第6話

文字数 2,352文字



 神五郎は、三人が朝食を摂り終えた頃にやって来た。

「岡本殿の屋敷地が決まったので、これから参りましょう」

 挨拶もそこそこに神五郎は切り出し、久明たちを急かすように立ち上がった。

 神五郎は三人を連れて館の門を出ると、街道まで伸びる追手道を行かず、左に折れて塁壕沿いに歩いていった。

 道の西側には里見家重臣の屋敷が幾つか並んでいる。どの屋敷地も広いとは言えず、建物も小振りでさほど立派な造りではない。おそらく重臣の多くは通常本貫地に居住し、久留里に伺候する時だけ屋敷に滞在するのであろう。

「お三方の家来衆も集まらせております」

 神五郎は重臣屋敷が途絶えた所で立ち止まって、義堯の館の端を指差した。

 久明が、

(家来?)

 と思い神五郎が指差した方向を見ると、いた。

 塁壕が山の手に向かって折れ曲がるそのあたりは夏草が生い茂る草むらになっていて、その前で八人の男たちが所在なげに立っていた。昨夜話が決まって今朝にはもう集合しているところを見ると、義堯は久明らに話をする前に手筈を整えてあったのだろう。

 神五郎と久明たちが近づくと、それに栗原弥七郎が気づき、腰を深く折ってお辞儀をした。他の男たちもそれを見て新しい主人が来たことを知り、慌てて頭を下げた。

「あ、弥七郎さんだ。やっぱりジャイアンの家来になるんだね」

 久太郎は隼人に囁いた。

「……家来だなんて、何だか変な気分だよね。なんで僕が戦国時代で侍にならなくちゃいけないんだろう」

 隼人は浮かない顔をした。彼はまだ自分の不可思議な運命を受け入れる気にはなれないらしい。

「オレの家来は誰だろう」

 久太郎は男たちを値踏みするように眺めた。

 神五郎は男たちに三人を紹介して、

「岡本大学殿には、この者どもが配下となります」

 と言い、四人の男たちを手招きした。

 まだ二十歳前後で薄い口髭を生やした若侍は、龍崎(りゅうざき)五郎太と名乗った。義舜の部将、龍崎縫殿頭(ぬいのかみ)の息子である。顔にはまだあどけなさが残っているが、頸が太く、鋼のように鍛え上げられたたくましい体をしている五郎太の上背は百七十センチ強の久明と同じくらいあり、この時代としてはかなりの長身である。他の三人は、足軽の三大夫、中間の彦八と与次で、皆二十歳代と若いが、眼光鋭く歴戦の勇士といった風格がある。

 久太郎の家来になるのは、真田与十郎という三十がらみの温和な顔をした侍と、手の甲に大きな傷跡のある足軽の多門という男だ。多門の歳も二十代後半から三十前後といったところである。

「おじさんたちがオレの家来になるのかあ。まあいいや、よろしく頼むよ」

 久太郎はもっと若く、自分の遊び相手になりそうな者を期待していたらしく、少しがっかりした声を出した。

 隼人には、栗原弥七郎の他に正円という坊主頭の足軽が与えられた。弥七郎は正円に、

「隼人さまは、本来なら我らが近づくことのできないお血筋のお方じゃ。心して仕えよ……」

 などと言っている。

「大学殿の屋敷地はこちらでござります」

 と、神五郎が示した先には、朽ちて崩落寸前の草葺屋根が乗った粗末な掘立て小屋が二棟建っていて、それはススキ野の中に埋もれつつある。草刈りをしてからしばらく経って人の腰丈ほどに伸びたその草むらは、ざっと見て大都市にある小学校の校庭より広く、二千坪以上はありそうだ。周囲にある重臣たちの屋敷地よりもかなり広い。

「では早速この小屋を毀ちて、建物の作事に取り掛かりましょう。城下の大工に申し付けておきます」

 神五郎は、自分の家来の本名(もとな)伝兵衛(でんひょうえ)という男と久明の家臣になった龍崎五郎太に、大工頭の長谷川右京亮と小工の蒔田(まきた)図書助(ずしょのすけ)の屋敷に行って、右京と図書を呼んでこいと命じた。

「私はこの小屋でもいいのですが」

 久明は、雨露がしのげれば住む所など何でもよいと思った。屋根を葺き直せば、こんな小屋でも自分たちが住むのには十分であろう。

「いやいや、そういうわけにはまいりません。仮にもお屋形さまの軍師となられるお方のお屋敷でござる、相応に普請せねばお屋形さまに申し訳がたちません」

「軍師とは大仰な。ところで、久太郎や隼人君も一緒に住んでいいのですか?」

 久明は神五郎に訊いた。

「久太郎殿と隼人殿は若殿の御小姓なられましたれば、普段は若殿がお住まいの千本(せんぼん)城下で起居なされます。しかし二人の実家はこちらになりますから、宿下がりの時には滞在することになりましょう」

「なるほど。それなら二人のための部屋と家臣のための別棟が必要になるな。……費用はどのくらい掛かりそうですか」

 この時代に来たばかりの久明に財産はない。令和の世から持ちこんだ小銭や紙幣がいくらかと、電子マネーやクレジットカードがあるが、そんなものは当然使えない。米三百俵をもらえるにしても、それはおそらく秋の取入れが済んでからであろう。しかしそれも一年分の経費を差し引くと幾らも残らず、家一軒分を返済するのに何年かかるか分からない。

「お屋形さまの命による御用普請ですから、ご心配は無用でござります。大工などにやる祝儀の品などもこちらで用意します」

 神五郎は微笑しながら言った。

「一から十まで申し訳ない」

 久明は恐縮して頭を下げた。

「作事が終わるまでは、今まで通りお館に逗留なさればよいでしょう」

「私の家臣になってくれた四人も住む込みになるわけでしょう。男所帯では掃除や台所仕事が困りますが、誰かいい人はいませんか」

 久明は一通りの家事くらいはできるが、これから義堯の側に仕えると、そのようなことまでは手が回らなくなるだろう。

「確か三大夫と彦八には妻女がいるはず。その者どもにやらせればよいでしょう」

 神五郎は三大夫と彦八を見た。二人が頷いたところを見ると、今まで仕えてきた家でも同様に、家人(かじん)にそういう下働きをさせていたのであろう。


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