カラスアゲハの仇

文字数 3,152文字

 4.

 腿にくくりつけたバッグから手榴弾を取り、ピンを抜く。光が漏れてくる曲がり角の右側に投げ込んだ。
 最初の銃撃からこの反撃まで、一秒。
「隠れろ!」
 男のような、女のような、慌てふためく声が叫ぶのが聞こえた。直後に爆発が起き、炎が十字路を明るく照らした。悲鳴が聞こえたかもしれない。ミレイは立て続けに閃光手榴弾を投げ込んだ。より強烈な白色光が炸裂する前に、目を閉じ、そして開ける。
「星獣用意!」
 声をあげて飛び出した。
 コントロールルーム内部は、隠れる場所は限られていた。両側の壁に沿ってコンソールとディスプレイが並び、床の真ん中には破壊されたシャンデリアが落ちている。ほとんどの椅子がコンソールの下にしまわれていたが、椅子が出ているコンソールの下からは、視力が回復するのを待っている反協会分子の銃や体の一部がはみ出ていた。正面にはラジャンが言っていた、他の出入り口にいたる通路があり、自動扉がゆっくり閉じていくところだった。
 ミレイが右側の、続いて突入したアイメルが左側のコンソール下にいる者たちを撃ち抜いていった。
「クリア」
 通路ではラジャンも銃撃戦を始めていた。アイメルが声を張り上げる。
「候補生、全員コントロールルームに入って! 早く!」
 最初に飛び込んできたのはイスマリルだった。オウムが照明に体をきらめかせながら天井近くを旋回する。
「私も戦います!」
「よく言った」
 血溜まりと弾けた肉片を踏んで、ライフルを抱えたミレイとイスマリルがコントロールルームを駆け抜ける。
 自動扉が開く。
 その先の通路は明かりがついていた。ミレイの無言の視線に誘導され、オウムが通路を先導する。動くものを見つけ次第、色彩の力で殺すつもりだった。
 少し走ると通路の終わりが見えてきた。
 そこは自然に崩落した洞窟の天井を活かした休憩スペースで、頭上からは木の根と春の雨がそそぎ、足もとには朽ちて散乱した(いにしえ)のベンチがあった。石畳は剥がれ、草に覆われている。
 蝶が、木の根に休んで雨を凌いでいた。
 黒い蝶。
 オウムがミレイへと体の向きを変え、赤く発光した。
 咄嗟に、同じオウムから、ミレイにとって防御を意味する色彩である黒、金属光沢のある青系統と緑系統の構造色を引っ張り出し、体の前に張り巡らせる。
 カラスアゲハの色。
 赤色が、金属光沢をまとった黒の前に音もなく砕け散る。
 そのとき、誰かが叫んだ。
「今だ! やれ! イスマリル!」
 すかさず振り向いた。
 背後のイスマリルが、泣き出しそうな表情で、ミレイにアサルトライフルの銃口を向けていた。

