第2話

文字数 2,466文字



 と、その時、薦野神五郎が廊下を渡ってやってきた。どっと歓声が上がったので何事か思い、様子を見に来たようである。

 その姿を見て久太郎は、

「ねえ神五郎さん、みんなでいくさごっこしてみたいんだけど。あっちの原っぱで」

 と言って河原の方を指差した。久留里城のすぐ西を流れる小櫃川は城下でΩ型に大きく湾曲し、その内側は広い草むらになっている。

「ほう、戦ごっこでござるか。それは面白そうでござるな」

 神五郎は意外にも興味を示して笑みを浮かべ、小櫃川対岸の向郷の方角を見やった。

「近頃あまり出陣しておらぬゆえ、体がいささかなまっておる。その体をほぐすのには、もってこいでござろう」

 と言いながら神五郎は足軽や若侍の方に向き直り、

「その方ども、久太郎殿がかように申されておる。どうじゃ?」

 神五郎は義堯付きの重役である。言葉の響きには、足軽風情や年若い侍には有無を言わさぬものがある。

「よろしきことかと……」

 ほとんどの男はやむを得ぬ、という諦めの声を上げた。

 しかし中には露骨に顔をしかめて、

(いくさ遊びか、面倒くさいな……)

 と言いたそうな若侍もいたが、それにも無言の強制力が働き、反対の声にはならない。

「異存はないな。ならば、あした辰の刻五つのころに向郷に集まれ」

 神五郎は、その場にいる十五人ほどの男たちに命じた。

 翌朝、城下の寺から辰の正刻の鐘が鳴ってしばらくしてから久明たちが向郷に出向くと、そこにはすでに薦野神五郎やその家来衆が十名ほど集まっていた。

 時計がなく、時間は個々の感覚に委ねられている時代である。前日神五郎に声を掛けられた面々が集まるまでにはしばらく掛かるだろうとのんびり構えていたら、ほどなく全員が集まり、さらに彼らの従者や兄弟などもやってきて、総勢四十名になった。

「ほう、思ったよりも大人数になったな。岡本殿、これならかなりまともな戦ごっこができますな」

 神五郎は久明に笑顔を見せた。

 四十人は久明と神五郎が大将役となって二十人ずつ二つの組に分かれた。久明の配下は久太郎、隼人、弥七郎と若侍たちで、神五郎側は彼の家来たちである。

 得物は木刀の大小と、穂を抜いた三間柄の鎗で、怪我防止のために甲冑も着用している。未来から来た三人も、神五郎が調達してきた甲冑を着用した。

 戦闘訓練は、久明と神五郎の号令で鎗合わせから始まった。飛び道具の礫打ちや弓矢は危険なので使わない。

 しばらく両者は鑓を打ち合い、様子を窺っていたが、久太郎が意を決して鎗衾をかい潜り、

「一番乗り──!」

 と叫んで敵陣内に突入すると、双方入り乱れての白兵戦にもつれ込んだ。

 小柄な久太郎は神五郎の足軽に捕まると、たちまち組み伏せられてしまった。手足をもがき必死に逃れようとしていると、隼人がその足軽を突き飛ばして久太郎を救出し、そのまま相手を組み敷いて抑え込みの態勢に入ったところで、加勢した弥七郎が木刀で首を取る真似をした。首を取られて討ち死にを遂げた者は本陣の後方に下がり、対戦が終了するまで戦況を見守る。

 河原にはいつの間にか里見義堯と義舜の親子が現れて、彼らの戦闘を観戦していた。しかし彼らに随行している取り巻きは三人づつと少人数なので、白兵戦に熱中している男たちは誰も気づかない。

 久明は後方から戦闘を眺めつつ、時々大声を張り上げて前線の兵士たちに指示を出す。合戦ごっこは少数同士の模擬戦闘ながら意外に本格的な戦の様相になった。兵士が久明の張り上げる未来の言葉を理解して、指示通りに動いたときは敵は大きく崩れたつ。

 この模擬戦闘は隼人と弥七郎の活躍により、久明側の大勝利に終わった。

 首を取られたものは、久明側が一人、神五郎の方は六人で、久明軍に本陣まで攻め込まれた神五郎は、自らも太刀打ちに及んだほどであった。

 久明たちが勝鬨を挙げる段になって、一同はようやく義堯親子が観戦しているのに気づいた。全員慌てて礼をとる。

「実に良いものを観させてもらった。しかし隼人殿はなかなかやるのう、久太郎殿も討ち死に寸前ではあったが一番鎗の功じゃぞ」

 義堯は、いっぱしの武者構えでひざまずいている久太郎と、その横で小さくなっている隼人に声をかけた。一度しか会っていない自分たちの名前を義堯が覚えていたことに、二人は驚いた。

「久明殿も理に適った良い采配じゃった。それに対して神五郎は情けないのう、未来からの客人にさんざん打ち負けるとはのう」

「お屋形さまには、みっともないところをお見せいたしてしまい、赤面の限りでございます」

 神五郎は頭を下げながら月代を掻いた。

「実戦ならば、あれでは本当に首を取られていたやもしれぬぞ」

「申し訳ござりませぬ」

「まあよい、この経験は来たるべき(いくさ)に活かされるであろう」

「はっ、恐れ入ります」

「戦ごっこというもの、子供の遊びじゃと思うておったが、案外若侍を鍛錬するにはちょうど良いかもしれぬ。時々若い物頭等を集めて戦ごっこをいたせ」

「はっ、かしこまりましてござります」

「ところでじゃ、余は岡本殿や佐久間殿とゆるりと話をしたいと思うておるのじゃが。どうじゃ、後で余の居間まで来てはくれぬか」

 義堯は微笑を浮かべながら久明たちを見た。義堯の四角い顔は、笑うと思いのほか柔らかい顔になる。もしも彼が令和の世に生きていたなら、おそらくは近所の優しいおじさま、といった存在になっていただろう。

「はい、承知いたしました。それでは後ほど伺わせていただきます」

「うむ、急がなくてもよいぞ。夕餉でも摂りながら物語をしようぞ」

「わかりました。それでは夕刻に」

 久明は義堯たちの乗馬を眺めながら答えた。義堯の馬は、現代のサラブレッドと比べてもさほど見劣りしないほど大柄な漆黒の馬体を持ち、それによく似合う、黒を基調とした金蒔絵の鞍と深紅の馬飾りで装飾されていて、実に美しい。義舜の馬は幾分小柄だが、鮮やかな栗毛で非常に美しい。額から鼻先にかけて大きな流星がある。

「うむ、楽しみにしておるぞ」

 義堯親子は馬首を廻らせて川を渡り、そのまま館に戻っていった。


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