第19話

文字数 6,669文字

 
 ※

 ダマスカス門から旧市街へ入り、セキュリティゲート(入場口)をくぐり、「神殿の丘」へ続く木の回廊を渡る。木の回廊からユダヤ教徒と思わしき帽子を被ったスーツ姿の男性や白いフードで髪を隠した女性が『嘆きの壁』を巡礼する様子が見られる。
「神殿の丘」へ入ってすぐ『アル・アクサ・モスク』があり、左側のずっと奥まった広場に『岩のドーム』が鎮座する。
 イーシンとマルクは「神殿の丘」にあるイスラム教の聖地『岩のドーム』がそびえる広場に陣取る。
 聖地エルサレムはイスラエルが実効支配しているが「神殿の丘」はイスラム教の聖地『岩のドーム』と『アル・アクサ・モスク』があるためイスラム教徒の管理下に置かれている。
 イスラム教徒の怒りを買わないようパレスチナ人とアメリカ兵が警察官に紛れ警備に当たっている。
 イーシンとマルクは観光客のふりをさせられ長袖長ズボンの私服姿だ。貸与された武器は布にくるんである。
「暇だな」
 マルクは大きなあくびをする。頬が垂れ、鼻の下が伸び、口を半分開けた、だらしない顔だ。
 イスラエルに来てから五日が経つ。
 岩のドームは広場のほぼ中央に位置し、岩のドームの四方を守るようにアーチが建つ。広場の周りには木々が茂り、広大な公園のようになっている。
 からっと晴れ、風は涼しい。
 青灰色の丸屋根が特徴の「鎖のドーム」の下で佇む者、メッカの方角に祈りを捧げる者、岩のドームに恭しく入って行く者……、神殿の丘は平穏そのものだ。
 コーランを読む声が澄んだ空に響き渡る。
「お前のも持ってきたぞ」
 マルクはどこからか椅子を二脚持ち込み、だらしなく寄りかかる。
 注意しようかと思ったが、不毛な待ち時間を快適に過ごしたい気持ちもあり椅子に腰かける。紫外線は肌に大敵、持ってきた折り畳み傘を広げる。
「なあ、あの中に入ろうぜ」
 マルクが『岩のドーム』を指さす。預言者ムハンマドが昇天した足場と信じられている岩を保存するために造られた建物だ。
 金色のディッシュカバー(料理を覆うボール型の蓋)に長い針がついたような屋根と、色彩豊かな幾何学模様を細密に描いた八角形の壁が特徴だ。圧倒されるほど美しく、神々しいほどだ。
「イスラム教徒しか入れないわよ」
「じゃあ、あっちは」
 『アル・アクサ・モスク』がある方向を指さす。ここからは木が邪魔をして見えない。『アル・アクサ・モスク』は岩のドームと違いなんの装飾もされておらず、青銀の丸屋根がついた中世の城といった風情の礼拝所だ。
 暇潰しになるならどこでもいいのだろう。
「アル・アクサ・モスクも岩のドームもイスラム教徒以外は入れないの」
「ああっ。けちくせえな。せっかくここまで来て入れねえのかよ」
「信者になれば入れるわよ」
「かあー。めんどくせえ」
「私達は治安維持のためにいるんでしょう。観光してどうするの」
 しびれを切らしたようにマルクは怒り出す。
「サイードの奴、攻めるならさっさと攻めてくればいいのによ。建物に出入りする奴らを一日中眺めていても面白くもなんともねえ」
「信仰心のない者にはただの建物でしょうけれど信徒にとっては重要な場所なのよ。テロリストが入り込まないようにエルサレム旧市街に入る門はセキュリティチェックを厳しくしているそうよ。神殿の丘も入場制限している。……問題は空ね。不審な飛行体がないか、イスラエル軍が哨戒機を飛ばし妨害電波を流している。旧市街地周辺に地対空ミサイルも配備しているそうよ」
 マルクは胡坐をかき、分厚い頬を引っ張る。
「だったら俺たちがいる必要ないじゃねえか」
 イーシンは空を眺めながら言った。
「昔から奴隷と捕虜は戦争の最前線に立たされるって決まっているのよ。防弾チョッキもヘルメットも配られていないのよ、私たち。一発浴びたら終わりよ」
「そんなもんなくてもへっちゃらだ」
 ――あんたは爆弾が落ちても死なないでしょうね。
 旧市街にあるホテルや店だけでなく通路にも隠しカメラを設置し、過去の画像を合成したサイードの顔写真と照合しているという。