 ※

 敵勢力のなかに星獣を扱える者がいる。ということは、十中八九、相手は新生アースフィア党だ。
 ミレイは自分のライフルの銃身を持って振り回し、銃床でイスマリルの手首を叩いた。イスマリルはよろめいたが、悲鳴をあげもしなかったし、倒れもしなかった。
「イスマリル!」
 あの、男のものとも女のものともつかぬ声が叫ぶ。
「私は――私は――」
「迷いがあるならやめておけ」ミレイは三つの嘘をついた。「協会には私が取り計らってろう。更生の道はある。君が死ぬ必要はない」
「イスマリル! ここまできて迷ってんじゃねえよ!」
 姿は見えないが、声はする。イスマリルは叫んだ。
「ニハザ、行って! 私もう迷わないから!」
 背後で星獣が輝きを増す。ミレイはカラスアゲハの全ての色で体を包み込んだ。左手首を壊したイスマリルはライフルを捨て、ハンドガンを抜き、言った。
「死ね」
「素晴らしい挨拶だ」
「お前の墓はもっと素晴らしい」
 ミレイのアサルトライフルが火を噴いた。ヒマワリ、それがイスマリルにとっての防御の色彩と輪郭らしく、撃ち出された三発の銃弾はイスマリルに触れることなく消えてなくなった。
 三点バーストを解除。
 イスマリルが、休憩所の角の石像に身を隠し、叫ぶ。
「母の願いに報いたいとは思わないのか!」
 ミレイは答えて言った。
「母は死んだ。私の心の中でもな」
「ならばお前も――」
「イスマリル!」
 最初に追いついてきたのはフィフィカだった。
「ミレイ先生! どうしてですか? どうしてイスマリルに銃を向けるんですか!?」
「フィフィカ! イスマリルを殺せ!」通路に近いフィフィカの位置からならイスマリルを撃てるはずだった。「こいつは新生アースフィア党員だ」
「そんな……だって……」
 だがそれは、イスマリルの位置からでもフィフィカを撃てるという意味だった。
 イスマリルがフィフィカを撃とうとした。銃弾はそれて通路の出入り口を削った。
「フィー! ダメだ! あっちに行け! 来るな!」
 もしも自分がイスマリルの立場で、協会の育成校に潜り込み、何年も寝起きを共にした思想上の敵にして学友でもある人物を一網打尽にする機会が訪れたとして、私に撃てるだろうか、ミレイは自問した。自答した。できないだろうな、と。十七歳の頃の、まだ青く、優しかった自分では。
 アイメルが休憩所に躍り出て、空に手をかざした。その姿は指先から数えきれない小さな黒い鳥に姿を変じていき、飛んでいく。反対側の通路から、追いついた新生アースフィア党の増援が空にライフルを乱射する。耳をつんざく銃声。小鳥たちが、アイメルだった人間の赤い臓物のかけらとなって休憩所に降り注いだ。それでも生き延びたわずかな鳥は、ナイラノイラの方角へと飛び去っていった。
 ミレイはアイメルを撃ったゴミを殺してやろうとした。だがその前に、
「フィフィカ! この状況は何――」
 二番手のラトルが体のどこかを撃たれて倒れた。フィフィカはといえば、まったく大したもので、
「お母さん! お母さああああんっ!!」
 泣き叫びながらでも、やるべきことをやっていた。休憩所の広い空間に飛び出して、アサルトライフルを乱射していたのだ。彼女のライフルは最初からフルオートになっていた。銃を右から左に動かすと、反対の通路から押し寄せてきた敵が血しぶきをあげて次々と薙ぎ倒されていった。銃声のなか、イスマリルが石像の後ろで発砲する音が聞こえた。フィフィカのいる方向を撃つが、相変わらずフィフィカを撃てないでいるのだ。
 ミレイはカラスアゲハの色彩をフィフィカに投げてやる。
「ランゼス! フィフィカとラトルを連れて撤退しろ! お前たちはラジャンがナイラノイラまで送り返す!」
 凍りついていたランゼスが、その声で動いた。フィフィカのもとへと飛び出し、弾倉が空になってもまだ撃とうとしているフィフィカの肩を掴んで揺さぶった。そうして少しだけ落ち着かせると、自分たちがきた通路のほうへとフィフィカを引っ張っていった。
「行け!」
 これで敵の増援第一波も、味方の増援もいなくなった。ミレイのライフルの弾倉も空になった。予備の弾倉は背嚢の中で、コントロールルームに突入する手前、通路に置いてきてしまった。
 ミレイは苔むしたベンチの上にライフルを寝かせた。
「イスマリル」
 顔色の悪い銀髪の少女が、時の試練に忘れ去られた偉人の石像の陰から現れた。二人の異能力者の頭上を、色をすり減らしたオウムが輪を描いて飛んでいた。
「決着をつけよう」
 イスマリルの服は土で汚れ、両脚は震えていた。それでも立っていた。
「……私は、星獣の扱いでは熟練者のお前に敵わない」
「じゃあ投降するか?」
 イスマリルはハンドガンをミレイに向けて構えた。
「みんなの仇!」
 イスマリルがこうすることはミレイもわかっていた。彼女は協会に連れ戻されても命はないと観念したのだろう。頭上のオウムが銀色の羽を散らし、その全てがイスマリルの肩と頭に降り注いだ。首から血の帯を噴き出して、イスマリルは膝から崩れ落ちた。
「私のカラスアゲハの仇」
 倒れ伏し、絶命する少女にミレイは言った。


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登場人物紹介

◆ミレイ・スターセイル

◆32歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈茜の闇〉。本作の主人公。

◆ラジャン・シンクマール

◆32歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈墜とし得ぬ星〉。ミレイの相棒。

◆イスマリル・ダーシェルナキ

◆17歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


〈呪つ星の狂照〉。旧大陸からきた特務治安員候補生の一人。

◆フィフィカ・ユンエレ

◆17歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆ランゼス・フーケ

◆17歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆ラトル・グレイ

◆17歳/男性

◆所属:治癒と再生者の協会


特務治安員候補生の一人。

◆リリファ・ホーリーバーチ

◆29歳/女性

◆所属:治癒と再生者の協会


協会の戦闘支援部隊員で、ラジャンの婚約者。

◆エリク・ラーステミエル

◆24歳/男性

◆所属:新生アースフィア党


新生アースフィア党ナイラノイラ支部の指導者。ナイラノイラ人民解放戦線の広告塔だった人物の息子。

◆エリエーン・ラーステミエル

◆17歳/女性

◆所属:新生アースフィア党


エリクの妹で、弱火の新人種。イルレーン地区の高等学校に通っている。

◆ニハザ・マーシーン

◆19歳/トランス男性

◆所属:新生アースフィア党


エリクの助手。ナイラノイラ人民解放戦線指導者ラルフ・ヴォレックの甥。

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