第4話 

文字数 2,317文字


   二


 このころ、武田信玄は信濃国北部の川中島地方で着々と地固めを進め、千曲川のほとりに海津城を築いて、城代に春日(香坂)弾正忠虎綱、副将として小山田備中守虎満や原与惣左衛門(原与左衛門尉勝重か)らを入れている。

 これに対して、政虎は遠征先の関東から越後春日山城に帰城したばかりであったが、本拠地の足元に迫る武田軍を追い払うため、腰を落ち着ける間もなく川中島に出陣した。世に名高い第四回川中島合戦の始まりである。

 一方房総の地は、政虎襲来の後、氏康が北方防衛と武蔵国内で政虎に呼応した勢力の討伐に力を入れたため、千葉、原といった北條方武将は独力で北進する里見軍に対処しなければならなくなった。

 下総守護家である千葉氏は、鎌倉以前から続く名家である。しかしこの家には甲斐守護家における武田信玄のような中興の英雄はついぞ出現せず、長年の内訌で疲弊し、家勢は衰える一方であった。いきおい、義堯の登場で関東有数の戦国大名に成長した里見家の勢いに、彼ら単独で対抗することは困難であり、その勢力範囲はついに下総北部にまで後退した。

 上総国は、上総酒井氏一族が治める北東部の山辺(やまのべ)郡や武射(むさ)郡などを除き、ほぼ全域を里見方勢力が押さえていた。南部でいまだに北條方として頑張っているのは、かつて義堯の居城であった佐貫城だけである。守将は玉縄衆の一員である朝倉右馬助景隆。

「佐貫の城は、朝倉なにがしという者が固く守っておって、なかなか落ちぬ。兵糧攻めにしたくとも、城域が広い上に抜け道も多くて、容易なことではない。余が佐貫にいた時に大改修などしなければよかったわ」

 毎朝の日課である久明との雑談の中で、義堯は苦々しい顔を見せながら佐貫攻めの見通しを語った。

「あれは喉もとに刺さった小骨のようなものです。できれば早めに攻略しておきたいものです」

 久明は、先日義堯に随行して戦況を視察した佐貫城を思い浮かべた。

 佐貫城は、比高がたかだか四十メートルほどしかない独立丘陵上にある、なんの変哲もない丘城である。令和の現代になっても遺構は良く残っているが、見た目はただの「里山」である。

 しかしこの城は周囲の砦群と有機的に結合し、また南と北にそれぞれ濠代わりの小川が流れていて、守りやすく、かつひどく攻めづらく、そのうえ抜け道が多く、海にも至近で、籠城軍にとっては補給も楽である。このような城は、昼夜を問わず水軍を動員して海上封鎖をした上で、付け城を多数設置して外部との連絡を絶ち、降参するか、勝手に朽ち果てるのを気長に待つしかない。

「さよう、早いところ片を付けたい。しかしむずかしいな、海賊衆を二六時中佐貫に貼りつけておくわけにもいかぬし、包囲のための人手も足りぬ。しかも守将の朝倉なにがしはよほどの頑固者らしく、その辺の地侍と違って調略も効かぬ」

「その朝倉という男は馬鹿でしょうか。氏康が上総を去り、まわりがこぞって我が方についても、いまだに退散せずに孤軍奮闘しているところをみると、頑固者とか、忠義の仁とかといった度を越しているような……」

「うむ、馬鹿かもしれぬ。あれほど頑張っても、吝い氏康めはそれに報いてやるほどの恩賞を出さぬぞ」

 義堯は口許を曲げた。

「ところでじゃが、余はそろそろ髪を下ろそうかとおもうておる」

「……入道なさるので?」

 久明は義堯がいずれ出家するということは史実をもって知っていたが、さすがにいきなり言われて驚いた。

「さようじゃ。入道して家督を太郎に譲る。太郎は三十七歳、余もすでに五十五じゃ、少し遅すぎたかもしれぬ」

「若殿は立派な方ですし、当家のお屋形さまになるにはふさわしい方ですが……」

「うむ?」

「今の関東は、これまでにも増して複雑にして、白黒と簡単にはくくれないほど交錯した情勢になっています。お屋形さまの力なくして、この荒波を乗り越えていくのは相当むずかしいのでは」

 このまま義堯に隠居させるわけにはいかなかった。久明にしてみれば、義堯は歴史を改変するための道具である。その義堯が引退するということは、画家が絵具とキャンパスを取り上げられるに等しい。

「いや、余などより若い力の方が、むずかしい局面を乗り越えていけるであろう。むろん内向きのことは余も関わるつもりではあるが……、いや、むしろ内政をするために隠居するのじゃ」

「そういうことですか」

 久明は何となく納得しそうになった。日本の権力者の間では、親子による二頭政治体制はごく普通のことであり、むしろ伝統と言っても良い。いにしえの院政期しかり、今の北條家しかり、のちの豊臣家しかり、そして江戸幕府の大御所制度しかり。仕事の分担があいまいだと混乱の元凶ともなるが──。

「そなたがかねがね申しておる未来の世のように、法度を定め、奉行衆が(まつりごと)の全てを行うようにできるのなら、余も楽隠居ができるのじゃが。しかしかように落ち着かぬ世の中では、それもままならぬ」

「………」

「正木や武田、土岐などは我が配下とはいえ、その支配地に当家の権力は及ばぬ。その上あの者どもは総じて独立性が高く、難儀のいくさにも余が手を合わせて頼み込まなければ一人の兵も出してこぬし、果たして何人の兵を連れてくるのかもさっぱり分からぬ。こんな国人一揆のような状態も何とかしたい」

 在地に根付く領主の自立志向は全国の戦国大名に共通する悩みであった。在地領主連合の代表格から発展した大名や、里見家のように外部から入って、在地の有力者の協力でその地方を征服した大名は、自らも大名化しようとする国人を抑えるのは容易なことではなかった。戦国封建制度の根幹にかかわるこの一事を解決しえた大名のみが、時代を越えて飛躍することになる。

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