第8話

文字数 2,121文字



 久明と久太郎は隼人も誘って、翌朝、日の出直前に草刈に向けて出発した。同行するのは、三人それぞれの家臣と正五の旗本十騎。これは久留里合戦の折に寄騎として久明とともに戦った者たちであった。彼らはそれ以来すっかり久明に懐いてしまい、剣術稽古を名目にして久明の屋敷に入り浸っている。

 冬枯れた早朝の野や田畑は霜で真っ白になっている。それが朝日を浴びてもやとなり、ユラユラと立ち昇っている。

 幅二間ほどの曲がりくねった街道は荒れていて、路面にはぼうっと歩いていると躓いてしまいそうな凸凹が多い。ところどころに長さが二寸以上もありそうな霜柱が立ち、総勢六十五人の人馬が通ると踏みつぶされて、ザクザクと乾いた音をたてる。

 右手に広がる村田川の氾濫原には、子供が乗っても割れないほどの厚い氷が張っている。枯れた葦の繁みの中で寝ていた白鳥や鴨が、突如現れた人馬の群れに驚いて、葦の根元に付いていた氷を蹴散らしながら、一斉に飛び立った。

 正五の旗本二騎を先頭に二列縦隊で街道を進んだ一行は、一刻足らずで草刈郷に着いた。そこは掘立柱に荒削りの板を打ち付け、藁で乱雑に屋根を葺いた民家が十数軒散在するだけの寒村であった。

「なんだかずいぶん寂れてて、侘しい感じがするね。道の感じも全然違うから、どの辺だかよく分かんないや」

 久太郎は辺りを見渡して首を傾げた。

「道は狭くて曲がりくねっているし、川も細い上に流路が違う。当然のことだけど我々が未来の世で目印にしていた信号や建物、看板もない。だからどこだか分からなくて当たり前だよ」

 久明にも自分がどの辺りにいるのか、今一つよく分からない。

「ねえ、あの丘に登ってみようよ」

 久太郎は街道の北東にある、こんもりと盛り上がった台地を指差した。それは麓からの比高が七、八丈の、どこにでもありそうな普通の丘である。

「ひょっとしたら、あれは将来ちはら台になる丘かもしれないな。よし、行ってみよう」

 久明は位置や方角を確認しながらそう言って、嘉風の首を軽くなでた。すると嘉風はまるで丘の上へ続く道を知っているかのように、勝手にトコトコと歩きはじめた。久太郎たちもその後をぞろぞろと続いていく。

 斜面に生える雑木林の間を縫って走る、けもの道のように細く急な坂道を登りきると、台地の上は一面枯れ果てたススキで覆われた、広々とした草原になっていた。灌木はところどころに生えているが、高い木はない。

「丘の上は原っぱなんだ。面白いな」

 隼人は不思議そうな顔をして草原を見渡した。台地の上は北西からの空っ風が強く、ススキの群落は時々横倒しになるほど大きく揺れている。

 久太郎も意外な光景に驚き、久明に訊いた。

「父ちゃん、なんで木が生えてないの?」

「未来の世の神奈川県から東京都、埼玉県にかけての武蔵野台地や千葉県北部の両総台地は、江戸時代から明治のころに人の手による植林が行われるようになるまで、草原だったところが多かったらしいね。おそらく冬の風が強すぎて、木本類が生育しにくいという厳しい環境と、育っても鹿や野馬の食害で枯れてしまうんだろう。鹿や馬は冬場のエサが少ない時期になると、木の皮や芽を食べてしまうんだ」

「へー、野生の馬もいるんだ」

 久太郎と隼人は目を丸くして声を上げた。

「なんだかモンゴルの草原かアフリカのサバンナみたい」

「ちはら台の周りには馬や鹿なんかいなかったよね」

「うん、いなかった。見たことなかったよ」

 隼人は風に靡いているススキのうち、まだ綿毛が付いている一本を引き抜き、軽く振って綿毛を飛ばした。それらは強風に煽られて、あっという間に彼方へと飛んでいった。

「でももったいないですね、こんなに広い場所を放っておくなんて。畑にでもすればいいのに」

「そうだね。我々が住んでいた未来では、こういう台地上の土地はすべて人の手が入っていて、畑や林になっていたね。でも畑にするには利水の問題があるし、他にも強風に表土が飛ばされないように防風林を作ったり、植えた木の苗や作物が鹿や馬に荒らされないように、柵や土塁を廻らせたりしなければいけないから、いろいろ大変なんだ」

「ふーん。でも農地にできれば国は富みそうだな。オレが領主だったら、ここはみんな畑にしちゃうけどな。前に亀山湖で見た川廻しとどっちが大変?」

 久太郎と隼人はまだ戦国武将になるための修行中で、蔵米を支給されている身なので行政に関わるには尚早だが、大名当主を間近に見ているせいか、すでにこのような自覚が生まれてきているらしい。

 この時代の武士は江戸時代のお殿さまとは違い、オールマイティーな能力を持った人間でないと大成しない。軍人として優秀であるのは、あくまでも最低限の条件で、人が住み、作物が植えられている土地そのものを給与され、そこから得る収入で兵を養い軍役を務めることになっているので、封地を治める行政官としての能力も相応に要求される。

 しかもこの時代の人は、一般庶民でも長く続く乱世に揉まれているおかげで気性が荒く、自我も強いので、一揆を起こして強訴したり、集団で逃亡したりするのは朝飯前である。抑圧し、収奪するだけの前時代的政策では、領地が成り立たなくなってしまう。


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