第11話

文字数 2,525文字



 義弘が直々に率いる襲撃隊は、十月八日のまだ夜明け前の真っ暗なうちに穂田浦、今でいう鋸山(のこぎりやま)のふもとにある鋸南(きょなん)(まち)保田の湊から出陣した。

 総勢五百人ほどの人数が乗る舟は小回りが利き速度の速い、二十挺艪程度のいわゆる小早舟が主体で、大船は義弘の座乗船だけである。この船は六十挺艪ほどの関船で、久太郎と隼人も義弘の側近として乗船している。

 男たちは舟に乗り込むときだけ松明を点け、乗船後は灯りを消して、暗闇の中に薄っすらと見える三浦半島の稜線と、前を行く味方の舟の影だけを頼りに向地目指して艪を漕いでいる。彼らは数町離れた海上にいる敵の探索舟によって監視されているのを知らない。

 空が白み始めたころ、襲撃隊は剱崎(つるぎざき)の沖合に到着した。そこからは小早舟だけで西に向かい、小網代(こあじろ)の先まで敵の状況を探っていく。義弘の船はやや大ぶりな早舟数隻を従えて停泊し、先手が送ってくる手筈になっている偵察情報を待っている。

 多数ある岬ごとに設置されている北條家の物見台には無人のものもあり、一見するとあまり警戒の度合いは高くはない。

「敵は我らの襲来を予想して見張りを厳しくしておるはずだ、と岡本大学殿は申されていたというが、どうやら取り越し苦労であったようだな」

 襲撃隊の先手を受け持っている龍崎縫殿頭(ぬいのかみ)は、真っ黒な顔を弟の龍崎弥七郎に向けた。縫殿頭は久明の家臣である龍崎五郎太の父親である。

「倅の五郎太は大学殿に心酔しておって良い事しか申さぬが……。存外いくさ事には疎いお方やも知れぬ」

「大学殿は入道さまの軍師殿ということになっておるがな。まあ、用心深いということであろう」

 湊や浜の中には、番小屋や民家から人が出てきてこちらを窺っているところもあるが、全く人の気配がない無人の津もある。

 三崎の水軍基地には少数の舟が浮び、浜にも何艘かの小早が揚げられているが、縫殿頭らが二引両の旗をたなびかせながら沖合を通っても、それらに動きは見えない。

「兄者、これならどこの浦から陸に上がってもよさそうだ」

 舟の舳に立ち、両手のひらを額に添えて庇代わりにしながら浦々を眺めていた弥七郎は、縫殿頭に真っ白な歯を見せて笑った。

「そうだな。その旨をお屋形さまに言上したら、さっそく陸に上がる支度を始めよう」

 縫殿頭は義弘に向けて伝令の小舟を出すとともに、上陸に向けた準備を始めた。



 義弘も船上に立つ櫓の上から陸上の様子を眺めている。

「あまり見張りがいないな──」

 縫殿頭とは違い、義弘は監視員の少なさにむしろ訝しく思った。そこへ縫殿頭からの伝令が到着し、三崎の水軍基地に泊まっている舟や油壷、小網代の津に火を放ち、さらにその先にある砂浜に上陸する旨を伝えてきた。

「何かおかしい」

 義弘は首をひねった。

「これは敵の策かもしれぬ。縫殿頭には少し待て、と伝えよ」

 義弘は伝令にそう言いつけて縫殿頭の元に返し、先手の船団に目をやった。

 すると──。

 縫殿頭の船団は、伝令の小舟が帰らぬさきから三崎の湊に浮いている舟に放火し、油壷に向かった。

「うーむ、大丈夫かな……」

 義弘は嫌な胸騒ぎを感じつつ、座乗船と取り巻きの舟を三戸(みと)の浦まで見通せる位置まで移動させた。

 その間にも縫殿頭らは油壷の湾内に入り込み、次々に火矢を放って浜辺に建っている番小屋や民家に放火していく。

「ふーむ。杞憂だったかな……」

 義弘は、燃え盛る浦から上がる黒煙を見ながら小首を傾げた。

 先手の舟は小網代の津に停泊していた舟にも放火し、さらにその先の三戸浦に向かい、火矢を浜に向かって放ってから、舳先を揃えて次々と人気のない砂浜に乗り上げた。艪から鎗や弓に持ち替えた男たちは続々と浜に降りていく。

 上陸した男たちは武器を構えて辺りを窺い、炎上する番小屋の戸板を蹴破って中を覗き込み、まだ類焼していない民家の障子戸を開けて敵兵が潜んでいないか確認していたが、やがて縫殿頭の末弟の龍崎下総という男が義弘の船に向かって、手にした旗を大きく振った。

「あそこにも敵はおらぬか……」

 義弘が胸騒ぎを抑えて、座乗船の船頭に上陸に向けた準備をするように伝えようとしたその時。

 砂浜に展開していた兵士や、残っている建物に火を放とうとしていた男たちが一瞬動きを止め、その直後数人が突然パタパタと倒れた。義弘らがあっけにとられて見ていると、浜の向こうの林から敵兵が湧き出るように姿を現し、里見兵に襲い掛かった。しばらくのちに太鼓の音と鉄炮の発射音が義弘たちの耳に届く。

「これはいかん……」

 義弘は身を乗り出して呻いたが、浜までは一里ほどもあり、すぐには救援に向かうことができない。

 里見兵のうち波打ち際にいた者は慌てて舟に乗り、漕ぎ手の人数が揃った舟から沖に漕ぎ出すが、逃げ遅れた者は敵兵に取り囲まれ、討たれていく。

「うーむ、やはり敵の策であったか」

 義弘は唸ったが、後の祭りである。敵はわざと三戸の浜周辺の警備を薄くしたように見せかけて、縫殿頭らを誘い入れたに違いない。

 朱塗りの小札を赤糸で縅した、派手な大袖付き胴丸に身を包んだ縫殿頭は、舟に乗り込もうとしているところを功名に飢えた敵の鎗先に掛かり、浜に引きずり降ろされ、馬乗りにされて首を取られた。黒糸威で全身真っ黒の弥七郎も、砂浜に打ち上げられた海藻の残骸に足を取られて転倒したところを雑兵の集団に襲われて、あっさりと首を授けた。下総は、背後から飛んできて錣を貫通した鉄炮玉に小脳と延髄を破壊されて死んだ。

 西の方を見ると北條家傘下の伊豆水軍らしき船団が、水平線の先から見えつつある。北の三崎も動きが慌ただしくなっているようである。急いでこの場から脱出しないと舟いくさになり、兵力が少ない上に分散している状態の味方は全滅の危険もある。

 義弘の座乗船は大船で鈍重である。義弘は決断した。

「先手の舟が引き揚げてくるのを待っている時間はない。逃げるぞ」

 義弘の船は海峡の中ほどまで来たところで、こんなこともあろうかと穂田浦や富浦から出撃してきた味方の船団に救われ、穂田浦に無事帰還した。

 戦いは短時間の局地戦であったにもかかわらず、龍崎三兄弟が揃って討ち死にし、他にも二十人以上の兜首が討ち取られる大敗となった。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み