第17話
文字数 2,822文字
五
第二次国府台合戦の一回戦は、北條軍の敗走により決着した。
両軍合わせて数千人の兵士が死傷し、勝利をものにした里見家の損害も決して小さいものではなかった。
小田喜正木家の当主、正木信茂は戦死した。
正五は、正木弾正左衛門弘季の息子憲時に、鎗大膳の異名を取った故正木大膳亮時茂の通称、弥九郎を名乗らせて、統領を失った小田喜家の跡目に入れ、弘季と時成に従い奮戦した勝浦衆を、戦力が半減した小田喜衆に付属させた。さらに万木土岐家と小田喜衆に帰国を命じ、離反した勝浦正木家に備えさせることにした。
また正五は、義弘に国府台城の守備と更なる整備を命じ、自身は松山城の後詰に向かう輝虎の軍と合流するため、岩付城に移動することになった。久明は正五入道と行動を共にし、久太郎と隼人は義弘の下で国府台城に留まることになる。
久太郎と隼人は連れ立って正五の陣屋を訪れ、久明と束の間のひとときを過ごした。
「ジャイアンはいいよな」
久太郎は久明の顔を見るなり言った。
「なんでだ?」
「だってジャイアンはまた大活躍して、敵を何人もやっつけたんだよ。オレなんか、またお屋形さまの側にいただけで、何もしなかった」
久太郎は唇を尖らせ、悔しそうな表情をして隼人を見た。
「まあ確かに隼人君はすごい活躍だったな」
「おじさん見てたんですか。僕の馬はバカだから、すぐに興奮して敵の方に行っちゃうんです」
隼人ははにかみ、顔を少し赤くした。
「……でもおじさんも凄かったです」
「うん、入道さまもあの年で陣頭指揮を執るからね。必然的に周りの者も前に出ざるを得ない」
「あーあ、オレの馬もバカ馬だったらなー」
「でもチョロQ、僕たちは馬廻りだから、ほんとはお屋形さまの側にいなくちゃいけないんだよ」
「隼人君の言うとおりだ。お前はいざという時のために、お屋形さまの側に仕えるのが役目だ」
「でもせっかく侍になったのに戦えないのもなー」
久太郎のぼやきを聞きながら、久明は溜息をついた。できればこの二人には危ない橋を渡ってもらいたくない。
「そうだ、お屋形さまに頼んでみようかな」
「何をだ」
「松山城だったけ、そこに行く入道さまの軍に混ぜて、て」
「久太郎、いくさは人と人の殺し合いであって、ゲームじゃないんだぞ。相手も死に物狂いで掛かってくるんだから、ちょっと油断したり、反応が遅かったりしただけで殺されてしまうんだ」
「でも父ちゃんは行くんでしょ。オレも行きたいな」
「馬鹿な事を言うな。父ちゃんは入道さまの家来だから行くだけだ。それに遠征になるから、負けたら帰ってこれないかもしれん」
「父ちゃんは死にはしないよ」
「そんなことは分からん」
久明はふと思った。未来の日本に住んでいた時は、果たして明日自分は生きているだろうか、などと考えることはあっただろうか──。
「おじさん。最近敵は鉄炮を多用していますから、あまり前線に出ないように気を付けてください」
「ありがとう、隼人君。今回は大いくさにはならないはずだけど、気を付けるよ」
松山城を攻めている北條氏康は、国府台で氏政が敗退したことを翌日には知った。障害を乗り越えた里見軍が間もなく松山城近辺に出没するであろうことは、氏康には容易に予測できた。
そのことは岩付城の太田資正の家中にいる内通者からの、
「越後勢、岩付に到着。里見正五入道も一両日中に到着の由。その後越後勢と里見勢は、岩付衆と共に松山城の後詰に参ずるため、近日中に出立とのこと」
という急報で確実になった。
松山城将の上杉憲勝は、その父で関東管領だった憲政とは違い、貴族的な性質の持ち主ではなく勇敢な武官であった。彼は大軍を相手に怯むことなく堅固に防戦していて、城は落城する気配を顕わにしていない。
攻城に加わっている甲州武田軍は、自国からわざわざ金山の坑道を掘る金堀り人夫を連れてきて城内に通じるトンネルを掘らせ、そこから攻略の糸口を見出そうとしているようである。ただしこれは基盤の凝灰岩が彼らの勝手と違っているのか、なかなか捗らず、また城兵の妨害もあって成功には至っていない。
こんな時に上杉と里見の連合軍が後詰に現れたら、自軍の方が逆に包囲されてしまう可能性もあり、そうなると撤退を余儀なくされる。あるいは、北條軍が攻め落とす前に武田軍の手によって松山城が攻略されたら、その時は腹黒い武田信玄のことである、
「松山城は、このわしが落としたものじゃ」
などと言いたてて、そのまま居座ってしまうかもしれず、後々面倒なことになりそうである。
この情勢に際し、氏康は一計を案じた。
氏康は、信玄には内緒で憲勝に和睦の使者を送り、こう言い送った。
「武田は地下に坑道を掘って、そこから城内への侵入を図っている。そちらの援軍が着く前に甲州軍がモグラ穴を完成させて、彼の者どもの虜になったら、男たちは撫で斬りになり、女子供は奴隷として売られる運命にある。そうなる前に我が方に味方したら如何か」
武田軍が佐久郡の土豪など信州の敵対勢力に対して行った、人間がしたものとは思えない酷い仕打ちは、当然憲勝の耳にも入っていた。武田の穴掘りが完了した時は、氏康が言うように松山城も同じ目に遭うかもしれない。城の周りを封鎖されて外部との連絡がままならない憲勝には、まだ房越連合軍が接近中で数日のうちには後詰に到着する、という知らせは届いていなかった。
「なるほど、さもありなん。つまらぬいくさで撫で斬りに遭って命を無駄にするなど、馬鹿馬鹿しい」
旧秩序の関八州で、宰相の地位にあった関東管領家に生まれた憲勝には、地下の民を同じ人間として憐み、その行く末を案ずるような感情などはない。しかし我が命は別である。
(それに──)
憲勝は思った。
(父は長尾景虎などという越後の守護代ごとき男に、関東管領の地位をくれてしまった。わしがいるのにだ。今わしは家来筋であるその男に、こうやって使役されている。なんとむなしいことだろう)
「これ以上北條を相手に戦って、一体何を得るというのだ」
憲勝は声に出して自分自身に語りかけ、北條に寝返る決心をした。
(わしは決して武田が恐ろしくて、北條に降るのではない。ただ単に、正当な関東管領として、長尾景虎を否定し古河公方足利義氏さまを奉じるだけだ)
憲勝は自らの行動をそう理由づけして、正当化しようとした。
(しかし、人質として岩付城に差し出した息子はどうする?)
乱世に生まれ育ったこのような男でも、子供をいとおしく思う感情はある。しかし同時に一人くらい切り捨てても仕方がない、と判断する非情さも持ち合わせている。人命がこれほど軽い時代もない。
(──岩付城の主、太田資正は温厚な男だ、無用な殺生はしないだろう。ではあの血に飢えた越後の気違いはどうか。あの男なら倅を殺すことに躊躇はしないはずだ。しかしこれも乱世の習い、倅には可哀想だが致し方あるまい)
翌日、松山城は開城し、憲勝は北條家に降った。