第22話
文字数 4,960文字
※
「皮肉が効いているわねぇ」
イーシンはパソコン画面を前にしみじみと呟く。
マルクは割り込み、「俺はどこだ」と太い指で画面を指差し、しきりに動かす。
パソコン画面には聖地が襲撃される様子が刻々と映し出されていた。
アメリカ国旗が描かれた無人機が旧市街上空を飛び交い、聖地を攻撃する映像だ。
神殿の丘は煙が立ち込め、嘆きの壁は焼け焦げ一部は崩れている。聖墳墓教会に至っては旅客機の直撃は免れたものの壁に亀裂が入り、窓が溶け、半壊の状態だ。
イスラエル軍機が旅客機を爆破する瞬間まで映っている。旅客機の胴体部分は炎上し、機首部分は旧市街の城壁で潰れ、一部は新市街にまで及んでいた。
空から消火剤を撒くヘリコプター、消火活動に躍起になる消防士、頭を抱え神の名を口にする男性、失神し両脇を支えられ運ばれる女性……。
この映像がインターネットを介し世界中に拡散しているという。
「映像を削除していますが拡散のスピードについていけません」
離れて立っているカーニヒが説明する。ファイルに目を落とし、表情はよく見えない。
「誰が見てもアメリカ軍とイスラエル軍が聖地を攻撃しているようにしか見えないわねぇ。世界中の教徒を敵に回さないか心配」
イーシンはしみじみと呟いた。もちろん当てこすりだ。危険な仕事をさせられたのだ、なにか言ってやらないと気がすまない。背中に刺さるような視線を感じても気にしない。
「おい、俺はどこに映ってるんだ」
マルクが焦れたように指をぐるぐる回す。
「もうっ、映っていたら教えてあげるわ。そのでかい指をどけてちょうだい。見えないったら」
「あああっ。んだと、こらっ」
マルクを無視してカーニヒに話しかける。
「これだけ大量の無人機で攻撃を受けたことを考えれば聖地の警固は成功したんじゃかしら。市民の被害も少なかったようだし、よかったじゃない」
カーニヒは事務的に言った。
「岩のドーム東側の屋根が熱で変形し、壁の装飾が黒く変色しています。嘆きの壁は焼け焦げ一部が崩落。聖墳墓教会は壁に亀裂が生じ、窓が割れています。被害状況を更に分析し、修復に取りかかる予定です」
「地区と地区を乗り越えて住民同士が協力して片づけているそうね。襲撃された後の方が仲良くなったんじゃない」
イーシンはほくそ笑んだ。
「不快な言動は慎んでください」
カーニヒの口調がきつくなる。
イーシンは肩をすくめ、おどけてみせた。いつも取りすましたカーニヒが感情を露わにするのが愉快でならない。
サイードは街中にしかけたカメラを誤作動させ、カメラが映す映像をそのままインターネットに垂れ流した。
それだけではない。
観光客や住民達も聖地の惨状を携帯で撮影し、SNSにアップするなどして拡散に一役買っている。
この映像を流すために聖地襲撃を企てたのならサイードの計画は成功したと言えるだろう。
アーロンはサイードの追跡に追われ、アメリカ軍とイスラエル軍は聖地の警固と消火活動に懸命で、映像が流れていると気づいたのは二十四時間近く経った後、市民の通報からだった。
偵察機や警察車両を駆使し国境も封鎖したが、サイードらしき人物を捕らえることはできなかったという。
「敵ながらあっぱれね」
後ろから鋭い視線を感じ、イーシンは首をひっこめた。
「まあ、全部終わったことだし、当然私達は解放されるわよね」
イーシンは椅子から立ち上がり、カーニヒに笑ってみせる。マルクがすかさず空いた椅子に座り、「俺はどこだ」と太い指をぐるぐる回し画面を指す。
カーニヒは事務的に言った。
「あなた方のご協力により、被害を最小限に食い止められました。イーシンさんとマルクさんのおかげで岩のドームは全壊を免れ、ミズ、ボルダーの助言により旅客機による攻撃を事前に食い止められました。その功績に敬意を表し、後日、アメリカ政府から勲章と賞金が授与されるでしょう。当然、あなた方の身分は保証されます。準備が整い次第、空港までお送りします。それまでホテルでお寛ぎください」
「っしゃあ」