 無人機で攻撃するつもりならサイード本人が現れるとは考えにくく、また、サイードなら何らかの方法で監視システムを突破できるのではないか。……それに……。
 旧市街への立ち入りも制限している。イスラエル兵とアメリカ兵が旧市街に繋がる七つの門の前に立ち(八つの門のうち一つは常時閉じられている)、旧市街の住民かどうかに関わらず、身分証を提示させている。また、イスラエル兵やアメリカ兵が旧市街をねり歩く現状に反発する者は多い。
 実際、旧市街の外と新市街でイスラエル警察とパレスチナ住民の衝突が毎日のように起きていると聞く。
 ラマダンが近づいている。イスラム教徒の信仰心が最も高まり、巡礼者が増える時期だ。地球の裏側から訪れる熱心な信者もいるという。
 取り締まりが長引けばイスラム社会ばかりか国際社会からも非難されかねない。交戦に発展する可能性もある。どちらに転んでも行く末が案じられる。
 ――……逃げた方が賢明だったわね。
 イーシンは深いため息をついた。
「あのつんけんヤローはウェインと一緒なのか」
 カーニヒのことだ。
「多分ね」
 マルクはカーニヒとウェインが二人でいることがよほど気に入らないらしい、鼻の横に皺を作り吐き捨てる。
「あのヤロー、上手いこと言ってウェインと二人っきりになりたかっただけじゃねえのか」
「……頭は大丈夫。言っていることがおかしいわよ」
 イーシンはマルクの横顔をまじまじと見る。
 マルクが鼻息荒く断言する。
「ウェインを見るあのヤローの目は異常だ」
「あんたの頭が異常よ」
 イーシンは心底、マルクの頭の中を案じた。
「なんだとっ。ちったあ仲間の心配をしたらどうだっ」
「カーニヒにあんたが思っているようなやましい気持ちはないわ」
「なんで言い切れる。さてはお前もあのいけ好かないヤローの手先だな」
 相手にするのも疲れる。イーシンはそっぽを向き無視をきめこんだ。
 マルクはひとしきりわめいた後、また、「暇だな」と呟く。
 イーシンはやれやれと空を見上げる。
 マルクの妄想はともかく、イーシン自身、カーニヒのウェインに対する態度には不安を覚えている。イーシンやマルクに対してよりもはるかに強い敵意、憎悪に近いものをウェインに抱いているように感じた。理由は分からない。
 以前のウェインなら心配はしない。目的に向かって突き進む強さ、揺るぎない信念、確固たる自我、そういうものを持ち合わせていた。今のウェインはあまりに頼りなく、傷つきやすい。
 ――……大丈夫かしら、あの子。
 晴天に輝く金色の丸屋根を眺め、イーシンはウェインを案じた。

「なあ、無人機ってどんなだ。形とか大きさとか」
 マルクがぼけーっとした顔で聞く。
「そうねえ。あまり大きいと飛行速度が遅くなるし、敵に見つかりやすくなる。小さすぎると破壊力が弱くなる。百機以上で攻めてくるなら機動性を重視した超小型機かもしれないわね」
「国旗とかついているか」
「相手はテロリストよ。国旗なんてつけないでしょう」
「ふーん。……じゃあ、あれは違うんだな」
 マルクがのんびりと指さす先に低空を飛ぶ灰色の機体があった。模型飛行機のような外観で胴体部分にアメリカの国旗が描かれている。一見すると子どもの玩具のようだが……。
 イーシンの視界を横ぎり、岩のドームへ向かっていく。
「あ、あれよっ」
 イーシンは傘を捨て銃で撃ち落とした。

 銀色に光る機体が木々を飛び越え上空に次々と現れる。
 イーシンが撃ち落とした機体と同じ形だ。二機、三機、五機、六機……と機首を下げ岩のドームに向かって直進し、数機が城壁の下から上空へと飛び出す。
 警察官に扮した兵士が広場に集結し無反動砲で撃ち始める。
 一機に命中し爆発する。火炎がみるみる膨張し、轟音とともに燃えた残骸がばらばらと落下する。
 巡礼者や観光客が悲鳴を上げ我先にと逃げだす。
 騒然とする群衆の頭上に無数の黒い虫が現れ、灰色の機体に群がる。虫と思ったのは灰色の無人機より遥かに小さい黒い無人機だった。灰色の機体を暗幕で隠すように群がって飛ぶ。
 兵士は肩に担いだ無反動砲を空に向かって連射する。黒い機体は羽虫のように広がり、集まり、縦横無尽に攻撃をかわす。
