第19話

文字数 2,381文字



 松山城を取ってから、目だった軍事活動を控えて事態の推移を見つめていた氏康は、輝虎が越後に帰り、正五が久留里城に戻ると、すぐに活動を再開した。

 九月に入ると北條軍は古河城を囲み、後詰に参じた簗田晴助などを排除しつつ速攻でこれを攻略して、足利藤氏を生け捕って小田原に送致した。藤氏はその後伊豆に幽閉され、三年後の永禄九年に何者かによって殺害されている。

 輝虎は藤氏が拉致されたと聞いて、地団駄を踏んで悔しがった。彼はすぐにでも関東に攻め入って藤氏を救出したかったが、武田信玄に呼応した国人や一向一揆が蠢動する越中や信濃が安定せず、これらの対応に忙殺されていて、越山することができない。

 北条綱成が率いる玉縄衆は、藤氏の弟、藤政、家国兄弟を虜にすべく総央に進出して、二人が拠る上総池和田城を包囲した。主力が国府台城に留まっている里見軍には、これを追い返すだけの力がない。

 他方、北條軍は武田軍と共同で上野にも出兵し、上杉方の諸城を攻め立てた。武州では北條氏照の軍勢が、青梅辛垣(からかい)城に拠っていた三田弾正忠綱秀をついに滅亡させた。

 このように北條方が輝虎の留守中にじわじわと勢力を拡大する中で、国府台城の義弘は岩付城の太田資正と連絡を取りながら、一挙に頽勢を挽回し、北條家を大混乱に陥れる秘策を練っていた。北條家中の大物に接近し、寝返りを促して自陣営に取り込もうというものである。

 資正から義弘に、調略目標の人物が寝返りに同意したという連絡があったのは、年の瀬も押しせまった閏十二月になってからであった。

 その人物の名は、太田新六郎康資。

 資正と同族で、江戸城と岩付城を築城した太田道灌直系の曾孫である。

 新六郎の太田家は、かつて南関東で強大な威勢を誇った扇谷上杉家の家宰を代々務める家柄であった。ところが新六郎の先代資高は、主君だった江戸城主扇谷上杉朝興を裏切って北條家に服属してしまった。この事態に遭遇した上杉朝興は江戸城を放棄し本拠を岩付に移して、膨張しつつある北條家に対抗しようとするが、最重要拠点を失った扇谷家の勢力は大きく後退し、その後の川越合戦で当主が戦死、滅亡した。

 資高は、当然恩賞として江戸城を与えられるものだと思っていただろう。ところが案に反して、時の北條家当主、氏綱は江戸城を資高に与えなかった。それどころか城代にもさせなかった。

 資高は後悔の念に苛まれ、失意のうちに病死した。

 資高の跡を継いだ新六郎にも、江戸城は与えられなかった。彼は、その家柄や、彼自身の武功にもかかわらず、江戸城西の曲輪の守備を任されているにすぎなかった。

 昨年四月二十四日に北條勢が里見家の家臣網代大炊丞を追い払い、葛西城を奪還した際にも、新六郎は主将として出陣し攻略に成功したのに、城は彼には与えられなかった。

 太田新六郎康資、当然大いなる不満を持っている。



 資正、新六郎と義弘は、連絡を密に取り合って、北條家を仰天させる作戦を練った。

 大筋はすでにできている。

 義弘が大軍をもって葛西城を囲み、攻撃するところから、それは始まる。

 葛西城に押し寄せる里見軍に対抗するために、江戸衆は若干名の守備兵だけを江戸城内に残して、大半は葛西城救援のために城を離れるだろう。

 この時、志願して江戸城守備部隊となる新六郎主従は、空き家同然になっている江戸城を乗っ取り、資正の岩付衆と合流して里見軍と共に江戸衆を挟撃、速やかにこれを殲滅する。

 江戸城は、北條家にとって東部戦線の生命線であり、かつ北関東への水運の拠点でもある。これが里見方に転じれば、下総、常陸、下野に散らばる北條方の国人衆は根を絶たれた草のごとく立ち枯れて、やがて滅び去るであろう。また、上州計略にも多大な影響を及ぼし、同盟国ながら油断のならない武田信玄の行動に重大な変化を与えかねない。

 氏康はこのような事態を阻止するために、必ず可能な限りの兵力を率いて江戸城奪回にやって来るであろう。

 新六郎と里見軍は江戸城に籠城してこれを迎え撃ち、輝虎と計って氏康率いる敵主力に決戦を挑み、雌雄を決する。

 義弘は作戦開始に当たって、本国の正五に援軍を要請した。

 国府台城に主力部隊を派遣している里見家に、増援できる予備兵力はほとんどない。それどころか池和田城を囲む北條軍や、旧領回復を目論み南下しようとしている千葉、原両氏に対する兵力すら不足していて、各地で劣勢を強いられている。戦いを優勢に進めているのは、勝浦正木家に対してだけである。

 しかし正五は、この作戦は関東の覇者を決定づける重大なものと位置づけ、最大限の派兵を決意した。

 まず下総臼井城は、長期的戦略の観点からあくまでも枝葉と判断し、城を放棄させて守備兵を国府台城に移す。正五が率いる久留里衆は池和田攻城軍に、長南武田家は千葉、原両氏に備えるが、一部は薦野神五郎に預けて国府台に出陣させる。小田喜衆も国境警備に最低限必要な部隊だけを残し、残りはすべて国府台に向かわせる。

 安房衆のうち、内房正木一族を正五の次男、大炊介堯元に付けて、海防と相模方面の調略のために据え置き、安房の旧族・丸党は義弘嫡子の義継に指揮させて勝浦に備えさせるが、他は正五の三男民部少輔堯次や五男の越前守忠弘などが引率して国府台に行き、作戦参加する。

 首尾よく作戦成功となった暁には、在国部隊は水軍衆と共に相模へ渡海して、小田原に向かって敗走する北條軍を討つことにする。

 北方を脅かす敵の動きを牽制するため、両総境目の山辺郡に勢力を持つ北條家国衆、土気酒井家謀叛の流言も飛ばしておく。

 久明も、援軍と共に作戦参謀として国府台城に派遣されることになった。

(この作戦が成功すれば、日本の歴史が大きく塗り替えられることになる。自分はその立会人になるのだ)

 そう思うと、久明は抑えがたい体の震えを感じた。

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