マルクは拳を突き上げる。
「お気遣いありがとうございます」
イーシンはにっこり笑った。
イーシンとマルクとウェインはホテル最上階の部屋で思いおもいに過ごす。
「ここにいては他の患者が入れない」
ウェインは引き止める医師と看護師をふりきり退院した。
ホテルでは「体を動かす方が治りも早い」と車椅子を拒み、杖をつき室内や廊下を歩き回る。
イーシンが「休みなさい」と言っても頑として聞かない。
マルクは昼日中から酒をあおり、「イーシン、アメリカに着いたらしばらく泊めてくれよな」などとほざく。
「あなたは母国のスペインに帰りなさい。空港でお別れよ」
ぶほぉっとマルクは盛大に酒を吹き出し、絨毯にぶちまけた。
「ちょっと、汚いわね。クリーニング代、あなたが出しなさいよ」
酒でべちょべちょになった手でイーシンの肩をつかみ、「ぎゃっ」と悲鳴をあげるイーシンに涙目で懇願する。
「冷たいことを言うな。俺たち仲間だろ。一緒にアメリカに帰ろうぜ」
「いつから仲間になったのよ。汚い手を離して」
酒でべたつく手をふり払う。
マルクがあわあわと口を開け、ウェインに助けを求める。
「ウェイン。この薄情な奴に言ってくれ」
ウェインがくすりと笑う。
「イーシン、マルクをからかうな。入国許可証を取り寄せているんだ。もちろん一緒に帰りましょう」
マルクの顔がぱあっーと輝く。
「そうこなくっちゃ」
マルクはウェインを抱き上げ、明らかに嫌がっているウェインに構わずお姫様抱っこでくるくる回る。
扉をノックし、誰かが来た。
イーシンが出るとカーニヒが立っていた。マルクとお姫様抱っこされたウェインに、カーニヒは永久凍土並みの眼差しを向ける。
「なんの用だ」
マルクは喧嘩腰だ。
「ミズ、ボルダーから連絡をいただいたので来ました。お取込み中なら出直します」
とってつけたような言い方だ。元から冷たい印象を与える男だがウェインに対しては一層態度が厳しくなる。
ウェインはマルクの胸を押さえ、床に下りる。杖をつき、カーニヒを迎える。
「失礼しました。わざわざ足を運んでいただきありがとうございます」
カーニヒは冷ややかな眼差しをウェインに向ける。
「思ったより元気そうなのでこちらに来ていただいてもよかったかなと思っているところです」
ウェインがすまなそうに小さく笑う。
「ああっ、んだとこらっ」
イーシンはウェインがカーニヒに何度か電話をかけているのを見ていた。何か話したいことがあるのだ。
イーシンはマルクの太い腕をがっしりと脇に固め、
「しばらく出かけるわ。ごゆっくり」
「俺は行かん。二人っきりにさせられるか」
じたばた暴れるマルクを無理やり外へ連れ出した。
「後処理に追われ電話をかける時間がなかった。近くまで来たからついでに寄らせてもらった」
「ありがとうございます」
ウェインとカーニヒはソファに向かい合い座る。
「シエナはどうしていますか」
カーニヒは無表情で答える。
「サイードの妻はアメリカ軍基地内の病院に移送された。場所は極秘だ。そこで治療を受けながら尋問を受ける。協力次第で社会復帰の機会が与えられるか、テロリストとして裁判にかけられるかが決まる」
「……子どもはどんな様子ですか」
カーニヒはやはり無表情で話す。
「何も話さない。名前も分からずじまいだ。あれでは養子縁組も難しい。しばらくはカウンセリングを受けさせ、様子を見ることになる」
「……そうですか。ありがとうございます。よろしくお願いします」
カーニヒは表情一つ変えない。
「ミズ・ボルダー。私はあなたのように敵に情けをかけるつもりはない。理解しようとも思わない。テロリストは老若男女関係なく、根絶すべきだと私は考えている。奴らを支持する者、かくまう者も同様だ。奴らは地から這い出る蛆虫だ。我々はこの地上から奴らを一掃する使命がある」
冴え冴えと光る目で断言するカーニヒに戦慄が走る。
カーニヒの中に狂気を見た、気がした。
――……この人はテロリストを心底憎んでいる。