 兵士が放った一発が黒い機体の群れに当たる。イーシンには灰色の機体を守るためにわざと黒い機体が避けなかったように見えた。
 黒い機体がばらばらと地上に落ち燃え始める。虫の形をした掌サイズの超小型機だった。
 小さいため狙いにくく、小回りも利く。そのうえ数が多い。岩のドームを直接攻撃せず灰色の航空機型を守っているように飛ぶ。
 なぜか……。
「おい、くるぞ」
 マルクの声に空を見上げる。
 灰色の機体は空へ舞い上がり、旋回し岩のドームに向かっていく。黒い機体も灰色の機体の動きに合わせ乱れ飛ぶ。
 兵士がミサイルを構える。
 黒い群れが灰色の機体を隠す。兵士が撃ったミサイルが逸れ、岩のドームの屋根をかすめ向こう側の木々に消えた。木々が吹き飛び、アーチが砕ける。轟音と爆風にあおられ土石が横殴りに飛んできた。顔面に飛んできた拳大の石をイーシンは必死にかわした。
 イーシンは肝を冷やした。ばらばらと飛んでくる小石から腕で顔をかばい叫ぶ。
「しっかり狙いなさいよっ。ドームに当たるとこだったわよ」
「俺じゃねえっ。どこの下手くそだ。俺にやらせろ」
 マルクは近くにいる兵士からスカッドミサイル(携帯式地対空ミサイル)を二機奪い取り両肩に担いで、仰天するイーシンの目の前で盛大にぶっ放した。
 黒と灰色の機体が同時に爆発し空中で散る。燃えた残骸が降り注ぎ、石畳を抉り、休憩所の屋根に突き刺さった。
 マルクは調子づき、軽い身のこなしで次々と撃ち落とす。雨あられと燃えた残骸が降り注ぎ、広場にいた兵士は一斉に退避し始めた。
 イーシンは呆気に取られた。
 ――……どれだけ馬鹿力なの……。
 灰色の機体は迎撃システムをかわすため意図的に低空を飛んでいるようだ。黒い機体は小型なうえ縦横無尽に飛ぶから狙いづらい。外せば岩のドームに当たる。敵機は小さく銃でも十分撃ち落とせる。
 マルクの迎撃を交わし突っ込んでくる敵機をイーシンは重いミサイルではなく銃で撃ち落とした。
 すぐ向こうで爆発音と怒声が聞こえる。アル・アクサ・モスクがある方角の空に機影が見えた。
 旧市街から灰色の無人機が列を成し飛んで来る。上昇するかと思われた機体はしかし、機首を傾け丘の下へと消える。数秒後、爆発音と衝撃が宙を震わせ、地面を揺らし、足裏に伝わる。
 機体が消えた方向には嘆きの壁がある、はず。
 ――……もしかして。
 イーシンは機体を撃ち落としながら木々が焼失し旧市街が一望できる場所に移動した。 
 聖墳墓教会の青灰色の屋根に黒い機体が群がっている。灰色の機体が教会ばかりか旧市街上空を飛び交い、あちこちで火の手があがっている。
 旧市街全体が攻撃にさらされていた。
 加勢にはいけない。こちらも手いっぱいだ。
 イーシンは岩のドームの守りに専念した。
 黒い群れが旧市街の町並みを縫うように神殿の丘へ向かってくる。黒い水のように路地を流れ、羽虫の大群の如く屋根を飛ぶ。
 灰色の機体が鳥のようにV字型に列をなし建物すれすれを飛ぶ、黒い群れが集結し灰色の隊列を覆い隠す。
 ――……くる。
 イーシンは城壁に身を寄せ、迫りくる黒い群れに銃口を向ける。銃を構えたまま、破壊されたアーチに突き刺さり燃える黒い機体を目の端で確認する。
 灰色の航空機型は直線的な動きが多く、標的にぶつかり爆発する自爆タイプ。
 黒の超小型機は俊敏な動きで障害物を避け、標的に取りつき発火するタイプ。
 破壊力は灰色の航空機型の方が大きい。
 灰色の機体に群れて飛ぶことから推測して、黒の超小型機は灰色の航空機型が目標物に到達するための補佐的な役割を担っているのだろう。
 一番大事なのは岩のドーム内部に祀られた「聖なる岩」だ。それさえ守りきれれば外壁が焼けるくらい大目に見てもらうしかない。
 イーシンは全てを撃ち落とすのは無理と判断し、自爆タイプの灰色の機体に集中した。
 黒い集団が急上昇しこちらに飛んでくる。灰色の機影が見え隠れする。
 ――黒い群れの向こうに自爆型のドローンがいる。
 イーシンは照準器を黒い集団に合わせる。照準器ごしに青いラインが見えた。
 ――………………。
