第20話 

文字数 2,686文字



   六


 ところが、作戦は決行直前になって、北條方の知るところとなってしまった。

 情報が漏れたのは他でもない、この度の主役たるべき太田新六郎康資の筋からであった。

 秘密の謀事などは、それに関わる人間が多ければ多いほど漏洩する可能性が高くなる。これは古今東西当然の大原則であり、新六郎もその点は十分気を遣っていた。しかし決行直前には、上級指揮官の間で作戦案を共有し、十分に意思統一を図っておかないと、成すものも成さなくなってしまう。

 新六郎は、里見義弘、太田資正との謀議が成った後、たまたま病死した弟源三郎の七七日(なななぬか)の法要が、江戸城の西の平河(ひらかわ)村にある太田家の菩提寺、法恩寺で開かれることになっていたので、それにかこつけて弟源四郎ら一族譜代の主立つ者二十一人を寺の一堂に集め、北條家からの離反を伝えることにした。

 一方の北條家では、新六郎近辺の不穏な動きをかねてより察知していた。

 不審な坊主が夜陰に隠れて西の曲輪に出入りしている、という情報を地下に埋め置いた細作から得た江戸城代の一人、遠山右衛門大夫政景は、ひそかに新六郎周辺の内偵を進め、件の坊主は岩付領の寺と関わり合いがあることを嗅ぎつけた。

「はてな。何か臭うな」

 右衛門大夫は小鼻を擦った。

 もとより新六郎と岩付城の主、資正は同族であり、何らかの交流があってもおかしくはない。しかし右衛門大夫は坊主が隠密に行動していることに違和感を覚えた。

 さらに新六郎が法会を催すらしいということを聞きつけた右衛門大夫は、念のため法恩寺の住持に監視を強化するよう命じた。

 この住持は、実は相州乱波風魔党の一員で、かねてより江戸城周辺の情報収集のために北條家が植え付けていた忍者である。

 その当日。新六郎主従が続々と寺の番神堂(ばんじんどう)に集まった。住持姿の乱波は境内を掃き清めているふりをしながら、それを眺めていた。新六郎が法会と称していながら、配下の者に余人を寄せ付けない厳しい警備をさせていることを目にして、乱波は密かに頷いた。

 乱波は懐からネズミを一匹取り出し、その耳元に何かを囁いてから、地面に放した。その小動物は鳴きながら警備の侍に向けて一直線に走っていった。

 走り寄るネズミに気付いた侍が、一瞬持ち場から目を離した。その瞬間を待っていた乱波は、音もなく走って建物の床下に潜り込み、新六郎が寝返りの決意を表明し、参集者と牛王の神水を飲み交わす一部始終を盗み聞きすることに成功した。

 七七日の法会が終わり江戸城に帰城した新六郎は、謀事が露見したとは露知らず、西の曲輪にある自分の屋敷に戻った。今宵は、作戦成功の暁に得るであろう江戸城主の地位を想像しながら、心地よい酒を飲むつもりであった。

 そこへ二の曲輪の遠山右衛門大夫から使者があり、

「我があるじ、右衛門大夫から新六郎殿奥方へのお言伝てでござりまする」

 と切り出し、

 ──今宵は父綱景や祖父直景の物語などをしたい。子等も引き連れて参られよ。

 と言って、帰っていった。

 新六郎の室は綱景の妹であった。甥が叔母に先祖の話をしたいと言い送ってきても、何ら不思議ではない。しかし右衛門大夫のかつてない申し出に、大事の前で敏感になっている新六郎の神経は反応した。

「はてな……」

 新六郎は首をひねり、側近の者数人に城内各所を探らせた。

 戻ってきた彼らは一様に妙な顔つきで報告した。

「城内は慌ただしく、侍は武具を整えたり、城外に住まう者は鎧櫃や武器を担いで入城したりと、まるで合戦前夜のようでござる。ただどこに出陣するかは誰も知らされていないらしく、訊いても分からぬと答えるのみでござる」

「うむ、さようか。かような騒ぎの中でわしにだけ陣触れがないのはおかしいし、そんな時に奥を呼び寄せるのも変だ。……察するに、どうやら事は破れたようだ。いくさ支度はこの曲輪を攻めるためだ。昔話云々は、奥を我が元から取り返すための虚言に違いない」

 新六郎は少し思案してから、

「この曲輪には敵の回し者が紛れ込んでいる。侍や中間小者から奥の腰元たちに至るまで、外に出ようとする者はその場で斬り捨てよ」

 と側近の者たちに命令し、主立つ家臣を呼び集めて事情を説明し、武装を命じた。

「敵は、未明にはこの曲輪に攻め入るに相違ない。それまでに城を脱出する。火急の時である、足弱を連れて行く余裕などない。女子供にはめいめいに身寄りを頼って落ちろと申せ」

 新六郎は、神水を飲み交わした二十一人を前にして言った。

「城を抜け出るまでに一戦あるは必定だ。みな心して掛かれ」

「城を逃れ出た後、どういたしますか?」

 二十一人衆の中の一人が訊いた。

「分からぬ。とりあえずは味方の城に駆け込むしかあるまいが、美濃守の岩付城より里見の国府台城の方が近いな。よし、行き先は国府台だ」

「しかし国府台までは川多く、途中に葛西城もありますが。挟み撃ちになるやもしれませぬ」

「いや、おそらく敵は、我らが岩付に逃げるとみて、そちらの方により多く兵を埋めているであろう」

「しかし我らが東に向かったら、敵も気づいて追っ手を差し向けましょう」

「そのためにも全員武装して、ここを出たら一気に駆け抜けるのだ。馬に飼葉と水を十分にやっておけ。戦うよりも逃げるのが先決であるから、余計な物は持たずにできるだけ身軽にしろ」

「はっ」

「いくらも時間は残っていない。急ぎ準備を整えよ」

 その夜の月は半月、それが幸いにして、すっぽりと雲に隠れている暗夜であった。

 本丸周辺に偵察を出して、敵がまだ行動に移していないことを確認すると、新六郎は夜目が利く手練れの者をこっそり城外に出して辺りを窺わせた。男は、西の曲輪の門外で哨戒している武装兵数人を1人ずつ背後から襲い、布を口に押し込んで塞ぎつつ、短刀で喉を掻き切って殺害した。

 門外から、壕に飛来している鶴の声に模した合図があると、新六郎たちは三人、五人と、少人数ずつ脱出を開始した。

 具足の草摺を縄で縛り、太刀の鞘には布を巻いている。馬には枚を噛ませ、馬草鞋を数枚重ねて履かせて、極力音を立てないように気を付けながら門を出た。

 全員城外に出たところで新六郎は振り返り、しばらく佇んで様子を窺っていたが、城内には何の変化も表われていない。彼らが出奔したことは、城方にはまだ発覚していないようだ。

 そこからは主従一丸となって、国府台城目指して一目散に走った。女子供も男たちが去った後、それぞれの係累を頼って逃亡した。

 城方は、夜半に西の曲輪を襲撃した。しかしそこはもぬけの殻で、新六郎の妻と子、それに妻の実家から来た腰元以外に誰もいなかった。


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