「カーニヒ大佐、あなたはアラブ人やイスラム教徒をテロリストと思っているのではありませんか。アラブ人全体がイスラム教徒ではありません。イスラム教徒の全てがテロリストになるわけでもありません」
カーニヒは黙っている。
「イラクで村が襲撃された時、即座に警察も軍も駆けつけなかった。イスラム教徒地区の警固が他の地区に比べあまりにも手薄だった。撃墜された旅客機はアラブ人が大半を占めていたと聞きました。
イスラエル軍が指揮を執っていたにしても、アメリカ空軍大佐であるあなたが強く言えば旅客機の撃墜は防げたし、イスラム教徒地区も厳重に警固できたのではないですか。イラクの村だって……」
カーニヒは冷たい視線をウェインに投げる。底冷えするほど冷ややかに。
「ボルダー、我々アメリカが『テロとの戦い』でどれほどの犠牲を払ってきたか、同じ軍人だった君なら想像できるだろう。イラク戦争だけでも四五〇〇人のアメリカ兵が犠牲になり、二兆ドルという巨額の資金を費やした。アメリカはイラクの治安維持と復興に力を尽くしてきた。
アメリカがフセインの銅像を倒した時、イラク市民は歓喜し、アメリカを称賛した。だが、フセイン政権が倒れてからも治安が一向に改善せず内戦状態に陥ると、アメリカのせいだと敵視するようになった。テロリストに国土を荒らされ、戦後復興が上手くいかない原因は明らかにイラクにある。
今回の聖地襲撃にしてもそうだ。我々が軍事支援をしなければイスラエルは聖地を失っていた。イスラム教徒地区はパレスチナ側が守る手筈だった。武器と兵力がないというならイスラエル政府に頭を下げればよかったのだ。護り方が甘かったとアメリカが非難されるいわれはない。
人は総じて勝手なものだ。紛争が起きればアメリカを頼り、鎮圧に失敗すれば逆恨みをする」
自分とカーニヒの間に決して相容れることのない断崖が厳然と横たわっていた。
「今回のエルサレム襲撃事件でサイードはユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒ばかりか、アメリカをも敵に回した。アメリカの威信をかけてサイードは殺す。サイードの計画に与した者も同等の裁きを受ける。アメリカはテロに屈しない。何千何万の蛆虫が湧き出ようと必ず根絶やしにする。アメリカにはその力がある」
カーニヒは総身に憎悪と拒絶を湛え、断言した。
「ミズ、ボルダー。私に期待しないでくれ。私はテロリストに情けはかけない。手加減もしない。私に権限があるのならサイードの妻を処刑している。アメリカの敵となる者は全身全霊をかけて叩き潰す」
ウェインは二の句を継げなかった。
「もうすぐ帰国の手続きが完了する。二度と会うことはないだろう」
カーニヒは立ち上がる。仮面のような表情に戻っていた。
「我々の作戦にご協力いただき有り難うございます。無事の帰国をお祈りします」
カーニヒは一度、作りものの笑みを浮かべ、身を翻し出て行った。
ウェインはソファに身を沈めたまま動けずにいた。
西日が差し、部屋が赤く染まる。
影が長く、濃くなっていった。
(了)
参考文献
『アメリカはイスラム国に勝てない』宮田律(二〇一五)PHP新書
『イスラムの怒り』内藤正典(二〇〇九)集英社新書
『イスラームの世界地図』二一世紀研究会編(平成一四)文春新書
『イラクとパレスチナ アメリカの戦略』田中宇(二〇〇三)光文社
『「イスラム国」空爆の現場レポート』白川優子(二〇一七・一〇月)頁三五四ー三六三 文芸春秋
『最強 世界の歩兵装備図鑑』坂本明(二〇一二)学研パブリッシング
『サイバー犯罪入門 国もマネーも乗っ取られる衝撃の現実』足立照嘉(二〇一七)幻冬舎
『サマワのいちばん暑い日 イラクのど田舎でアホ!と叫ぶ』宮嶋茂樹(平成一七)祥伝社
『図解 ハンドウェポン』大波篤司(二〇〇六)新紀元社
『引き裂かれる国家 ISはイラクに何をもたらしたのか』山尾大(二〇一七・六月)頁一五九ー一六七 世界SEKAI
『貧困大国アメリカ』堤未果(二〇〇八)岩波書店
『まんが パレスチナ問題』山井教雄(二〇〇五)講談社