第15話
文字数 1,557文字
正五はゆっくりとその密書に目を通した後、感情を押し殺した声で二人に訊いた。おそらく正五の胸中はやるせない気持ちで一杯で、時忠を串刺しにでもしてやりたい、と思っているだろう。
「父のしていることは道義に反しておりまする。ご当家からの大恩を忘れて敵方に走る者など、我が父とは思いませぬ」
時成は顔を真っ赤にし、唾を飛ばして自分の父親をなじった。目には涙が浮び、まつ毛は濡れている。
「その通りでございまする。それがし、不肖兄の片腕として今まで補佐してまいりましたが、入道さまのお力なくして勝浦正木の家はなかったことをよく存じております。それを己の力と誤信して忘恩する者など、兄とは思いませぬ」
そう言う弘季の顔は引きつり、真っ青になっていた。徳を貴び、道を説く正五の言葉は、彼らの心にも浸透していた。
「そちたちの申し条、よく分かった。それではこれから勝浦に進撃して、左近大夫を討つか?」
正五は、自分たちの肉親を攻めよ、とは少し酷な言い方かな、と思いながら二人に訊いてみた。
「目の前の敵を屠ったら、すぐさま勝浦に戻り、時忠が首を挙げて、勝浦正木家の汚名を雪ぎたいと存じまする」
時成は、自分の父親を呼び捨てにした。
「うむ。目の前に屯しておる敵の方が先じゃな。勝浦衆の千人が去ったら、敵の大軍と刃を交えて勝利をものにするのが難しくなるのは確かじゃ」
「では、ぜひとも我らに先手をお申し付けくだされ」
「うむ、その心掛け、殊勝じゃ。……しかし、そちたちに先手をやらせるわけにはまいらぬ」
正五はゆっくりとかぶりを振って、二人に言った。
「なぜでござりまするか?」
「先手は兵の消耗が激しい、ということは分かっておろう。人数が減ったら、勝浦の要害に籠る左近大夫を懲らしめるのが難しくなるぞ」
「しかしそれでは、我ら一族の面目が立ちませぬ」
「………」
「入道さま、お願い申し上げまする。我らに先手をお申し付けくだされ!」
「お願い申し上げまする!」
弘季と時成は、額を地面に擦りつけるように平伏して、先鋒任命を懇願した。二人とも肩が震えている。
「そちたちの心はよう分かった。面を上げよ」
正五は目を瞑り、しばしの間合いの後に口を開いた。
「……来たるべき合戦では勝浦衆に先手一番手を命ずる。二番手は小田喜衆じゃ。後ろの小田喜の者どもに追い越されぬよう、心して励め」
「ははー、有り難き仕合せ!」
「北條軍は荷駄や人夫を連れずに来着した。すなわち長陣は念頭になく、大軍ゆえ夜襲もない。ということは、敵は明日夜明けごろに坂を登り、攻め掛かってくるはずじゃから、それを迎え撃て。じゃが敵が動きだし、坂を上り始めるまで決して手を出すな。いくさが始まったら、余からは一々指示を出さぬ。思う存分に働き、汚名を雪げ。ただし死ぬなよ」
正五は二人にごく穏やかな口調で語りかけ、そして、
「行け!」
と、大声で命じた。
弘季と時成は雷に打たれたかのように、スクッと立ち上がり、深々と会釈をして、幔幕の外に出て行った。その後ろ姿を見つめながら、久明は正五の心情を察して涙が出てきた。
その日は、両陣営が繰り出した物見同士の小競り合いが発生しただけで終わった。そして正五の予測通り、翌八日の夜明け直前に北條方の軍勢が動きだし、第二次国府台合戦第一ラウンドの火蓋が切って落とされた。
戦闘に参加する兵卒は、矢切方面の押さえや小金大谷口城に拠る高城胤吉を牽制するため、国府台の北に安房衆の一部を置いている里見勢は八千人程度、北條軍は一万五千人内外で、数の上では北條方が有利であった。しかし北條軍は内海の際を通っている街道沿いに布陣し、真間から霜柱で滑る坂道を攻め上がる形になるのに対し、里見勢は台地の上に陣を敷いている上、決死の覚悟で戦いに臨んでいる勝浦衆が先鋒を務めている。