 錯覚かと思い、もう一度照準器を覗く。イーシンは目を見張った。
 白地に青い六芒星をかたどったイスラエルの国旗が見えた。図柄の大きさからして……。
 イーシンは困惑した。
 サイードの策略か、イスラエルの援護か。
 マルクも気づいたようだ、声を張り上げる。
「あれは撃っていいのかっ」
 迷っている暇はない。イーシンは怒鳴り返した。
「撃って。私は先頭の航空機型を落とす。大きいのは任せたわ」
「よっしゃあ」
 イーシンは黒い集団の合間から見え隠れする灰色の機体に狙いを合わせ、引き金を絞った。
 黒い群れが弾け、旧市街へバラバラと墜ちていき、V字型に飛ぶ灰色の機体が露わになる。
 再び黒い機体が覆い隠す前に、イーシンは先頭の灰色を撃ち抜いた。機首が煙を上げ、火を噴く。並走する灰色の機体を巻き込み爆発した。V字の隊列が崩れ、大きな白い機体が現れる。
 小型のヘリコプターで、胴体部にイスラエルの国旗が描かれている。操縦士はいない。単独で一直線に突っ込んでくる。
「あれよっ」
 銃では無理だ、イーシンは城壁から離れマルクに交代した。
 マルクは立ちはだかり、二機のミサイルを構える。
 距離が縮まってもマルクは動かない。
 ――なんで撃たないのっ。
「マルクッ」
 マルクは動かない。
 ――まさか、弾切れ。
 白い巨体は風を唸らせ突っ込んでくる。
 マルクは不敵に笑い、
「食らえ、くそったれ」と両肩のミサイルをぶっ放した。
 一直線に突っ込んでくるヘリコプターとミサイル二発が空中で激突する。
 閃光が走り、イーシンはとっさに地に伏せる。爆発の衝撃で体が吹っ飛び、地面を横滑りしながら転がり、崩れたアーチに叩きつけられる。折れたプロペラが耳元をかすめていった。
 ヘリの残骸が岩のドーム壁面に激突し、半回転し木々をなぎ倒す。機体が爆発し、炎上した。
 大気が震え、無数の残骸が飛び散り、金属片が降り注ぐ。
 黒煙が噴き上がり、空を覆い、辺りを黒く変えていく。
 イーシンは銃を手に、腰を屈めた姿勢で歩を早める。
 辺り一面に残骸が散らばり、ぱちぱちと炎をあげる。地面が大きく割れていた。
 噴煙が立ち込め、岩のドームの上部は見えない。マルクの姿も……。
「マルクッ」
 イーシンは低空を徘徊する黒い機体を撃ち落とし、マルクが立っていた場所に駆け寄る。
 足元でぶすぶすと何かが燃えている。石畳は大きく抉れ焦げている。マルクが立っていた場所が。
 衝撃の大きさに愕然とする。
 ――……まさか……。
 頭の芯がすっと冷たくなる。大きく抉れた地面にマルクの笑顔が重なり、泣きそうになる。
「へへへっ。あのでっかい奴を俺が撃ち落としてやったぜ」
 煙の中から声がした。
 マルクが不敵に笑い現れる。
「どうだ、すげえだろ。ちったあ見直したか」
 自慢げに胸を反らすマルクに声を失う。数瞬後、怒鳴りつけた。
「ばかっ、さっさと撃ちなさいよっ。びっくりするじゃない」
 マルクが真っ赤になる。
「なんで責められるんだっ。きっちり撃ち落としただろ」
「遅すぎるのよ。はらはらさせないでちょうだいっ」
 ――こんな馬鹿、心配して損した。イーシンはカリカリした。
 マルクはむぐぐぐと歯ぎしりし、吠えた。
「ちったあ、感謝しろっ」
 イーシンは怒りにまかせ怒鳴った。
「どうもありがとうっ」
「なんだ、その言いぐさはっ」
 マルクはイーシンの襟首をつかむ。イーシンも負けじとつかみ返す。
 空を切り裂く音がすさまじい速さで向かってくる。ミサイルが着弾する音とも無人機が爆発する音とも違う。
 立ち込める煙に視界は遮られ耳をつんざく音しかしない。空気が振動し、地面を震わせ迫ってくる。
 マルクとイーシンはつかみあったまましゃがみ込んだ。
 轟音が頭上をかすめ、突風に体が浮いた。
 煙を突き破り、空を駆けていったそれに目を奪われる。
 マルクが撃ち落とした物よりはるかに大きい、機体にロゴマークがついていた。
 イーシンはマルクの襟首をつかんだまま呆然と呟いた。
「……りょ、かく……き……」

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