第5話

文字数 2,069文字



「チョロQだって本気でつねったじゃん! 痛ったいなあ、もう!」

 二人の様子を何となく眺めていた久明も、横面がうずうずと痛くなってきたような気がして、苦笑しながら手を頬にあてた。

「こんなに痛いんなら夢なんかじゃない! オレ分かったぞ!」

 久太郎はつねられて赤くなった頬をさすりながら、大声を出した。何かが閃いたらしい。

「……何が?」

 隼人は気のない訊き方をした。

「オレたち絶対、時空の隙間に入り込んで、タイムスリップしちゃったんだよ」

「んー? 何?」

 隼人は久太郎の言葉を理解できなかった。久太郎に呆けたような顔を向ける。

「だから、タイムスリップだよ」

「たいむすりっぷ……、たいむすりっぷ……? 何それ」

「だ、か、ら! タ、イ、ム、ス、リ、ツ、プ!」

「……えー、タイム……? えー! タイムスリップ! そんな馬鹿な!」

 久明と隼人は顔を見合わせ、大きくかぶりを振った。

「そんなこと絶対にありえない。お前、マンガやドラマを見過ぎているだろう。母ちゃんがいつも怒っているぞ、お前はテレビばっかり見ているって」

「そうだよ、チョロQ。こんな設定、下手くそ作家が書いたSF小説でもないよ。……テレビドラマだったらありそうだけど」

「ううん、絶対そうだよ。オレたちタイムスリップしちゃったんだよ。あんな水戸黄門に出てきそうなおじさんが現れたりさ、こんなポクポクした土の道があったり」

「………」

「そのうちに、あのおじさんが馬に乗った侍を連れてくるんだよ。お代官さま、あいつらでごぜーますだ、ってね」

 久太郎は、自分の思いつきに相当な自信があるらしく、したり顔をして何度も頷いた。

「いやいや、まさかそんなこと……」

 そうこうするうちに、先ほど異形の男が走り去った方向から人の群れがやってきた。今度の男たちは立ち止まることなく、真っ直ぐ三人に歩み寄ってくる。

「ほーら、来た!」

 久太郎は喜びにあふれた声を出した。

 十人ほどの男たちの中で、先頭の一人だけ鎧を着け、ポニーに毛が生えた程度の大きさしかない茶毛の馬に乗っていている。兜はかぶっておらず、その頭は月代を青々と剃り上げていて、髷を結わずにザンバラに下ろした髪を、鉢巻きでとめている。

 他の者は全員徒歩立ちで、六尺棒を担いでいる。彼らは騎馬の男と同様、頭に鉢巻を締めているが、髪は藁しべのようなもので茶筅のように束ねている者もいる。扮装は地味で、擦り切れの目立つ麻布の小袖にたすきを掛けて、帯に長短二本の刀らしきものを差している。そのうちの三人は古びた袴をはき、膝上あたりで括り紐を締めている。袴をはいていない者は裾を端折って帯に挟んでいて、股の間から白い褌をのぞかせている者もいる。全員素足に草鞋を履いている。

 それらの後ろにあの農夫が付いてきている。しょいかごはどこかに置いてきたようで、今は背負っていない。

「オレたちは、きっとあの人たちにしょっぴかれていくんだよ」

「………」

 久太郎は妙に浮かれていた。久明と隼人は久太郎に反論する気にもなれない。

 男たちは二、三メートルの距離を置いて久明たちの前に立った。くだんの農夫が騎乗の男のそばに走り寄り、何か囁いたが、何を言ったのかは分からない。

「………」

 騎乗の侍は、久明に向かって何かを言った。怒ったような物言いの上、訛りが強く、ひどく聞き取りにくい。

 こういった場合、勘が鋭く、その上ちはら台界隈で旧家のお年寄りと親交があって、ある程度房総の地言葉に慣れている久太郎は理解が早い。困惑顔で首を捻っている久明に囁いた。

「あのおじさん、オレたちに何者だって訊いてるみたいだけど」

「うーん。何者だと言われても返事に困るな。とりあえず名前を名乗っておこう」

 久明は久太郎と隼人に言ってから一団のリーダーらしき騎馬武者を見て、

「私は岡本久明という者です。こちらは息子の久太郎、そちらはその友人の佐久間隼人といいます」

「………」

 男はまた何かを言った。それを久太郎が現代語に通訳する。

「なぜか、ようなとこにいる、だって」

「え? なぜか、ようなとこにいる……?」

 久明は一瞬不思議そうな顔をしたが、

「ああ、なぜ、かような所にいる、か。……事故に遭って失神している間に、タイムスリップしたようでして」

「………?」

 騎馬武者は、不審そうな眼つきで久明を睨みつけた。

「父ちゃん、そんなこと言っても、この人には分からないよ」

「だろうな。父ちゃんも自分で何を言っているのかよく分からん」

 騎馬武者は、隣で六尺棒を構えている徒歩の侍に何か話しかけている。

「この三人組は、どうやら敵の細作ではないような気がする。だが、なにぶん言葉が分からぬ。もしかすると唐か南蛮から来た者かもしれぬ──」

 と言ったらしい。

 徒士侍はそれに対し、鎮西かどこかの遠国から流れてきた浮浪の坊主ではないか、と返しているようだ。

 その男が、

「立て──」

 と命令したことは、皆が理解した。

 やれやれ、と思いながら三人が立ち上がると、棒を担いだ男たちに前後を固められて、騎馬武者に、

「歩け──」

 と命じられた。


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