、鏡で見たら。あなた、目が死んでいるわよ。とても戦えるように見えない。降りた方がいいのはウェイン、あなたの方よ。あなたこそ、いると迷惑だわ。さっさと帰るべきよ」
「おっ、おいっ。言いすぎだろ」
 イーシンはウェインを冷ややかに見る。
「私、間違っているかしら」
 ウェインは下を向いたまま唇を引き結ぶ。泣くのかと思った。
「……一人で、考えてみる」
 ウェインは寝室へ引き返していった。
「おい、もっと優しくしてやれよ。ウェインにきつくねえか」
「はっきり言わなきゃずっと悩み続けるでしょう。行くか帰るか、早く結論を出してもらわなきゃ付き合わされるこっちが迷惑だわ」
 イーシンはすました顔でコップに水を注ぐ。
「……オ〇マは女に厳しいなあ。嫉妬か」
 バシャッと水をかけられた。

 ウェインは寝室のベッドに腰かけ、包帯を巻いた腕に触れる。
 子どもに噛まれた傷が疼く。
 子どもは顔を皺だらけにし歯を突き立てていた。肩で荒い息をし、唸り声を出す。
 砂にまみれた体、ぎらつく眼、こじ開けた口は真っ赤で、……獣のようだった。
 剥きだしの敵意。
 アメリカ軍にいた頃、イラクの人々に何度も向けられた。
 アメリカから遠く離れた国のために自分は、仲間は、軍は戦っているのになぜそんな目で見られなければならないのかと不満だった。お前たちを守るために我々は犠牲になっているのになぜ敵視されるのかと憎しみに近い感情を抱いていた。
 任務が終われば、平和が来れば誤解は解ける。そう思い、いかに敵を効率的に倒すか、味方の犠牲を減らすかに集中した。
 ばらばらになった死体は棒切れか石にしか見えず、流れる血は着色した水としか思えなかった。
 死体を数え達成感に浸り、もっと先を目指した。敵と思えば何でもできた。一般市民が巻き込まれても仕方ないと思っていた。これは戦争なのだからと。
 髭を生やした男たちを、全身黒ずくめの女たちを、褐色の肌を、アッラーを口にする者たち全てを嫌悪していた。
 カリムとミーアに出会い、彼らに対するわだかまりは溶けた。彼らも普通の人間なのだと、人を愛し、平和を愛する同じ人間だと痛感した。
 カリムとミーアを信頼していた。大事な仲間だった。
 サイードはカリムとミーアを殺した。訓練場を襲撃しスタッフを皆殺しにし、イーシンとマルクを誘拐した。そしてまた災いをひき起こそうとしている。
 敵と分かっているのに、ジュディに似た面差しを目にする度に過去が蘇る。
 物静かな人だった。時折見せる笑顔が好きだった。さりげない気遣いに心惹かれた。ふと見せる強いまなざしに圧倒された。
 ジュディの墓前で鈍色の空を見上げる横顔が忘れられない。
 去って行く後ろ姿が目に焼きついている。
 サイードの姿を思い浮かべるだけで動揺する自分が情けなかった。
 ジュディは死んだ。カリムとミーアは殺された。
 また誰かが犠牲になったらと思うと、怖い。もう、誰かの死を背負って生きる気力はない。
 イーシンの言う通りだ。とても戦える状態じゃない。
 イーシンに言われ初めて気づいた、――帰る選択肢があると。
 もう軍人じゃない。兵士でもない。任務でもない。降りてもいいんだ。この状態で突き進めば自分ばかりかイーシン達をも巻き添えにしてしまう。
 ――……私は帰った方がいい。
 ウェインは深く項垂れ、拳を握る。噛まれた傷が疼く。
 ポケットに入れていた携帯が振動する。
 病院からだった。

 マルクはテーブルにウィスキーやブランデー、おつまみを広げ、一人で宴会を始める。
「イーシンも飲め」
 イーシンはマルクのしつこい誘いを断り、離れた場所で本を読む。部屋にこもったウェインが気になっていた。
 カチャリと扉が開き、ウェインが出てくる。
 顔は青白く、睫毛の下から覗く目は陰鬱だった。
「『手術は成功した』と病院から連絡があった。『詳しい説明をしたいから来てほしい』そうだ。明日の朝、行ってくる」
「私も行きましょうか」
「……いや、面会謝絶だそうだ。一人で来てほしいと言われた」
「……そう」
 いつの間にかマルクは静かに飲んでいる。聞き耳を立てているらしい。
 ウェインはぽつりと言った。
「……帰ることにした」
「それがいいわ。病院から戻ってきたらすぐにここを発ちましょう。準備をしておくわ」
 ウェインは力なく言った。
「……すまない。迷惑をかけた」
「迷惑だったらここにいないわ。マルクも好きでついてきているのよ、ねえ」
「おうよっ。よしっ、三人で酒盛りだ。景気づけだ」
 マルクは赤ら顔で高々とボトルを上げる。
「あんたは飲みすぎよっ」
「こんなの序の口だ。ははーん、さては自分が飲めねえんでひがんでいるな」
「あんたじゃあるまいし」
「ああっ。悔しかったら飲め」
 ボトルとコップを手に迫ってくるマルクにイーシンは本を投げつけた。見事、マルクの顔面に命中し、マルクはボトルとコップを持ったまま仁王立ちになり、顔を真っ赤にし、痛がっていた。
 ウェインは虚ろな表情のまま口角をわずかにあげた。
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